帯で知ったのですが、デビュー20周年なんですね。おめでとうございます。
なんとなく、もっと昔から作家をやってらした方のような気がしてました。
たぶん私が初めて椹野さんの本読んだの10年くらい前だと思うんですけど、その時点でかなり図書館の本が古くなってたような印象があって。奇談シリーズの最初の方とか。まぁ考えたら10年も経てば文庫本はかなり古びますよね。
さて、鬼籍通覧シリーズの新作です。
相変わらず、解剖したり、おいしいもの食べたり、ちょっとオカルトっぽい事件に遭ったり、生と死を想ったり、な感じでしたね。
椹野さんの作品は、全部読んでるわけじゃないけれども、何を読んでも同じ空気が流れていてほっとする。たまに帰ると落ち着く場所みたいな、私にとってはそんな感じのポジションです。
たぶん根底にある価値観がかなり一致しているんだと思う。
おいしいもの(お金に飽かせたグルメではなくおうちの手料理で、それも手間暇かけるのじゃなく本当に普通の家庭料理)を食べるのって幸せだよね、とか。
今回はちょっと揺らいだけれども、つらいこともたくさんあるけど生きてされいれば、とか。
それがストレートなので、ときどき説教くさく感じることもあるけれども。
たまに読むとやっぱり、そういうまっとうなことを言ってくれる小説は安心できるんです。
あとはキャラクター同士の距離感も好き。男女がいても色っぽいことには絶対にならなさそうで、仲間とか戦友とかそんな感じの関係性なのが、こちらもまた安心できる気がする。
背表紙のあらすじを抜粋。
法医学教室の白い解剖台に横たえられていたのは、セーラー服を着た美しい少女だった。少女は浴室で手首を切り、死亡。発見時、彼女の傍らには、親友である美少女が寄り添っていた。翌日、伊月は蔵の片づけを手伝いに行き、「即身仏」と思われる古いミイラ状の遺体を発見する。
ここにあるように、リストカット女子高生とミイラの二つの死体が登場するわけなんですが、当然二つの死体は何らかの関係があるもんだと思うじゃないですか。
何もなかった。
びっくりした。
テーマというか、「死を通して生を想う」部分では、どちらも伊月くんやミチルさんが触れたものなので関係なくはないけど。
事件的な関わりは一切なかったです。
でも、それも法医学者の日常っぽいのかもしれない。物語の中では、ひとつの話に描かれることは何かしら関連があることが多いけど、現実には関連とかなくとも次々と遺体と向き合わなくてはいけない、みたいな。
読者の好みとは関係なくキャラクターたちの人生は送られていくんだ、というのを強く感じるんですよね。
たとえば私は筧くんと伊月くんについてはBL的に萌えたりはないんですよ。でも萌えても萌えなくても現実に彼らは一緒に住んでご飯を食べて、でもたぶん恋愛ではない、んだと思う。
最後の部分は完全に自分の考えなので、そうじゃないとみる向きもあるかもしれませんが。
前作はミチルさんが自殺を止めたことが物語のキーになっていたけれども、今回はそこから発展して、そう言えかったことで最後にじんわり考えてるところが、そういうふうにシリーズ間が繋がっていくのかと思って興味深かった。
私は、良いなぁというか羨ましいと思ってしまった。
少女のまま美しく死ねること。そこに至った潔癖さとか、ふたりの秘密がほしいと願う独占欲とか。
ミチルさんのような大人にすら、死ぬなと言うことを躊躇させてしまう完成された思想と計画とか。
その全てがもっている少女性。
かつては私も持っていた憧れが成し遂げられたことが。
物語だから、美少女だからオフィーリアのようになれるのであって、美しくもなんともない私が死んだところで醜いだけなのだろうと思うけど、そういうの含めてなんだか羨ましい気がする。
ミイラの方は、背景は痛ましいと思うんだけどどうにも遠いから、そこまで身に迫るものでもなかった。
とはいえ、白骨を繋いだ針金の意味が変わって見えるところではぞわっとしました。
それより、こういうミイラも法医学教室に持ち込まれるんですねってことに驚いた。
いや、現実にはあんまりないことだからこそこういう話になるんだと思いますが、法律とか手続き上はそうなるのか、って。
完全に白骨だと違うのかな?
[0回]
PR