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- 2025/03/16 [PR]
- 2017/10/17 『一鬼百歌 月下の死美女』
- 2017/10/15 『逆転裁判 時間旅行者の逆転』
- 2017/10/11 『南柯の夢 鬼籍通覧』
- 2017/10/08 『ホワイトラビット』
- 2017/10/07 『樽』
『一鬼百歌 月下の死美女』
平安京が舞台なので、てっきり平安時代のお話だと思ったんですよ。
「武士が台頭してきた動乱の世」っていうから、承平天慶の乱のあった10世紀前半くらいかなーと思っていたわけなんですよ。だから手に取ったというのもある、摂関政治がまだ全盛期になる前の時代に興味があるので。
読み出してわりとすぐにそれが誤解だったと気付きました。
台頭してきたっていうか、すでに都での戦争も終わって東国に幕府開いてんじゃん!
たぶん1190年くらいかな。後鳥羽天皇が11歳の頃。
とはいえ、貴族の家の対立とか後宮での努力と駆け引きとか雅やかな雰囲気とか、平安京を舞台にした物語に望むことはだいたい描かれていたので、思っていた時代と違ってびっくりしただけで物語自体はおもしろかったです。
読んでみたら、この時代だからこその話という感じもしましたし。
主人公は希家という名前だけど、御子左家の人で官職的にもこれは定家ですよね?
主人公の父親の名前が春成(しゅんぜい)だったり、あえて字を変えているんだろうけど。
だったらなぜ御子左家はそのままなのか。
二条院讃岐もそのまま出て来るのは、鵺の話で源三位頼政のエピソードがあるからかなぁとは思うけど。
曖昧にするところと、史実や伝説をそのまま使うところと、直接的にはいわないけど歴史知ってたら察することができる程度には書かれているところとがあって、Wikipedia見ながら真名を推測したり、どこまでが実際にあったことなのだろうと推測しながら読んでいました。
行幸はあれば記録に残ってるはずだけど。鵺の怪異とか帝の癖とかはどうなんだろう。
あと、「名にしをはば逢坂山の真葛」の歌の解釈が、私はすごく衝撃的でなるほどって思ったんですけど、現代や12世紀末当時の解釈にそういうものはあるのかが気になりました。
あらすじ。
歌人の家に生まれ、和歌のことにしか興味が持てない貴公子・希家は、詩作のため吟行していた夜、花に囲まれた月下の死美女を発見する。そして御所では、姿の見えない「ぬえ(空鳥)」の鳴き声が人々を震撼させ、ぬえに食われたような死者まで現れる。怪異譚を探し集める宮仕えの少女・陽羽と出会った希家は、凸凹コンビで幽玄な謎を解く。
一番最初の事件で、和歌のことしか考えていない変人が和歌のことを熱弁していただけなのに犯人は自分の犯行を見透かされていると思って自首しちゃう、というのがすごくおもしろくて、こういう話が続くのかなとわくわくしていた。
そしたら連作短編ではなく最初の事件もひとつのストーリーの一角だった。
後半の方は、陽羽に押されて渋々ながらも自分から事件に関わっているので、そこもやっぱり最初の方が好みだったなぁ。
タイトルになっている死美女の美しさの描写は幻想的で好き。
そこから天香久山を連想するのはさすがに飛躍が大きく感じましたが、だからこそ変人っぽさが際立つ。
鵺(空鳥は変換できない)の怪異は、この時代にその登場人物たちでやったらそうなるよね、みたいな感じでした。
怪異と言いつつ、作中で起こることは全部人為的な事件だったのが意外な感じ。
聖霊狩りとか闇に歌えばとか好きだったので、オカルトというか、怪異は「ある」話だと思ってたんですよね。
まぁ、源三位頼政が倒した鵺の正体については言及されていないので、「ない」世界観かどうかは観測されてないわけですが。
あるかないかはともかく、人々は信じているというのが前提になっているのはおもしろい。
桂木の君の正体には驚きました。
ちょっと前の時代に悪左府もいるので同性の恋人というのはともかく、それでも性自認は生物的な方と一致してるのが大半だったのだろうなと思うと、今との感覚の違いが不思議な感じ。まぁ現代でも性指向と性自認は別なんですけどね。
そういう人がいてもおかしくないけど、何か物語や記録残ってたりするのかしら。とりかへばや?
白妙の相手って、あー、と気づいてなんとも切ない気分になった。
そういう感じて、真実が明らかになってから読み返すと趣きが深まる部分が多かったように思います。
人は何人か死んでるものの生臭くなくあんまりどろどろしてなくて、ストレスなく読めてよかったです。
明らかに裏がありそうな人が犯人だったり、伏線というかフラグというか分かりやすくて。こういう描写があるってことはこういうことだよね、が違わずにある安心感。
とはいえ犯人も実行犯にすぎないんじゃないかとなんとなく感じている。
いつから、何のために、というところにドラマがありそうで、続刊で明かされるのが楽しみ。
中宮の心情も好き。
家のために天皇を愛し支えなくてはと思う反面、秘めた想い人を探してしまう辺りとか、いいですよね。
文章はかなりライトなので読みやすかった。ただ、「〜て。」「〜で。」で終わる文がちょっと多い気がして、そこはもうちょっと少ない方が雰囲気出て好きかなと思いました。
「武士が台頭してきた動乱の世」っていうから、承平天慶の乱のあった10世紀前半くらいかなーと思っていたわけなんですよ。だから手に取ったというのもある、摂関政治がまだ全盛期になる前の時代に興味があるので。
読み出してわりとすぐにそれが誤解だったと気付きました。
台頭してきたっていうか、すでに都での戦争も終わって東国に幕府開いてんじゃん!
たぶん1190年くらいかな。後鳥羽天皇が11歳の頃。
とはいえ、貴族の家の対立とか後宮での努力と駆け引きとか雅やかな雰囲気とか、平安京を舞台にした物語に望むことはだいたい描かれていたので、思っていた時代と違ってびっくりしただけで物語自体はおもしろかったです。
読んでみたら、この時代だからこその話という感じもしましたし。
主人公は希家という名前だけど、御子左家の人で官職的にもこれは定家ですよね?
主人公の父親の名前が春成(しゅんぜい)だったり、あえて字を変えているんだろうけど。
だったらなぜ御子左家はそのままなのか。
二条院讃岐もそのまま出て来るのは、鵺の話で源三位頼政のエピソードがあるからかなぁとは思うけど。
曖昧にするところと、史実や伝説をそのまま使うところと、直接的にはいわないけど歴史知ってたら察することができる程度には書かれているところとがあって、Wikipedia見ながら真名を推測したり、どこまでが実際にあったことなのだろうと推測しながら読んでいました。
行幸はあれば記録に残ってるはずだけど。鵺の怪異とか帝の癖とかはどうなんだろう。
あと、「名にしをはば逢坂山の真葛」の歌の解釈が、私はすごく衝撃的でなるほどって思ったんですけど、現代や12世紀末当時の解釈にそういうものはあるのかが気になりました。
あらすじ。
歌人の家に生まれ、和歌のことにしか興味が持てない貴公子・希家は、詩作のため吟行していた夜、花に囲まれた月下の死美女を発見する。そして御所では、姿の見えない「ぬえ(空鳥)」の鳴き声が人々を震撼させ、ぬえに食われたような死者まで現れる。怪異譚を探し集める宮仕えの少女・陽羽と出会った希家は、凸凹コンビで幽玄な謎を解く。
一番最初の事件で、和歌のことしか考えていない変人が和歌のことを熱弁していただけなのに犯人は自分の犯行を見透かされていると思って自首しちゃう、というのがすごくおもしろくて、こういう話が続くのかなとわくわくしていた。
そしたら連作短編ではなく最初の事件もひとつのストーリーの一角だった。
後半の方は、陽羽に押されて渋々ながらも自分から事件に関わっているので、そこもやっぱり最初の方が好みだったなぁ。
タイトルになっている死美女の美しさの描写は幻想的で好き。
そこから天香久山を連想するのはさすがに飛躍が大きく感じましたが、だからこそ変人っぽさが際立つ。
鵺(空鳥は変換できない)の怪異は、この時代にその登場人物たちでやったらそうなるよね、みたいな感じでした。
怪異と言いつつ、作中で起こることは全部人為的な事件だったのが意外な感じ。
聖霊狩りとか闇に歌えばとか好きだったので、オカルトというか、怪異は「ある」話だと思ってたんですよね。
まぁ、源三位頼政が倒した鵺の正体については言及されていないので、「ない」世界観かどうかは観測されてないわけですが。
あるかないかはともかく、人々は信じているというのが前提になっているのはおもしろい。
桂木の君の正体には驚きました。
ちょっと前の時代に悪左府もいるので同性の恋人というのはともかく、それでも性自認は生物的な方と一致してるのが大半だったのだろうなと思うと、今との感覚の違いが不思議な感じ。まぁ現代でも性指向と性自認は別なんですけどね。
そういう人がいてもおかしくないけど、何か物語や記録残ってたりするのかしら。とりかへばや?
白妙の相手って、あー、と気づいてなんとも切ない気分になった。
そういう感じて、真実が明らかになってから読み返すと趣きが深まる部分が多かったように思います。
人は何人か死んでるものの生臭くなくあんまりどろどろしてなくて、ストレスなく読めてよかったです。
明らかに裏がありそうな人が犯人だったり、伏線というかフラグというか分かりやすくて。こういう描写があるってことはこういうことだよね、が違わずにある安心感。
とはいえ犯人も実行犯にすぎないんじゃないかとなんとなく感じている。
いつから、何のために、というところにドラマがありそうで、続刊で明かされるのが楽しみ。
中宮の心情も好き。
家のために天皇を愛し支えなくてはと思う反面、秘めた想い人を探してしまう辺りとか、いいですよね。
文章はかなりライトなので読みやすかった。ただ、「〜て。」「〜で。」で終わる文がちょっと多い気がして、そこはもうちょっと少ない方が雰囲気出て好きかなと思いました。
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『逆転裁判 時間旅行者の逆転』
私は普段ほとんどゲームをしない人間なんですけど、ひょんなことから1か月ちょっと前に逆転裁判をやってみました。スマホ版の無料のところまで(逆転裁判1の1話と2話)と、レイトン教授vs逆転裁判。
推理をして正しそうな選択肢を次々選んでいくのは楽しかったです。一方で、文字が出てくるのを待ったり、所定の行動をしなければ先に進めなかったり、答えは見えているのに選択肢はどれを選べばいいか分からなかったり、面倒に思ってしまうことも多くて、それ以上は遊んでいない状態です。
あとは、アニメをやっていたときに何話か見てました。
逆転裁判についてはそのくらいしか知らなくて、キャラクターとかもそこまで把握していないのにノベライズを読んだのは円居先生が書いてらっしゃるからなんですけど。
あと、時間軸としては2話と3話の間でそこまでならやっているし、ストーリーはオリジナルらしいので読めるだろうと思った。
それでも、原作を知っている方が楽しめたんだろうな。
映画や漫画とかで全く同じストーリーを小説化したものは原作知らないままで読んだことがあるし、それなりに楽しめたんですけど(レッドクリフとかのだめカンタービレとか)
これはそういうのとも違うので、むしろよく知らない作品の二次創作を読むときみたいな感じがしました。
そんなわけで原作ファンならこの辺とか楽しいのかもしれない、と思うところは何か所かありました。狩魔冥2歳とか?
そもそも第一部が15年前の事件なので、御剣信vs狩魔豪の裁判なんですよね。
まあ私アニメでちょうどその辺のエピソードを見逃しているので、その二人の因縁も良く分からないんですけど。
ナルホドくんと真宵ちゃんの会話とかは、なんとなくこういう人というのは知っていたので読んでいて楽しかったです。
裁判の進みが実際のゲームやったときの感じと似ていて、おもしろかった。
ゲームの裁判パートは証言の矛盾を突きつつ、小さな論点が浮かび上がってくるのでそれを解決できる証拠品とかを突き付けて、そうすると検察側が新たな情報を提示してきて……というのを何度か繰り返していってた印象があるのですが、その枠組みをこの小説ではそのまま踏襲していたように感じました。
だからこそ、双竜会のような大胆な飛躍とかはなかったのが若干残念なところではありましたが。
捜査パートの書き方も、ゲームを遊んだときと同じ感じがしました。
一番核になっているロジックはすごく好きなタイプのものでした。
被害者がタイムマシンを信じていたから、不可解に見える行動をとったというやつ。
それから最後のオチというかも、SFっぽくて好き。ちょっと星新一っぽい。
タイムトラベルもコールドスリープもある世界ってことでいいのか。霊媒があるし、何でもありなのかしら。
なんか、よそのキャラクターや世界を借りている遠慮なのかわかんないですけど、なんとなく地の文の書き方とかが不自然な気がした。文章もっと巧い作家さんだったと思ったんですけど。
円居さんの本は今週確か2冊くらい出るはずなので、楽しみです。
推理をして正しそうな選択肢を次々選んでいくのは楽しかったです。一方で、文字が出てくるのを待ったり、所定の行動をしなければ先に進めなかったり、答えは見えているのに選択肢はどれを選べばいいか分からなかったり、面倒に思ってしまうことも多くて、それ以上は遊んでいない状態です。
あとは、アニメをやっていたときに何話か見てました。
逆転裁判についてはそのくらいしか知らなくて、キャラクターとかもそこまで把握していないのにノベライズを読んだのは円居先生が書いてらっしゃるからなんですけど。
あと、時間軸としては2話と3話の間でそこまでならやっているし、ストーリーはオリジナルらしいので読めるだろうと思った。
それでも、原作を知っている方が楽しめたんだろうな。
映画や漫画とかで全く同じストーリーを小説化したものは原作知らないままで読んだことがあるし、それなりに楽しめたんですけど(レッドクリフとかのだめカンタービレとか)
これはそういうのとも違うので、むしろよく知らない作品の二次創作を読むときみたいな感じがしました。
そんなわけで原作ファンならこの辺とか楽しいのかもしれない、と思うところは何か所かありました。狩魔冥2歳とか?
そもそも第一部が15年前の事件なので、御剣信vs狩魔豪の裁判なんですよね。
まあ私アニメでちょうどその辺のエピソードを見逃しているので、その二人の因縁も良く分からないんですけど。
ナルホドくんと真宵ちゃんの会話とかは、なんとなくこういう人というのは知っていたので読んでいて楽しかったです。
裁判の進みが実際のゲームやったときの感じと似ていて、おもしろかった。
ゲームの裁判パートは証言の矛盾を突きつつ、小さな論点が浮かび上がってくるのでそれを解決できる証拠品とかを突き付けて、そうすると検察側が新たな情報を提示してきて……というのを何度か繰り返していってた印象があるのですが、その枠組みをこの小説ではそのまま踏襲していたように感じました。
だからこそ、双竜会のような大胆な飛躍とかはなかったのが若干残念なところではありましたが。
捜査パートの書き方も、ゲームを遊んだときと同じ感じがしました。
一番核になっているロジックはすごく好きなタイプのものでした。
被害者がタイムマシンを信じていたから、不可解に見える行動をとったというやつ。
それから最後のオチというかも、SFっぽくて好き。ちょっと星新一っぽい。
タイムトラベルもコールドスリープもある世界ってことでいいのか。霊媒があるし、何でもありなのかしら。
なんか、よそのキャラクターや世界を借りている遠慮なのかわかんないですけど、なんとなく地の文の書き方とかが不自然な気がした。文章もっと巧い作家さんだったと思ったんですけど。
円居さんの本は今週確か2冊くらい出るはずなので、楽しみです。
『南柯の夢 鬼籍通覧』
帯で知ったのですが、デビュー20周年なんですね。おめでとうございます。
なんとなく、もっと昔から作家をやってらした方のような気がしてました。
たぶん私が初めて椹野さんの本読んだの10年くらい前だと思うんですけど、その時点でかなり図書館の本が古くなってたような印象があって。奇談シリーズの最初の方とか。まぁ考えたら10年も経てば文庫本はかなり古びますよね。
さて、鬼籍通覧シリーズの新作です。
相変わらず、解剖したり、おいしいもの食べたり、ちょっとオカルトっぽい事件に遭ったり、生と死を想ったり、な感じでしたね。
椹野さんの作品は、全部読んでるわけじゃないけれども、何を読んでも同じ空気が流れていてほっとする。たまに帰ると落ち着く場所みたいな、私にとってはそんな感じのポジションです。
たぶん根底にある価値観がかなり一致しているんだと思う。
おいしいもの(お金に飽かせたグルメではなくおうちの手料理で、それも手間暇かけるのじゃなく本当に普通の家庭料理)を食べるのって幸せだよね、とか。
今回はちょっと揺らいだけれども、つらいこともたくさんあるけど生きてされいれば、とか。
それがストレートなので、ときどき説教くさく感じることもあるけれども。
たまに読むとやっぱり、そういうまっとうなことを言ってくれる小説は安心できるんです。
あとはキャラクター同士の距離感も好き。男女がいても色っぽいことには絶対にならなさそうで、仲間とか戦友とかそんな感じの関係性なのが、こちらもまた安心できる気がする。
背表紙のあらすじを抜粋。
法医学教室の白い解剖台に横たえられていたのは、セーラー服を着た美しい少女だった。少女は浴室で手首を切り、死亡。発見時、彼女の傍らには、親友である美少女が寄り添っていた。翌日、伊月は蔵の片づけを手伝いに行き、「即身仏」と思われる古いミイラ状の遺体を発見する。
ここにあるように、リストカット女子高生とミイラの二つの死体が登場するわけなんですが、当然二つの死体は何らかの関係があるもんだと思うじゃないですか。
何もなかった。
びっくりした。
テーマというか、「死を通して生を想う」部分では、どちらも伊月くんやミチルさんが触れたものなので関係なくはないけど。
事件的な関わりは一切なかったです。
でも、それも法医学者の日常っぽいのかもしれない。物語の中では、ひとつの話に描かれることは何かしら関連があることが多いけど、現実には関連とかなくとも次々と遺体と向き合わなくてはいけない、みたいな。
読者の好みとは関係なくキャラクターたちの人生は送られていくんだ、というのを強く感じるんですよね。
たとえば私は筧くんと伊月くんについてはBL的に萌えたりはないんですよ。でも萌えても萌えなくても現実に彼らは一緒に住んでご飯を食べて、でもたぶん恋愛ではない、んだと思う。
最後の部分は完全に自分の考えなので、そうじゃないとみる向きもあるかもしれませんが。
前作はミチルさんが自殺を止めたことが物語のキーになっていたけれども、今回はそこから発展して、そう言えかったことで最後にじんわり考えてるところが、そういうふうにシリーズ間が繋がっていくのかと思って興味深かった。
私は、良いなぁというか羨ましいと思ってしまった。
少女のまま美しく死ねること。そこに至った潔癖さとか、ふたりの秘密がほしいと願う独占欲とか。
ミチルさんのような大人にすら、死ぬなと言うことを躊躇させてしまう完成された思想と計画とか。
その全てがもっている少女性。
かつては私も持っていた憧れが成し遂げられたことが。
物語だから、美少女だからオフィーリアのようになれるのであって、美しくもなんともない私が死んだところで醜いだけなのだろうと思うけど、そういうの含めてなんだか羨ましい気がする。
ミイラの方は、背景は痛ましいと思うんだけどどうにも遠いから、そこまで身に迫るものでもなかった。
とはいえ、白骨を繋いだ針金の意味が変わって見えるところではぞわっとしました。
それより、こういうミイラも法医学教室に持ち込まれるんですねってことに驚いた。
いや、現実にはあんまりないことだからこそこういう話になるんだと思いますが、法律とか手続き上はそうなるのか、って。
完全に白骨だと違うのかな?
なんとなく、もっと昔から作家をやってらした方のような気がしてました。
たぶん私が初めて椹野さんの本読んだの10年くらい前だと思うんですけど、その時点でかなり図書館の本が古くなってたような印象があって。奇談シリーズの最初の方とか。まぁ考えたら10年も経てば文庫本はかなり古びますよね。
さて、鬼籍通覧シリーズの新作です。
相変わらず、解剖したり、おいしいもの食べたり、ちょっとオカルトっぽい事件に遭ったり、生と死を想ったり、な感じでしたね。
椹野さんの作品は、全部読んでるわけじゃないけれども、何を読んでも同じ空気が流れていてほっとする。たまに帰ると落ち着く場所みたいな、私にとってはそんな感じのポジションです。
たぶん根底にある価値観がかなり一致しているんだと思う。
おいしいもの(お金に飽かせたグルメではなくおうちの手料理で、それも手間暇かけるのじゃなく本当に普通の家庭料理)を食べるのって幸せだよね、とか。
今回はちょっと揺らいだけれども、つらいこともたくさんあるけど生きてされいれば、とか。
それがストレートなので、ときどき説教くさく感じることもあるけれども。
たまに読むとやっぱり、そういうまっとうなことを言ってくれる小説は安心できるんです。
あとはキャラクター同士の距離感も好き。男女がいても色っぽいことには絶対にならなさそうで、仲間とか戦友とかそんな感じの関係性なのが、こちらもまた安心できる気がする。
背表紙のあらすじを抜粋。
法医学教室の白い解剖台に横たえられていたのは、セーラー服を着た美しい少女だった。少女は浴室で手首を切り、死亡。発見時、彼女の傍らには、親友である美少女が寄り添っていた。翌日、伊月は蔵の片づけを手伝いに行き、「即身仏」と思われる古いミイラ状の遺体を発見する。
ここにあるように、リストカット女子高生とミイラの二つの死体が登場するわけなんですが、当然二つの死体は何らかの関係があるもんだと思うじゃないですか。
何もなかった。
びっくりした。
テーマというか、「死を通して生を想う」部分では、どちらも伊月くんやミチルさんが触れたものなので関係なくはないけど。
事件的な関わりは一切なかったです。
でも、それも法医学者の日常っぽいのかもしれない。物語の中では、ひとつの話に描かれることは何かしら関連があることが多いけど、現実には関連とかなくとも次々と遺体と向き合わなくてはいけない、みたいな。
読者の好みとは関係なくキャラクターたちの人生は送られていくんだ、というのを強く感じるんですよね。
たとえば私は筧くんと伊月くんについてはBL的に萌えたりはないんですよ。でも萌えても萌えなくても現実に彼らは一緒に住んでご飯を食べて、でもたぶん恋愛ではない、んだと思う。
最後の部分は完全に自分の考えなので、そうじゃないとみる向きもあるかもしれませんが。
前作はミチルさんが自殺を止めたことが物語のキーになっていたけれども、今回はそこから発展して、そう言えかったことで最後にじんわり考えてるところが、そういうふうにシリーズ間が繋がっていくのかと思って興味深かった。
私は、良いなぁというか羨ましいと思ってしまった。
少女のまま美しく死ねること。そこに至った潔癖さとか、ふたりの秘密がほしいと願う独占欲とか。
ミチルさんのような大人にすら、死ぬなと言うことを躊躇させてしまう完成された思想と計画とか。
その全てがもっている少女性。
かつては私も持っていた憧れが成し遂げられたことが。
物語だから、美少女だからオフィーリアのようになれるのであって、美しくもなんともない私が死んだところで醜いだけなのだろうと思うけど、そういうの含めてなんだか羨ましい気がする。
ミイラの方は、背景は痛ましいと思うんだけどどうにも遠いから、そこまで身に迫るものでもなかった。
とはいえ、白骨を繋いだ針金の意味が変わって見えるところではぞわっとしました。
それより、こういうミイラも法医学教室に持ち込まれるんですねってことに驚いた。
いや、現実にはあんまりないことだからこそこういう話になるんだと思いますが、法律とか手続き上はそうなるのか、って。
完全に白骨だと違うのかな?
『ホワイトラビット』
なんだか期せずして泥棒ものを続けて読んでいる気がしますが。
本物の伊坂幸太郎の新刊。久しぶりの黒澤さんシリーズ!
中村、今村、若葉も活躍してました。
伊坂作品の中ですごく良いというわけではないんだけれども、安定したおもしろさ。
仙台の住宅街で発生した人質立てこもり事件。SITが出動するも、逃亡不可能な状況下、予想外の要求が炸裂する。息子への、妻への、娘への、オリオン座への(?)愛が交錯し、事態は思わぬ方向に転がっていく――
というのが出版社のウェブサイトにあった内容紹介。
ストーリーとしてはそんな感じなんだけれども、起こった事件を記述する手法が、今作のモチーフでもある「レ・ミゼラブル」とオリオン座の在り方をなぞっていて、すごく好きです。
小説の構成自体に意味を持たせているのがすごい。
ネタバレせずにはこれ以上踏み込んで感想を言うのが難しいですが。
とにかく「レ・ミゼラブル」読んでみたくなった。
でも5年もかかるのかぁ、と二の足を踏んでしまう。
あと、この作品には犯罪組織が出てくるんだけど、構成員の名前が兎田や猪田で、伊坂世界の反社会的勢力の人はみんな動植物っぼい名前なんですね。
だから、直接的には関係ないけれども殺し屋さんたちの世界と黒澤さんの世界が重なったような感覚を抱きました。
本物の伊坂幸太郎の新刊。久しぶりの黒澤さんシリーズ!
中村、今村、若葉も活躍してました。
伊坂作品の中ですごく良いというわけではないんだけれども、安定したおもしろさ。
仙台の住宅街で発生した人質立てこもり事件。SITが出動するも、逃亡不可能な状況下、予想外の要求が炸裂する。息子への、妻への、娘への、オリオン座への(?)愛が交錯し、事態は思わぬ方向に転がっていく――
というのが出版社のウェブサイトにあった内容紹介。
ストーリーとしてはそんな感じなんだけれども、起こった事件を記述する手法が、今作のモチーフでもある「レ・ミゼラブル」とオリオン座の在り方をなぞっていて、すごく好きです。
小説の構成自体に意味を持たせているのがすごい。
ネタバレせずにはこれ以上踏み込んで感想を言うのが難しいですが。
とにかく「レ・ミゼラブル」読んでみたくなった。
でも5年もかかるのかぁ、と二の足を踏んでしまう。
あと、この作品には犯罪組織が出てくるんだけど、構成員の名前が兎田や猪田で、伊坂世界の反社会的勢力の人はみんな動植物っぼい名前なんですね。
だから、直接的には関係ないけれども殺し屋さんたちの世界と黒澤さんの世界が重なったような感覚を抱きました。
以下、軽いネタバレがあります。
私はもともと、作者が妙にしゃしゃり出てくるような小説は好きじゃないんですよね。
昔からある手法ではあるけれども、本を読んでいるときの感覚としてはつくりごとではなく物語世界で実際にあったことという想定で読んでいるので、地の文で作者が出てくるとお前誰だよって思ってしまう。
ただ逆に、そこに意識的な小説はめろめろに好きになっちゃうんです。作者がしゃしゃり出て来ていても、その語り手が誰かが作中でちゃんと設定されていたり、誰かの語りであること自体に意味があったり。
だから、『ホワイトラビット』も作者が「ここでいったん場面を区切る」とか「書割じみた人物説明は、文学性を重んじる者たちから軽蔑されるだろうが」とか、やたらしゃしゃり出て来るのだけれども、冒頭でレ・ミゼラブルがそういう小説だというのが示されていたから、なるほどこれはレ・ミゼラブルの本歌取りなんだなと納得できたのでそこまで嫌ではなかったです。
伊坂幸太郎の文章自体が好きだし。
ただちょっと作中人物たちとの距離が遠い感じがして、それは黒澤さんがクールだからというのもあるかもだけど、ラストがあっさり風味だなと思った。
さらに序盤で出てくる「すでに起きてる出来事も、時間がずれないと見えないわけだ」という黒澤さんの台詞。これはオリオン座のベテルギウスについて言った言葉ではあるけど、直後に書かれていたように「この物語自体の構造を示唆してもいる」。
そのこと自体を言っちゃう地の文がかなり不思議な感じだけれども。
そう書かれていても、時間がずれている二つの物語が展開していっても、真相が明かされるまでは全く気づけなくて、騙されたのが清々しい。
「父親」にしても、これは黒澤さんではないか、と思っていたけど、黒澤さんと同じ思い込みをしていたので電話がかかってきたときは疑問でいっぱいになった。
読者の想定のちょっと上あたりをうまいこと突いてきていて、「気づけなくて悔しい」と「想像しなかった展開でおもしろい」のバランスが快感になる感じといいますか。
読んでいて楽しい。
陰の主役とでもいうべき、SITの夏之目課長の物語をもっと読んでみたい。
でも、彼の人生については語るべきことはすべてこの作品内で語り尽くされているんですよね。
めいっぱい語られたからこそ、彼の人生に思い入れができて、もっと読んでみたいと思った。けどこれ以上語ることはないし、きっと蛇足になってしまうんだろうな。
生まれて死ぬまでの間に、いろいろある。
シンプルな言葉だけど、なんとなく染みました。
やっぱり伊坂幸太郎は良いですね。
そういえば、タイトルはホワイトラビットで「白兎事件」で稲葉と兎田は出てくるけど、レ・ミゼラブルやオリオン座ほどは強いモチーフではなかったように感じました。
兎田が素兎なら、黒澤さんはさしずめ大国主なのかしら、だったらとても楽しい。
『樽』
読んだのはちょっと前なんですが、感想を書くのを忘れていたので。
クロフツです。
地味で丁寧なアリバイものというイメージはやっぱりあったのですが、『樽』に関していえばアリバイ崩しよりも前の部分がおもしろかったです。
アリバイものって、どう考えても犯人はこいつだろうという容疑者がいるのに、肝心の時間に他のところにいた証拠がある、という状況にならないとアリバイものにならないと思うんですよね。
でもこの小説は、どういう事件なのかが分かるまでが長かったし、そこがすごくおもしろかった。
情報が次々と出てきているだけなのに、どうしてこんなにおもしろいんだろう。
有栖川さんの解説では「冒頭は物語の進行が遅い」から読みにくいという風説があると書いてあったのですが、私は逆に冒頭がすごく楽しかったです。
まず、「彫像在中」と書かれた樽が荷揚げ中に破損して中から金貨が出てくる、さらに金貨だけじゃなくて人の腕も――という発端がすごくわくわくする。
そこで海運会社の人たちと樽を持ち帰ろうとするフェリクスの攻防、そして見つかったと思えば消える樽を追う警察の捜査が、動きがあってサスペンス風のおもしろさ。
まぁ、サン・マロ荘での張り込みや捜査シーンは若干退屈でしたが。足跡のくだりとか。
フランスに渡ってからも、謎だらけの状況が少しずつ解けていって、でも逆に情報が増えたことによって謎が増えてっていうのがひたすらにおもしろかった。
樽がどんどん増えていって混迷を増していくあたりは、このまま増殖を続けて樽の海に溺れるような感覚に陥った。
捜査中にお店に入るたびにビール飲んでるのとか、国境を越えた刑事二人の友情とかの微笑ましさもありましたが。トラベルミステリーの走りと言われるのってこういうところなのかなと思ったり。
いったん犯人が捕まって、でもまだページ数かなりあるよなって思ったらそこから弁護士と私立探偵が出てくる盛りだくさんさがすごかったです。
ただ、容疑者は2人しかいないので、すでに捕まっている人じゃないとしたらほぼ確定じゃないですか。
そこから、アリバイ崩しを論証していくのは、結論が分かっているからだるい、という気持ちになってしまった。って、ハウダニットを完全に否定してしまってますが。
やっぱり、何が起こってるか何も分かってない状態から少しずつ情報が増えて分かっていく方が私はおもしろく読めました。
あと、樽がいっぱいあって行動がややこしくて、頭がこんがらがってきまして……。
だからアリバイものってあんまり好きじゃないのかもしれないですね、『樽』はおもしろかったけどその部分じゃないので。
ただ、アリバイものは交通手段の問題なイメージだったんですけれども、これを読んでそうじゃないんだって気付きました。
犯行を行うためにはこの時間にここにいなくてはいけないのに、別の場所にいた証拠がある、というのがアリバイ(不在証明)ですよね。
それを崩すには、時間がずれているとか場所がずれているとか、とにかくその時間にそこにいなかったかもしれないといえる論証をすればいいのであって、それさえ論証できれば交通手段は問題じゃなくなるんですね。
うまくいえないけど。
交通手段の抜け穴を示すことこそがアリバイ崩しというイメージがあったけど、たしかにひとつの方法はあるけどそれだけじゃないというか。
この作品でも、アリバイ崩しの肝心のところは真犯人が主張していた行動が別の場所でもできたということで、交通手段自体はそれさえ分かればあっさりこの便があるぞってなったので、思ってたアリバイものじゃなくて意外でした。
ラストで何の脈絡もなく冤罪をかけられた方の人が幸せになっていて、ちょっとおもしろかったです。
クロフツです。
地味で丁寧なアリバイものというイメージはやっぱりあったのですが、『樽』に関していえばアリバイ崩しよりも前の部分がおもしろかったです。
アリバイものって、どう考えても犯人はこいつだろうという容疑者がいるのに、肝心の時間に他のところにいた証拠がある、という状況にならないとアリバイものにならないと思うんですよね。
でもこの小説は、どういう事件なのかが分かるまでが長かったし、そこがすごくおもしろかった。
情報が次々と出てきているだけなのに、どうしてこんなにおもしろいんだろう。
有栖川さんの解説では「冒頭は物語の進行が遅い」から読みにくいという風説があると書いてあったのですが、私は逆に冒頭がすごく楽しかったです。
まず、「彫像在中」と書かれた樽が荷揚げ中に破損して中から金貨が出てくる、さらに金貨だけじゃなくて人の腕も――という発端がすごくわくわくする。
そこで海運会社の人たちと樽を持ち帰ろうとするフェリクスの攻防、そして見つかったと思えば消える樽を追う警察の捜査が、動きがあってサスペンス風のおもしろさ。
まぁ、サン・マロ荘での張り込みや捜査シーンは若干退屈でしたが。足跡のくだりとか。
フランスに渡ってからも、謎だらけの状況が少しずつ解けていって、でも逆に情報が増えたことによって謎が増えてっていうのがひたすらにおもしろかった。
樽がどんどん増えていって混迷を増していくあたりは、このまま増殖を続けて樽の海に溺れるような感覚に陥った。
捜査中にお店に入るたびにビール飲んでるのとか、国境を越えた刑事二人の友情とかの微笑ましさもありましたが。トラベルミステリーの走りと言われるのってこういうところなのかなと思ったり。
いったん犯人が捕まって、でもまだページ数かなりあるよなって思ったらそこから弁護士と私立探偵が出てくる盛りだくさんさがすごかったです。
ただ、容疑者は2人しかいないので、すでに捕まっている人じゃないとしたらほぼ確定じゃないですか。
そこから、アリバイ崩しを論証していくのは、結論が分かっているからだるい、という気持ちになってしまった。って、ハウダニットを完全に否定してしまってますが。
やっぱり、何が起こってるか何も分かってない状態から少しずつ情報が増えて分かっていく方が私はおもしろく読めました。
あと、樽がいっぱいあって行動がややこしくて、頭がこんがらがってきまして……。
だからアリバイものってあんまり好きじゃないのかもしれないですね、『樽』はおもしろかったけどその部分じゃないので。
ただ、アリバイものは交通手段の問題なイメージだったんですけれども、これを読んでそうじゃないんだって気付きました。
犯行を行うためにはこの時間にここにいなくてはいけないのに、別の場所にいた証拠がある、というのがアリバイ(不在証明)ですよね。
それを崩すには、時間がずれているとか場所がずれているとか、とにかくその時間にそこにいなかったかもしれないといえる論証をすればいいのであって、それさえ論証できれば交通手段は問題じゃなくなるんですね。
うまくいえないけど。
交通手段の抜け穴を示すことこそがアリバイ崩しというイメージがあったけど、たしかにひとつの方法はあるけどそれだけじゃないというか。
この作品でも、アリバイ崩しの肝心のところは真犯人が主張していた行動が別の場所でもできたということで、交通手段自体はそれさえ分かればあっさりこの便があるぞってなったので、思ってたアリバイものじゃなくて意外でした。
ラストで何の脈絡もなく冤罪をかけられた方の人が幸せになっていて、ちょっとおもしろかったです。