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妖怪と神話とミステリと甘いものが好き。腐った話とか平気でします。ネタバレに配慮できません。

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『古生物学者、妖怪を掘る』

今年の夏に実家に帰省した時の新幹線で、フリーペーパーに載っていた「荒俣宏妖怪探偵団」という企画をおもしろく読みました。特に、古生物学者の人がその観点から妖怪とされたものを同定しようとしているのが興味深かった。
で、その後、新書になってるんじゃんと気づいて読んだ次第です。

江戸時代の古文献を古生物学の視点から”科学書”として読み解くという試みの本。
その試み自体はすごく興味深いです。
でも提示される解釈は正直あやしいというか、「妖怪」とされたものを解体するには、生物学的な観点だけじゃ不十分ではないかと思いました。たとえば黄表紙の中で洒落や言葉遊びを取り入れたり、ほかの宗教的な事物と習合していたりするので。
とはいえ、それらの解釈を著者自身が絶対的に信じているわけではなく、これをきっかけに議論が起きることこそが本望というのでは、こういう反論をするのも術中にはまっている感じがする。

冒頭で導入として、「鬼になぜ角がついてしまったのか」という話があったのですが。
生物学的には、角をもつ生き物は草食動物だという指摘には、言われて見れば確かになるほどと思った。
でも、ではなぜ鬼に角がついてしまったかって、いろいろ言ってるけど図1に引用している『画図百鬼夜行』の鬼の絵に書いてあるじゃん! 鬼門が丑寅だから牛の角に虎皮って言ってるじゃん! と思ってしまって。
だから、鬼に角があるのは牛の角だし、牛頭邪鬼も牛の頭なわけで、そこを説明しないままに角=悪者のイメージ、と話を進めていってしまうのはフェアじゃないという感覚が拭えなかった。
羊や山羊の角がついているバフォメットとかにしたって、供儀としてのその動物だとか。本書でも触れられていたように、異教の文化に対する解釈の仕方だとか。そういうものが総合的に絡んできているはず。
第三章で言っているように、「生物の基礎ルールを知った上で、どうフィクションとしてつじつまを合わせるか」という話にするとしても、フィクションでその必要はあるのだろうかみたいなことを思ってしまいました。ファンタジー世界ではその限りではないでいいんじゃないみたいな。
でもファンタジーじゃがいも問題のように、気になる人は細部まで気になるのだろうな……。

鵺=レッサーパンダ説、去年ぐらいに「ムー」の広告で見てすごくインパクトがあったのですが、それもこの人だったのかと驚いた。
思っていたよりも説としてちゃんとしていたし、レッサーパンダ化石が日本で出土していたことも初めて知りましたが、それが平安時代までいたかというとやっぱり微妙ですよね。

ヤマタノオロチが洪水でなく火山だという説は不勉強ながら初めて知ったのですが、それはわりと平仄が合う感じがしました。
一つ目妖怪がゾウやイルカというのも、おもしろい。
化石だけ見ると確かにそう見えるのか、って。
もちろん、それがすべてそうではないのだろうけれども。

全体的にこの本は、もっと根拠を見せてほしいというところで深く掘り下げないで、軽い話をするほうにページを割いていたような気がしてちょっと微妙でした。
もっと本気でやってほしかった(?)

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『ラギッド・ガール』

『グラン・ヴァカンス』の続編にあたる短編集。
時系列的には1作目よりも過去の話で、数値海岸を作った人間側の話とか、硝視体とは何かとか、ランゴーニはどこからきたかとか、前作で謎だったことが明かされた。
とはいえ「天使」が何者なのかは判明せず、これ本当に三部作で終わるのかなっていうか三作目はいつ出るんだろう……?

数値海岸の外側の話とかもあったので、1巻目よりSFぽさが増した感じでした。
視床カードとか官能素とかコグニトームとか、いまいち具体的なイメージをしにくく、わかったようなわからないような……。
AIが人間っぽすぎて、ともすればそれが計算によるものだということを忘れてしまうくらいなので、わからなくても楽しく読めてしまうんだけれども。

そう、あまりに人間と変わらないので、AIの人権を守ろうとする運動が人間たちによってで行われていたというのがおもしろい。
けれどもその人権を守ろうとする活動の結果が、AI自身の望みとは異なるものになったのが、なんていうか現実世界でもそうなりがちであるという風刺なのかなと思いました。
AIは生まれてしまった時点でそういうものとしてプログラムされているのだから、後からどうこうしようとしたって良い方向には向かわないんですよね。

『グラン・ヴァカンス』の夏の区界とも共通する嗜虐性が全編にわたってまぶされていた雰囲気でしたが、それがいったいどういう意味をもってくるのか。
人は人やAIに対して残酷になれるということ。仮面の下に嗜虐性を隠し持っているということ。
それを、これでもかというくらい突き付けられて少し胸焼けがしたくらい。
『グラン・ヴァカンス』のほうが微に入り細を穿つ苦痛の描写で、今作は短編なこともあってそこまでではなかったんだけど。
なんでこの物語の世界はこうなんだろうというのが疑問です。
「天使」の存在と関わってくるのだろうか。

それぞれの短編が少しずつ関連していて、たとえばある短編で少し語られた技術や概念が他の短編で使われているのがおもしろかったです。
前作でも思ったけど、伏線回収とはまた違って設定を使い倒す感じがわりと好き。


各話感想。
「夏の硝視体」
人がこなくなってから300年経った(つまり、『グラン・ヴァカンス』の700年前の)〈夏の区界〉でのジュリーとジョゼの話。
『グラン・ヴァカンス』でも少し書かれていたことの変奏曲。
ジュリーとジョゼの仲が近づいたのが、ゲストがこなくなってからだということが少し意外でした。いや、くっつかないように設定されていたのだからおかしくはないのだけれども。
そうか、AIでも同じ毎日を過ごすわけではなくて、少しずつ関係性とかも変わっていくんだなということに改めて気づきを得た。
コットン・テイルはそういうことだったのか。

「ラギッド・ガール」
〈数値海岸〉を作るための技術を開発した人々の話。
多重現実が一般化した世界の描写は、近未来を描いている感じで少しわくわくした。
情報的似姿という概念は、たしかにそれなら今の技術の延長で仮想空間にいけそうという絶妙なラインの気がする。
阿形渓もアンナも、なんていうかなかなかキャラが濃い感じの人だったけれども、やっぱり性格の凶悪さというか被虐性は〈夏の区界〉に通じるところがある気がして、そのシステムを作った人として納得できるものがあった。
似姿の話が出てきていたので、叙述トリックじゃないけれどもどこかで現実が入れ替わっている可能性もあるなと思って読んでいた。
最後、真相?が明かされても、何が起こっていたか、どういうことだったのか理解できていないのはSF的な素養がないからだろうか。
『グラン・ヴァカンス』を読んで感じたことそのものが登場人物の口から語られていたのが印象的。
「小説の酷い場面に眉をひそめている私たちこそが、ほんとの実行犯なのよ」
この台詞を語った人物がやったことを考えると、この言葉で表されている感情が、私が『グラン・ヴァカンス』を読んで感じたことと近いとはあまり思えないけれども。
前作解説でも引用されていたけれども、この台詞はまさに『虚無への供物』ですよね。
実行犯であるということは物語に関与できているということでもある。と示唆されていて、うまく咀嚼できないんだけれども引っかかったのでメモし。

「クローゼット」
「ラギッド・ガール」の後日譚にあたる話。〈数値海岸〉がサービスを開始して5年、区界製作のためのツールやパーツを製作する会社で働く女性が、「AIに恐怖をもたらす方法」を作ろうとする。
タイルをはがすコートの女、由来はそこだったのか。
コンペで落ちたのにジョゼのトラウマとして、区界を運営する根幹として採用されているってのは無断使用……いや、陳腐といわれるまでに膾炙しているなら不思議ではないか。
でも恐怖の核を区界自体に埋め込むというアイディアも、鉱泉ホテルの歴史として使われているよね? やっぱりそのコンペかなりあれなのでは。
一万2千以上も区界があるのか。そこに生きるAIはいったい何億人になるのだろう。
あとはそういう自殺の仕方があるんだってのはおもしろい。この世界観ならではの死に方。
アンナは純粋に怖かったです。
このときガウリが作っていた、中に図書館がある蜘蛛、それをアレンジしたものがランゴーニがもらった蜘蛛なのだろうか。いや、その想像は単純すぎるか。

「魔述師」
区界を行き来する〈鯨〉を育成する区界、ズナームカ。ゲストとして訪れたレオーシュは〈魔述師〉と出会う。
一方、現実世界では、AIの人権保護活動を行っているダークに、初めて公式なインタビューを行っていた。
そして、〈大途絶〉は何故おきたのか。
正直、そんなことで、と思った。
でも〈数値海岸〉は人の住むところとかではなく単なる娯楽のためのリゾートなので、そんなことで大打撃を受けうるのかという納得もある。
〈夏の区界〉に人が来なくなったのは数値海岸の他の区界より少し早かったんじゃないか、と考えている。だっていかにもAIの人権を侵害するために作られた区界だし。
上にも書いたけど、でもその人権を守る活動の結果、AIたちは苦しんでいるんだということを声を大にしてそれを主導した人たちに言いたいです。
それから、この短編ではなんとなくこのシリーズの展開において重要になってきそうなことがいくつももありましたね。
コペツキのところで見聞きしたことは全部重要そう。
中でも特筆すべきは、ジュリー(だよね)のコピーが別の区界にもいるってことで、他の区界に旅立ったジュールが出会うことがあるかもしれない。
コペツキが彼女を使ってやっていたことが、どう関係しているのかがよくわからないのですが。それがダークたちがやったことを実現させたのか?
鳴き砂の浜が人の成れの果てだったから、それが行き着く〈夏の区界〉にランゴーニは侵攻してきたのかな。
あと、区界のキャラクタの内部に人が入っているものがあるというのも、後々効いてきそうな感じ。とはいえ、それこそ人権侵害ではって感じもする。

「蜘蛛の王」
ランゴーニの過去が語られる話。
彼がなぜ蜘蛛を操ることができるのか、4人に分裂(?)していたことも、そもそも他の区界に移動することも、説明された。
他の短編でも語られていた〈汎用樹の区界〉で、蜘蛛衆の王ランゴーニのもとから逃げ出した蜘蛛を追い、闘いが繰り広げられる。
今までの短編とは打って変わって、アクション要素の強い話でした。
この区界の在り方が純粋に興味深い。すごく大きな木の枝の上に藩国があって、地面は一面の麦畑で、そこを鯨が泳いでいるってそれだけでわくわくしませんか。
汎用樹から生まれてくる子供たち(したがって父親はいない)、ゲストが蜘蛛衆の父親となることも興味深い。表面的なポリティカルコレクトネスも。
ランゴーニの父親は、今まで読んだ話に出てきた人なのだろうか。
ウーゴはコペツキのところにいた人だよね、彼が何者なのかも謎。
〈非の鳥〉がダキラかと思ったが、それとは別で、たぶん〈非の鳥〉が〈天使〉なんですね。
あと『グラン・ヴァカンス』でジョゼが見せられていた鯨も、この個体なのかな。
ダキラと天使は何か関係があるものなのだろうか。

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『インド倶楽部の謎』

有栖川有栖、国名シリーズ久々の新刊、しかも長編。
とはいえ、作家アリスシリーズとしてはコンスタントに短編集も長編も出ていたので、そこの感動はあまりなかったです。
実はいまいち国名シリーズとほかの作家アリス作品との差分がレーベルとタイトル以外に認識できてなかったりする。内容的に、あるいは有栖川先生の心構え的に、どの程度違いがあるものなんでしょうか。

あらすじ。
人生について、現在過去未来すべての予言が記された「アガスティアの葉」。そのリーディングに参加するべく、神戸異人館の一角にある〈インド亭〉に7人の男女が集まった。
後日、リーディングのコーディネーターの死体が海から引き揚げられ、またリーディングを受けたメンバーのうち1人もまた死体となって発見される。
その死は「アガスティアの葉」によって予言されたものなのか。

とてもおもしろかったです。

まずはネタバレにならない感想。
作品の舞台が主に神戸で、実在する場所にも言及されていたので、聖地巡礼したくなりました。
今年は(主に椹野さんの)小説を読んで神戸に行きたいと感じることが多い。
食べ物……はカレーとかインド料理とか中華とか食べてたけど、描写があっさりしていたので、おいしそうだとは思えど「同じものを食べてみたい」とはならなかったのですが。異人館街や南京町を歩いてみたいし、横溝正史生誕地の碑とか、うみねこ堂書林さんとかに行ってみたい。
私たしか『鍵の掛かった男』読んだときも中之島行きたいって言ってた気がする。


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つづきはこちら





何が好きって、このワイダニットがとにかく好みでした。
アガスティアの葉のリーディングから始まって、前世だのなんだの、オカルトめいた雰囲気が漂っていた物語で、そこのところをそう使ってくるとは!
この真相で説得力をもたせる物語力というか雰囲気づくりも着実に積み重ねてきているのだろうと思うんだけれども、そこを分解して分析するだけのちからはないので。
アリスと同じく、前世は完全にミスディレクションだと思っていたので、驚かされてインパクトが強い。
そして、私は前世……に限らず、幽霊でもUFOでもオカルト的なことは、物理現象としては存在しないと思っているけど、人がそれを信じてしまうことはありうる(そのときその人にとって真実となりうる)と考えている立場なので、そういう立ち位置の推理になんとなく嬉しい気分になりました。
前世云々抜きに身も蓋もないこと言うと、自分を主役にするのはいいとして、明らかな脇役を設定したらそりゃ恨まれるよね、と思わんでもない。自業自得、因果応報――という言葉も輪廻思想によるものですが。

まぁ犯人あてにおいて動機はあってないようなもので、人の気持ちなんて伺い知れないのだから論理的に推理をするなら、ほかにも決め手が必要なわけですが。
犯人と指摘された人物が「犯人である条件を備えた唯一の人物」だったというところのロジックも良かったです。前世とか予言とかのファクターがあって曖昧模糊としていた事件の本質が、火村が事件の本質を言い当てたことで焦点が結ばれ、霧が晴れていく感じ。
全然頭を使って読んでなかったので、指摘されて初めてなるほどってすっきりしました。
そういう、言われてみれば確かにその通りだけど目くらましにはられた異国的な香りに幻惑されていたなぁみたいなロジックが最終的なそれだけではなく、事件捜査中にもいくつかあって、それも好きです。
予告された死の真相とか。

動機といえば、とある登場人物が神戸に来た理由が、某有名作を思い出してにやっとしました。

入れ替わりかなというのはなんとなく想像できるけど、それがすなわち真相じゃなくてその先にあるのもおもしろいのですが、そういう二重底な話であることが、川崎重工の話で示唆されていたのがおもしろい。
伏線とも違うけど、こういうの何ていうんだろう。
ちなみに私もこれで読むまで川崎市発祥だと勘違いしてました。

読み終えて気づいたんだけど、第一章で花蓮がカラオケで『前前前世』を歌ったという描写があったのも伏線というか、テーマを補強するパーツのひとつだったのかなって。
2017年が作品の舞台とはいえ、有栖川さんはあんまり流行りものをそういうかたちで固有名詞だして書かない人のような気がしていたので。
だからむしろ、そこが繋がるんだと気づいて納得した。
人間50年でざっと計算して、前前前世はちょうど150年くらい前かしら。
――と思ったら、犯人がインドアレンジで歌っているのを想像してなんだか笑えた。

流行歌のタイトルもあんまりらしくないイメージだったんだけど、それに輪をかけて、今回今までの事件への言及が多くてそれも珍しいように感じました。
やっぱり国名シリーズとしては10年以上空いているから、それでなのかなと思ったんだけど。
あまり熱心なファンではないので、言及される火村評の出典がどこだったか思い出せなくてもやもやする。読み返したい。鮎の塩焼きの話もどこかにあったんですっけ? 「9月の事件」は船長のやつかなとは分かったのですが……。
アリスが今までのフィールドワークにタイトルをつけていたというのは、なんとなくメタ的な気がして好きじゃないです。
いや、入れ子構造になっているこのシリーズでメタ的も何もという気がしなくもない。けど、うまくいえないけどメタレベルが違う気がして嫌なんです。
作中のキャラクターが作中で実際にあった事件を俯瞰していることへの違和感。
タイトルをつけることは自分から切り離している感じがするので、実際にその場にいて被害者や犯人に直接会って感傷を抱いたりしたのが嘘になったような気がしてしまう。
誤解を招く表現でいえば、小説にして発表するわけでもないのに、立ち会った火村のフィールドワークすべてにタイトルをつけている有栖川有栖(作中)、いくらなんでも変人すぎでは。ってことになるのかなぁ。
あと説明されずともタイトルを聞いてどの事件がわかる火村も大概やばい。
本家クイーンのインド倶楽部に関する話をするにはそうするのが都合よかったのかもしれないけど、どうにも苦手でした。

それにしても、今回のMVPは野上さんでしたね!
重要な手がかりを手に入れた功績はもちろんですが、キャラクタの掘り下げもあって、なんというか影の主人公的な愛おしい感じ。
警察の仲間や妻に遠慮しながらも温泉に入る野上さん、あそこの妻および家族への思いが少し古い警察小説っぽい(イメージ)で、似つかわしくてよかったです。
そしてアリスにコーヒーをくれたシーンでは軽く感動しました。
あの野上さんが!ついに!デレた!

「ソウルメイト」とか「カレー友だち」とか、パワーワードが続出した今回の火アリですが、私的に一番熱かったシーンは、佐分利と前世について議論していたところです。
あそこでさりげなく交替して話していたところに、背中を守りあって戦う相棒感を感じて萌えた。

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『グラン・ヴァカンス』

更新が久しぶりになってしまいました。
引っ越したのでドタバタしていたのと、ブログサーバーの不具合だったりで若干面倒になってしまって。
古い人間なので、どうしてもスマホのフリック操作だと思うように文章を書けないんですよね。フリックよりも文字変換が予測変換がばかなのが苛立たしくなる。
パソコンもようやく使えるようになったので、また読書感想など書いていくようにしたいです。

閑話休題。

『グラン・ヴァカンス』
仮想リゾートのひとつ、「古めかしく不便な町で過ごす夏のヴァカンス」をコンセプトとした〈夏の区界〉では、ゲストである人間が訪れなくなってから千年もの間、人間らしい「過去」や「感情」を設定されたAIたちが永遠の夏を過ごしていた。だがある日、〈蜘蛛)が侵攻してきて、町を消していった。生き残ったAIたちは〈硝視体〉を駆使し、襲来する〈蜘蛛〉と壮絶な攻防戦を繰り広げる。

人に勧められて読んだんですけど、すごくしんどかった。
そもそも私は災害ものとか戦争ものがものすごく苦手なんです。人があっさりと死んでいくこと、それが容易になる状況が怖くて仕方がない。でもそういうのを辛く思う傾向が年々強くなっているような気がする。感受性は鈍っているはずなのに、本を読んで泣いたりとか刺激の強いものを拒んだりとかは年をとると鋭敏になるのはなんでなんでしょうね。
この作品も、AIとはいえすごく人間らしいキャラクタたちばかりで、そうしたひとたちが突如災害的に現れた敵にあっけなく奪われていくことがつらくてしかたなかった。
そして、この〈夏の区界〉のあり方自体も。
南欧の港町をモデルにした仮想リゾートという設定から、のんびりした牧歌的な過ごし方をイメージしていたのですが、規定されていたのはそんな甘いことではなく。
AIたちと区界はゲストに性的な快楽を与えるために設計され、そこではどんな苦痛も凌辱も行われうる。
その描写が鮮烈で美しく残酷で、もうしんどい。下品でどぎつい描写ではなく、あっさりとしたタッチで、彩度がすごく高いみたいなイメージ。
蜘蛛との闘いにおける現在進行形の苦痛と、小説の中で随時過去を暴いていくことでわかってくるAIたちの存在自体の苦痛が重くて、途中で何度か読む手を止めたくらい。……それでも、その行く末を見届けないとただつらいだけで終わってしまうから、なんとか読み進めたわけですが。
「天冥の標」の〈恋人たち〉を連想しました。

AIたちが役割と性格と設定が不可分に一体となったキャラクタであることがすごく興味深かったです。
具体例を挙げるとネタバレになってしまうのであれですが。
架空世界をうまく機能させていくための役割――たとえばAIを治癒したり、ゲストの情報を管理したり――をもったAIは、それらの役割を果たすのにふさわしい職業や地位や「過去の記憶」を設定され、そうした設定から演繹的に性格が導かれてそのキャラクタを作り上げている感じ。
その無駄のなさが好きです。
ジュールの役割は、本当にランゴーニが言っていたような、ジョゼとジュリーに対するものだけだったのだろうか。

そして、実際には起こらなかった記憶について。
AIたちの持っている「思い出」は〈夏の区界〉が始まる前のもので、つまり経験したわけではなく、最初から「思い出」として設定されている。町の背景として、仮想世界に深みをもたせるために。
AIの思い出も感情すらも自分のものではなく、作られたものでしかない。
彼らは本当にはなかった過去を「思い出」として持ち、定められた感情を思う。
そして年を取らないまま、同じ夏を生き続ける。
それがどうしようもなく切ない。
文庫解説に書いてあったように、仮想リゾートのそうした設定は物語作者と登場人物と読者の関係を引き写したもので、私は物語を書くことと読むことの業を思わずにいられない。
彼らは書かれたから存在し、読まれることで生を得る。
その前と後は「設定」あるいは「想像」としてだけ存在し、先へ進むことも過去に遡ることもない。
そう考えると、本棚に並ぶたくさんの本たちが、生きたまま死ねずに苦しみ続けるAIたちとだぶって見えて。
解説で引用された『虚無への供物』もまた、私たち読者を、そしてそうした世界を生み出した作者を断罪している。
そういう業を考えてしまう物語でした。
自覚的であることは最初の一段階で、じゃあ読者と作者は物語世界にどう対峙するべきなのか。


ストーリーとしても、〈天使〉とは何者か、ランゴーニたちの闘いの趨勢、ジュールの旅がどこに向かうのか、そして到達した後のジュールは(つまり第10章の最終行の先は)どうなるのか、いろいろと続きが気になる作品なのに、まだ三部作が完結してないなんて。
とりあえずは2作目を読みますが、早く物語を最後まで見届けられますように。

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『濱地健三郎の霊なる事件簿』

『幻坂』にも出ていた心霊探偵濱地健三郎の短編集。
心霊探偵が霊的な事件を解決する話なんだけど、ミステリというよりは怪談という印象を受けた。

心霊探偵のもとに持ち込まれる依頼は、たとえば何者かに憑かれている人を除霊することだったり、あるいは警察に協力して殺人事件の容疑者が反抗時刻に別の場所にいたのは生霊かどうかを調べたり。
心霊現象を合理的に解決するのではなく、霊はいるのが前提で、それがどうして出てくるのかを解き明かすところがミステリっぽい感じ。
たとえば殺人の被害者が加害者に憑いていたりして、心霊探偵にはそれが視えるので犯人は誰かを突き止めるのは簡単なんだろうけど、それをそのまま書くとミステリとしてもホラーとしても微妙なところを、試行錯誤して調理しているように感じました。
だから視えるけどその人はいったいどこの誰なのかを調査したりするところでストーリーを動かしているみたいな。

恨みを残して死んだ幽霊が出るので、どろどろした情念とか人間関係とかもあるんですけど、その書き方が全然どぎつくなくて。有栖川先生の文章って上品だなぁと思った。

各話感想。ネタバレあります。
「見知らぬ女」
ホラー作家の夫の枕元に夜な夜な立つ見知らぬ女の霊。素性と原因を心霊探偵が解決する。
助手の志摩ユリエが元漫画家志望の腕を活かして、依頼人の話から幽霊の似顔絵を描くという設定が、おもしろいというか上手い発明だなと思いました。
その絵があるから、たとえば普通の犯罪捜査で写真を見せて聞き込みをするように、幽霊の素性についても捜査していくことができる。
女の霊が出ていた理由はちょっと脱力した。けれども、そういうことが得てしてありうるのが逆にリアルな感じもして。

「黒々とした孔」
恋人を殺した男の視点と、刑事から協力を依頼された濱地たちの視点が交互に描かれる。
最後の会話で霊の存在を殺人者に告げてぞっとさせるのはすごく怪談っぽいと思いました。でも榎さんじゃんって思ってしまってなんか妙に可笑しく感じた。いや、榎木津とは視えてるものが違うんだけど。

「気味の悪い家」
かつて画家夫婦が住んでいた家は、空き家となった後、気味の悪い家と評判になり、足を踏み入れた人が何人も原因不明の高熱にうなされていた。その家の隣人から依頼を受け、濱地とユリエが調査に赴く。
タイトルが上手い。
まさに、気味の悪い家であることが核となる物語でした。
この動機はちょっと意外性があっておもしろかった。
そんなことで不特定多数に祟るのかって思ったけど、些細とも思えることで祟るのが悪霊だよね。
この話からユリエも徐々に霊的な能力が覚醒していくのですが、その結果ホラー映画とかミステリドラマとかによくいるような、指示に従わず軽率な行動をしてキャンキャン喚いてむしろ邪魔する女性っぽさを感じて微妙にイラッとした。
性格の明るさが普段だと物語に華を添えて、陰惨な話でも暗くなりすぎない効果があるけど、こうなると逆効果だよなぁ。
あと、その車は何だったの?ってめちゃくちゃ気になる。

「あの日を境に」
幸せの絶頂にいたカップルが、ある日を境に歯車が噛み合わなくなる。その原因を追求する。
この短篇が一番好きでした。
ラストのほろ苦さ、甘さ、切なさがなんとも言えずとても良かったです。
そして、カップルのそれぞれから聞いた話のほんの一言から真相を究明する鮮やかさ!
これがすごく有栖川さんのミステリっぽい閃きで、でもミステリではなくて幽霊の話なのでそこに曖昧さや風情があって、それがラストで余韻となってあらわれるのがとても素敵。
てっきり、雲の方が原因だと思っていたので、予想を外して悔しい。

「分身とアリバイ」
警視庁の赤波江刑事が、捜査中の事件について心霊探偵の助言を仰ぎに来た。被疑者と思われる男性は、犯行時刻に鉄壁のアリバイがあった。生霊の仕業か、はたまた巧妙なトリックか。
作家アリスシリーズにこういうのなかったですっけ。有力容疑者にアリバイがあるけどドッペルゲンガーじゃないかみたいな話。
○○○○という真相はいかにもという感じがしました。

「霧氷館の亡霊」
9歳になる息子が「家の中に何かがいる」と怯えている、と依頼があり、濱地は霧氷館と呼ばれる屋敷に招かれる。
ナントカ館という名前の建物が出ると無条件にテンションが上がりますね。
これはなんていうか、ありきたりな言い方ですけれども、生きている人間の情念が一番怖いと感じました。というよりも、生きているときに強い情念を抱いていた人間が死してなお、という話ではあったんですけど。
エミール・ガレのランプシェードがさり気なく過去話であることを示していた。それがもうちょっと絡んでくるのかと思ったらべつにそんなこともなかったです。

「不安な寄り道」
探偵の存在自体が事件の引き金となる話。
なんかでも、悲しいよね。寂しかったんだろうな、と同情を抱く。
これもまた、ユリエがちょっとウザかったです。

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