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- 2017/02/09 『貴族探偵』
- 2017/02/07 『パパの電話を待ちながら』
- 2017/02/01 『雰囲気探偵 鬼鶫航』
- 2017/01/30 『兄と弟、あるいは書物と燃える石』
- 2017/01/19 『おにぎりスタッバー』
『貴族探偵』
ドラマ化するとかしないとかで話題になっていて、タイムリーさにちょっとびっくりしました。
この間『雰囲気探偵』を読んで、推理をしない探偵って何と思ったので、同じく推理をしない探偵ものであるこちらを手に取ったわけなのですが。
人の気持ちに寄り添って事件を解決する鬼鶫と、キャラクターが感情を持ってなさそうな麻耶作品とでは比較というのもジャンルが違いすぎて難しいなっていうのが正直な感想です。
あとやっぱり、推理をしない探偵ってなんやねんって思う。
鬼鶫は推理はしなくても事態の解決をしていたけれども、『貴族探偵』はストイックなミステリなので推理と解決のフェーズがそんなに分かれていない。というか、推理をして犯人やトリックの謎解きをしたらもう短編が終わってしまう。貴族探偵が女の子を誘うのは解決じゃないよね、さすがに。
そんなわけで、雰囲気探偵よりもなおさら「探偵とは?」という気持ちでいっぱいです。
そもそも、雰囲気探偵でひっかかっていたのは探偵とは何かというよりは鬼鶫が何を考えているかよくわからない気持ち悪さの方が比重としては大きかったような気がしている。
さて。『貴族探偵』の話に戻します。
貴族探偵がなぜ推理をしないのに探偵かというと、以下のような理屈付けがされています。
貴族探偵は貴族なので労働はしない。代わりに執事やメイドたち使用人が捜査と推理を行う。貴族探偵にとっては使用人は自分の所有する持ち物なので、彼らのはたらきはイコール貴族探偵自身の功績となる。
理屈は分かるけど、あんまり納得はできない……。
なんで納得できないかというと、今まで読んだり見たりしてきた物語のイメージの積み重ねから、こういう場合のミステリだと執事なりメイドなりが探偵役としてフィーチャーされるものだと認識しているからなのだろうと思います。
確かに上流階級的には(といってもこれもイメージなのだけれども)使用人の手柄は主人のもの、なのかもしれないけど。
つまり、この作品においては、”推理が行われる場”を提供する存在が探偵ということなのだろうか。貴族探偵が命じなければ使用人たちもいわゆる探偵活動を行わないので、それゆえに貴族探偵は探偵たりえる、と。
使用人は所有物だから~という説明よりもこうやって理解すると私は納得できるんだけれども、この認識で正しいのかは分からないです。
あと、自分では推理をしない探偵が趣味で探偵をやる動機がよく分からないんだけれども(こういう風に事件に思い入れのないタイプの探偵は過程を楽しんでいるイメージなので)、麻耶作品の登場人物に動機を求めても仕方ないのだろうという気がするのでとりあえず考えないことにする。
ええと、実は未だに麻耶作品の楽しみ方がいまいちわかっていないのです。
今回で読んだのは10作品目になるわけなのですが。
本格推理小説に対するこだわりだとか、凝ったことやっているということはどうにかわかるようになってきたのだけれども、だからといっておもしろいわけじゃないよね、物語には重きを置いていないし文章も読みにくいし、と思ってしまう。(ごめんなさい……)
これは貶しているとかではなくて、読書というか推理小説に求めていることが私とは合わないというだけなので、むしろ私だって楽しめるようになりたいんです!
こういうところをこうやって受容すると楽しいっていうのをぜひ教えていただきたい。切実に。
「謎解きLIVE」のやつは好きだし、あと今のところ一番おもしろかったのは『螢』なので、犯人当てを解くつもりで臨むのが楽しめるのかなとなんとなく思ってはいる。
でもこの『貴族探偵』はわりと読みやすいというか、引っかかるところはあまりなくてページをめくり続けられた気がします。
読了済み麻耶作品の中ではかなり楽しめた方。探偵とは?っていう疑念はつきまとってはいたけれども、個々の事件はおもしろかったです。
……と書いていて気がついたが、本当にミステリをあまりよく知らない頃に『翼ある闇』『夏冬』『かく語りき』あたりを続けて読んだから苦手意識がしみついてしまっているのでは。
もしかしてその辺も今読んだら少しは楽しめるのかも……?
以降はネタバレを含みます。
この間『雰囲気探偵』を読んで、推理をしない探偵って何と思ったので、同じく推理をしない探偵ものであるこちらを手に取ったわけなのですが。
人の気持ちに寄り添って事件を解決する鬼鶫と、キャラクターが感情を持ってなさそうな麻耶作品とでは比較というのもジャンルが違いすぎて難しいなっていうのが正直な感想です。
あとやっぱり、推理をしない探偵ってなんやねんって思う。
鬼鶫は推理はしなくても事態の解決をしていたけれども、『貴族探偵』はストイックなミステリなので推理と解決のフェーズがそんなに分かれていない。というか、推理をして犯人やトリックの謎解きをしたらもう短編が終わってしまう。貴族探偵が女の子を誘うのは解決じゃないよね、さすがに。
そんなわけで、雰囲気探偵よりもなおさら「探偵とは?」という気持ちでいっぱいです。
そもそも、雰囲気探偵でひっかかっていたのは探偵とは何かというよりは鬼鶫が何を考えているかよくわからない気持ち悪さの方が比重としては大きかったような気がしている。
さて。『貴族探偵』の話に戻します。
貴族探偵がなぜ推理をしないのに探偵かというと、以下のような理屈付けがされています。
貴族探偵は貴族なので労働はしない。代わりに執事やメイドたち使用人が捜査と推理を行う。貴族探偵にとっては使用人は自分の所有する持ち物なので、彼らのはたらきはイコール貴族探偵自身の功績となる。
理屈は分かるけど、あんまり納得はできない……。
なんで納得できないかというと、今まで読んだり見たりしてきた物語のイメージの積み重ねから、こういう場合のミステリだと執事なりメイドなりが探偵役としてフィーチャーされるものだと認識しているからなのだろうと思います。
確かに上流階級的には(といってもこれもイメージなのだけれども)使用人の手柄は主人のもの、なのかもしれないけど。
つまり、この作品においては、”推理が行われる場”を提供する存在が探偵ということなのだろうか。貴族探偵が命じなければ使用人たちもいわゆる探偵活動を行わないので、それゆえに貴族探偵は探偵たりえる、と。
使用人は所有物だから~という説明よりもこうやって理解すると私は納得できるんだけれども、この認識で正しいのかは分からないです。
あと、自分では推理をしない探偵が趣味で探偵をやる動機がよく分からないんだけれども(こういう風に事件に思い入れのないタイプの探偵は過程を楽しんでいるイメージなので)、麻耶作品の登場人物に動機を求めても仕方ないのだろうという気がするのでとりあえず考えないことにする。
ええと、実は未だに麻耶作品の楽しみ方がいまいちわかっていないのです。
今回で読んだのは10作品目になるわけなのですが。
本格推理小説に対するこだわりだとか、凝ったことやっているということはどうにかわかるようになってきたのだけれども、だからといっておもしろいわけじゃないよね、物語には重きを置いていないし文章も読みにくいし、と思ってしまう。(ごめんなさい……)
これは貶しているとかではなくて、読書というか推理小説に求めていることが私とは合わないというだけなので、むしろ私だって楽しめるようになりたいんです!
こういうところをこうやって受容すると楽しいっていうのをぜひ教えていただきたい。切実に。
「謎解きLIVE」のやつは好きだし、あと今のところ一番おもしろかったのは『螢』なので、犯人当てを解くつもりで臨むのが楽しめるのかなとなんとなく思ってはいる。
でもこの『貴族探偵』はわりと読みやすいというか、引っかかるところはあまりなくてページをめくり続けられた気がします。
読了済み麻耶作品の中ではかなり楽しめた方。探偵とは?っていう疑念はつきまとってはいたけれども、個々の事件はおもしろかったです。
……と書いていて気がついたが、本当にミステリをあまりよく知らない頃に『翼ある闇』『夏冬』『かく語りき』あたりを続けて読んだから苦手意識がしみついてしまっているのでは。
もしかしてその辺も今読んだら少しは楽しめるのかも……?
以降はネタバレを含みます。
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「ウィーンの森の物語」
古典的な針と糸の密室に少しテンションが上がりました。結局、犯人の偽装工作だったけど。
この手の針と糸のトリックは本当にうまいこと実現できるのだろうかというのが微妙に気になります。
犯人がどちらかというと感情的なキャラなのにロジカルシンキングできてすごいなぁ。
正直、冒頭からかなり読むのがきついなあ(文章に癖があるので)という印象でした。あと視点人物のおっさんがきもい。
「トリッチ・トラッチ・ポルカ」
私、このトリック好きです。頭と腕を切り取って美容院のケープをかぶせて生きているように見せかけるやつ。
警察の捜査シーンも、おもしろく読めた。見え隠れする貴族探偵の後姿にもわくわくしつつ。
この短編が5編の中では一番好きだったかもしれない。
警察の人が貴族探偵を疑って上長からの電話に出るところの台詞が、一話目とほぼ同じでちょっとおもしろかった。テンプレのパターンなのかしらと思ったら、三話目からはそのシーンなかったのでちょっとがっかり。
「こうもり」
固有名詞の並びが知人を思い出して気になって集中できない……と思っていたら、思わぬパンチを食らわせられた、という感じでした。
複雑なことをやっていて、破綻がなく成立させていて(少なくとも一読した限りではかなりスマートに感じました)、すごい。と思う反面、そのすごいと感じる気持ちとおもしろいという感情の間には距離があるよなあということも思いしった。これは私の内面の話なのでどうしようもないんだけれども。
地の文に出てくる貴生川を、絵美の彼氏と思うし、何なら貴族探偵かなとも思うじゃん。でも結びつけているのは状況以外では「常盤洋服店の高級ジャケット」くらいなことに気づいてびっくりしました。私ってこんなに簡単に騙されてしまうのか、みたいな。オレオレ詐欺とかでも、自分から語る言葉は少なくしてると相手が勝手に補完してくれるみたいなこと聞いたことあるけど、なるほどなぁ。
「加速度円舞曲」
あちらを偽装するとこちらも模様替えしなければ、という犯人の行動がピタゴラスイッチっぽい事件。ピタゴラの結果、貴族探偵が解決に乗り出したというのがおもしろい。
貴族探偵が天誅云々言っていたときは、鈴木君を思い出してなんとなくぞわっとしました。その後5話目を読んで、ある意味間違いじゃなかったのかもという気分になった。
「春の声」
事件の構造が複雑だったので、推理部分がちょっと理解するのが難しかったです。主に、誰が誰だか把握しきれていなくって。
三匹の子豚というかウロボロスで、このまま真相が宙に浮くんじゃないかとはらはらしました。『かく語りき』でそういう結末のがあったじゃないですか。
三人の被害者であり犯人の思考レベルが全員同じってのもどうなんだ……と思わなくもない。それぞれの人が、誰を殺して誰に罪を擦り付けようとしたのかという選択が違っていたらこういう事件にはならなかったのだけれども、そこのところの必然性がほしかった。もう少し、誰が誰に対して特に敵視しているという情報があったらよかったのかも。
おじいちゃんの動機がわりと好みです。蟲毒ですね。
視点人物としては5話目の人が一番好感がもてます。
『パパの電話を待ちながら』
「イタリアの宮沢賢治」ジャンニ・ロダーリのショートショート集。
セールスマンが幼い娘に毎晩電話で語ったお話、という体の物語が56話載っている。電話代がかかるので(という設定なので)それぞれの話はごく短くて、文庫本で2~4ページぐらい。
シュールな話や教訓の強い寓話的な話もあるけど、特にオチがないようなものも多い。
「イタリアの宮沢賢治」という触れ込みではあるんだけれども、宮沢賢治よりもっとしっくりくる作家がいそうな気がする。
宮沢賢治みたいな宗教っぽさはなくて、明るい。明るいのはイタリア人だからかもしれないけど。
どちらかといえば素朴な、平和への祈りや未来の希望や、努力や多様性や平等や自由を尊ぶ想いは根底にある感じだけど、むしろ口承文芸っぽいような気がしました。
そもそも、訳者あとがきによれば「本好きも、そうでない人も、一度は読んだことがある作家」「小学校で読み書きを覚えて、初めて自分で一冊読破する本」らしいんだけど、日本の宮沢賢治ってそういう立ち位置なのか私は疑問です。
中川李枝子とかかこさとしとか佐藤さとるとかあまんきみこあたりがそういうのにあたるんじゃないかなー。でも児童文学で世間的に有名なのって宮沢賢治になっちゃうんだろうなー。
56個の話はそれぞれ独立しているんだけれども、ときどきシリーズキャラクター的な存在がいて楽しい。それから、お菓子、宇宙、魔法、猫とネズミ、のモチーフなんかも繰り返し登場している。いかにも子供の興味をひきそうな感じ。
全部は書いてられないので、特に印象に残った話についてだけ、感想を書きます。
私は「アイスクリームの宮殿」が一番好きです。お菓子の家みたいにアイスクリームでできた宮殿の話。食べ放題!アイスクリーム・パラダイス!
こういう話はほかにもチョコレートの道とかコンフェッティの雨とかあったけど、「アイスクリームの宮殿」が一番描写がしっかりしていて、屋根は生クリームで~窓はいちごのアイスクリームで~と細かく書いてあるのでわくわくする。
「壊さなければならない建物」も、同じノリで好きです。こっちは壊されるために建てられた建物ですが、どこを誰がどうやって壊したかみたいな細部が楽しい。じゃあ私はこの辺を壊したい、みたいな。
「チェゼナティコの回転木馬」も好き。
魔法の回転木馬に乗れば、どこまでも飛んでいける。
「夢見るステッキ」も同じ主題ですね。
気づいたけれども、私は、想像力にはたらきかけてくれるような、わくわくする話が素直に好きなんだろうな。
逆に、教訓的な要素が強い話、道徳の副読本に載っていそうな話はあまり好きではない。
それでも、「鐘の戦争」は鐘が響き渡る戦場を想像すると美しいし(そこは近代以前の祝祭的な戦場になる)、「どこにもつながってない道」はグリム童話にありそうだし、「進め!若エビ」「クリスタルのジャコモ」辺りは、第二次大戦や冷戦の時代を生きた人が未来の世代に託したい切実さみたいなものを感じる。
あと、「泣く、ということば」。〈泣く〉ということばが使われなくなって、博物館に陳列されるようになった〈明日〉という幸せな国の話。作者自身がそういう未来を願っていたんだろうかと思うと、ぐっとくるものがあるような気がします。
「地球と人のものがたり」までくると、物語ではなくメッセージになってしまうので好きじゃないです。
「泣く、ということば」はこの設定でもう少し長いSFが書けそう。
宇宙や未来を描いた話は他のものも、アレンジしたら良いSFになりそうなものが多くて、おおむねおもしろかったです。これ自体が良いSFかどうかは短すぎてなんともいえない。
「宇宙の料理」「学習キャンディ」「宇宙ヒヨコ」あたりが特に好き。
「アーダおばさん」と「太陽と雲」が並んで載っているのが、どういうことなんだろう。
与え続けても見返りがなく、そればかりか不満げに催促される話と、太陽が惜しみなく光をばらまいても尽きることはなかったという話。
他者に何かを与えるということ、その結果について対照的な話が二つ並んでいて、どっちが本当に言いたいことなんだろうと悩みました。
太陽の光だから尽きない、というのは関係ないと思うんですよね。
どちらの考えも並立しうるというメッセージなのだろうか。
数字の話(「9を下ろして」「2点増しで合格」)はシュールすぎてちょっと何が起こっているのか分からなかった。
いろんなところにすぐ落っこちちゃう女の子アリーチェ・コロリーナとか、大食漢だらけの国マンジョーニア国の歴史なんかは、シュールといえばシュールだけれども、まだ児童書にはよくあるレベルのシュールさだし、言葉遊びもあって、読んでいておもしろかった。
それから、ミダス王の話がまぎれていたのは謎でした。
触ったものがすべて金になるあの話。現代(20世紀)ナイズされているし、固有名詞もイタリアっぽくなっているけれども、基本的にはあのミダス王でした。ロバ耳かは特に書いてなかったけど。
神話のミダス王の物語をもとに、20世紀イタリア風におもしろおかしく子供向けに書いた感じなのかしら。
どうってことない小男は、マザーグースにありそうだし(曲がった男?)、元ネタがあるものもあるのかな。
セールスマンが幼い娘に毎晩電話で語ったお話、という体の物語が56話載っている。電話代がかかるので(という設定なので)それぞれの話はごく短くて、文庫本で2~4ページぐらい。
シュールな話や教訓の強い寓話的な話もあるけど、特にオチがないようなものも多い。
「イタリアの宮沢賢治」という触れ込みではあるんだけれども、宮沢賢治よりもっとしっくりくる作家がいそうな気がする。
宮沢賢治みたいな宗教っぽさはなくて、明るい。明るいのはイタリア人だからかもしれないけど。
どちらかといえば素朴な、平和への祈りや未来の希望や、努力や多様性や平等や自由を尊ぶ想いは根底にある感じだけど、むしろ口承文芸っぽいような気がしました。
そもそも、訳者あとがきによれば「本好きも、そうでない人も、一度は読んだことがある作家」「小学校で読み書きを覚えて、初めて自分で一冊読破する本」らしいんだけど、日本の宮沢賢治ってそういう立ち位置なのか私は疑問です。
中川李枝子とかかこさとしとか佐藤さとるとかあまんきみこあたりがそういうのにあたるんじゃないかなー。でも児童文学で世間的に有名なのって宮沢賢治になっちゃうんだろうなー。
56個の話はそれぞれ独立しているんだけれども、ときどきシリーズキャラクター的な存在がいて楽しい。それから、お菓子、宇宙、魔法、猫とネズミ、のモチーフなんかも繰り返し登場している。いかにも子供の興味をひきそうな感じ。
全部は書いてられないので、特に印象に残った話についてだけ、感想を書きます。
私は「アイスクリームの宮殿」が一番好きです。お菓子の家みたいにアイスクリームでできた宮殿の話。食べ放題!アイスクリーム・パラダイス!
こういう話はほかにもチョコレートの道とかコンフェッティの雨とかあったけど、「アイスクリームの宮殿」が一番描写がしっかりしていて、屋根は生クリームで~窓はいちごのアイスクリームで~と細かく書いてあるのでわくわくする。
「壊さなければならない建物」も、同じノリで好きです。こっちは壊されるために建てられた建物ですが、どこを誰がどうやって壊したかみたいな細部が楽しい。じゃあ私はこの辺を壊したい、みたいな。
「チェゼナティコの回転木馬」も好き。
魔法の回転木馬に乗れば、どこまでも飛んでいける。
「夢見るステッキ」も同じ主題ですね。
気づいたけれども、私は、想像力にはたらきかけてくれるような、わくわくする話が素直に好きなんだろうな。
逆に、教訓的な要素が強い話、道徳の副読本に載っていそうな話はあまり好きではない。
それでも、「鐘の戦争」は鐘が響き渡る戦場を想像すると美しいし(そこは近代以前の祝祭的な戦場になる)、「どこにもつながってない道」はグリム童話にありそうだし、「進め!若エビ」「クリスタルのジャコモ」辺りは、第二次大戦や冷戦の時代を生きた人が未来の世代に託したい切実さみたいなものを感じる。
あと、「泣く、ということば」。〈泣く〉ということばが使われなくなって、博物館に陳列されるようになった〈明日〉という幸せな国の話。作者自身がそういう未来を願っていたんだろうかと思うと、ぐっとくるものがあるような気がします。
「地球と人のものがたり」までくると、物語ではなくメッセージになってしまうので好きじゃないです。
「泣く、ということば」はこの設定でもう少し長いSFが書けそう。
宇宙や未来を描いた話は他のものも、アレンジしたら良いSFになりそうなものが多くて、おおむねおもしろかったです。これ自体が良いSFかどうかは短すぎてなんともいえない。
「宇宙の料理」「学習キャンディ」「宇宙ヒヨコ」あたりが特に好き。
「アーダおばさん」と「太陽と雲」が並んで載っているのが、どういうことなんだろう。
与え続けても見返りがなく、そればかりか不満げに催促される話と、太陽が惜しみなく光をばらまいても尽きることはなかったという話。
他者に何かを与えるということ、その結果について対照的な話が二つ並んでいて、どっちが本当に言いたいことなんだろうと悩みました。
太陽の光だから尽きない、というのは関係ないと思うんですよね。
どちらの考えも並立しうるというメッセージなのだろうか。
数字の話(「9を下ろして」「2点増しで合格」)はシュールすぎてちょっと何が起こっているのか分からなかった。
いろんなところにすぐ落っこちちゃう女の子アリーチェ・コロリーナとか、大食漢だらけの国マンジョーニア国の歴史なんかは、シュールといえばシュールだけれども、まだ児童書にはよくあるレベルのシュールさだし、言葉遊びもあって、読んでいておもしろかった。
それから、ミダス王の話がまぎれていたのは謎でした。
触ったものがすべて金になるあの話。現代(20世紀)ナイズされているし、固有名詞もイタリアっぽくなっているけれども、基本的にはあのミダス王でした。ロバ耳かは特に書いてなかったけど。
神話のミダス王の物語をもとに、20世紀イタリア風におもしろおかしく子供向けに書いた感じなのかしら。
どうってことない小男は、マザーグースにありそうだし(曲がった男?)、元ネタがあるものもあるのかな。
『雰囲気探偵 鬼鶫航』
実は積んでたのを、ついに読みました……。
漫画原作を除くと、これであとは『迷子と迷子のアクセサリー店』だけ未読です。持ってはいるので、今年中に積み高里作品をなくしたい。
薬屋探偵シリーズの、『童話を失くした明時に』にも出てきた鬼鶫と佐々の話。
鬼鶫は雰囲気は完璧な名探偵だが、推理を全くしない。鬼鶫探偵社の経理であり、鬼鶫の友達でもある佐々は、そんな鬼鶫にやきもきしたり翻弄されたりしている。
とりあえず、自分の探偵が格好良く活躍してほしいと思う助手(経理だけど)っていいですよねー。それだけでもこの物語を読む価値があったと思います。
でもキャラでいうとライバル探偵の日置くんが好きです。來田川さんや涼芽さんに通ずる、自分の立場や能力への自負とまっすぐな正義感と、そこはかとなくただよう小物感……と言うとひどいけど。秋さんは好敵手扱いなのに対して、日置くんは鬼鶫からライバル認定されてないあたりとてもかわいそうかわいい。……薬屋さんの方が鬼鶫をライバル認定しているかというと、たぶんしてないと思うんですけど。
推理をしない探偵、というのはまあときどきあるパターンだと思いますが、推理をしないと一口に言ってもいろいろありますよね。
鬼鶫は謎解きというかたちでの推理はしないけど、人の心の機微に敏いので、依頼人の、あるいは加害者の心に寄り添うように問題を解決する。
その人柄と推理力のなさから、警察も協力的。鬼鶫と佐々をクッションにしたり、依頼人から聞き出した情報を使って捜査したりている。
そういう話なので、事件はあるけれども事件自体の謎解き(WHOとHOWの部分)は主に警察や日置くんがしている。でもそれで事件が解決するわけじゃなくて、加害者の動機だとか依頼人の心情のケアをするのが鬼鶫。
人の心に寄り添う探偵だから、その言葉は読者である私たちにも響くものがあります。高里さんの作品だと、わりといつもそうだけれども。そういうところが好き。
とはいえ、なんとなくもやっとしたものがある。
私は夢水清志郎とコナンに影響されてきているから、名探偵は「みんなを幸せにする」ものだと思っているんだけれど、
鬼鶫はそういう意味でも「名探偵」なんだけれども、
謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?
という疑問が私の中にくすぶっている。
鬼鶫、推理力はあると思うんですよ。理詰めの論理的思考は苦手らしいので、観察力なのかもしれないけれども。人の心の機微に敏いだけではそれは分からないだろうって思うところは何か所かあるから。
分かっているけれども依頼人の願いに適わないから推理を開陳しないのか、謎解きできないのか――。書き方的に、後者なのかなと思うけれど、やっぱり能力はありそうなのでどうもしっくりこない。
高里作品でいうと、つるちゃんさんも推理ができない探偵だけれども、あの人は調査能力・情報収集能力は高いけどそれをつなぎ合わせる力がない人だったと思うんですよね。
鬼鶫はそういうのでもない感じなので。
そういうことをぐるぐる考えていると鬼鶫がサイコパスみたいに見えてきてしまいました。
何を考えているかが分からないから怖い。
探偵役の内面を書かないのは、この小説で鬼鶫が「名探偵」だからなのだろうとは思うんですけどね。もしかして続編があればまた内面が察せられて好きになれるのかもしれない。
鬼鶫がすべてを分かったうえで佐々の目も眩ませて、こういう立場に自分を置いている、という壮大な叙述トリックを妄想した方がなんとなく、私にとってはおさまりがいい気がします。
「謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?」
という私の疑問については、鬼鶫の性質ゆえなのか、推理をしない探偵もの自体に違和感を覚えるのかが判然としていないので、このパターンのほかの作品もいろいろ読んでみようかと思います。
とりあえず『貴族探偵』かなー。
あ。
なんとなくの感覚だけれども、高里さんは本格ミステリのかたちを考えに考えて雰囲気探偵を作りあげたんじゃないんだろうなという気がするので、そういうところでやっぱりほかの推理しない探偵ものとの差異があるのかもしれない。
ガチガチに「本格ミステリとは」「探偵とは」と考えた結果の作品とは書き方が違うだろうし。
とはいえ私は高里さんの人となりとかを全然知らないので、本格ミステリとはって考えてこうなった可能性がないとは言い切れないけど。
高里さんってどういう本読んでらっしゃるんだろう。あんまり作品から見えてこない気がします。
漫画原作を除くと、これであとは『迷子と迷子のアクセサリー店』だけ未読です。持ってはいるので、今年中に積み高里作品をなくしたい。
薬屋探偵シリーズの、『童話を失くした明時に』にも出てきた鬼鶫と佐々の話。
鬼鶫は雰囲気は完璧な名探偵だが、推理を全くしない。鬼鶫探偵社の経理であり、鬼鶫の友達でもある佐々は、そんな鬼鶫にやきもきしたり翻弄されたりしている。
とりあえず、自分の探偵が格好良く活躍してほしいと思う助手(経理だけど)っていいですよねー。それだけでもこの物語を読む価値があったと思います。
でもキャラでいうとライバル探偵の日置くんが好きです。來田川さんや涼芽さんに通ずる、自分の立場や能力への自負とまっすぐな正義感と、そこはかとなくただよう小物感……と言うとひどいけど。秋さんは好敵手扱いなのに対して、日置くんは鬼鶫からライバル認定されてないあたりとてもかわいそうかわいい。……薬屋さんの方が鬼鶫をライバル認定しているかというと、たぶんしてないと思うんですけど。
推理をしない探偵、というのはまあときどきあるパターンだと思いますが、推理をしないと一口に言ってもいろいろありますよね。
鬼鶫は謎解きというかたちでの推理はしないけど、人の心の機微に敏いので、依頼人の、あるいは加害者の心に寄り添うように問題を解決する。
その人柄と推理力のなさから、警察も協力的。鬼鶫と佐々をクッションにしたり、依頼人から聞き出した情報を使って捜査したりている。
そういう話なので、事件はあるけれども事件自体の謎解き(WHOとHOWの部分)は主に警察や日置くんがしている。でもそれで事件が解決するわけじゃなくて、加害者の動機だとか依頼人の心情のケアをするのが鬼鶫。
人の心に寄り添う探偵だから、その言葉は読者である私たちにも響くものがあります。高里さんの作品だと、わりといつもそうだけれども。そういうところが好き。
とはいえ、なんとなくもやっとしたものがある。
私は夢水清志郎とコナンに影響されてきているから、名探偵は「みんなを幸せにする」ものだと思っているんだけれど、
鬼鶫はそういう意味でも「名探偵」なんだけれども、
謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?
という疑問が私の中にくすぶっている。
鬼鶫、推理力はあると思うんですよ。理詰めの論理的思考は苦手らしいので、観察力なのかもしれないけれども。人の心の機微に敏いだけではそれは分からないだろうって思うところは何か所かあるから。
分かっているけれども依頼人の願いに適わないから推理を開陳しないのか、謎解きできないのか――。書き方的に、後者なのかなと思うけれど、やっぱり能力はありそうなのでどうもしっくりこない。
高里作品でいうと、つるちゃんさんも推理ができない探偵だけれども、あの人は調査能力・情報収集能力は高いけどそれをつなぎ合わせる力がない人だったと思うんですよね。
鬼鶫はそういうのでもない感じなので。
そういうことをぐるぐる考えていると鬼鶫がサイコパスみたいに見えてきてしまいました。
何を考えているかが分からないから怖い。
探偵役の内面を書かないのは、この小説で鬼鶫が「名探偵」だからなのだろうとは思うんですけどね。もしかして続編があればまた内面が察せられて好きになれるのかもしれない。
鬼鶫がすべてを分かったうえで佐々の目も眩ませて、こういう立場に自分を置いている、という壮大な叙述トリックを妄想した方がなんとなく、私にとってはおさまりがいい気がします。
「謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?」
という私の疑問については、鬼鶫の性質ゆえなのか、推理をしない探偵もの自体に違和感を覚えるのかが判然としていないので、このパターンのほかの作品もいろいろ読んでみようかと思います。
とりあえず『貴族探偵』かなー。
あ。
なんとなくの感覚だけれども、高里さんは本格ミステリのかたちを考えに考えて雰囲気探偵を作りあげたんじゃないんだろうなという気がするので、そういうところでやっぱりほかの推理しない探偵ものとの差異があるのかもしれない。
ガチガチに「本格ミステリとは」「探偵とは」と考えた結果の作品とは書き方が違うだろうし。
とはいえ私は高里さんの人となりとかを全然知らないので、本格ミステリとはって考えてこうなった可能性がないとは言い切れないけど。
高里さんってどういう本読んでらっしゃるんだろう。あんまり作品から見えてこない気がします。
『兄と弟、あるいは書物と燃える石』
思っていたよりも、ミステリだった。
兄と弟、彼らをモデルにした人気の小説『火の紙』、そして連続不審火事件にまつわる話。
長野まゆみの作品にはよくあることだけれども、真実と虚構と幻想と妄想が入り混じって、何が本当にあったことなのかわからない感じ。
特にこの話は、現実と虚構さえも何重にもなっていて複雑。
作中にも引用されるマグリッドの『白紙委任状』(馬に乗った女性が森を通る絵)と、「目に見えるものは、いつもほかのなにかを隠している」の言葉のとおり、書いてあるものだけを追っていくと真相にはたどりつけない。
こういうのも好きだけれども、もうちょっとぱきっとわかりやすい、少年愛の香りが濃厚な物語もまた読みたいです。『よろづ春夏冬中』のあとがきにもあるように、書いているものはずっと同じなのかもしれないけれども。
それこそ『よろづ春夏冬中』とか『白いひつじ』くらい単純に萌えたい。曖昧なところはそのままでも。
以降に重大なネタバレがあります。
ネタがばれていてもきっとそんなには重要じゃなくて、文章に遊ぶだけで楽しい作品ではありますが、隔離しておきます。
兄と弟、彼らをモデルにした人気の小説『火の紙』、そして連続不審火事件にまつわる話。
長野まゆみの作品にはよくあることだけれども、真実と虚構と幻想と妄想が入り混じって、何が本当にあったことなのかわからない感じ。
特にこの話は、現実と虚構さえも何重にもなっていて複雑。
作中にも引用されるマグリッドの『白紙委任状』(馬に乗った女性が森を通る絵)と、「目に見えるものは、いつもほかのなにかを隠している」の言葉のとおり、書いてあるものだけを追っていくと真相にはたどりつけない。
こういうのも好きだけれども、もうちょっとぱきっとわかりやすい、少年愛の香りが濃厚な物語もまた読みたいです。『よろづ春夏冬中』のあとがきにもあるように、書いているものはずっと同じなのかもしれないけれども。
それこそ『よろづ春夏冬中』とか『白いひつじ』くらい単純に萌えたい。曖昧なところはそのままでも。
以降に重大なネタバレがあります。
ネタがばれていてもきっとそんなには重要じゃなくて、文章に遊ぶだけで楽しい作品ではありますが、隔離しておきます。
ただ、思っていたよりもミステリだったと思ったのは、何が現実で何が虚構だったかが一応説明され、見えていたものが全く違うものに変わるところがあったから。
そしてそれが再びひっくり返ることも。
念のための、答え合わせ。
語り手の「私」はカウンセラー。
翻訳家のサラは事故にあい、自分を清三五の『火の紙』に出てくる祐介の妻のサラと思い込む。
本編は、サラの妄想に基づいたもの。「彼女の症状にともなう周囲の混乱ぶりをそのまま描写した」手記。
連続不審火は複数の『火の紙』のマニアによる連鎖的な事件だった。
「現実の」祐介は清の編集者だがサラの夫ではなく、ひとりっ子で独身。ただし、もう一人の人格の計一は存在する……? サイレンが引き金?
ということでいいんですか?
26章から30章が、どのメタレベルにあるのかが謎。
計一とユリア、清三五とルビアンが食事をするシーンですが。
ルビアンが語った猫とライオンと妖精の話を、後でユリアが本当のものとして語っているから、彼女がその話を聞いたのは実際にあったことでいいのかな。
え、サラって2か月も前からその状態だったの?
わからないのはメタレベルよりも時系列かもしれない。
でも悩めば悩むほど、本質が見えないのではないかという予感もすごくある。
「白紙委任状」的に、見えているものと見えていないけれども近くできるものを想像して受け入れて、「やりたいようにやらせる」のが正解な気がします。
途中に挿入される話で目くらましされている感がすごい。
物語の構成としては、匂いのセンサーとか、猫とライオンと妖精の話とか、〈紅いばらの館〉とかは特に意味をなしていないと思うんですよね。
〈紅いばらの館〉は「燃える書物」というモチーフの連続的な重なりなので、まだわかるけれども。それとも何か文学的に意味があるのかな。
石綿は鉱物でガジェット的にらしくて良かったです。
あと、作中では書かないという思わせぶりな文章も多いよね。読んでいくと後でわかるものもあるけれども、本筋とは本当に関係なくて特に触れられないままのもある。不思議とあとまで引っかかることもないけど、読み返すと気になる。
祐介が清にそっけない理由とか、痴情のもつれとしか思えないよー。
「海神の娘」はなんでそういうタイトルにするんだろう。
豊玉姫?入れ替わった兄弟と結婚するってこと?
そういえば、長野さんがクリスティを好きというのはたしか何かでパスティーシュ書いてたし知っていたんだけれど、ブラッドベリの名前も出てくるのは意外でした。
『おにぎりスタッバー』
大学サークルの同期と先日あったときに、「売れないかもしれないけれども正しい本だ」と猛プッシュされて手に取ってみた本。
あのときああいう風にダイレクトマーケティングされなければきっと読んでいなかっただろうと思うので、彼女には感謝しています。
すごくおもしろかったです。
とりあえずあらすじを引用。
中萱梓。愛称アズ。見た目も成績も地味なのに「なんか援交だか売春だかをやっているらしい」という噂によって、クラス全員に避けられている。彼女があの時男を連れ込んで、俺が台所にいて、まあいわゆる修羅場になったせいで、魔法少女やらおにぎりやらが出てくる奇怪な事件が始まったんだが、そんなのは些細な話だ。俺が誰かも気にしなくていい。だけどどうか彼女の話を聞いてやってくれ。世界を巻き込む危険で切実な恋愛小説、登場。
あらすじは全然この物語のすべてではないのだけれども、じゃあどういう話かというのは、(ネタバレしないようにだとなおさら)うまく説明できない。数少ない読書経験から拾い上げるとハルヒ一人称の『涼宮ハルヒの憂鬱』みたいな?……全然違う気もするのだけれども。
地味で刹那的に生きていた女の子が、恋をして仲間を得ていく話……なのかな。
ただ、ストーリーというか、「起こったできごと」が重要な物語ではないのだと思う。
もちろん、ちょくちょくサプライズがはさまれるのは読んでいて楽しいし、あらすじの「俺」が誰かに思い至った瞬間はちょっと鳥肌が立ったけれども。
この小説の一番の魅力は文章かなと思います。
地の文がアズの一人称なのだけれども、一文がすごく長くて全然改行がなくて、目が滑るといったらまあそういう部分もあるのだけれども、リズム感と勢いがあって文章を読んでいて心地よい。
舞城みたいな……というより、軽さもあって「薔薇のマリア」のマリア視点の文も思い出したり。
キャラクターでいうと、サワメグが好きです。
若干、消去法的な選び方であることは否めないけれども。
だから、続編がサワメグとアズの出会いの物語で、たぶんサワメグ一人称なのかなと思うので、とても楽しみにしている。
彼女の決意を読みたいと思う。未来の可能性を売ってまで抜け出したいと思っていた場所も。ああ、そういうところがたぶん登場人物で一番、感情移入しうるから、好きなのかもしれない。
あのときああいう風にダイレクトマーケティングされなければきっと読んでいなかっただろうと思うので、彼女には感謝しています。
すごくおもしろかったです。
とりあえずあらすじを引用。
中萱梓。愛称アズ。見た目も成績も地味なのに「なんか援交だか売春だかをやっているらしい」という噂によって、クラス全員に避けられている。彼女があの時男を連れ込んで、俺が台所にいて、まあいわゆる修羅場になったせいで、魔法少女やらおにぎりやらが出てくる奇怪な事件が始まったんだが、そんなのは些細な話だ。俺が誰かも気にしなくていい。だけどどうか彼女の話を聞いてやってくれ。世界を巻き込む危険で切実な恋愛小説、登場。
あらすじは全然この物語のすべてではないのだけれども、じゃあどういう話かというのは、(ネタバレしないようにだとなおさら)うまく説明できない。数少ない読書経験から拾い上げるとハルヒ一人称の『涼宮ハルヒの憂鬱』みたいな?……全然違う気もするのだけれども。
地味で刹那的に生きていた女の子が、恋をして仲間を得ていく話……なのかな。
ただ、ストーリーというか、「起こったできごと」が重要な物語ではないのだと思う。
もちろん、ちょくちょくサプライズがはさまれるのは読んでいて楽しいし、あらすじの「俺」が誰かに思い至った瞬間はちょっと鳥肌が立ったけれども。
この小説の一番の魅力は文章かなと思います。
地の文がアズの一人称なのだけれども、一文がすごく長くて全然改行がなくて、目が滑るといったらまあそういう部分もあるのだけれども、リズム感と勢いがあって文章を読んでいて心地よい。
舞城みたいな……というより、軽さもあって「薔薇のマリア」のマリア視点の文も思い出したり。
キャラクターでいうと、サワメグが好きです。
若干、消去法的な選び方であることは否めないけれども。
だから、続編がサワメグとアズの出会いの物語で、たぶんサワメグ一人称なのかなと思うので、とても楽しみにしている。
彼女の決意を読みたいと思う。未来の可能性を売ってまで抜け出したいと思っていた場所も。ああ、そういうところがたぶん登場人物で一番、感情移入しうるから、好きなのかもしれない。
サワメグだけではなくて、松川さんや穂高センパイやネジも、あとアズのお母さんやお父さんも、主人公になりうるポテンシャルをもっている。けれども、「おにぎりスタッバー」はアズの物語だから、ほかの人たちはアズから見える範囲でしか語られない。
これから、もしかしたらそういったほかの人たちが主人公で続編が次々と書かれていくのかもしれないけれども(カクヨムは読んでいないのでよくわからないけど)。
なんかね、そういうところは好きだし、主人公以外のキャラクターもこの物語のために作られたのではなくて広がりがありそうなところは好感がもてるんだけど、もどかしくもある。
結局、魔法少女とかおにぎりとかエクスカリバーとか境界って何なのよ!
っていうところが、気になってしまうのです……。
この世界は何なのか、いや場所自体は現代日本なのだけれども、普通に魔法とか鬼とかがあるので、そういったところの設定を、物語中である程度説明がほしかったと言いますか。
「おにぎりスタッバー」という本はこれで完成されているので、たとえばアズにとって当たり前のことは説明されないということでいいんだけど。
読者としては、説明がほしい。けどそれをどうやって盛り込むとうまく収まるのかがわからないです。
続刊が出続けたらいずれエクスキューズがあるのでしょうか……。
まあ単純に、ほかの人視点だとどういう話になるのか、読んでみたいです。全然違うものになりそうで。
『ハルヒ』っぽいと思うのはきっとそういうところ。
あと個人の友情や愛情が世界を救うのとか、セカイ系って感じで。
カスタードクリームケーキ食べたい。
そういえばカスタードクリームケーキって確かにあんまり食べたことないわ。
あと、読み終わってから調べたら章題がわりとそのままだった。うまいこと騙されていた感がすごいです。
おにぎりってそういう!
これから、もしかしたらそういったほかの人たちが主人公で続編が次々と書かれていくのかもしれないけれども(カクヨムは読んでいないのでよくわからないけど)。
なんかね、そういうところは好きだし、主人公以外のキャラクターもこの物語のために作られたのではなくて広がりがありそうなところは好感がもてるんだけど、もどかしくもある。
結局、魔法少女とかおにぎりとかエクスカリバーとか境界って何なのよ!
っていうところが、気になってしまうのです……。
この世界は何なのか、いや場所自体は現代日本なのだけれども、普通に魔法とか鬼とかがあるので、そういったところの設定を、物語中である程度説明がほしかったと言いますか。
「おにぎりスタッバー」という本はこれで完成されているので、たとえばアズにとって当たり前のことは説明されないということでいいんだけど。
読者としては、説明がほしい。けどそれをどうやって盛り込むとうまく収まるのかがわからないです。
続刊が出続けたらいずれエクスキューズがあるのでしょうか……。
まあ単純に、ほかの人視点だとどういう話になるのか、読んでみたいです。全然違うものになりそうで。
『ハルヒ』っぽいと思うのはきっとそういうところ。
あと個人の友情や愛情が世界を救うのとか、セカイ系って感じで。
カスタードクリームケーキ食べたい。
そういえばカスタードクリームケーキって確かにあんまり食べたことないわ。
あと、読み終わってから調べたら章題がわりとそのままだった。うまいこと騙されていた感がすごいです。
おにぎりってそういう!