ホームズではなく、三途川理の方です。
文庫版で読んだので副題の「名探偵三途川理とゴーレムのEは真実のE」はないのですが、ないと紛らわしいですね。
森川さんの本はだいたい読んでいるのだけれども、これ1冊だけタイミングを逃していて未読だったのです。刊行時は乱歩の少年探偵団シリーズを読んでいなかったこともあり、読んでからの方がおもしろいかなとか思っていたら……。
あ、そこは実際に少年探偵団シリーズに軽く触れていたのでおもしろさ倍増感はあったので良かったです。
さて、『踊る人形』のあらすじをば。
小学6年生の芙美子ちゃんは、公園の砂場で砂を集めている怪しげな女性と出会う。その女性、南博士に誘われて、芙美子ちゃんはゴーレムの誕生を目撃する。
生み出された人形男は南博士を山奥の小屋に閉じ込め、自分の仲間となる新しいゴーレムを作るよう脅迫する。南博士は命からがら逃れ、芙美子ちゃんとその友人で少年探偵隊の古沢君に助けを乞う。
森川さんの小説……というか三途川シリーズって、何かルールがあってその中で三途川やほかの人たちがそれを利用したり対抗したりするのが面白さだと思うんです。真実を映す鏡や記憶を盗む指輪のようなアイテムだったり、あるいはトランプゲームや〈言語混乱〉みたいな、よりルールそのものっぽいのだったりしますけど。
で、今回はゴーレムの設定がそれで。(なお、以下の文章で「ゴーレム」は種族としての泥でできた動く人形を指し、「人形男」という場合は芙美子ちゃんが完成に立ち会った個体を指すこととします)
ゴーレムの設定に関するルールは一言でいえば「不老不死である」ということ。
その不死性によって、以下のような使い方ができる。
・身体をバラバラにして、単独で動かすことができる
・身体のパーツ同士を組み合わせて再構成し、動かすこともできる
このゴーレムの設定をひたすらに使い倒しているのがこの本のおもしろさの一つだと思います。
ゴーレムは目や耳を別のところに置くことで、覗き見や盗聴をすることができる。
また、手・足・目をくっつけたものを簡易的な分身として、本体は一つのところにいたままで別の場所でも用を済ませることができる。
一方で三途川は物語上設定されたルールを逆手にとって利用する天才なので、ゴーレムに対抗する部分も勿論おもしろかったです。
身体を自由にバラバラにできるゴーレムの特性に関連して、言葉遊びのおもしろさもありました。
日本語には体の部位を使った慣用句がたくさんありますが、ゴーレムの場合はそれが言葉通りの意味も持っていたりする。たとえば「聞く耳を持たない」という表現を使ったときに、本当に耳を外に派遣していたり。
あるいは逆に、「~だからといって本当にそうしてるわけではない」という文が挿入されることもあったり。そっちの方はちょっと繰り返しが多くて、おもしろいというよりもまたかって気分になってしまったけれど。
あと、文体!
乱歩の少年探偵団シリーズを模した文体で、読んでいてただただ楽しかった。
前述のとおり、私は別に少年探偵団も怪人二十面相もそんなに読んでいないわけなんですが、それでも楽しかったです。
「少年探偵隊、ばんざい! ばんざーい!」
みたいなノリ。
で、この文体はこれ自体が楽しい以外にも良かったところがあったと私は思っていて。
少年探偵団っぽい文体ってつまり、語り手が「読者の皆さん」に語りかけるような文体なんですよ。
だから「いったいどうなってしまうんでしょう」みたいな文章が入って章が変わることで引きを作りやすそうなのが、まあ一つ。
そして森川さんの書くミステリととても合っていたのが、謎がどこにあるかを親切に読者に示せること。それによって、小さな「読者への挑戦」がたくさん挟まれて考える楽しさがあった。
さらに、真相解明のときに「ここが伏線だったんですよ」というのが丁寧に示せることも大きな利点だったと思います。
小説で伏線回収シーンでの提示をたとえばどこのどの文章がという風にされると興ざめなんですけど、こういう形で語り手がいると割合自然だったような気がしました。
今回の三途川は、少年探偵団における明智探偵みたいなポジションで、古沢君や志摩隊長に慕われてるっぽいし、本当に三途川なの?今回は良い人なの?という疑念がずっとありました。
中盤まで出てこないし。
人形男退治には関わらないし。
でも三途川は三途川でしたね!
なんだか安心しました。
彼の動機の一部については何となく、その存在が示された最初からそうじゃないかとは思っていたんですが、それだけのためにそこまでするのかっていうのが流石だなって感じです。
このクズっぽさが良い。
最後の古沢君の心情をもっと掘り下げて書けば良いジュブナイルになりそうだけど、そこまでは興味はないのかなと思った。でもこのラストシーンもとても良かったです。
[0回]
PR