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- 2025/03/16 [PR]
- 2017/07/05 『Y駅発深夜バス』
- 2017/06/30 『街角の書店 18の奇妙な物語』
- 2017/06/26 『スターヴェルの悲劇』
- 2017/06/22 『試行錯誤』
- 2017/06/14 『時をかける少女』
『Y駅発深夜バス』
青春もの、犯人当てあり、倒叙あり、……とバラエティに富んだ一冊でした。
連作ではない、完全に独立した短編の短編集って最近の作家でだとなんとなく珍しいような気がします。あんまり読んでないだけかもしれない。ぱっと思い出せるのでは『満願』くらいか。
読んでいて楽しかったです。
全体的に、展開が予測できない部分があって「そうくるのか」っていう小さな驚きが楽しい。
逆にテンプレート的なところはそのまま予定調和におさまるので、ストレスがなく楽でもあり。
そこのバランスがわりとちょうどよかったように思います。
奇妙な味っぽさがあったのも、好きなところです。なんとなく不安感のある物語が多かった。
キャラクターが駒のようで、でも駒として割り切れずに微妙に人であろうとしていて、そこの差が少し気になった。
駒として割り切ってしまった方がいっそいいんじゃないか、みたいな。
たとえば2話目に出てくる女子中学生。現実の女子中学生じゃなくて、あくまで「物語に出てくる女子中学生」にリアリティが立脚しているみたいに感じました。あるいは教科書に出てくるような、というのは作者の本業が頭にあるからそう思うだけかもしれません。
教訓的な内容の児童文学に出てくる子供って出来が良すぎてそんな人普通いねえよ、ってなるみたいな。そういう意味で、その属性の人物として書いているのだけれども作者の都合で動いているみたいな。
まぁそういうのは大学のとき犯人当てとかでも時折見たので、ミステリで短編ってなると人までは書ききれないし、でも感情の部分も書きたいし、ってなるとそうなるものなのかもしれません。謎と解決が中心にある小説なら、読者側も属性さえ与えられればそういうものとして認識するので。
でも、おじさんが書いているわりにはそんなに女性が気持ち悪くなかったです。出てくる女けっこう性格悪い人多いなとは思ったけど。ミステリだし。
ではそれぞれの短編の感想。
「Y駅発深夜バス」
これは講談社文庫のアンソロジーで読んだことがあったのですが、やっぱりおもしろい。
運行しているはずのない深夜バスに乗って、奇妙な人々を見て、という幻想的な謎が第二部で合理的に解決される。
私がそういう構造の話が好きというだけの話かもしれませんが。
幻想的な謎が、解き明かされてしまえばたわいもないことばかりなのに、謎が謎である間は幻想的に思えるのが好き。そして、全部がちゃんと解明されるのも安心感がありました。
台詞が情報提示っぽさが強いのは難ではあるけれども、短編だし。
ラスト一行も、これ自体が衝撃的というよりも主人公に与えた衝撃が想像できて良い。
「猫矢来」
女子中学生、里奈はあることからいじめられるようになってしまう。一方ある家では、塀の上に水入りペットボトルを隙間なく並べていた。
みたいな感じでしょうか。あらすじまとめるの難しい。
女子中学生が現実感ないって話は上に書いた通り。先日読んだ「時をかける少女」を思い出しました。
でも爽やかな雰囲気だった。
重めのテーマがあるのも良かったです。
碓井は一応探偵役ってことになるんだろうとは思うんだけど、なんていうかお前何者だよ感がすごかった。恋愛感情も唐突だし(それは主人公も感じていることだからいいけど)、見ただけでその理由を推理できるってすごすぎないかって思ってしまう。
「ミッシング・リング」
タイトル……ダジャレじゃんってくすりときた。
指輪を盗んだ犯人を探す「犯人当て」。
見取り図と〈読者への挑戦〉付きなので、これはぜひ紙とペンを持って取り組んでほしいです。
いや、私は紙とペンは使わなかったんですけど。その結果、ダミー解までしかたどり着けなかったので悔しい。
容疑者も三人だし、本気で解くつもりで読んだら気づけたかなと負け惜しみも込みで言ってみるけど、ぱっと見で解けたところで、ここまででいいやって思ってしまったのも自分だし。
以下ネタバレ
アリバイだけ考えていると罠に陥るのが巧くできてるなと思いました。
節ごとに示されている時刻が、その節のどのタイミングでなのか(一行目の時点なのか)みたいなことが微妙で、そこには少し引っかかった。でも明らかに嘘を吐いている人がいるから、っていうのでダミー犯人が消去できるのは鮮やか。オーソドックスなネタだけど、一読しただけだと読み飛ばしてしまうので有効なんだなと思いました。
登場人物もただでさえ少ないのに前もって半分になってしまうし、せっかくの見取り図も二階部分は謎解きに関係なかったのは残念だった。物語としての厚みと解きやすさとをバランスとった結果こうなったんだろうとは思いましたが。
「九人病」
ひなびた温泉旅館で相部屋になった男。彼は奇妙な話を語り始めた……。
これはとても好き。
ミステリというよりも、怪談とかホラーっぽい感じでした。
オチがすごく好きです。怪奇現象が解決されたあとで、実は……みたいな。
七人みさきみたいですよね、九人病。
祟りよりは幾分か科学的だけれども、だからこそ引っかかるところも多かった。
なぜ九人までしか発病しないのかは結局よく分からないままで、そこもミステリ的に解き明かされたらもっとおもしろかったかな。病状も手足が抜けるって医学的にありうるのか気になる。
あとはなんで毎年こんな辺鄙なところに来てるんだっていう地味な謎も残って、もやもやする。
「特急富士」
ミステリ作家は恋人を殺そうと、アリバイトリックを準備していた。一方、担当編集も、アリバイトリックを用いて殺人を計画していた。
殺人がバッティングするというシチュエーションがとにかくおもしろい。
完全にコメディでした。
偽装工作をなんとか成功させようという奮闘がただ笑える。策を弄したがゆえにより悪い事態に陥るし、どこかで諦めてた方がマシだったんじゃないの。
倒叙ものの犯人ってそれなりに頭がいいような気がしていたんですけど、この短編についてはそんなことはまるでなく。少し先は読めるけど考えが浅い。そして不注意。
そもそも殺人の動機になった件からして、馬鹿だったからじゃないとしか言いようがないですし。馬鹿しか出てこない推理小説はこうなるのかって思いました。
だからこそ刑事が普通に仕事してるだけでめちゃくちゃ有能に見える。
いやしかし、それは確認しておこうよ……って思いました。最後のシーン。
連作ではない、完全に独立した短編の短編集って最近の作家でだとなんとなく珍しいような気がします。あんまり読んでないだけかもしれない。ぱっと思い出せるのでは『満願』くらいか。
読んでいて楽しかったです。
全体的に、展開が予測できない部分があって「そうくるのか」っていう小さな驚きが楽しい。
逆にテンプレート的なところはそのまま予定調和におさまるので、ストレスがなく楽でもあり。
そこのバランスがわりとちょうどよかったように思います。
奇妙な味っぽさがあったのも、好きなところです。なんとなく不安感のある物語が多かった。
キャラクターが駒のようで、でも駒として割り切れずに微妙に人であろうとしていて、そこの差が少し気になった。
駒として割り切ってしまった方がいっそいいんじゃないか、みたいな。
たとえば2話目に出てくる女子中学生。現実の女子中学生じゃなくて、あくまで「物語に出てくる女子中学生」にリアリティが立脚しているみたいに感じました。あるいは教科書に出てくるような、というのは作者の本業が頭にあるからそう思うだけかもしれません。
教訓的な内容の児童文学に出てくる子供って出来が良すぎてそんな人普通いねえよ、ってなるみたいな。そういう意味で、その属性の人物として書いているのだけれども作者の都合で動いているみたいな。
まぁそういうのは大学のとき犯人当てとかでも時折見たので、ミステリで短編ってなると人までは書ききれないし、でも感情の部分も書きたいし、ってなるとそうなるものなのかもしれません。謎と解決が中心にある小説なら、読者側も属性さえ与えられればそういうものとして認識するので。
でも、おじさんが書いているわりにはそんなに女性が気持ち悪くなかったです。出てくる女けっこう性格悪い人多いなとは思ったけど。ミステリだし。
ではそれぞれの短編の感想。
「Y駅発深夜バス」
これは講談社文庫のアンソロジーで読んだことがあったのですが、やっぱりおもしろい。
運行しているはずのない深夜バスに乗って、奇妙な人々を見て、という幻想的な謎が第二部で合理的に解決される。
私がそういう構造の話が好きというだけの話かもしれませんが。
幻想的な謎が、解き明かされてしまえばたわいもないことばかりなのに、謎が謎である間は幻想的に思えるのが好き。そして、全部がちゃんと解明されるのも安心感がありました。
台詞が情報提示っぽさが強いのは難ではあるけれども、短編だし。
ラスト一行も、これ自体が衝撃的というよりも主人公に与えた衝撃が想像できて良い。
「猫矢来」
女子中学生、里奈はあることからいじめられるようになってしまう。一方ある家では、塀の上に水入りペットボトルを隙間なく並べていた。
みたいな感じでしょうか。あらすじまとめるの難しい。
女子中学生が現実感ないって話は上に書いた通り。先日読んだ「時をかける少女」を思い出しました。
でも爽やかな雰囲気だった。
重めのテーマがあるのも良かったです。
碓井は一応探偵役ってことになるんだろうとは思うんだけど、なんていうかお前何者だよ感がすごかった。恋愛感情も唐突だし(それは主人公も感じていることだからいいけど)、見ただけでその理由を推理できるってすごすぎないかって思ってしまう。
「ミッシング・リング」
タイトル……ダジャレじゃんってくすりときた。
指輪を盗んだ犯人を探す「犯人当て」。
見取り図と〈読者への挑戦〉付きなので、これはぜひ紙とペンを持って取り組んでほしいです。
いや、私は紙とペンは使わなかったんですけど。その結果、ダミー解までしかたどり着けなかったので悔しい。
容疑者も三人だし、本気で解くつもりで読んだら気づけたかなと負け惜しみも込みで言ってみるけど、ぱっと見で解けたところで、ここまででいいやって思ってしまったのも自分だし。
以下ネタバレ
アリバイだけ考えていると罠に陥るのが巧くできてるなと思いました。
節ごとに示されている時刻が、その節のどのタイミングでなのか(一行目の時点なのか)みたいなことが微妙で、そこには少し引っかかった。でも明らかに嘘を吐いている人がいるから、っていうのでダミー犯人が消去できるのは鮮やか。オーソドックスなネタだけど、一読しただけだと読み飛ばしてしまうので有効なんだなと思いました。
登場人物もただでさえ少ないのに前もって半分になってしまうし、せっかくの見取り図も二階部分は謎解きに関係なかったのは残念だった。物語としての厚みと解きやすさとをバランスとった結果こうなったんだろうとは思いましたが。
「九人病」
ひなびた温泉旅館で相部屋になった男。彼は奇妙な話を語り始めた……。
これはとても好き。
ミステリというよりも、怪談とかホラーっぽい感じでした。
オチがすごく好きです。怪奇現象が解決されたあとで、実は……みたいな。
七人みさきみたいですよね、九人病。
祟りよりは幾分か科学的だけれども、だからこそ引っかかるところも多かった。
なぜ九人までしか発病しないのかは結局よく分からないままで、そこもミステリ的に解き明かされたらもっとおもしろかったかな。病状も手足が抜けるって医学的にありうるのか気になる。
あとはなんで毎年こんな辺鄙なところに来てるんだっていう地味な謎も残って、もやもやする。
「特急富士」
ミステリ作家は恋人を殺そうと、アリバイトリックを準備していた。一方、担当編集も、アリバイトリックを用いて殺人を計画していた。
殺人がバッティングするというシチュエーションがとにかくおもしろい。
完全にコメディでした。
偽装工作をなんとか成功させようという奮闘がただ笑える。策を弄したがゆえにより悪い事態に陥るし、どこかで諦めてた方がマシだったんじゃないの。
倒叙ものの犯人ってそれなりに頭がいいような気がしていたんですけど、この短編についてはそんなことはまるでなく。少し先は読めるけど考えが浅い。そして不注意。
そもそも殺人の動機になった件からして、馬鹿だったからじゃないとしか言いようがないですし。馬鹿しか出てこない推理小説はこうなるのかって思いました。
だからこそ刑事が普通に仕事してるだけでめちゃくちゃ有能に見える。
いやしかし、それは確認しておこうよ……って思いました。最後のシーン。
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『街角の書店 18の奇妙な物語』
「奇妙な味」のアンソロジー。
「奇妙な味」は好きなわりに定義とかよく把握していないので、解説によるとミステリともSFとも怪奇幻想小説とも付かないものらしいんですけど、この短編集はどちらかというとミステリよりもSF・怪奇寄りかなって思いました。
編者あとがきでちょっと不思議に感じたのは、奇妙な味とブラックユーモアって明確に分けられるジャンルなのかしらって。
重なり合う部分はあるけど、ブラック味が強すぎたら奇妙とは言えないよね、という感覚はなんとなくあるけど。
「〈奇妙な味〉の復権が著しい昨今、こちらが忘れられがち」と言われるほど違うものだったのか、と思いました。
こういうアンソロジーだから、全体的にとても好きとかめちゃくちゃはまったとかはないんですけど、いくつかは好きなものや印象に残った作品がありました。
特に好きなのは、「アダムズ氏の邪悪の園」「街角の書店」
好きだと言い切れるほどには理解できてないんだけど、それも含めて印象深いのが「赤い心臓と青い薔薇」「遭遇」でした。
何ていうか、現実とも幻想ともつかない作品は好きなんですけど、それは「どういう現実」と「どういう幻想」かがはっきりとわかる場合であって、作者が何を見せたいのかが判然としないと、好きと言い切れないんだなって思いました。
わかりやすくない話が好きじゃないと言っちゃうとちょっとばかっぽいんですけど。
あと、この本は作りとして各短編の扉ページがあって、その裏に作者と作品紹介があって、その次のページから作品が始まる構造だったのですが。そういう構造をとるなら、作品紹介に内容に深く触れるようなことは書かないでほしかったなと思いました。
ネタバレはないけど、身構えて読んでしまうというか。
いや、作品を読んだ後に解説読めばよかっただけなんですけど。
各短編の感想。
気を付けるけど、ネタバレになりうるものあります。
「肥満翼賛クラブ」
肥満コンテストの話。
これって実は人じゃないとかなのかなと思いながら読んでたら別にそんなことはなかった。
たぶん私を知っている人の一部からは、「え、これ好きじゃないの?」って言われるかもしれないけど、正直なところ微妙でした。
胸やけをするような肥満のための描写は、そういうものとしていいんだけれども。
コンテストの目的というかのところにに盛り上がりのピークがあると良かったです。何を言っているかよくわからなくて、時間差で驚いた。
「ディケンズを愛した男」
南米アマゾンの奥地に住むディケンズ好きの男の話。
展開は予想できるので、だからこそハラハラした。
確実に悪い状況に陥るのを黙ってみていないといけないドキドキは楽しいけどしんどいです。
「お告げ」
おばあちゃんの買い物メモと人生に悩む女性が交錯する。
これも好き。2作品気分が悪くなるようなのを続けて読んだ後に、ほのぼのする話で、清涼剤になりました。
「もう用意してあるよ」でにやにやした。
「アルフレッドの方舟」
アルフレッドは聖書に書かれた大洪水がもうすぐ来ると予言して、方舟を作る。
オチが好きです。ブラックな感じ。蜘蛛の糸ですよね。
この後を考えると、心臓がキリキリします。人間関係大変なことになりそう。
「おもちゃ」
骨董品店のショーウインドウに飾られた自分のおもちゃ。
こういう設定の話あるよね。起承転結でいうと転に当たりそうな部分で、こうなるのかというのが意外でした。
だってそうなると、お店にあるものの説明が付かなくない? 説明が付かないのが「奇妙な味」だといわれたらそうなのかもしれませんが。
そういえばこの短編集、お店ものの話多かったですね。
「赤い心臓と青い薔薇」
一家に寄生しようとしている若者の話。
ぞっとするホラーなんですけど、ラスト一行の指している意味がうまく取れなかった。
産まれてくるのがデイモンではありませんように、という意味なのか、彼女が「ふたりといない」と思ってしまわないように、なのか。あるいは夢が死の象徴なのか。
「姉の夫」
戦争中、休暇で故郷に戻るための汽車で知り合った男と姉と弟の話。
紹介文で、ゆさぶるのが読者の「倫理観」と書いているのが、気になる。
物理的に残るものは、夫ではなく弟と、ってことなのか……?
「遭遇」
大雪のバス待合所で、一夜を明かす男と女。会話の中で男は人生を振り返る。
これは、つまり、どういうことなの?
作品紹介でいうSF的な解釈も分からないし、それ以外の素直な解釈もどうすればいいのか。
どなたか、教えてください。コメントとかで。
穏当に考えれば、すべて女の想像。あるいは二重人格のもう片方を追い出した話?
緊迫感は好きなんですけど、結局何だったのかが分からなすぎて。
「ナックルズ」
神が人を創ったのか、人が神を創ったのか。
というテーマは大好きなんですけど、でも「ナックルズ」はフランクの創作でも、似たようなものは実際にいるよねってどうしても思ってしまったのがこの作品自体を好きと言い切れない。中央ヨーロッパか東欧だったと思うんですけど、鞭打ちおじさんとかいますよね。
展開は読めるけど因果応報で良かったです。
ラスト一行はふふってなった。
「試金石」
人に満足感を味わわせる魔力のある石の話。
ぞわっとした。すごくホラーでした。
石によって満足感を得て、すべてのことがどうでもよくなってゆっくりと日常が壊れていく感じが怖い。
太古のものの化石というのも雰囲気があって好きです。
「お隣の男の子」
ラジオのDJがゲストの男の子にインタビューすると、彼は自分が人殺しだと言い始める。
おじさんの正体にびっくりしましたが、語り手は死ぬんじゃないかと思っていたので、案外死なないのかって思った。いや、これからなのかな。
子供が嫌いなDJの心内文がちょっとおかしくて楽しい。そこを楽しむのは性格が悪いかもしれないけど。
「古屋敷」
フレドリック・ブラウンだ!と思って期待して読んだら、これもなんだかよく分からない話だった。
古屋敷の描写自体は素敵で好きなんですけど、この屋敷は結局何なのっていう。
何かの象徴?精神の宮殿?
屋敷の中にあるものとかを読み解けば分かるのでしようか……。
「M街七番地の出来事」
少年がガムを噛んでいたら、ガムが少年を噛んでいた。
構造としてはホラーなんだけど、絵面がなにしろガムだから、ギャグやコメディにしか思えない。
映像的な小説というか、イメージがぱっと絵で浮かぶ。この本に収録されているほかの作品よりも、その傾向が強いように感じました。
作者がスタインベックだってのが驚きでした。
「ボルジアの手」
少年が街を訪れた行商人からあるものを買おうとする。
少年の名前は○○○○ですね。
「アダムズ氏の邪悪の園」
「大瀑布」
これも好きです。
最後の方で、想定していたものと全く違うものが見えてくる(ほのめかされる)のがおもしろい。
地球平面説を想像しました。
ただ、Hがエイチであることはわかるのに、その単語は無いのかというところが微妙。どういう言語なのか。
「旅の途中で」
「街角の書店」
「奇妙な味」は好きなわりに定義とかよく把握していないので、解説によるとミステリともSFとも怪奇幻想小説とも付かないものらしいんですけど、この短編集はどちらかというとミステリよりもSF・怪奇寄りかなって思いました。
編者あとがきでちょっと不思議に感じたのは、奇妙な味とブラックユーモアって明確に分けられるジャンルなのかしらって。
重なり合う部分はあるけど、ブラック味が強すぎたら奇妙とは言えないよね、という感覚はなんとなくあるけど。
「〈奇妙な味〉の復権が著しい昨今、こちらが忘れられがち」と言われるほど違うものだったのか、と思いました。
こういうアンソロジーだから、全体的にとても好きとかめちゃくちゃはまったとかはないんですけど、いくつかは好きなものや印象に残った作品がありました。
特に好きなのは、「アダムズ氏の邪悪の園」「街角の書店」
好きだと言い切れるほどには理解できてないんだけど、それも含めて印象深いのが「赤い心臓と青い薔薇」「遭遇」でした。
何ていうか、現実とも幻想ともつかない作品は好きなんですけど、それは「どういう現実」と「どういう幻想」かがはっきりとわかる場合であって、作者が何を見せたいのかが判然としないと、好きと言い切れないんだなって思いました。
わかりやすくない話が好きじゃないと言っちゃうとちょっとばかっぽいんですけど。
あと、この本は作りとして各短編の扉ページがあって、その裏に作者と作品紹介があって、その次のページから作品が始まる構造だったのですが。そういう構造をとるなら、作品紹介に内容に深く触れるようなことは書かないでほしかったなと思いました。
ネタバレはないけど、身構えて読んでしまうというか。
いや、作品を読んだ後に解説読めばよかっただけなんですけど。
各短編の感想。
気を付けるけど、ネタバレになりうるものあります。
「肥満翼賛クラブ」
肥満コンテストの話。
これって実は人じゃないとかなのかなと思いながら読んでたら別にそんなことはなかった。
たぶん私を知っている人の一部からは、「え、これ好きじゃないの?」って言われるかもしれないけど、正直なところ微妙でした。
胸やけをするような肥満のための描写は、そういうものとしていいんだけれども。
コンテストの目的というかのところにに盛り上がりのピークがあると良かったです。何を言っているかよくわからなくて、時間差で驚いた。
「ディケンズを愛した男」
南米アマゾンの奥地に住むディケンズ好きの男の話。
展開は予想できるので、だからこそハラハラした。
確実に悪い状況に陥るのを黙ってみていないといけないドキドキは楽しいけどしんどいです。
「お告げ」
おばあちゃんの買い物メモと人生に悩む女性が交錯する。
これも好き。2作品気分が悪くなるようなのを続けて読んだ後に、ほのぼのする話で、清涼剤になりました。
「もう用意してあるよ」でにやにやした。
「アルフレッドの方舟」
アルフレッドは聖書に書かれた大洪水がもうすぐ来ると予言して、方舟を作る。
オチが好きです。ブラックな感じ。蜘蛛の糸ですよね。
この後を考えると、心臓がキリキリします。人間関係大変なことになりそう。
「おもちゃ」
骨董品店のショーウインドウに飾られた自分のおもちゃ。
こういう設定の話あるよね。起承転結でいうと転に当たりそうな部分で、こうなるのかというのが意外でした。
だってそうなると、お店にあるものの説明が付かなくない? 説明が付かないのが「奇妙な味」だといわれたらそうなのかもしれませんが。
そういえばこの短編集、お店ものの話多かったですね。
「赤い心臓と青い薔薇」
一家に寄生しようとしている若者の話。
ぞっとするホラーなんですけど、ラスト一行の指している意味がうまく取れなかった。
産まれてくるのがデイモンではありませんように、という意味なのか、彼女が「ふたりといない」と思ってしまわないように、なのか。あるいは夢が死の象徴なのか。
「姉の夫」
戦争中、休暇で故郷に戻るための汽車で知り合った男と姉と弟の話。
紹介文で、ゆさぶるのが読者の「倫理観」と書いているのが、気になる。
物理的に残るものは、夫ではなく弟と、ってことなのか……?
「遭遇」
大雪のバス待合所で、一夜を明かす男と女。会話の中で男は人生を振り返る。
これは、つまり、どういうことなの?
作品紹介でいうSF的な解釈も分からないし、それ以外の素直な解釈もどうすればいいのか。
どなたか、教えてください。コメントとかで。
穏当に考えれば、すべて女の想像。あるいは二重人格のもう片方を追い出した話?
緊迫感は好きなんですけど、結局何だったのかが分からなすぎて。
「ナックルズ」
神が人を創ったのか、人が神を創ったのか。
というテーマは大好きなんですけど、でも「ナックルズ」はフランクの創作でも、似たようなものは実際にいるよねってどうしても思ってしまったのがこの作品自体を好きと言い切れない。中央ヨーロッパか東欧だったと思うんですけど、鞭打ちおじさんとかいますよね。
展開は読めるけど因果応報で良かったです。
ラスト一行はふふってなった。
「試金石」
人に満足感を味わわせる魔力のある石の話。
ぞわっとした。すごくホラーでした。
石によって満足感を得て、すべてのことがどうでもよくなってゆっくりと日常が壊れていく感じが怖い。
太古のものの化石というのも雰囲気があって好きです。
「お隣の男の子」
ラジオのDJがゲストの男の子にインタビューすると、彼は自分が人殺しだと言い始める。
おじさんの正体にびっくりしましたが、語り手は死ぬんじゃないかと思っていたので、案外死なないのかって思った。いや、これからなのかな。
子供が嫌いなDJの心内文がちょっとおかしくて楽しい。そこを楽しむのは性格が悪いかもしれないけど。
「古屋敷」
フレドリック・ブラウンだ!と思って期待して読んだら、これもなんだかよく分からない話だった。
古屋敷の描写自体は素敵で好きなんですけど、この屋敷は結局何なのっていう。
何かの象徴?精神の宮殿?
屋敷の中にあるものとかを読み解けば分かるのでしようか……。
「M街七番地の出来事」
少年がガムを噛んでいたら、ガムが少年を噛んでいた。
構造としてはホラーなんだけど、絵面がなにしろガムだから、ギャグやコメディにしか思えない。
映像的な小説というか、イメージがぱっと絵で浮かぶ。この本に収録されているほかの作品よりも、その傾向が強いように感じました。
作者がスタインベックだってのが驚きでした。
「ボルジアの手」
少年が街を訪れた行商人からあるものを買おうとする。
少年の名前は○○○○ですね。
「アダムズ氏の邪悪の園」
「大瀑布」
これも好きです。
最後の方で、想定していたものと全く違うものが見えてくる(ほのめかされる)のがおもしろい。
地球平面説を想像しました。
ただ、Hがエイチであることはわかるのに、その単語は無いのかというところが微妙。どういう言語なのか。
「旅の途中で」
「街角の書店」
『スターヴェルの悲劇』
クロフツは今回初めて読んだ作家でした。
ただでさえ古い作品や翻訳ものは苦手ですし。
地味で丁寧なアリバイ崩しものを書く人でしょ、私そういうの苦手なんだよね、と思っていて。
積極的に読まず嫌いとまでいかなくても、機会がなければわざわざ手を出さないぐらいの立ち位置にいたんですけど。
だから今回、薦められて『スターヴェルの悲劇』読むことになったけど、たぶん好きじゃないだろうなと思って読み始めたんですね。
でも、実際に読んでみたら、意外にも楽しめました。
地味なのは地味なんだけど。
ただ、読んだのがたとえば6年前とかだったら、おもしろいと思えなかったのかもしれない。ミステリの読み方をぐるぐると考えて、いろいろな本を(といっても少ないけれども)読んできたから、今これを読んでおもしろいと思えたんだろうなと思って、感慨に浸っています。
そもそもアリバイ崩しものじゃなかった!というのが一番の驚きだった。
スターヴェル屋敷が一夜にして消失、焼け跡からは主人と使用人夫婦の死体が発見され、金庫に入った紙幣は灰と化していたという事件。一時は事故で片付いたものの、焼けたはずの紙幣が3週間後に使われていて、捜査が開始される。
その捜査シーンが読んでいてとてもおもしろかったです。
今までの経験から、捜査シーンのおもしろさってちょっとドタバタ劇的なところにあるのかななんて思ってたんですけど、そういうものはあまりなく。
ただ新事実が次々と発見されるだけなんですけど、それがなぜかおもしろい。
あとはいろんなところに移動したり。イギリスの地理がいまいちよくわからないけど、やたら移動が多いなと思いました。そしたら解説座談会でトラベルミステリと言っていて、なんか腑に落ちた。
あ、指輪の件や最後の駅でのシーンは少しドタバタしてましたね。それはそれで楽しかったです。
ただ、ちょっと気になったのは、新事実の提示が箇条書きっぽい。証言も間接話法的だったり。実際に喋ってはいるんだけど、必要な情報を提示している面がかなり強かったです。
だからこそ捜査がさくさく進んで、展開が早くて、とプラスの面も大きいですが。
捜査でいろいろと事実が分かっていって、それをもとに仮説を立てて捜査をして、というサイクルが繰り返されるタイプの小説でした。
で、ここの発見した事実から仮説を立てるのは、ひとつひとつはすごくシンプルな推理なんですよね。
一歩先くらいは読んでいて推測できる。
たとえば、完全に焼けた死体が3つあり、たまたま近所で火事の当日にインフルエンザで亡くなった人がいて、ってなったら、普通バールストンギャンビットを疑うじゃないですか。みたいなレベルでの推測です。
続く捜査を読むと、その推測は裏付けられたり裏切られたりして、じゃあこういうことかなと推測を立て直して、みたいな感じで読んでいたので、捜査が進展するにつれて小さな驚きと納得があり、それが積もっていくのがおもしろかったのだと思いました。
フレンチ警部も、天才型の探偵ではなくあくまで優秀な警部でしかないんですよね。
だから推理に飛躍はなく、一歩一歩進んでいくので、読んでいるこちらも事件のかたちを追いやすい。
私はあまり頭がよくないので、推理小説を読んでいると、解決シーンを読んでいるそのときは納得しても、後から思い返すとなんでこういう結論になったんだっけ?と思うこともしばしばあるんですけど。この『スターヴェルの悲劇』は振り返ると来た道にちゃんと足跡が残っていて、良かったです。
2箇所くらい飛躍したなと思ったところはありましたが。それも論理が飛躍していたんじゃなくて、偶然にも犯人が近くにいたとか、外的な要因によるもので。そういうのを挿入することで物語としても起伏ができておもしろかったのかな。
最終的には意外な犯人だったので、驚いたのだけれども、意外な犯人だったからこの本がおもしろかったわけじゃないよなと思うのです。
あとフレンチ警部が、地方の警察を少し馬鹿にしていたり、この仕事がうまくいけば出世できると期待していたりしたのが可笑しかったです。
特に後者、いや人死んでるんだから自分の名声のこと考えるのは不謹慎じゃん、と思った。
でもそういうところも凡人っぽいし「名探偵」じゃない普通の警察として作っているキャラクターなのかなと思った。
たぶん時代的にキャラクターとかはそこまで意識していないと思うんですよ。
登場する人たちもおおむね駒のようなものだし。
それでも、そのなかで人間像や人間関係がはっきり描かれていたなと感じました。
ヒロイン的な立場のルースや、彼女の恋人ウインパーには、読んでいて思い入れができた。
最後の一行がそれなのか!っていうのはちょっと衝撃でしたけど。
可哀そうに死んでしまった昆虫学者は本当に可哀そうだった。
町の人たちも、基本的に良い人ばかりで、この町はこれからどうなるんだろうなんてことも思ったりする。とりあえず医者を呼ばないとだよね。
皮肉っぽいバークリーを読んだあとだからこそ、そういうところが沁みるのかもしれない。
ただでさえ古い作品や翻訳ものは苦手ですし。
地味で丁寧なアリバイ崩しものを書く人でしょ、私そういうの苦手なんだよね、と思っていて。
積極的に読まず嫌いとまでいかなくても、機会がなければわざわざ手を出さないぐらいの立ち位置にいたんですけど。
だから今回、薦められて『スターヴェルの悲劇』読むことになったけど、たぶん好きじゃないだろうなと思って読み始めたんですね。
でも、実際に読んでみたら、意外にも楽しめました。
地味なのは地味なんだけど。
ただ、読んだのがたとえば6年前とかだったら、おもしろいと思えなかったのかもしれない。ミステリの読み方をぐるぐると考えて、いろいろな本を(といっても少ないけれども)読んできたから、今これを読んでおもしろいと思えたんだろうなと思って、感慨に浸っています。
そもそもアリバイ崩しものじゃなかった!というのが一番の驚きだった。
スターヴェル屋敷が一夜にして消失、焼け跡からは主人と使用人夫婦の死体が発見され、金庫に入った紙幣は灰と化していたという事件。一時は事故で片付いたものの、焼けたはずの紙幣が3週間後に使われていて、捜査が開始される。
その捜査シーンが読んでいてとてもおもしろかったです。
今までの経験から、捜査シーンのおもしろさってちょっとドタバタ劇的なところにあるのかななんて思ってたんですけど、そういうものはあまりなく。
ただ新事実が次々と発見されるだけなんですけど、それがなぜかおもしろい。
あとはいろんなところに移動したり。イギリスの地理がいまいちよくわからないけど、やたら移動が多いなと思いました。そしたら解説座談会でトラベルミステリと言っていて、なんか腑に落ちた。
あ、指輪の件や最後の駅でのシーンは少しドタバタしてましたね。それはそれで楽しかったです。
ただ、ちょっと気になったのは、新事実の提示が箇条書きっぽい。証言も間接話法的だったり。実際に喋ってはいるんだけど、必要な情報を提示している面がかなり強かったです。
だからこそ捜査がさくさく進んで、展開が早くて、とプラスの面も大きいですが。
捜査でいろいろと事実が分かっていって、それをもとに仮説を立てて捜査をして、というサイクルが繰り返されるタイプの小説でした。
で、ここの発見した事実から仮説を立てるのは、ひとつひとつはすごくシンプルな推理なんですよね。
一歩先くらいは読んでいて推測できる。
たとえば、完全に焼けた死体が3つあり、たまたま近所で火事の当日にインフルエンザで亡くなった人がいて、ってなったら、普通バールストンギャンビットを疑うじゃないですか。みたいなレベルでの推測です。
続く捜査を読むと、その推測は裏付けられたり裏切られたりして、じゃあこういうことかなと推測を立て直して、みたいな感じで読んでいたので、捜査が進展するにつれて小さな驚きと納得があり、それが積もっていくのがおもしろかったのだと思いました。
フレンチ警部も、天才型の探偵ではなくあくまで優秀な警部でしかないんですよね。
だから推理に飛躍はなく、一歩一歩進んでいくので、読んでいるこちらも事件のかたちを追いやすい。
私はあまり頭がよくないので、推理小説を読んでいると、解決シーンを読んでいるそのときは納得しても、後から思い返すとなんでこういう結論になったんだっけ?と思うこともしばしばあるんですけど。この『スターヴェルの悲劇』は振り返ると来た道にちゃんと足跡が残っていて、良かったです。
2箇所くらい飛躍したなと思ったところはありましたが。それも論理が飛躍していたんじゃなくて、偶然にも犯人が近くにいたとか、外的な要因によるもので。そういうのを挿入することで物語としても起伏ができておもしろかったのかな。
最終的には意外な犯人だったので、驚いたのだけれども、意外な犯人だったからこの本がおもしろかったわけじゃないよなと思うのです。
あとフレンチ警部が、地方の警察を少し馬鹿にしていたり、この仕事がうまくいけば出世できると期待していたりしたのが可笑しかったです。
特に後者、いや人死んでるんだから自分の名声のこと考えるのは不謹慎じゃん、と思った。
でもそういうところも凡人っぽいし「名探偵」じゃない普通の警察として作っているキャラクターなのかなと思った。
たぶん時代的にキャラクターとかはそこまで意識していないと思うんですよ。
登場する人たちもおおむね駒のようなものだし。
それでも、そのなかで人間像や人間関係がはっきり描かれていたなと感じました。
ヒロイン的な立場のルースや、彼女の恋人ウインパーには、読んでいて思い入れができた。
最後の一行がそれなのか!っていうのはちょっと衝撃でしたけど。
可哀そうに死んでしまった昆虫学者は本当に可哀そうだった。
町の人たちも、基本的に良い人ばかりで、この町はこれからどうなるんだろうなんてことも思ったりする。とりあえず医者を呼ばないとだよね。
皮肉っぽいバークリーを読んだあとだからこそ、そういうところが沁みるのかもしれない。
『試行錯誤』
バークリーは、今まで『ジャンピング・ジェニイ』と『毒入りチョコレート事件』を読んで、どちらも私には合わないなと思っていたのですが、『試行錯誤』はびっくりするぐらい面白かったです。
まず、設定にわくわくする。
医者から余命宣告をされたトッドハンター氏が、残り数か月の人生を使って、社会にとって有害な人間を殺そうと決意するところから物語は始まる。
じゃあ具体的に誰を殺すのかとなって被害者候補を選ぶためにいろんな人に話を聞いたり、犯罪計画を練ったり、自分を有罪にするために捜査をしたりという「試行錯誤」が読んでいてとても楽しい。物語が思ってもみなかった方向にどんどん展開していく。
以前読んだ2作もそうだったけれども、この作家の作品は、物語が進むにつれて見え方がどんどん変わっていくのが魅力なのかなとぼんやり思いました。
3作読んだだけで作風決めつけるのは暴挙ですけど、今まで読んだ3つに共通しているなと思って。
だとしても、「見え方が変わっていくこと」が多重推理として表れるよりも、こういう風に、計画の修正とか警察との攻防みたいな方向で見せてくれる方が私は好きです。
裁判での丁々発止のやりとりも、読んでてわくわくした。
あくまでトッドハンターを無罪扱いする警察の見解に、重箱の隅をつつくように応酬するところとか、そうくるのかと思って楽しかったです。
基本的にはトッドハンターに肩入れして読んでいるので、手に汗握るといいますか。
法律用語とかはちょっとまわりくどい言い回しとかもあって、読み返したりもしたけれども。
法廷ものを他のもいろいろ読みたい気分になりました。
殺害計画を持っている人が主人公なので倒叙なんだろうとは思うんですけど、倒叙っぽさは特に感じなかったです。たぶん私のイメージでは、倒叙ものって「警察(探偵)にばれたくない」という緊張感で話を盛り上げるところがあるんですよね。でもこの作品は真逆で、警察に自分が犯人だということを信じさせようとする。
そこの逆転が皮肉でおもしろかったです。
そうした構造の逆転だけじゃなくて、全編を通して皮肉とユーモアが利いていて、読んでいておもしろかったです。ウッドハウスに献辞が捧げられてるだけのことはあるなって思いました。
初めの方の、トッドハンターの主治医の死についての一風変わった価値観とか好きです。
あべこべな裁判や政府と大衆のやり取りなんかも、イギリスの司法制度に対する風刺なのかなって思ったけど、1930年代のイギリスの司法がどんなだったか実際知らないから。
最初に被害者候補を決めるときに、ヒトラーとかムッソリーニとかの名前が挙がってて、確かめたら1937年に出版されたものだったので腑に落ちた。
そしてヒトラーにせよムッソリーニにせよ、暗殺したところで第二第三の独裁者が現れるだけだみたいな結論になっていて、その当時でこういう風に書けるんだなって思いました。
19章で、トッドハンター氏の行為がファシズムだと非難されるのも、1937年という背景を考え合わせると興味深いです。
それから、トッドハンター氏の人物が好感を持てるタイプだったので、それも読みやすかったところでした。
ちょっとおばかさんなところはあるけれども、基本的には善人だし、頭も悪くないし。
死ぬ直前にしたことが、すごく素敵だなと思いました。死ぬ前に社会のためになるようなことをしたいとずっと思っていたことが、そういうかたちでも発揮されているというのが。
読んでいるときには気づかなかったけれども、それを読み取れるぐらいには人物描写がしっかりしていたんですね。
ファロウェーと出会ったときの嘘とか、淑女についての見解とか、トッドハンター氏の考え方が随所で説明されているのに、それがわりと物語の中で自然に挿入されていたような気がしました。
私は利己的な人間なので、ちょっと前に会った人たちのためにここまでするのはちょっと信じられない気分なのだけれども、トッドハンターがそうしたのは理解できるというか。気持ちは分からないけれども、この人ならこうするだろうという風には思えるようには心理描写がちゃんとあったのだと思います。
心理描写がかなり多いけど、深刻に悩み込むようなこともなくて、皮肉とユーモアたっぷりの明るい雰囲気だったので、読んでいてすごく楽でした。
文章も翻訳もののわりには読みにくくなくて。
ところで昔のミステリってわりと詩人の人が翻訳してること多くないですか。この鮎川信夫もだし、田村隆一とか。
真犯人が誰かはともかく、トッドハンター氏が本当に殺したのかはずっと半信半疑だったので、オチはまぁ納得という感じでした。でもあれがあったからなおさらおもしろかったです。探り探り会話をする様子なんかも楽しかった。
ところで、ページをめくってその人の名前が出る十角館のような形式をとるのなら、解説も偶数ページ始まりにしてほしかった(うっかり見ちゃったので……だから何ということもないけど……)
まず、設定にわくわくする。
医者から余命宣告をされたトッドハンター氏が、残り数か月の人生を使って、社会にとって有害な人間を殺そうと決意するところから物語は始まる。
じゃあ具体的に誰を殺すのかとなって被害者候補を選ぶためにいろんな人に話を聞いたり、犯罪計画を練ったり、自分を有罪にするために捜査をしたりという「試行錯誤」が読んでいてとても楽しい。物語が思ってもみなかった方向にどんどん展開していく。
以前読んだ2作もそうだったけれども、この作家の作品は、物語が進むにつれて見え方がどんどん変わっていくのが魅力なのかなとぼんやり思いました。
3作読んだだけで作風決めつけるのは暴挙ですけど、今まで読んだ3つに共通しているなと思って。
だとしても、「見え方が変わっていくこと」が多重推理として表れるよりも、こういう風に、計画の修正とか警察との攻防みたいな方向で見せてくれる方が私は好きです。
裁判での丁々発止のやりとりも、読んでてわくわくした。
あくまでトッドハンターを無罪扱いする警察の見解に、重箱の隅をつつくように応酬するところとか、そうくるのかと思って楽しかったです。
基本的にはトッドハンターに肩入れして読んでいるので、手に汗握るといいますか。
法律用語とかはちょっとまわりくどい言い回しとかもあって、読み返したりもしたけれども。
法廷ものを他のもいろいろ読みたい気分になりました。
殺害計画を持っている人が主人公なので倒叙なんだろうとは思うんですけど、倒叙っぽさは特に感じなかったです。たぶん私のイメージでは、倒叙ものって「警察(探偵)にばれたくない」という緊張感で話を盛り上げるところがあるんですよね。でもこの作品は真逆で、警察に自分が犯人だということを信じさせようとする。
そこの逆転が皮肉でおもしろかったです。
そうした構造の逆転だけじゃなくて、全編を通して皮肉とユーモアが利いていて、読んでいておもしろかったです。ウッドハウスに献辞が捧げられてるだけのことはあるなって思いました。
初めの方の、トッドハンターの主治医の死についての一風変わった価値観とか好きです。
あべこべな裁判や政府と大衆のやり取りなんかも、イギリスの司法制度に対する風刺なのかなって思ったけど、1930年代のイギリスの司法がどんなだったか実際知らないから。
最初に被害者候補を決めるときに、ヒトラーとかムッソリーニとかの名前が挙がってて、確かめたら1937年に出版されたものだったので腑に落ちた。
そしてヒトラーにせよムッソリーニにせよ、暗殺したところで第二第三の独裁者が現れるだけだみたいな結論になっていて、その当時でこういう風に書けるんだなって思いました。
19章で、トッドハンター氏の行為がファシズムだと非難されるのも、1937年という背景を考え合わせると興味深いです。
それから、トッドハンター氏の人物が好感を持てるタイプだったので、それも読みやすかったところでした。
ちょっとおばかさんなところはあるけれども、基本的には善人だし、頭も悪くないし。
死ぬ直前にしたことが、すごく素敵だなと思いました。死ぬ前に社会のためになるようなことをしたいとずっと思っていたことが、そういうかたちでも発揮されているというのが。
読んでいるときには気づかなかったけれども、それを読み取れるぐらいには人物描写がしっかりしていたんですね。
ファロウェーと出会ったときの嘘とか、淑女についての見解とか、トッドハンター氏の考え方が随所で説明されているのに、それがわりと物語の中で自然に挿入されていたような気がしました。
私は利己的な人間なので、ちょっと前に会った人たちのためにここまでするのはちょっと信じられない気分なのだけれども、トッドハンターがそうしたのは理解できるというか。気持ちは分からないけれども、この人ならこうするだろうという風には思えるようには心理描写がちゃんとあったのだと思います。
心理描写がかなり多いけど、深刻に悩み込むようなこともなくて、皮肉とユーモアたっぷりの明るい雰囲気だったので、読んでいてすごく楽でした。
文章も翻訳もののわりには読みにくくなくて。
ところで昔のミステリってわりと詩人の人が翻訳してること多くないですか。この鮎川信夫もだし、田村隆一とか。
真犯人が誰かはともかく、トッドハンター氏が本当に殺したのかはずっと半信半疑だったので、オチはまぁ納得という感じでした。でもあれがあったからなおさらおもしろかったです。探り探り会話をする様子なんかも楽しかった。
ところで、ページをめくってその人の名前が出る十角館のような形式をとるのなら、解説も偶数ページ始まりにしてほしかった(うっかり見ちゃったので……だから何ということもないけど……)
『時をかける少女』
有名作を読もう、という今年の目標を果たすために手にした1冊。
うーん、なんていうか、この作品が有名なのは、パイオニアだからってだけなんじゃないの?
って思ってしまったのが正直な感想です。
私にとって「時をかける少女」は真琴なんだけど、原作を読んでもあの映画の方が良かったなって思ってしまって。
それは単純に、待つヒロインより走って行く子の方が好きという個人的な好みもある。
そしてきっとわ原作のこの物語をそのまま映画にしたものではないからっていう理由もあるのだけれども。
なんか思ったより短いし、あっさり味だったんですよね。
解説(江藤茂博)の言葉を借りるなら、「骨組み」でしかないのかなと思いました。だからこそ様々な肉付けをして、「あでやかな錦織」を着せかけることができるのかなと。
実際、起こっていることしか書かれてないような気がしました。文学的装飾とか、比喩的な心情描写とかはあまりなくて。
主人公にもあまり共感できないし、男子二人組はどっちがどっちやらいまいち分からないまま読み進めてたし。
だから、いきなり「好き」という話になって混乱した。いや、主人公もあの場で告白されたのは混乱したかもしれないが。
これを下敷きにした映画は見てるのだし、知識としてはそうなるとわかってても、「は!?」ってなったんですよね。
だって、そんなフラグ立ってなかったじゃん!
フラグ……というか伏線にこだわるのは現代のラノベに慣れてるからとかミステリを日頃読んでるからかもしれないが。
あとこのシーンについては、解説でいう「現質的な愛」という話には疑問です。
人を愛するのに理由はいらないというのはまあ同意できる。でも私は、感情に理由はいらなくてもきっかけは必要だと思うんです。前述のフラグというのも、好きになるきっかけの一側面というかそれを物語上で伝えるための定型的な表現技術かなと思うんですがそれはともかく。
きっかけになるエピソードや記憶なんて、タイムリープするようになってからの4日間で十分じゃないの、と思ってしまう。もっといえばこの土曜日の告白だけで、好きになるきっかけたりえると思う。
だいたい「好き」と言われたからといってそう思うのは本当に「現質的な愛」なのか?
とはいえ、プロットは(今となっては)よくあるパターンではあるけど、ときめくのは確かなんですよね。
秘密を明かして想いを伝えたあとに全て忘れさせて、でも残るものがあるというのが萌えます。
キャラクターにいまいち共感できない分、普遍的に見たからシチュエーション自体を好きだと思ったという感じがする。
あと未来の設定とかも興味深かったです。
ただやっぱり古い作品なので、文体とかは気になった。ジェンダー観の強い役割語も。
ジュブナイルだからにしてもひらがなが多かったので、文体とか含めて古い児童書を読んでる気がしました。
表題作だけじゃなくて、収録されてるほかの2作にも感じたんだけど、登場人物が年齢に比べて幼すぎる気がした。
もしかするとそれこそ、こういう喋り方のキャラクターをそれこそ古い児童書とかで見た印象が強いから、重ね合わせてしまったのかもしれない。台詞にひらがなが多いから幼く見えるだけかもしれない。
でも、私が中学生の頃ってもうちょっといろいろ考えてたような気がするんですよね。それは、主観で思い出す中学生の自分は背伸びしていたその爪先まで含めた大きさのものとして自分の中では捉えてるからそう感じるだけで、客観的に見ればこんなものなのかもしれないが。お前もこんなだっただろうって言うリアル知人がいれば甘んじて受け入れます。
たとえば「時をかける少女」では好きと言われたあとのところで、今まで和子の周囲ではそういう感情は遊び半分のものとされていたという記述があるのですが、そこが幼く感じたところのひとつでした。
それこそ自分の経験だと、中学生の頃に「付き合っている」男女はクラスに何人もいたから。彼ら彼女らがどれほどの気持ちでいたかなんて知らないけど、たとえ振り返ってみたらお遊びに思えるような恋愛でも、マンガや小説に煽られた熱病のようなものでも、当時の当人にとっては本気だったんじゃないかと想像するのです。
ひやかしは中学生でもあるけど、それだけしかないのは小学生ぐらいのイメージ。
それと、たぶんだけど和子が次々起こる出来事に翻弄されて受け身のままっぽい感じだったのも、一因だと思う。
そして「悪夢の真相」の主人公は輪をかけて子供っぽかった。
こういう書き方も時代性なんだろうか。昔の人の方が大人びているイメージだったんだけど。
時かけ以外の2作についても軽く感想を。
「悪夢の真相」
うまくアレンジしたら好きなタイプのミステリになりそう。なんだけど、これ自体はギャグでしたね。特に弟のところ。
時かけの和子より1学年しか違わないとは思えないぐらいに、主人公の昌子が子供っぽかったです。般若の面とかを怖がること自体ではなく、その後の反応とかが。
あと弟に男らしくあれみたいにいうところとかが昔っぽくてどうにも。
「果てしなき多元宇宙」
もっとはっきりギャグだった。ドラえもんにこういうエピソードありそう。
こうなったらいいのにと思っていた世界であっても、実際そうなってみたら良いものじゃないっていう教訓話なのはわかるが。多元宇宙って、自然法則まで変わるものなの? 半音階がないってどういうこと? ってのが気になってしまって。
音楽と自然科学は近いから、その両方ともが発展してないのは納得できたんだけど。半音階……存在するけど認識できないって感じなのかしら。
あと、3作目でもそうだったので、もうこの作者とはジェンダー観が合わないんだと諦めました。
うーん、なんていうか、この作品が有名なのは、パイオニアだからってだけなんじゃないの?
って思ってしまったのが正直な感想です。
私にとって「時をかける少女」は真琴なんだけど、原作を読んでもあの映画の方が良かったなって思ってしまって。
それは単純に、待つヒロインより走って行く子の方が好きという個人的な好みもある。
そしてきっとわ原作のこの物語をそのまま映画にしたものではないからっていう理由もあるのだけれども。
なんか思ったより短いし、あっさり味だったんですよね。
解説(江藤茂博)の言葉を借りるなら、「骨組み」でしかないのかなと思いました。だからこそ様々な肉付けをして、「あでやかな錦織」を着せかけることができるのかなと。
実際、起こっていることしか書かれてないような気がしました。文学的装飾とか、比喩的な心情描写とかはあまりなくて。
主人公にもあまり共感できないし、男子二人組はどっちがどっちやらいまいち分からないまま読み進めてたし。
だから、いきなり「好き」という話になって混乱した。いや、主人公もあの場で告白されたのは混乱したかもしれないが。
これを下敷きにした映画は見てるのだし、知識としてはそうなるとわかってても、「は!?」ってなったんですよね。
だって、そんなフラグ立ってなかったじゃん!
フラグ……というか伏線にこだわるのは現代のラノベに慣れてるからとかミステリを日頃読んでるからかもしれないが。
あとこのシーンについては、解説でいう「現質的な愛」という話には疑問です。
人を愛するのに理由はいらないというのはまあ同意できる。でも私は、感情に理由はいらなくてもきっかけは必要だと思うんです。前述のフラグというのも、好きになるきっかけの一側面というかそれを物語上で伝えるための定型的な表現技術かなと思うんですがそれはともかく。
きっかけになるエピソードや記憶なんて、タイムリープするようになってからの4日間で十分じゃないの、と思ってしまう。もっといえばこの土曜日の告白だけで、好きになるきっかけたりえると思う。
だいたい「好き」と言われたからといってそう思うのは本当に「現質的な愛」なのか?
とはいえ、プロットは(今となっては)よくあるパターンではあるけど、ときめくのは確かなんですよね。
秘密を明かして想いを伝えたあとに全て忘れさせて、でも残るものがあるというのが萌えます。
キャラクターにいまいち共感できない分、普遍的に見たからシチュエーション自体を好きだと思ったという感じがする。
あと未来の設定とかも興味深かったです。
ただやっぱり古い作品なので、文体とかは気になった。ジェンダー観の強い役割語も。
ジュブナイルだからにしてもひらがなが多かったので、文体とか含めて古い児童書を読んでる気がしました。
表題作だけじゃなくて、収録されてるほかの2作にも感じたんだけど、登場人物が年齢に比べて幼すぎる気がした。
もしかするとそれこそ、こういう喋り方のキャラクターをそれこそ古い児童書とかで見た印象が強いから、重ね合わせてしまったのかもしれない。台詞にひらがなが多いから幼く見えるだけかもしれない。
でも、私が中学生の頃ってもうちょっといろいろ考えてたような気がするんですよね。それは、主観で思い出す中学生の自分は背伸びしていたその爪先まで含めた大きさのものとして自分の中では捉えてるからそう感じるだけで、客観的に見ればこんなものなのかもしれないが。お前もこんなだっただろうって言うリアル知人がいれば甘んじて受け入れます。
たとえば「時をかける少女」では好きと言われたあとのところで、今まで和子の周囲ではそういう感情は遊び半分のものとされていたという記述があるのですが、そこが幼く感じたところのひとつでした。
それこそ自分の経験だと、中学生の頃に「付き合っている」男女はクラスに何人もいたから。彼ら彼女らがどれほどの気持ちでいたかなんて知らないけど、たとえ振り返ってみたらお遊びに思えるような恋愛でも、マンガや小説に煽られた熱病のようなものでも、当時の当人にとっては本気だったんじゃないかと想像するのです。
ひやかしは中学生でもあるけど、それだけしかないのは小学生ぐらいのイメージ。
それと、たぶんだけど和子が次々起こる出来事に翻弄されて受け身のままっぽい感じだったのも、一因だと思う。
そして「悪夢の真相」の主人公は輪をかけて子供っぽかった。
こういう書き方も時代性なんだろうか。昔の人の方が大人びているイメージだったんだけど。
時かけ以外の2作についても軽く感想を。
「悪夢の真相」
うまくアレンジしたら好きなタイプのミステリになりそう。なんだけど、これ自体はギャグでしたね。特に弟のところ。
時かけの和子より1学年しか違わないとは思えないぐらいに、主人公の昌子が子供っぽかったです。般若の面とかを怖がること自体ではなく、その後の反応とかが。
あと弟に男らしくあれみたいにいうところとかが昔っぽくてどうにも。
「果てしなき多元宇宙」
もっとはっきりギャグだった。ドラえもんにこういうエピソードありそう。
こうなったらいいのにと思っていた世界であっても、実際そうなってみたら良いものじゃないっていう教訓話なのはわかるが。多元宇宙って、自然法則まで変わるものなの? 半音階がないってどういうこと? ってのが気になってしまって。
音楽と自然科学は近いから、その両方ともが発展してないのは納得できたんだけど。半音階……存在するけど認識できないって感じなのかしら。
あと、3作目でもそうだったので、もうこの作者とはジェンダー観が合わないんだと諦めました。