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2025/03/16 (Sun)

『時をかける少女』

有名作を読もう、という今年の目標を果たすために手にした1冊。

うーん、なんていうか、この作品が有名なのは、パイオニアだからってだけなんじゃないの?
って思ってしまったのが正直な感想です。

私にとって「時をかける少女」は真琴なんだけど、原作を読んでもあの映画の方が良かったなって思ってしまって。
それは単純に、待つヒロインより走って行く子の方が好きという個人的な好みもある。
そしてきっとわ原作のこの物語をそのまま映画にしたものではないからっていう理由もあるのだけれども。

なんか思ったより短いし、あっさり味だったんですよね。
解説(江藤茂博)の言葉を借りるなら、「骨組み」でしかないのかなと思いました。だからこそ様々な肉付けをして、「あでやかな錦織」を着せかけることができるのかなと。

実際、起こっていることしか書かれてないような気がしました。文学的装飾とか、比喩的な心情描写とかはあまりなくて。
主人公にもあまり共感できないし、男子二人組はどっちがどっちやらいまいち分からないまま読み進めてたし。
だから、いきなり「好き」という話になって混乱した。いや、主人公もあの場で告白されたのは混乱したかもしれないが。
これを下敷きにした映画は見てるのだし、知識としてはそうなるとわかってても、「は!?」ってなったんですよね。
だって、そんなフラグ立ってなかったじゃん!
フラグ……というか伏線にこだわるのは現代のラノベに慣れてるからとかミステリを日頃読んでるからかもしれないが。

あとこのシーンについては、解説でいう「現質的な愛」という話には疑問です。
人を愛するのに理由はいらないというのはまあ同意できる。でも私は、感情に理由はいらなくてもきっかけは必要だと思うんです。前述のフラグというのも、好きになるきっかけの一側面というかそれを物語上で伝えるための定型的な表現技術かなと思うんですがそれはともかく。
きっかけになるエピソードや記憶なんて、タイムリープするようになってからの4日間で十分じゃないの、と思ってしまう。もっといえばこの土曜日の告白だけで、好きになるきっかけたりえると思う。
だいたい「好き」と言われたからといってそう思うのは本当に「現質的な愛」なのか?

とはいえ、プロットは(今となっては)よくあるパターンではあるけど、ときめくのは確かなんですよね。
秘密を明かして想いを伝えたあとに全て忘れさせて、でも残るものがあるというのが萌えます。
キャラクターにいまいち共感できない分、普遍的に見たからシチュエーション自体を好きだと思ったという感じがする。

あと未来の設定とかも興味深かったです。


ただやっぱり古い作品なので、文体とかは気になった。ジェンダー観の強い役割語も。
ジュブナイルだからにしてもひらがなが多かったので、文体とか含めて古い児童書を読んでる気がしました。

表題作だけじゃなくて、収録されてるほかの2作にも感じたんだけど、登場人物が年齢に比べて幼すぎる気がした。
もしかするとそれこそ、こういう喋り方のキャラクターをそれこそ古い児童書とかで見た印象が強いから、重ね合わせてしまったのかもしれない。台詞にひらがなが多いから幼く見えるだけかもしれない。
でも、私が中学生の頃ってもうちょっといろいろ考えてたような気がするんですよね。それは、主観で思い出す中学生の自分は背伸びしていたその爪先まで含めた大きさのものとして自分の中では捉えてるからそう感じるだけで、客観的に見ればこんなものなのかもしれないが。お前もこんなだっただろうって言うリアル知人がいれば甘んじて受け入れます。
たとえば「時をかける少女」では好きと言われたあとのところで、今まで和子の周囲ではそういう感情は遊び半分のものとされていたという記述があるのですが、そこが幼く感じたところのひとつでした。
それこそ自分の経験だと、中学生の頃に「付き合っている」男女はクラスに何人もいたから。彼ら彼女らがどれほどの気持ちでいたかなんて知らないけど、たとえ振り返ってみたらお遊びに思えるような恋愛でも、マンガや小説に煽られた熱病のようなものでも、当時の当人にとっては本気だったんじゃないかと想像するのです。
ひやかしは中学生でもあるけど、それだけしかないのは小学生ぐらいのイメージ。
それと、たぶんだけど和子が次々起こる出来事に翻弄されて受け身のままっぽい感じだったのも、一因だと思う。
そして「悪夢の真相」の主人公は輪をかけて子供っぽかった。
こういう書き方も時代性なんだろうか。昔の人の方が大人びているイメージだったんだけど。

時かけ以外の2作についても軽く感想を。

「悪夢の真相」
うまくアレンジしたら好きなタイプのミステリになりそう。なんだけど、これ自体はギャグでしたね。特に弟のところ。
時かけの和子より1学年しか違わないとは思えないぐらいに、主人公の昌子が子供っぽかったです。般若の面とかを怖がること自体ではなく、その後の反応とかが。
あと弟に男らしくあれみたいにいうところとかが昔っぽくてどうにも。

「果てしなき多元宇宙」
もっとはっきりギャグだった。ドラえもんにこういうエピソードありそう。
こうなったらいいのにと思っていた世界であっても、実際そうなってみたら良いものじゃないっていう教訓話なのはわかるが。多元宇宙って、自然法則まで変わるものなの? 半音階がないってどういうこと? ってのが気になってしまって。
音楽と自然科学は近いから、その両方ともが発展してないのは納得できたんだけど。半音階……存在するけど認識できないって感じなのかしら。
あと、3作目でもそうだったので、もうこの作者とはジェンダー観が合わないんだと諦めました。

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