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2025/03/16 (Sun)

『鬼談百景』

怖い話は苦手です。
小学生の頃は好きで、よく読んでいたけれども、読むたびに夜寝れなくなっていた。
今でも夜家に一人でいるときとかには、どこかで読んだ怖い話をふと思い出して、ぞっとすることがあります。
そんなわけで、手元にありつつもずっと読んでいなかったんですが、ついに手を出しました。
ずっと読んでいると怖いし、短い話がたくさん収録されているので、読み始めてから読み終えるまでかなり日数がかかって、はじめの方の話はもう覚えていないものもある。

怪談を集めた本なんだけど、怖いのももちろんたくさんあったんだけど、怖いというより不思議な話も多かった印象でした。
あと、怪奇現象がどういうことが起こったかだけで、その理由説明はあまりなかったのが意外でした。
それこそ小学生のとき読んでいた怪談では、怪奇現象が起こったあとに、「ここで自殺した人がいた」とか「この場所はかつて墓地だった」みたいな、怖いことが起こる理由が説明されていた記憶があったので。
で、そういうのが説明されるから怖さは少しやわらぐんですよね。
理由がなければ怖いことは起こるはずないと思えるから。
でも、残穢ってそれ自体を否定する話だったなというのを思い出しました。土地自体に穢がなくても、ものや人を媒介に感染し、怪異は拡大していく。
だから説明は意味がないのかなと思いました。

そう、読んでいくとときどき知ってる話があるんですよね……。
「ぶらんこ」とか。
残穢の作中で小野さんがまとめていた怪談集がこの本という立ち位置なんですけど。
そうなることによって、残穢のリアリティが増すというか現実に侵食してくるというか、あれは本当にあったことなんじゃないのって思えてきて、怖さ倍増です。
その背景があるこそ、怖くなった話もあって、相互に怖さを強めあっている感じ。

あとは関係なくても、壁から「湧いて出る」ような話とかにもついびくってしてしまうし。

二段落ちみたいな構造の話はすごく怖かったです。電話ボックスのやつとか。

一方で、学校が舞台のやつは私はもう学校に通うことのない年齢だからそこまで身に迫る怖さはなくて、それでも「一緒に見ていた」とか「リレー」とかは鳥肌が立った。

怪談で語られていないそのあとが気になる話もいくつかありました。
「満ちる」とかはここから怪奇幻想小説の冒頭になりそうな感じで。この話自体は不思議なだけで怖くないのに、不吉な未来を想像してしまうのが怖い。

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『うちの執事に願ったならば 2』

なんというか、ここのところ立て続けに出ていて、それぞれの読んだときのテンションをくらべてみるとやっぱり私にとってはこのシリーズはそこまででもないのかな、と寂しい気持ちになった。
文字通りnot for meというか。
ずっと同じ層の人たちにだけ売り続けていたら一定数以上には売れないだろうから、新規読者の獲得は仕方ないしぜひとも売れてほしいとは思うけど。

今回読んで改めて思ったのは、花穎事件に遭遇しすぎじゃない?
いや、ミステリにそういうこと言うのは野暮なんだけど。
幻想風紀委員会のあとがきで書いてらしたように、カメラワークの問題なんだというのもわかるけど。行く先々で事件が起こるんじゃなくて、事件があったときだけを物語に書いているという。
でも各巻3.5話あって、これで11冊目で、って考えると多すぎると思ってしまうんですよ。
職業探偵でもないので、事件に遭遇する理由づけがされていないからなおさら。上流階級は陰謀うずまく世界だから、でもいいけど理由づけには少し弱い気がする。
……事件に遭いすぎることそれ自体がいやなわけではないんです。コナンみたいに、ツッコミ入れつつ楽しむことはできる。
ただ、事件があると事件と捜査と解決を書かないといけないので、その分容量が規定されてしまう。
私はたぶん日常を読みたいんだと思います。
事件の合間に垣間見える日常の描写がとても素敵な作家さんだから。ごはんを食べたり、キャラクター同士の会話があったり。
たとえば前巻はお泊りの話が日常感が高くてすごく良かったです。
でもこの薄さだとそういう日常描写の割合が相対的に少なくなってしまって、物足りなさを感じる。ということなんだと思う。
商業作品なので、事件が起こらないと売れないんだろうけど〜〜。
漫画やアニメでは日常ものがひとつのジャンルであるように、小説でもそういうのあってもいいと思うんですよね。

彼らの日常をもっと読みたい、と思うほどにはキャラクターへの思い入れが強くなっているんだよね。ここまで読んできて。


さて。
この巻は次以降の巻の準備みたいな感じを受けました。
新キャラが何人か出てきて、この後何巻かでは彼らがメインになって関わってくるのかなって。
ヴォルコフ家の人々、イリヤと不知火は言うまでもないけど、サシャとルカも明らかに裏がありそうで。
すごく深刻なことにはならないだろうけど不穏ですよね。
鑑定士の雲井さんはかっこよかった。スピンオフとかしてほしい。
侑里さんはシンプルに、妹の名前は万里でいいのかしら。世界せますぎるけど名前似てるし。

レギュラーキャラクターも、雪倉家の親子喧嘩とか、相変わらずな赤目さんとか、真一郎のことになるとかわいい壱葉ちゃんとか、良かったです。
そして鳳さんが若い頃の話を回想していたのが、なんだか印象深かった。先代の雪倉を「兄さん」と読んでいたのが。
鳳さんにも若い頃があったんだ、というか。
同じ人でも、ある人に見せる面とほかの人との関係性は当然違って、それがずっと広がっていって世界が形づくられている感覚があった。うまく説明できないけど。
いろんなキャラクターの、普段とは違う一面やキャラクター同士の関係性をもっと読みたい。
……そう思うと事件邪魔だよね、に戻ってしまうのですが(笑)


花穎が当主らしい当主であろうとして、衣更月と勝負してるのが、成長と変化を感じて熱かった。
衣更月がそれをおぼろげに感じとって応えようとしているのも。
たぶん花穎が考える「当主らしい当主」と衣更月が考えるそれには隔たりがあるんだよね。
だからそこに戸惑いとかが生まれて感情が動いて物語になる。でも信頼が根底にあるところが、1期とは違うところなのかな。

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『六色金神殺人事件』

薦められて読んだものの、微妙だった。

保険調査員・江面直美は青森に出張の帰り、吹雪に遭い小さな町に入り込む。そこでは「六色金神祭」が行われていた。電話は不通、交通も遮断され陸の孤島となった町で、次々と不可解な殺人事件が起こる。
という設定の話。

たしかに、17章で明かされる真実は驚くしおもしろい。21章で解説されることにしたって、読み返せば伏線がはられていたことにも気づける。で、なるほどこうなっていたのか、と感嘆はするものの……。
おもしろさに対して労力が見合わないと感じてしまいました。というより、私は解決一点突破で楽しめないという方が正しいのなも。他のところも楽しくないと無理。
真相が明かされるに至るまでが長くて、しかも読んでいていらいらしてきたんです。
長いといっても、解決編である第2部の扉が335ページだから、全体の4分の3ぐらいまでいったところで解決編に突入するわけで、推理小説であればそこまで遅くはないと思うんですね。でも長いと感じてしまったのは、つまり状況が何一つ進展してないように思えたからではないかと。
死体は増えてくけど、捜査や推理によって真相に近づいていくわけでもなく、じゃあ緊迫感はあるかっていうと、主人公はサスペンスっぽく感じているようだけど読者は遠くて、何をモチベーションに読んでいいのかわからなかった。
いらいらしたのにもつながるんだけど、主人公がひたすらにアホでつらい。
脊髄反射だけで考えてんのかお前、って感じなのに調査員だとか言って事件に首を突っ込んでいくし警察に噛み付くし。
17章で真実が明かされてなおさら、なんだったの?って思った。
いや、主人公がアホじゃないと成立しない話なんだけど、それはわかるけど、普通それくらい確認するよねってところを確認してなかったり、ただの思い込みを真実と決めつけて暴走したり、読んでて本当にいらいらしてくるんですよね……。
だから、ラストのあの台詞とかも、どんでん返しの末の真実とか電氣人間みたいな感じのあれみたいなものにしたいのかなとも思ったけど、主人公がアホすぎたせいで、思い込みが強すぎてついに頭おかしくなったのかなとしか思えなかった。
なんか年々、頭の悪い主人公に対する許容度が落ちてきている気がします……。


なんとなく思っただけなので、以下は単なる想像や深読みのしすぎかもしれないけど。
主人公がアホで、それなのに無意味に事件に首を突っ込んで大騒ぎして推理しようとして、というキャラクターは、奈々村久生を意識してるのかな、って。
いや、作中で「塔晶夫の『虚無への供物』」という単語が出てきていたものなので。
この、仰々しいけど浮ついた、殺人事件の価値が軽くなって探偵たちの上を滑っていくような雰囲気はそれなのかなって思いついたんです。
六式金神も五色不動なのではないか。
だから、こういうことになったんじゃないかと思うと、すっきりまとまる気がするんです。五色不動がダミー解だったように六式金神もこの物語の事件の中ではただの目くらましにすぎないというのが。
でも『虚無への供物』は、イラッとさせられる探偵キャラも、ばかばかしいような推理も仰々しい雰囲気も全部全部、最終的な告発のための土台だったわけじゃないですか。
あれがあったから、私は虚無が好きなんです。
あの告発がなければ、ただ雰囲気が怪奇っぽいだけで、話が膨らんでいくわりに尻すぼみな小説になってしまうと思う。
そして、この本はそういう小説だったと思います。


あとこれ、真相はおもしろいんだけど、メタレベルが錯綜していて何がなんだか……って言う気分です。
読み返して整理するほどの気力はない。


これはちょっと言いがかりっぽいかなと自分でも思うんだけど。
そもそも冒頭から、舞台となっている11月30日から12月1日頃の青森で、一晩に何メートルも雪が積もるものなのかしらという疑問があって、その時点で素直に物語世界に入れなかったと言うのはあるんですけど。
私の生まれ育ったところもそれなりに雪降る地域なので、感覚的にはメートルレベルで積もるのはせいぜい12月中旬過ぎてからってイメージが染みついてしまってる。でも青森よりは南だし、平野部だったから。
青森の山間部だとこんなもんなのかしら。


六式金神伝紀というのも、「宇宙開闢から大和朝廷の成立までの歴史をつづった」もので、六柱の神々が宇宙船で降り立った異星の神を打ち破った様を書いている、となったら俄然テンションは上がる、はずなんですけど……。
六式金神歌がどうにも作りものくさすぎて萎えてしまった。
いや作りものなのはそうなんですけど、作中だと本物ってことにはなってたじゃないですか。でもそれにしては、っていうことです。
四文字四文字なのは漢文っぽいリズムなのに、内容は文章の体をなしてなさすぎて。それっぽく漢字並べればいいってもんじゃないだろっていうか。いや別にそれっぽくもないんですけどね、神代文字使う時代に紙幣(というか紙)あるかはなはだ怪しい気がするし。
超古代史は、物語の中で十分に説得力もたせてくれてたら好きなんですけど、目に見えて粗がありすぎるとがっかりしてきまう。
日猶同祖論の話が出てくるから舞台が青森なんだな、なるほどなと思いましたが。たしかあの辺、キリストの墓とかありましたよね。

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『幻想風紀委員会 物語のゆがみ、取り締まります。」

高里先生の新シリーズ!
発売直後に読んだものの、帰省したりで感想を書く暇がなく……。最近は読んでも書かないことが増えてきてて、良くないなと思っている。

それはともかく。
新シリーズですよ!
シリーズ……なのかは分からないけど、ぜひシリーズ化してほしいなぁ。
期待9割不安1割ぐらいで読み始めたものの、ものすごくおもしろかったです!
(不安1割について一応言い訳しておくと、大ファンすぎて過度に期待してしまってがっかりしたり、所詮薬屋よりは好きになれないだろうなと思ってしまっていたり、あと高里作品は3巻からおもしろくなることが多い気がしたり……)
でも、この1冊で十分おもしろい作品でした。

物語の『記述』が歪むことで、世界の境界も歪み、新月の学校で怪異が生じる。
”幻想風紀委員会”は怪異にある奇妙な部分=歪みを修正し、境界線を正す委員会活動(顧問あり、内申点評定あり)
……という設定のお話でした。
とりあえずこれだけでわくわくする。
ちょっと『断章のグリム』っぽいかなとも思いました。物語をもとに怪異が起きる点。
記述とか歪みって、正直読んでも感覚的にしかわかっていないんだけど。

文章はものすごくかろやかだからまぎれてしまうんだけど、よく考えたらとても怖い。ホラーとか怪談とかそういう系。
よく考えなくても、「おにんぎょさん」は怖かったです。
夜に一人でいるときにイラスト見てしまってぞっとした。

物語をもとにした怪異が起こって、それの歪みがどこにあるか探して、解決するという個々の物語の展開もおもしろかったのですが、やっぱり全体を通しての主人公の内面的成長がとても良かった。
というか私、火野弥嵩くん、とても好みです。
……この小説がおもしろかったっていうのも、結局のところそういうことなのかもしれない。
あの、知っている方はご存知の通り、私が薬屋探偵シリーズで一番好きなキャラクターは言波恒大なんですが。
ほら、似たタイプじゃないですか。どちらかというと。
ミカサの性格についてはあとがきで高里先生が書いてらっしゃるとおりだなと思って、その表現の仕方が好きなので引用します。
「我が強くて、同時に自分がなく、けれど自分しか持っていない」
なんていうか、私はそういう性質にある意味では自分自身をみているところがあって、だからこそ235ページの心内文が刺さったし、彼の成長が読んでいて心地よかったのだろうと思う。

もちろん、ほかのキャラクターも好きです。
みんな良い人で、もっと掘り下げてほしい。
高里先生の書かれるキャラクターって、掘り下げられれば掘り下げられるだけ、その人を知れば知るほど好きになっていくような気がします。いつも。


カグヤについては、最初からそういうことだろうなっていうのは予想できていたのでそこでの驚きはなかったけれども、最後のミカサとカグヤがすごく良かったです。


一つだけものすごーく気になったのは、本文中では制服ブレザーって書いてあるのに、イラストが明らかに学ランで、ヤスダスズヒトの絵は素敵なんだけどもやもやが半端ない。

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『踊る人形』

ホームズではなく、三途川理の方です。
文庫版で読んだので副題の「名探偵三途川理とゴーレムのEは真実のE」はないのですが、ないと紛らわしいですね。

森川さんの本はだいたい読んでいるのだけれども、これ1冊だけタイミングを逃していて未読だったのです。刊行時は乱歩の少年探偵団シリーズを読んでいなかったこともあり、読んでからの方がおもしろいかなとか思っていたら……。
あ、そこは実際に少年探偵団シリーズに軽く触れていたのでおもしろさ倍増感はあったので良かったです。

さて、『踊る人形』のあらすじをば。
小学6年生の芙美子ちゃんは、公園の砂場で砂を集めている怪しげな女性と出会う。その女性、南博士に誘われて、芙美子ちゃんはゴーレムの誕生を目撃する。
生み出された人形男は南博士を山奥の小屋に閉じ込め、自分の仲間となる新しいゴーレムを作るよう脅迫する。南博士は命からがら逃れ、芙美子ちゃんとその友人で少年探偵隊の古沢君に助けを乞う。


森川さんの小説……というか三途川シリーズって、何かルールがあってその中で三途川やほかの人たちがそれを利用したり対抗したりするのが面白さだと思うんです。真実を映す鏡や記憶を盗む指輪のようなアイテムだったり、あるいはトランプゲームや〈言語混乱〉みたいな、よりルールそのものっぽいのだったりしますけど。
で、今回はゴーレムの設定がそれで。(なお、以下の文章で「ゴーレム」は種族としての泥でできた動く人形を指し、「人形男」という場合は芙美子ちゃんが完成に立ち会った個体を指すこととします)
ゴーレムの設定に関するルールは一言でいえば「不老不死である」ということ。
その不死性によって、以下のような使い方ができる。
・身体をバラバラにして、単独で動かすことができる
・身体のパーツ同士を組み合わせて再構成し、動かすこともできる

このゴーレムの設定をひたすらに使い倒しているのがこの本のおもしろさの一つだと思います。
ゴーレムは目や耳を別のところに置くことで、覗き見や盗聴をすることができる。
また、手・足・目をくっつけたものを簡易的な分身として、本体は一つのところにいたままで別の場所でも用を済ませることができる。
一方で三途川は物語上設定されたルールを逆手にとって利用する天才なので、ゴーレムに対抗する部分も勿論おもしろかったです。

身体を自由にバラバラにできるゴーレムの特性に関連して、言葉遊びのおもしろさもありました。
日本語には体の部位を使った慣用句がたくさんありますが、ゴーレムの場合はそれが言葉通りの意味も持っていたりする。たとえば「聞く耳を持たない」という表現を使ったときに、本当に耳を外に派遣していたり。
あるいは逆に、「~だからといって本当にそうしてるわけではない」という文が挿入されることもあったり。そっちの方はちょっと繰り返しが多くて、おもしろいというよりもまたかって気分になってしまったけれど。


あと、文体!
乱歩の少年探偵団シリーズを模した文体で、読んでいてただただ楽しかった。
前述のとおり、私は別に少年探偵団も怪人二十面相もそんなに読んでいないわけなんですが、それでも楽しかったです。
「少年探偵隊、ばんざい! ばんざーい!」
みたいなノリ。

で、この文体はこれ自体が楽しい以外にも良かったところがあったと私は思っていて。
少年探偵団っぽい文体ってつまり、語り手が「読者の皆さん」に語りかけるような文体なんですよ。
だから「いったいどうなってしまうんでしょう」みたいな文章が入って章が変わることで引きを作りやすそうなのが、まあ一つ。
そして森川さんの書くミステリととても合っていたのが、謎がどこにあるかを親切に読者に示せること。それによって、小さな「読者への挑戦」がたくさん挟まれて考える楽しさがあった。
さらに、真相解明のときに「ここが伏線だったんですよ」というのが丁寧に示せることも大きな利点だったと思います。
小説で伏線回収シーンでの提示をたとえばどこのどの文章がという風にされると興ざめなんですけど、こういう形で語り手がいると割合自然だったような気がしました。


今回の三途川は、少年探偵団における明智探偵みたいなポジションで、古沢君や志摩隊長に慕われてるっぽいし、本当に三途川なの?今回は良い人なの?という疑念がずっとありました。
中盤まで出てこないし。
人形男退治には関わらないし。
でも三途川は三途川でしたね!
なんだか安心しました。
彼の動機の一部については何となく、その存在が示された最初からそうじゃないかとは思っていたんですが、それだけのためにそこまでするのかっていうのが流石だなって感じです。
このクズっぽさが良い。

最後の古沢君の心情をもっと掘り下げて書けば良いジュブナイルになりそうだけど、そこまでは興味はないのかなと思った。でもこのラストシーンもとても良かったです。

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