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2025/03/16 (Sun)

カブキブ!

アニメを楽しんで見てます。
原作は別に読む気はなかったんですけど、図書館で見かけて1巻を読んでみて、そしたらまんまと6巻まで一気読みしちゃいました。
おもしろい。続きが気になるー!

榎田ユウリさんは昔から名前は知ってるんだけど、ちゃんと読んだことはないかも……
と思っていたけど、念のため既刊調べてみたら読んだことある作品ありました。
ヴァムピール・アリトスってこの人だったのか!
わー、懐かしい……


さて、アニメから入ったわけですが、やっぱり歌舞伎の舞台の部分はアニメで見た方が分かりやすくていいなって思いました。
衣装や動き、見得のかたちなんかは、文章で書いてあってもすぐにはイメージできないので映像で見た方がいいし、台詞回しも文字で読むよりも実際に抑揚がある方が聞いてて心地良い。なんていうか、歌舞伎の台詞って耳で聞く言葉として作られてるんだなって思いました。……舞台で演じる台詞だからってのもそうなんだけど、近代以前は黙読じゃなくて音読が基本みたいな話を聞いたことがあるのも関係あるのかもと思ったり。
一方で、それでも歌舞伎の台詞は江戸時代っぽいし語彙も難しいので、耳で聞くだけだと漢字に変換できないのもあった。だからその部分は小説で読んだ方が意味を理解できる。
変換できないっていえば、イオフィエルは「エ」じゃなくて音引き(ー)だと思ってました。ので地味にびっくり。
……まとめると、字幕付きでアニメを見るのが一番いいのかもしれない。

芝居以外の部分は文章の方が心情とかに言葉を費やせるので、その点は小説に軍配が上がるかな。
まあどっちが勝ちってわけでもなく、それぞれに良さがあるのですけど。
普段は不思議とアニメより小説の方が情報量が多い気がしてしまうんだけど、この作品は情報量の多さがそれぞれ別々のところにある感じがしました。

アニメは3巻ぐらいまでやるのかなー。今週やってたところが3巻の中盤ぐらいだったし。白浪五人男をアニメで見れるのを楽しみにしてます。
毛抜の、芳先輩も見たいんだけど、っていうかそれは小説でもまだ見れてないので、あの、早く続きが読みたいです。本当に。


ええと、小説の話に戻りますね。
アニメでやったところまではアニメで見たのを思い出しつつ、なるほどあのシーンではこう思ってたんだとか、クロの地の文を別のキャラが言ってたりとか、ハバネロアイスはアニメのオリジナルなんだとか、ちまちまとそういう発見がありつつ復習ぐらいの気分で読んでいたわけなのですが。
なんていうか、ストレスがなくて、どんどん話が展開していくし、さくさく読めて楽しい作品でした。3巻までは。
おやつ気分というか、ああライトノベルだなって。悪い意味ではなく。予定調和だってそれはそれでストレスフリーなんです。読んでてしんどくないのを欲するのは私が年をとったせいかもしれないけど。

うん。でも、4巻がめちゃくちゃしんどくて。
5巻、6巻になっても表面上にはそこまで出てこないものの、その問題は解決しないままでしんどいのは続いていて。
でもしんどいのは主人公たちに困難があるからで、物語を作るうえで苦難を乗り越えていくのはよくある展開で、3巻までだってトラブルはあったんだし。
大きく違うのは明確な悪意が介在することで、それがとてもしんどかったんです。
これは完全に私の個人的な傾向なんですけど、冤罪とか、嘘を吐いて人を陥れるのとかがどうしても苦手なんです。
だから渡子ちゃんがもう無理。
とはいえ、クロに絆されて改心してしまうのはなんか違うなと思うので、クロのことが嫌いで悪人ぶったままでいいから、嫌がらせはしないようになってほしいなと思ってます。

あとすごく思ったのは、キャラクターがいかにもよくあるキャラクター類型らしいんだけど、それだけじゃないのが良かったです。
その上で、「誰にだっていろいろある」というのをさらっと描写しているのがなおさら。
主人公のクロだって、私もこういううざいぐらいの熱意がある主人公キャラはそこまで好きではないんだけれども、たとえば家族構成とか過去とかがあるからこういう性格になったんだってのが読んでいると伝わってくるので、だから応援できる。それは同情かもしれないけど。
家庭の事情があるのは阿久津や、渡子ちゃんも同じで。
苦い過去がある人もいるし。
自分の立場や周囲からの目と、やりたいことの狭間で葛藤する人たちもいるし。
みんなそれなりに何か悩みを抱えていて、でもそれを殊更に深刻には書かないし、キャラクターが可哀そうぶったりもあまりしないのがなんだか良かったです。
いや、阿久津は可哀そうぶってたか。うん。
数馬や梨里先輩は、根源的な悩みが書かれてないけど、それでも悩んでないことはないんだろうなって思いました。
思春期って、自分が世界で一番不幸と思うことってあるじゃないですか。
この作品は、「誰にだっていろいろある」からといって、一つ一つの悩みが小さいことはないし、でも悩んでいるのが自分一人だけじゃないってことがシンプルに伝わってくるのが好きです。

キャラクターといえば、芳先輩や花満先輩のジェンダー的設定は、女役も男性が演じる歌舞伎を題材にしているからこそなんだろうなって。
安易なオカマキャラとかは好きじゃないんだけど、環境も物語上の要請もそうなるよねって納得があった。
芳先輩も、王子様を期待されたくないのも女役をしたいのも普通の女の子に戻りたいのも読んでいてけっこう胸に来たんですけど、まさかそこにフラグが立つとは思いませんでした。

好きなキャラは蛯原くんと唐臼くんです。
6巻で蛯原くんがクロと台詞の相談とかしてたところは、もう本当に、楽しかったです。三歩進んで二歩戻るくらいのツンデレぶりですけど、そこが良い。
部活に入ることはないのだろうし、完全にデレないでいいけど、一歩戻るぐらいになると楽しい。
うんやっぱり、周りの人みんなが主人公の熱意にほだされるみたいな話はあまりにも都合がよすぎる気がするので、いくらストレスなくなろうとも求めてないんですよね。
だって現実だってどうしても嫌いな人は嫌いだし。
それでも良い距離感を模索するものではないのか。みたいな。


あとちょっと気になったのは、歌舞伎の台詞とかでフォントを変えてるのが……。
これも個人的な好みだけど、台詞の性質とかをフォントを変えることで表現するのは、あんまり好きじゃないです。


どうでもいいところなんですけど、現代の高校生っていう設定だと、小さい頃にごっこ遊びしてたのはプリキュアになるんですね……。
地味にジェネレーションギャップが痛いです。
そうだよなあ、始まったの最近な気がしてたけど10年は経ってるんだもんね。

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『君にまどろむ風の花』

待ち望んでいた新刊!
読めて、今とても幸せです。
高里先生の作品はほとんど読んでいるし、どれも楽しいし好きなのだけれど、やっぱり薬屋は特別なので。
……でも、待ち望んでいたといっても前回は2年前なんですね。もっと昔のような気がしてた。いや、2年って長いのかな。
希望を言えば、年1くらいで読めるとより幸せですが、そうなると幸せすぎて死んでしまいかねない。どんなに時間がかかっても、シリーズが出続けてくれるだけで感無量です。

私は薬屋探偵シリーズが大好きなので、もうこの1冊がおもしろいとかおもしろくないとか超越してとにかくただ「好き」だけになってしまいます。
だからたぶんいつも以上に何も伝えられない感想文になると思います。

今回は、わりとシンプルな話だったなと思いました。
依頼人が持ち込んだ「一日を繰り返す死者」についての相談を調査する話。3人が別々のところで調査をして、情報を秋さんに集約して、真相を暴く。
形式はまっとうなミステリっぽい。
登場人物も少ない分、掘り下げてく感じで良かったです。知らなかった一面を知れた。
これがいずれ最終的なものに繋がるのかもしれないというか、いつか何かが示されたときにそういえばと思い出すものになるかもしれないけれども、この作品単体ではきっとまだ何も分からないんだろうなと思います。
だから安心できました。これからも、ちゃんと続いてくれるのだろうと。
いきなり横から殴られるような衝撃もない代わりに、しみじみと幸せな気分になるお話でした。

内容を分かったあとに、表紙とカバー袖の言葉を見ると良さが増しますね。だから「夏」で「秋」なのかなって。
今回のカバー袖で「3つ前の季節の今を」という言葉をふと思い出しましたがこれはたぶんきっと性癖なので。

……頑張ってネタバレしないように書いてみたのですが、さすがに無理がありますね。

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四季がすごくかわいかったです!
4人暮らししてるんですねー。しかも二段ベッド二組ってかわいい。
彼らの日常が愛おしいなって思います。朝ごはん食べたりとか。お仕事したりとか。そういう日常を送れているということ自体が、彼らが一度失ってまた得たものなのだと思うので。

言葉通りの意味そのままじゃなくても、「可愛い可愛い子供達」って言葉が出るだけでもう、心がいっぱいになりました。
7年前は海紡ぐの年だから、父親が何かしてるかと心配して子供達のところに行ったのかなと想像したんだけどどうなんでしょうね。たとえそうだとしても秋さんは認めないのでしょうし。

夏林や山秋の種族も仄めかされてたけど、さっぱり分からない。
最近妖怪関係の知識入れてないからなぁ。しかも西洋はなおさら。
機械にとりつく妖怪ってそれこそグレムリンしか思いつかないですし。
最も人間との付き合いが長くて、時には文化の駒を進める手助けをした種族に至っては抽象的すぎて……。ゾンビとかに詳しいのも種族性なら、死神?とも思ったんだけど果たしてそれは妖怪に入るのかとか。
みんなイギリスとかアイルランド生まれなのかなぁ。
秋さんが幽霊を嫌いというのの認識が、リベザルと夏林とではずれていたのが気になる。夏林はこの時点で変幻妖だとわかってたのかしら。幽霊は人間だから、はきっと煙幕で。山秋は「病院、嫌いだもんね」と言っているんですよね。じゃあ。嫌いなのは幽霊一般ではないのかも。
その辺に種族性なり父親なりが絡むのかもと思うんだけど。材料不足な感じです。


これまでの作品ではというか私の印象では、風冬と春日がけっこう記憶に残っているので、その分これまでそんなに知らなかった夏林や山秋の話が読めて、種族的な特性だけじゃなくてどういうひとなのかが知れて、すごく良かったです。
純真な夏林は楽しいし、素直じゃなくて素直な山秋も可愛い。
4人とも薬屋さん大好きなところが、なんとも心がいっぱいになります。
お仕事中の春日もかわいいというかかっこいいというか。素敵でした。

そして、彼ら4人とリベザルが接しているところがとても良い。
トーフオンファイアーの短編も良かったですけど、長編なのでじっくり堪能できました。
薬屋さんを挟んで、微妙な関係ではあったけれども、今は仲良くしているのが本当にうれしい。
「物騒が過ぎませんか!」が好きです。
北海道グルメ旅の顛末も読みたい。カバー袖の人形、良いですよね。

っていうか、リベザルの成長にじんわりしました。
「秋のようにならなくとも良い」と、もう納得しているところが。
そのうえで、秋に認められたいと思っているのが良いし、それが依頼人や変幻妖の心情と結びつくのも物語として巧みでテンション上がるし、エピローグで認められて張り切るリベザルが可愛い。
風冬さんの言葉も通訳がいるタイプなのかしら。
出番は4人のうちで一番多いけど、いまいち性格をつかめてないのです。

座木さんが自分を凡庸だと思っているのは分からなくはないけれども、他人に興味がないことを自覚していたのかというのはちょっと驚いた。
いや、薬屋さん以外の他人には興味がないんだろうなっていうのは薄々知っていたんだけど。
二次創作してても、突き詰めるとそこにいきついちゃってどうしようってなったし。……言波は興味がある対象に入っていると信じているんだけれども。
閑話休題。それを自覚して、地の文で語っているのが、そうなんだって思った。ってことはたぶん私は、座木さんは無自覚に他人に興味がないんだと思ってたってことなんだな。

あと、秋さんは捜査協力のために悠竒さんを呼ぶんだなってのが意外でした。
今いる警察メンバーの中では、たしかに悠竒さんだけが薬屋さんたちが何者であるかを多少は知っているわけで。
蝉の羽のことについて改めて語っていると、悠竒さんはいつもゆるふわしてるけどやっぱり重い出来事だったよねと思う。で、そういうことを友達でも葉山さんや來多川さんには話したりはしないんだろうなとも思ったり。
実は闇が深いんじゃないか、悠竒友紀。

存在しているだけで価値があるということばを刻みつけたい。
あとミキエさんの話が妙に印象に残りました。入院中は知り合いと顔を合わせたくなかったこととか、寂しさや不安を抱える人が多かったという台詞とか。ダイレクトではないんだけれど、そういう感じ方をこういう風に書いているのがなんとなく好きなんです。

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『バチカン奇跡調査官 サタンの裁き』

シリーズ2作目。

なんだか前巻よりも非常に読みやすかったです。読むのに時間がかからなかった。
退屈な薀蓄の部分が少なくなったのかも。
それでも台詞内で薀蓄を語るところには少し辟易した。
口頭試験じゃないんだから、会話の中でそれ言う必要あるの?って思うことがしばしば……。
そこのところは、この作者さんとの感性の違いだと思う。

さて今回は、ロベルト回でしたね。
奇跡と事件の調査において活躍するのはもちろんのこと、過去が明かされて。
1巻読んだときはポンコツと思ってしまったけど、専門分野では優秀なんですね。

逆に、1巻では天才で超有能に見えた平賀がほわほわとしていた印象。
科学的には設備も限られているし、調査のやりようがないのは分かるんだけど。毎日無為に同じことを繰り返していただけで、分離工作に取り込まれそうになるのが、どうも1感で知識や推理の冴えを見せた彼と繋がらなかった。
教皇や枢機卿といえども、過去には腐敗・堕落していたときがあったというのは史実だと思っていたので、そこまで否定するところはどうにも……。無邪気な信仰といえば聞こえはいいけど、思考停止というか。その信仰心と、全てを疑うような推理力とはどう併存しているんだろう。

っていうか情報共有しろよ、って思いました。探偵やライバルじゃなくてペアで調査の任に当たってるんでしょうが。
あー、二人とも有能な調査官と思うと期待値が高すぎてその肩書きを疑ってしまうから、もしかしてただの科学オタクと古書オタクと思った方がいいのでは?


普段私が関係性萌えするときって、たとえ「好き」という言葉はなくとも、何気ない台詞の口調や、視線や、距離感からその間にある感情を読み取っているのだと思うんです。
この作品は逆で。
直接的な台詞はあるけど、行動や仕草から感情を読み取れない。というか行動や仕草や心情があまり書かれてないんですよね。
だからキャラクターが駒のように見える。
ロベルトが過去を明かすときも、そのことをどう思っているかみたいなところの葛藤がもう少し読みたかったです。
でも、だからこそメディアミックス向きかもしれないとも思う。
あと、シリーズを読んでいくことで直接的な台詞でもちょっとした心情でも積み重なっていけば、キャラクターや関係性にときめけるかもしれない。
せっかくいかにもって感じで売ってる作品なんだし、どうせならときめきたい。


ミステリ的なところはおもしろかったです。
フーダニットはまぁ明らかに怪しいだろこいつって思ってた人が実際黒幕的な立場だったので、意外性はなかったですが。
ハウとホワイが興味深いし、この作品ならではって感じで良かったです。
予言はどうせ後付けだろうと思っていたので置いといて。
超常現象が科学的に解明されるのは興奮しますね。
薀蓄が長いとはいいつつ、栄光の手の作り方なんかは読んでて楽しかったです。……やっぱり題材への興味の有無で感じ方違うのかも。
1巻よりも、「結局あれは何だったんだろう」と思うところがなかったというか、ここで全てが説明されてなくてもどうも今後に繋がりそうだし。
そういえば遺体に温度が高い部分があったというのは、死体を生きてるように見せる絡繰とどういう関係があったんだろう。

あとは、ロベルトが聞いた「サタン」の声、イタリア語かラテン語か知らないけど、日本語ほど役割語が発達してないからああいう風に同じ文でも違った印象になるんですね。おもしろい。

カトリックが土着の宗教と混ざって定着しているのも興味を惹かれました。何かモデルがあるんだろうか。
普通に、カトリックの司祭が土着宗教の魔術師長を兼ねてるのは、布教制作の一環としてあの地では受け継がれてたのではないかと思ったんだけど、どうなんでしょう。

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『図書館の魔女 烏の伝言』

おもしろかったー。
早く3作目出ないかな、出てほしいな。
だってこれ明らかに中継ぎですよね??
中継ぎっていうと言葉が悪いけれども、明らかにこの後回収されそうなものが出てきて、そのまま放置されている……。
今回不在だったあのキャラとかも、行方が気になりますし!
とにかく、続きが読みたいです。

前作、『図書館の魔女』(無印)から二年ほど経ち、ニザマ政変の余波に揺れるニザマ自治州クヴァンの港湾都市クヴァングヮンが舞台。
落ち延びようとするニザマの高級官僚の姫君と、彼女を守る近衛たちは山越えの道案内に剛力たちを雇い、港を目指す。ところが辿り着いたクヴァングヮンはニザマ追い出しに荒れ狂い、刺客が跋扈していた。
っていう感じの舞台設定。

前作でもそうだったけど、立場や生まれ育ちの違う者同士が、苦難の中で紐帯を強めていくのを書くのがすごく上手ですよね。
あの、3章の、みんなでご飯を食べるシーン!
あそこがめちゃくちゃ好きです。
このシーンで一緒に食事をとったことで初めて、剛力衆と近衛(特にツォユ)の心が繋がったところだと思うんですよね。
料理自体もおいしそうだけど、そのメニューが山賤らしい大根田楽とニザマ風の薬膳冬瓜湯なのが象徴的で、良いなと思います。しかもそれだけじゃなくて、隠し味の魚醤がまさか伏線になってるなんて……。

精神的な紐帯の話だけではなくて、立場が違うからこそ補いあえるのも良かったです。
入り組んだ港湾都市を攻略するのに、地下暗渠の道筋を知る「鼠」たちと壁を登って屋根上を道にする剛力衆の力を使っていたのが、読んでいてすごく楽しかったです。
近衛は迷宮のような路地で迷ったせいで仲間を大勢失ったので、姫君奪還をどうする?ってなったところで、三次元的な視点を持ち出すのがとてもわくわくした。
そしてワカンのキャラがとても良かったです。軽口をたたくけど、義に厚く、頭もまわる。またいつか再登場してほしい。
ツォユも良い人だし、ユシャッバ姫もお転婆でかわいいし、剛力に憧れる鼠たちもかわいい。
キャラクターがすごく魅力的でした。

1作目は2巻目からがすごく面白かったんですけど、今回は私は上巻の最初の方からかなり楽しかったです。むしろ下巻の中盤で中弛みした感じ。
何が起こっているのかは最後までよく分からないままなんだけれども、それでも山の生活の描写が楽しかったし、不穏な空気が漂っているのもはらはらどきどきして続きが気になった。話が進むにつれて、何が起こっているのか分からないままで右往左往している感じがあったので少し疲れてしまった。
あとマツリカが出てからは、もちろんマツリカの智慧で「何が起こっていたのか」はさくっとわかるのだけれども、話が重く感じてしまって。内容がシリアスという意味ではなく、話がまどろっこしい。それまで、率直に話す剛力衆や鼠たちの会話に慣れていたので、余計に。
明かされる真相というか、「誰が誰を」追っていたかというのはすごく意外で、おもしろかったです。刺客の獲物にも納得したし、「隻腕の売国奴」の正体にも驚きました。あと、愛人だったのかってのも。

というか、あの、カロイ!!!
初登場シーンでは、ちょっとあやしいけれども特に何も思わなかったけど、笛作ったりエゴンに手話勧めたりもう明らかに怪しいじゃないですか!
気づいてからは、にやにやしながら読んでました。
大活躍でしたね。
最後にワカンに名乗ったときは、もう感動というか、胸がいっぱいになりました。
その名前を名乗るんだ、っていうのが。

終盤に出てきたものすごく強そうな刺客、その強さを示すために「キリヒト並み」という形容を使っていたのがおもしろかったし、そう言うからには今後キリヒトと戦う展開もあるのかなと思うとひたすら楽しみです。
「図書館の魔女」だけでなく、近衛とキリヒトまでもが噂になっていたのはちょっとおもしろかったです。山賤までも知っているなんて、いったいどこから噂になったんだろう。
今回は出てこなかったキリヒトが今どこで何をやっているのかということも、とてもとても気になります。

この世界は何なのということについては、前作ほどもやもやすることはなかったです。多少慣れて、部分的に読み飛ばすようになったのもあるけど。キャラクターを楽しむ小説だと割り切ったところもある。
今日を生きるかというところで生活している山賤や鼠は、マツリカのようには歴史とか書籍とかに興味を抱かないので、世界の粗さが気になるようなところには触れられてなかったから。寺の経堂はちょっと引っかかったけど、仏教とは言ってないですし。
最終的に文字を知っていたから大逆転したんだという話運びは、「図書館の魔女」というシリーズでやっていること的には肝になることなんだろうなと思った。

説明は相変わらず回りくどいしわかりにくかったです。
エゴンが元いた島の生活様式みたいなところは面白かったんだけど。中州が実は中州ではないみたいな地質学的な説明とかは、結局回収されなかったし。
でもそれは私の興味が文化にあって地理は好きじゃないからだけかもしれない。

アクションシーンはやっぱり微妙でした。溝を走ったり屋根の上を駆け巡ったりは、普通に面白かったんだけれども、猿と戦うところが。。
何が起こっているか理解するのと、文章の勢いとが両立していないような感じというか。舞台が中華風の土地なので、それっぽい言葉遣いをしていることがさらに輪をかけている気がする。
テンションを高くスピード感のあるシーンにすると言葉が足りなくて動きが伝わらず、動きを分かりやすくすると文章が重くなってスピード感がなくなるみたいな。
中学か高校のとき漢文の授業で、王様が刺客に襲われる話をやったときに、短文の繰り返しでリズムを刻んでいるということを先生が言っていたけれども、未熟な私の読みでは読み下して意味を理解しようとするうちにそのリズムは消えてしまうんですよね。そんな感じ。……たとえが違うような気もするけど。

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『ヨハネスブルグの天使たち』

『あとは野となれ大和撫子』がめちゃくちゃおもしろかったので、宮内さんのほかの作品も読んでみようと思って手に取った一冊。
宮内さんってすごい作家ですね。
溜息が出る。

紛争・テロ、高層建築、DX9(日本製ロボット。物理インターフェイスのあるボーカロイドみたいな感じ)、落下の四題噺みたいな感じの短編集でした。
落下し続ける少女ロボットのイメージが鮮烈。
5つの短編それぞれは全て同じ世界での出来事で、表題作以外は緩やかに関連している。共通する登場人物が出てきていたり、ほかの短編で描かれた出来事について記述されていたり。表題作がほかの短編と関連があるかはちょっと気づけなかったです。南アの内戦について軽く触れられてたくらい?

『~大和撫子』は政情不安定な中央アジアが舞台で、テロリズムとかも起こってはいたけれども、ノリが軽かったからしんどくなく読めたんですよね。主人公たちも、恵まれた立場にいたし。なんだかんだでハッピーエンドだったし。
その軽さは、やっぱりかなり意図的なものだったんだろうなと思った。その方が、間口が広がるだろうから。
『ヨハネスブルグの天使たち』はそれよりもシリアスで重くて、読んでいて素直に楽しいものではなかったです。
むしろ、しんどいけど圧倒される。すごい作品だった。
重さも含めて咀嚼しなければいけないと思う。
解説で引用されていた宮部みゆきの直木賞選評にあった、「『われわれは何者で、どこへ行こうとしているのか』を考えるためにある」作品だというのが、とてもしっくりきました。

各短編、終わり方に希望があるとはいえ、全体的にやるせないんですよね。
人は死ぬし戦いはなくならないし世界はどうしようもない。
何か重大な事件が起こるからどうしようもないんじゃなくて、内戦すらも日常で、その日常に閉塞感があることが、やるせない気持ちになるんだと思う。
「だから」とか「でも」ということは、それぞれの物語の登場人物が考えることであって、読者である私(たち)が考えることでもあって、でもそれは一致しない。
うーん何を言いたいのかまとまらないです。
考えなければいけないと言いつつ、そこで思考が止まって何も考えてないから、まとめるべきことが出てこないのかもしれない。

「夕立」で始まって「夜雨」で終わる構造は美しくて好きでした。
1話目と5話目は、少年少女が主人公なことでも相似形にあるんですね。

「ジャララバードの兵士たち」と、その後の話になってる「ハドラマウトの道化たち」が、特に好きでした。
「ジャララバードの兵士たち」がミステリっぽい(技巧ではなく物語運びという意味で)話だったからというだけかもしれない。
あとほかの短編は少し言葉足らずな気もして。


読んでいて伊藤計劃(というか『虐殺機関』と『ハーモニー』)を思い出しましたた。
近未来とはいえ、この地球の延長線上の話で、紛争やテロリズムをテーマにしてて、という設定のものをほかにあまり知らないから連想しただけかもしれませんが。
〈現象の種子〉はハーモニーっぽかった。

2作しか読んでいなくてそれだけを比べるのもどうかと思うんだけど。
『大和撫子』は、主人公は日本人の血を引いているけれども、生まれも育ちもアラルスタンなので日本人であることに物語上の意味はなかったんですよね。
インパクトのあるタイトルと、せいぜい日本人である我々読者が登場人物とあの土地に親近感をもつための設定でしかない。
で、一方この作品は、DX9が日本製のロボットであることや、登場する人が日本人・日系人であることには意味がありそうな気がしました。
具体的にどういう意味というのは言語化しにくいんですけど。他人事ではないというのはもちろんだけど、きっとそれ以上に。

とりあえず今のところ読んだ2作品は、テーマは比較的似ているけれども雰囲気がかなり違って、でもどちらもおもしろかったので、宮内さんもっと読んでみたい。
SF色強めのものとかも出してるんですよね。
とりあえず『盤上の夜』かなー。
『スペース金融道』もタイトルからして楽しそうな作品で、気になっている。


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つづきはこちら

各短編について。
ネタバレというほどのネタバレもありませんが。

「ヨハネスブルグの天使たち」
内戦が続く南アフリカで、マディバ・タワー(ポンテタワーがモデルらしい)から耐久試験のため落ち続けるDX9と意思疎通を試みる少年少女の話。
過去の話をしたり、一気に数十年後になったりと時間が飛ぶので、えっどういうことってなることも何回かあった。
カルヴァン主義の運命論と人種差別が合体してアパルトヘイトが行われたという説明には、なるほどと思いました。そこで出てくる「ニュー・マン」という概念が伏線になってこの物語の結末に収束していくのが良いですね。
この後の短編にも思うんだけど、人格をロボットに転写ってどういうことよ。
人格って何かとか自己同一性とか、そういう哲学的な話がどこかでもうちょっとあるともっと良かったんですけど、短編だし難しいんだろうな。

「ロワーサイドの幽霊たち」
死者の人格をDX9にインプットし、9.11の世界貿易センター崩壊を再現しようとする試みの話。
うーん、この話はよく分からなかったです。
9.11や世界貿易センターや行動分析学についてのさまざまな証言が挿入されるんだけど、そのせいで物語がかなり断片的になっていて、何が起こっているのかつかみづらい。
何が起ころうとしているのかは分からないけど、不吉な気配だけがずっと漂ってるし。初めは再現であることを知らずに読み進めるので、余計に。
前述の人格や自己同一性の問題は、議論されているわけではないんだけど、行動や記録のインプットと行動分析学の利用で、「行動が先んじれば、意識程度のものは後からついてくる」意識なんて「ノイズにすぎない」と言い切っている人が出てくる。それには反発を覚えるけれども、この企画については意識は必要ないのではないかと思うし。それでも結果的にビンツには意識が生まれているわけで。
そもそもなんで再現しようとしたのかがよく分からないんですよね。

「ジャララバードの兵士たち」
アフガニスタンで、旅行者のルイ(隆一)と護衛に雇われた米兵のザカリーが、米兵殺人の捜査をする。
紛争地帯の地雷原で、夜に殺害されていることがミステリー的不可能状況を作り出しているのがおもしろい。つまり、ライトがなければ地雷が爆発、ライトを点ければゲリラに狙撃される。
ルイが被害者とたまたま小学校の同級生だったこともあり、生前を知っている人に聞き込みをしたりするので、ストーリー的にはミステリーっぽいんですけど、この作品は推理小説ではないんですよね。だからトリックとかも別にない。
むしろワイダニットの方が物語的には重要で、そっちはすごく楽しかったです。
強いて難点をいえば被害者がルイの知り合いだったってのがご都合主義的すぎ。
あとルイとザカリーが協力関係になることと、幕切れがとても良かった。切ないけど好きです。
これが次の「ハドラマウトの道化たち」に直接つながっていくのも良い。

「ハドラマウトの道化たち」
世界遺産に登録されたイエメン、シバームの泥煉瓦高層建築。そこを支配する新宗教を排斥する米兵の話。
この話の主人公はザカリーの元上官だった日系人アキトで、たまたまシバームにいたルイが遭遇することで、物語が進展していくのがおもしろかったです。
あ、たまたまじゃなくて待ち伏せしてたのか、もしかして。
ということはそこまでの絆が生まれていたのだということがとても良いですね。
聖書のシバの女王のエピソードがモチーフに使われているのは好きです。聖書よく分からないんですけど。
世界遺産を傷つけないように闘えというアメリカの傲慢さや、多様性を掲げた宗教が画一化に陥ること、なんかは鋭い指摘だと思った。
サーバーのデータ処理による直接民主制という意思決定システムも興味深い。
世界遺産を傷つけないように工夫して戦略を立てるあたりもおもしろかったです。
人格転移に関するアイデンティティの問題はこの作品が一番正面から取り組んでいるようで、視点人物はアキトなので別にそこはメインではないんですよね。
アキトとタヒルがこの後どうなったのか、気になります。
部下の人たちにしろ町の人たちにしろ、抗生物質はそんなに簡単に手に入るものなのかっていう疑問は残りました。

「北東京の子供たち」
北東京の団地で、閉塞感を感じながら一緒に育ってきた中学生の誠と凛乃。この団地では毎夜、大人たちがDX9を利用した疑似的な自殺を楽しんでいた。
舞台が東京なので、ほかの短編と違って逼迫した生命の危険はない。けれども、だからこそどうしようもない不安感が町を満たしていて、子供たちは必死で抗おうとする。
少年が成長する青春の物語ということでうまくまとまっているんだけど、なんとなく物足りない感じがあります。
さらっと書いている文章が示唆的だったり(「何事も、許されてしまえば救われない」が印象深かった)、単品の青春小説としては良いんだけれど。この短編集の掉尾を飾るにはパンチが弱いような。
やっぱり日本がほかの国よりも余裕があるからかなあ。
スティーブとシェリルの話を読んだ後だと、家庭の問題で悩める誠と凛乃は恵まれていると思ってしまう。
だからといって彼らの悩みが価値が低いというわけではないんだが。
誠は隆一(ルイ)の弟なんだけど、大人たちの自殺遊びを止めるためにDX9を団地の一室に閉じ込めた話を聞いた隆一が「俺なら、ウイルスを流して住人の無意識の方を改変しようと考える」と言ったのにぞわっとした。
この団地の外の日本はどんな状況なんだろうというのは気になりました。移民が流入して、貧富の差が拡大して、それで?

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