今回は読書の感想というよりも、本を読んだ私の話です。
2月は仕事が忙しく、文字通りに心が死んでいたのでBLばかり読んでいた……というよりも、それくらいしか読めなかった。
だいたい展開もパターン化していて、心がひどく揺さぶられるほどの波風もたたず、予定調和の大団円に着地するような物語なら、疲れていてもまだ読めるし、そういう物語に癒しを求めていました。
ラノベとかキャラ文芸ではなくてBLだったのは、2月初めくらいに『流浪の月』を読んで、その流れでなんですけど。
でも商業BL小説をしばらく読んでいなかったので、というか読んでいた頃も好きな作家さんのものだけ読んでいた感じなので、流行りとか人気の作品とかを全く知らず。ブックオフとかでタイトルとか作家とか絵とかあらすじとかでなんとなく好きそうなものを適当に選んで消費していました。そんな選び方だったので、ときどき文章がひどいものにあたって辟易したり、微妙に萌え属性から外れてたりということもあったけど。
ちなみに、“想いを遂げたと思ったあとで「無かったこと」にされる攻め”というシチュエーションが好みです。おすすめ作品ありましたらよろしくお願いいたします。
で、そういう経緯でこの作品も手に取ったわけなのですが。
内容を知っている方は既にお気づきのことと思います。
読んでいる途中の感想は「選ぶ本間違えたな」でした。
波風が立たないどころじゃない。主人公が暴行を受けたりいじめられたりとひたすら過酷で読むのがつらいし、挙句の果てにカップル成立しないままで終わって、読み終えてからしばし呆然としました。
え、こんなことあるの……?
その後、調べたら続編があることを知り、翌日購入して一気に読みました。
というわけで、以下の感想には「十八と二十六の間に」の感想も含みます。
すごく良い物語だった。
恋愛という以上に、生きていくことについての物語だと感じました。
少しでもまともな人間になりたい、と思うことがあります。
今の自分は全然だめだけれども、明日は少しでも良くなるんじゃないか、と。
この作品においては、その希望みたいなものの象徴が、路と森尾お互いだったんだという印象を受けました。
だから、恋愛ではあるのだけれども、祈りのようでもあり、誓いのようでもあり。「十八と二十六の間に」のラストシーンはすごく響いた。
1巻で、路が変わろうともがくところも好きです。
好きというよりも、響くとか沁みるという言葉のほうが適切かもしれない。
もがいてももがいても変わらないかもしれないけれど、もがいてなければ溺れていったかもしれない。行動していたら、誰かが手を取ってくれるかもしれない。
そういう物語が、今の疲れている心にすっと入ってきて、頑張ろうと思えた。
こういうエピソードの使い方がうまいなと思いました。メッセージだけが浮かずに、物語に溶け込んで、印象的なものとして記憶に残るシーンが多かった。
「朝のリレー」引用するのとか、状況と相まってすごく印象に残っている。えぐい。
1巻を読んだ後は、罪でつながっているとはいえなんだかんだでラブラブになるよねと期待していたのですが、続編は最初が一番近くて、読み進めていくにつれて距離が離れていくような感じになり。残りページが少ないけど、でもBLだからどんなかたちであれハッピーエンドにはなるはずという無根拠な希望にすがるかたちで読んでいました。
好きで、好き同士なのに、受け取れないってなるの何それ。悲しすぎる。
とはいえ、森尾があまりに人非人なので、彼が自覚したら自分を許せないというのは分かるんですよね。
わりと、ありていに言って、クズですよね。
BLにしろ、少女漫画にせよ、無理やり……というところから始まる物語は世の中にあふれているので、ひどい人間ではあるけどよくあるレベルだよね、という認識だったんです。1巻では。
最初はともかく二度目以降は想いを伝えてないのに手ぇ出すなや、とか思ったりもしたけど、そういう話もまあまあよくあるから。
しかし、続編で信頼できない語り手であったことが明らかになり、っていうか彼の主観ではそうなんだろうけどあまりにあまりですね。
無意識に踏みつけているものもある、というのもテーマなのだと思うんですけど。
踏みつけられた側にも人格があるというのをこうして描かれるとなかなか堪えますよね。
そこから自分の罪を自覚して、更生というか、彼も変わろうとしていく、路のために(言い換えれば愛のために)、というところがたぶんこの物語の大きなところだと思うんですけど。
でも結局、森尾が路に対しては贖罪しようと思ったのは、他の人の姿を通して自分を客観視できたからにすぎないと思うんです。もしそれがなかったら、あるいはもしそういうことが過去にあったら、ということを思うと、どうにも微妙な感情がある。
微妙、というのは、路はずっと森尾が好きだったけれども、森尾にとってはそういう偶然で好きになっただけではないかということが引っかかるんですね。
けれども偶然のそのなりゆきが運命なのかもしれない。し、きっかけはもはや関係ないという気もしている。
いやでも毎年花火大会の日に高級ホテルおさえてる執着ちょっと気持ち悪くないですか?(笑)
18歳から26歳の間、毎年、自分はアメリカにいるのに。
というくらいはなんか茶化さないと、重さを受け止めきれない感じがしています。
生きてること自体が許されているようなことだ、というような台詞を何か別の作品でも読んだような気がして、思い出せなくてもやもやしています。
朝丘さんの作品だろうか。それとも全然別の何かかな。
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