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2025/05/14 (Wed)

『書楼弔堂 炎昼』

めちゃくちゃおもしろかったです。『虚実妖怪百物語』の百倍くらい(個人の感想です)

このシリーズって、明治時代の著名人が弔堂を訪れて憑き物落し的な塩梅で本を薦められるという話なので、続編を書こうと思えばいくらでもできるのでしょうけれども、破暁の語り手だった高遠彬自身も「1冊」を薦められて物語から退場していたのでどうなるんだろうと思っていたら、完全に語り手が変わっていました。
今回の語り手は十代後半くらいの女性。そんなわけで、この時代の女性の在り方についても触れられているのですが、厳格な元薩摩藩士の祖父に禁止されているので小説を読んだことがなかった、という設定がおもしろいなと思いました。

破暁、炎昼と続いたからには夕方とか夜とかそれ系のタイトルで続巻がたぶんあるんだと思いますが、そしたらまた違う語り手で話が展開していくんだろうな。
で、高遠彬にしろ今回も最後に名前を明かされる天馬塔子にしろ、ほかの客とは違ってたぶん非実在なわけなのですが、彼らがその後どうなるのだろうということが気になります。
続巻なりほかのシリーズなりで何か拾われるのでしょうか。


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つづきはこちら

この本、弔堂の客が何者かってのが若干ミステリ仕立てな部分もある気がしたので一応ワンクッション。

今回の語り手は塔子なんだど、彼女を主人公って言っても差し支えないんだけど、巻を通じて出てくる客がもう一人いて。その人のほうを主人公と呼んでもいいんじゃないかっていう気持ちです。
私は教養がないので、なんでこの人こんなに毎回出てくるんだろうと思って読み進めてて、3話目でようやく膝を打ちました。そりゃ京極さんも贔屓するはずだわ。
で、正体がわかってから読むと福來友吉との会話がすごいおもしろいし、彼が円了先生について語るところとか、南方熊楠の論文を取り寄せていたとかも興味深いです。
でも、ここで登場している松岡と『虚実』の方で呼ぶ子石で呼び出した人は全然別の人なんだろうなあなどとも思います。時代が違うとか観測者の膜がとかそういうだけじゃなくて。それとも同じなのかもしれないけれども。

しかし、明治を生きた著名人、特に文化人はだいたい弔堂で背中を押されたんじゃないの、って思っちゃいますね、ここまでくると。
作中に登場して本を薦められている人だけじゃなくて、会話の中で出てくる人とかも結構いるよね。田中稲城がどんな本を求めたか気になります。
ほら今文豪とか流行ってるらしいですし、そういうノリで売れるんじゃないですか、と適当に言ってみたり。いや京極だしめっちゃおもしろいしそうじゃなくても読んでほしいですけど。
弔堂を訪れる客は有名人ばかりなので、実作を読んだことなくても、何をしたか知らなくても、名前は知っている。聞いたことがある。といいつつ2話目の人は微妙。けど、もっと理解するために伝記や作品を読みたいなと思います。とりあえず新体詩は青空文庫に入ってなかったよ……。ちくまの全集に何かしら入ってた気がするのでその辺かな。岩波の新体詩の巻には載ってたのかしら。

この感じだと次は折口さんとか来るんじゃないですかねー。名前出てたから熊楠もあるかも。

あと今回は最初の方は特に、客が一度に複数人(語り手の塔子、レギュラーの松岡ともう一人)いるので、その場で議論が行われるのがおもしろかったです。順番は逆なのはわかってるだけど、この人が/この人にこういうこと言うんだ、というのがにやにやします。
「この人が」というのがなくても普通に議論が興味深かったり、明治時代の流行の考え方などを知れておもしろいです。「わたくし」という膜の話とか興味深いんだけれども、でもべつに目新しい話なわけでもなく京極さんはデビュー作からそういうことをずっと書いてますね。

その人が後に何をするか知って調べた上でそれに導くような物語のつくりをしているのは頭ではわかっているのですが、読んでいるときは私も明治時代の書楼弔堂にいる気分になるので。むしろ弔堂主人だけ現代(平成)的感覚でちょっと変な感じもする。なんていうか、ほかの客たちは明治時代を生きる人の感覚で考え、話している(ように書かれている)のに、そこに(結果を知っている)現代人が混ざっていて、現代の考え方や知識から教え諭しているような気がほんの少し、してしまう。言い方悪いけど異世界転生っぽい感じ。
いや、弔堂は別に現代的な感覚ですらないんですけどね。現代的っていうか京極夏彦的っていうか。
客のその後を知っているからこそその場での会話がおもしろく感じるのだけれども、この作品を読んでいる間は、弔堂での経験があって→その後の活躍につながった、という順番を信じていたい、信じさせてほしい。

というわけでその後を知っている私は、弔堂主人が源三さんに情を大事にと言ったのが死なないでと言っているように読み取れ、切ない気持ちになりました。

それと、私は近代文学が自然主義由来の私小説なのが嫌で(特別な体験をしてないと特別な作品を書けないのか思うと絶望するから)(というのは後付けの理由で、単に幼稚な体制への反発を引きずっているだけかもしれないけれども)ほとんど読んでいないのだけれども、そもそも自然主義というものの受け取り方が違ったんだとか、こういう考えをもって田山花袋も私小説を書いたのかと思うと手を出そうかなとも思うよね。
とはいえ破暁読んだ後にもそういうこと思ったものの別に泉鏡花も巖谷小波も読んでないですからね……
あと特定の作家とか作品とかではないけど、明治時代につくられた「伝統的な道徳」にも興味があるのでその辺も追々勉強していきたい。


ちょっと前巻の方を読み直してないんだけれども、弔堂主人の名前って前回出てきてましたっけ? 龍典さんというだけ? 苗字が知りたい。
もしや山田では――?
って思いついてしまったんですけど、ただの思い付きなんで検証のしようがない。
あと時代が合うのかもよくわからないです。

勝海舟とも乃木希典とも顔馴染みで、かつては禅宗の僧侶だった龍典さんの過去がいったいどういうものだったか、とても気になるんだけれども、明かされるのはこのシリーズではないんじゃないかという気がしてならない。
このシリーズは語り手と探偵役(と便宜上呼ぶ)が何者か分からないというところが重要なのかなと思うので。

御一新前から生きていたならどこかで御行一味とすれ違っていても不思議はないと思うんですけど。その辺どうなんでしょうね。

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『うちの執事が言うことには 9』

今回でシリーズ完結らしいですが、第2部が続くようで、安心するような、嬉しいような、でもちょっとだけもやっとするような複雑な気持ちです。
今回の話も、すごくおもしろかったし、この子たちかわいいなーとにやにやしたりもしていたのだけれども、本音を言うとやっぱり薬屋探偵の方を出してほしいと思ってしまう。
いや、来年出るらしいことは分かってるし(狂喜乱舞した)、こっちを書いているからあっちが出ないという単純なことでもないのだろうとも想像はできますが。
作品の出来不出来とかそういう問題でもなくて、単に私の思い入れと年季の問題で、薬屋探偵の新作がやっぱり読みたいのです。


……という、微妙な気持ちから書き始めてしまったわけですが、別にこのシリーズが嫌いなわけじゃないんです。今回も普通におもしろかったですよ。

ただ、シリーズ完結というのがあんまり実感としてわからなかったです。
たとえばそれこそ『海紡ぐ~』とか『終焉の詩』とかって、すごく「この巻で完結」っぽさがあったじゃないですか。内容的に。
執事9巻が第1部最終巻というのは、言われなければわからなかっただろうな、と思います。
基本的にこのシリーズって、未熟な主従が個人としても主従関係としても成長していく話なので、巻を追うごとに成長してはいるわけですが、ここで完成というわけでもない。赤目さんや、沢鷹兄妹や、ほかのキャラクターたちとの関係が決定的に変わったわけでもない(ように思えた)ので、ほかの巻と同じく、通過点のひとつにしか今のところ感じられていないです。
でも第2シーズンになったら全然違う展開の話になるのかもしれないので、振り返ってみるとやはりと思うのかも。


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この9巻は、巻を通じたテーマとして「誰かのために死ねるか」「全てを差し出せるか」みたいな問いが繰り返し出てくる感じで、すごく主従ものっぽかったですが、その問いに対するそれぞれのキャラクターの回答がその人らしくて、そういうところがとても良いなと思いました。
たとえば薬屋探偵のキャラとかがそういう問いにどう答えるかなーと妄想しても楽しいですよね。

石漱くん視点の話があってすごく良かったです! こういう子とても好き!
過去エピソード読んでますます良いなって思いました。
大学生なのだから、北海道にも行けると思うよ、また縁が繋がればいいよね!
でも鳳さんはいったいどういう手を使ったんだろう……。年齢と地方と全国大会出場である程度絞り込めるのかもしれませんが。

沢鷹兄や赤目さんの視点の話は、読んでもあんまり彼らが何考えてるのかわからないなって感じです。「可愛らしい嫉妬ではない」のが何なのか本当に分からないよ……。なに、重い嫉妬なの……? 花穎に友達ができたこと、ではなくて、それを橘がチェックしていたことに対しておもしろくないんだろうなとは何となく思ったのですが、その感情を言語化するのは語彙力がない私には難しいので、罪悪感を含む嫉妬になってしまう。こういうやり取りの後だったから、墓荒らし事件のときに主従交換したんだろうか。
赤目さんと橘と花穎の超シリアスなどろどろのBLが読みたい。
沢鷹兄の、他人に無関心ゆえに人当たりがいい性質はなんとなく座木さんを思い出します。
早苗さんは普通に素直でいい人だ、ってちょっと吃驚した。この兄妹にも彼らの背景があって、考えるところがあって、それでいろいろしていたのか、って思うと愛おしくなる。高里さんはそういうのを書くのが上手な人だと思ってます。短編の青枝さんの話とかもそんな感じ。今までモブでしかなかった人にもその人の物語があって、スポットライトがあたって主演になれば、みんな好きになれる。

花穎と衣更月は、順当に成長してきているなぁという感じで、見ていて安心できるし、すごくかわいいですね。
絵を見たときの会話とかすごく好き。罵倒してるはずなのに客観的事実だけだったり結果的に褒めてるだけだったりするのもかわいい。
あと、1話の台詞を回収してくるのもうまいなぁ。最期の方、かわいいしか感想出てこなかったです。あ、あとおいしそう、も。
未熟だからっていうのは、作中でもちゃんと理由があったんだなと納得しました。

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『トランプソルジャーズ 名探偵三途川理vsアンフェア女王』

不思議の国を舞台に、三途川理がトランプ勝負で無双するお話。
前作の、ワスレロモノで存在がほのめかされていた三途川の姉が出てくるんだけど、いつものごとく別に話が繋がってるわけではない。時系列的にはむしろ三途川が幼い頃の話。
そんな姉・三途川数は三途川理に輪をかけて悪辣でワガママなのにどこかかわいらしいのは、森川さんの書く女の子特有の浮世離れ感があるからでしょうか。あと、イラストがかわいいよね。


権々会じゃん、って言ったらものすごく嫌がられそうですけど、イカサマがあるのが前提で読む話の脳内前例が他にないのでなんとなく頭に浮かんでしまいました。
ほら、暗闇作るのとかそれっぽいですし(?)
ルールはごく普通のトランプゲームなんだけど、舞台がアリス的な不思議の国なので、当たり前のようにトランプは動くし喋るんですよね。タイトルからしてトランプソルジャーズですから。
で、そういう状況を利用して互いに試行錯誤するあたりがおもしろかったです。
三途川姉弟や、不思議の国の生き物たちがそれぞれ性質が違っていて、だから用いるイカサマの傾向も違ってるのがうまいなぁ、と。
最終的にああやって勝つというのも、そういう構造として見ればおもしろいですよね。都合良すぎるとも思ってしまいますが。


舞台がアリスの不思議の国で、話の構造もアリスを踏まえているのは私の好みどんぴしゃでした。構造っていうか、冒頭とラストですね。
数が赤の女王の役なのは言わずもがなですが、他のキャラクターたちもアリスに出てくるひとたちばかりで、読んでて楽しい。主人公が寝坊してばかりの時計屋の兎なのとか。
でも一番笑ったのは、ハンプティダンプティですねー。元探偵で、今は引退してかぼちゃ育ててるってどこのベルギー人ですか。
森川さんの換骨奪胎の仕方はいつも好きです。そういえば思い出泥棒も何か元ネタあったのかしら。


かいけつゾロリみたいな感じで、あるいはもう少し高学年向けにパスワードシリーズでもいいけど、児童書で出したら受けるんじゃないかなとやっぱり思います。

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『虚実妖怪百物語』

すごいものを読んだ……ような気がします。
めっちゃおもしろかった。

ざっくりあらすじを紹介しますと、
妖怪が次々に現実に現われ、その結果政府と民衆は妖怪を駆逐し始める。社会から余裕がなくなり、人々は相互監視を深めて殺伐としていき、暴動と殺人が日常茶飯事になっていく。荒俣宏は呼ぶ子を出現させる石の研究をし、黒史郎はクトゥルーを頭に乗せて世界中の信者にあがめられるが、妖怪こそが諸悪の根源とされ、妖怪関係者たちも攻撃される。そこで荒俣宏が巨大ロボを動かして脱出し、富士山麓に疎開した妖怪関係者たちによる村が作られ、ついには百鬼夜行とともに、敵・加藤保憲と対決する。

さすが京極夏彦で、リーダビリティがとても高いですし、エンタメ度も高いので、3冊一気に読みました。「序」の冒頭は、ギャグのノリがなんとなく南極を思い出す感じでどうにも好みじゃなさそう……とか思ってたんですが、中盤からどんどん引き込まれていき、途中で読んでない時もこの物語のことを考え、読み終えた今は放心状態です。

ネタバレになるので、続きから。


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何がすごいって、主人公が”榎木津平太郎”であることの意味がちゃんとあるというか、そこを回収するのがすごいなって震えました。
榎木津平太郎の大伯父さんは神保町にビル持ってて私立探偵とかやってたあの榎木津礼二郎なんですけど、榎木津平太郎がそういう属性をもったキャラクターであることが最後に違った意味をもって現れてくる感じ、なんていうかああ京極夏彦もミステリ作家なんだよなと思った。
平太郎なのは稲生かなとぼんやり思ってたんだけれどもそれはよくわからないですが。
あと、大伯父って距離感も(つまり直系ではないことも)榎木津礼二郎というキャラクターの在り方を思うとリアルな感じがするのがいいよね。
いや、そういう設定レベルのリアリティでいうと、旧華族で財閥の子孫のはずなのにフリーターなあたりが、没落なのかだからこそ高等遊民できてるのかっていう納得感の微妙なラインなのとか。

閑話休題。
これってつまり虚構が現実を侵蝕する話なわけなのですけれども、そういう物語を実在する人物たちをキャラクター化して小説として書いていること自体が、フィクションとリアルの境目をどんどん曖昧にしてしまっていて、そういう構造がおもしろい。
けど、その意味をまだきちんと咀嚼できてないです。
あの、平山夢明が唐突に『残穢』の話するシーンが、非常に自己言及的ですよね。実在する人物をキャラクター化したものは、その人ではあるけれども、一部でしかない、その人そのものではない。

でもいまいち、なんで加藤保憲が現れたのか、どうして反剋の状態になったかが、あんまりよくわかっていない……。
オチも、霊界テレビって何ですか?って感じです。

いや、霊界テレビに関してだけではなくて。無意味に挿入されるさまざまなネタがまったく拾いきれてないわけなんですけど。いや、無意味じゃないのかもしれないですね。ああいうぶっこみ方はとてもオタク的なので親近感もてますが。
特撮も漫画もアニメも妖怪すら、全然ネタについていけないですよ。解説同人誌がほしいレベル。
主要登場人物だって、名前は知っててもまともに著書読んだことない人も多いですし。ああ、この間『江戸の妖怪革命』読んどいてよかったなって思いました。そういう問題でもないけれども。
そもそも『帝都物語』未読なので……。新版『妖怪大戦争』映画は見てます、神木隆之介とすねこすりがかわいかったやつですよね。だから加藤って何物ってのもいまいちよくわかってないです。読みたいです、ネタ元。
『怪』誌上で読んでたら、主要登場人物はだいたい何か書いてるでしょうから、キャラクターもわかってより楽しかったんだろうなー。
単行本でも、本編読み終えてページめくって奥付見たら著者も発行者も作中にいるっていうのもそれはそれで虚実曖昧になってく感じでいいですが。

私もオタクなので、知ってるネタが出てくるとそれはとても楽しくなっちゃうタイプなので、豆腐小僧の章はめっちゃ楽しかったです!!
そういえばあれも角川だったね。地の文まで双六道中っぽくなっていて。
で、わーい豆腐小僧だー達磨先生だーときゃっきゃしていたら、次々に漫画キャラだの、怪獣だの、貞子が出てきて、電車で読んでいたのに思わず噴き出しちゃう感じでした。
権利関係がものすごーく難しいだろうけど、映像で見たいですねー。
とらとか犬夜叉と殺生丸とか、鬼太郎とかが戦闘機と戦うところ。
富士山麓に突如現れた巨大なモニタから、巨大な貞子が出てくるところ。
怪獣は守備範囲外なので、見た目想像できない分見てみたい。
地上にニャンコ先生が云々って言ってたけど、斑なら飛べると思うんだよね。戦闘能力もあるし。……あっ、認知度か。そうか。

キャラクターというか、登場人物もね、知っている人が出てくると楽しいです。
ミステリ寄りの人には勝手に親しみを抱いているので。あー綾辻さんいい人やなー癒されるなーみたいな。


あとは、これも震災後小説なんだなーと思ったり。
震災後小説っていうのは私が勝手に作ったジャンル概念なんですが。今年わりとそういうの読んだ気がするんですよね。『象は忘れない』とか『メビウス・ファクトリー』とか。5年はちょうどいい区切りなんですかね。
連載開始がちょうど2011年3月なので、実際のところ違うかもしれませんが。作者の意図なんてわかりようがないんだから、私は私が受け取ったように語ります。(京極さんもそんなこと言ってる気がするし)
妖怪に対する世相がもろ放射能っぽかったなぁという。
でも、ヘイトスピーチというか殺伐としていく世相はそれだけでなく、震災後とか区切れることでもなく、今この現実社会で起こっていることと重なって見えてなんともつらい気分になります。
読むのをやめて、現実でニュースを見ても、違和感を感じない……と言ったらさすがに言い過ぎですが、今の延長線上にこういう未来が部分的にはありうるかもしれないと思ってしまうこと。
もちろんそういった主張の説教臭さみたいなのはまるでなくてエンタメなんですけど、でも楽しいだけで終わらせるには何か重いんですよ、少なくとも私にとっては。

水木先生がご存命であったなら、この結末は幾分か変わっていたのではないかと思う。
だから何というわけでもないけれども。
そういうのを含めて、これは「今」の小説なんだと、私は、思います。


あっあとそうだ、これは完全に邪推なんだけれども、山田書房の山田老人、あれって名前を奪われた中禅寺秋彦じゃないかと思うんだけれどもどうでしょう。
曾祖父が明治時代に云々てのがなんとなく意味なく情報過多な気がして、じゃあその多い情報がうまいこと処理されるためにはって考えただけなんですけど。
実際に実在する人物であったら普通に解決してしまう話ですが。実在するのでしょうか。実在したとしても、たとえばモデルである可能性は否定できない。山田老人が絵巻の中にいったとは特に書かれてないですし。
でも中野じゃないしなー。
全く関係ないかもしれないですね。何かご存知の方いたらご教示ください。

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『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと』

PART2が出たので、この機会にとPART1とまとめて読みました。
本当は先週に読み終わってはいたのだけれども、感想をまとめる余裕がなかったので今になっちゃいました。いろいろと忘れている気もするけど……。

最終巻の手前という感じで、かなり熱い展開でした。
ある意味では今までの伏線回収みたいな、解決編みたいな感じがあったけど、これまでの内容をうっすらとしか覚えていないのがなんとも悔しいですね。再読して一気に読んでいたら、もっと楽しめたのかもしれないと思うと。
10巻のときはそうしようかな。どうせ2年以上先ですし。

ええっと、とりあえず今回でメニーメニーシープでの植民地人VS救世群の闘いは終わったんだけど、本当にこれで終わりでいいの?って気分です。
だって何も解決してないよね……。
でも実際の戦争とかも、そうなのかもしれないなぁと。完全勝利とか全滅とかはほとんどなくて、個人個人の間では蟠りが残るけれども、政府やそれに準じるものが停戦を決めるんだろう。
で、いろいろありながらも人類が協力して、内と外にいる共通の敵に立ち向かうのが10巻なのだろうけど。
人類――というより、タイトルにある「ヒト」って誰を含むんだろうみたいなことは次で明確にあるのでしょうか。
MMS人はヒトだし、救世群もヒトだと思う。じゃあ、《恋人たち》はヒトと言っていいのか。機械が支配しているらしき太陽系文明は?カルミアンは?ダダーは?あるいは、ほかの宇宙諸侯や、ミスチフは……。
断章六で「まだの機人」と言っているからには、ダダー――少なくとも、セレスのノルルスカインはヒトになりうるのかもしれない。

徹底的な均一化と、圧倒的な速度で殖え続けることが、ミスチフとオムニフロラの生存戦略なので、それに対抗するために、多様なヒトビトを包括することが必要、みたいな展開になるのではないかと思うんだけれども、まぁそんな単純な話でもないでしょうから。

でもカルミアンが殖えようとしていたし、《恋人たち》も救世群も、生殖ができるようになることを求めているので、そういう関連の話がメインテーマのひとつになるのだろうと思います。
Ⅹの副題が「青葉よ、豊かなれ」ですしねー。

《恋人たち》については、太陽系文明の、工場を作る工場を作る工場……がどこかで誤作動を起こしたら、よく分からない何らかの「進化」が起こって「生殖」ができるようになるんでは?
っていうのは完全に与太話ですが。
タイタンでもないし。


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生殖っていうか、いろんな愛のかたちみたいなのがずっとこのシリーズの根底にあるんだろうなというのは常々思っていたのですが。このシリーズどころではなくて作者の趣味なのかもしれないけど、他作品は一作とかしか読んでないので。
それは置いておいて、カドムはそうなるのか……っていう衝撃が。
ところで私、前巻の内容をあんまりよく覚えてないので、イサリはカドムを好きなのは本当にカドムを好きなのかって疑いがまだある。アインの子孫だからじゃないの、みたいな。たぶんそういうこと8巻で言ってたと思うんだけれど。
アンチオックスの伝統が300年経ってもずっと続いていたんだなぁと思うと、なんだか感慨深いものがありますよね。
それはそれとして私個人の趣味と感情として、君たちはそこでそれを決めていいのみたいな気持ちがある。
結局PART2でイサリがいない間にアクリラと親密になってる感じがなんとなくいけ好かないのですが、これは完全に私の好みの問題です。

あと、ラゴスがエランカに今まで付き合った女の中で一番いいみたいなことを言っていたけれども、わりとラゴスは今までの女性遍歴がやばそうなひとたちばかりなので、そりゃそうだよなと思いました。
ミヒルといい、社会の上の方に立つ女性に好かれやすい何かがあるのだろうか。

サバイブドが、一人でいて、ハニカムのカルミアンなのに非常に流暢な喋り方をしているのは、雄と雌は思考方法とかが違うのでしょうか。
蜜を絡み合わせることがなくても、ある程度の思考能力は持っているけれども、多くの姉妹をもつ女王のようには思考できないみたいな。
理屈は分からないけれども、とてもかわいくて好きです。

カドムが救世群を説き伏せて味方にしている感じがすごくリエゾン・ドクターって感じがしてよかったです。
この世界の今までの歴史を読んできていてその先端の今がここにあるからこそ、符合を見つけたりするとちょっとしたこととかでもこんなにも楽しいのだと思うし、こういう構成がすごくずるいなと思います。

「物を持てない」話がいきなり始まったときは誰これって思ったけれども、6巻の該当部分読み返してああってなりました。エフェーミアってこの人か。彼女がメララの子孫である羊飼いと再会できて、良かった。

ミヒルは完全に取り込まれてたのか、と思うと彼女の闇も深そうで少しかわいそうな気もします。冥王斑は最初からミスチフがもたらしたものだったから、救世群の聖性を求めたミヒルがそういう存在に惹かれたのは大いに納得できるから。
祈るようになってしまったという文章が、なんだかとても悲しかったです。
イサリも、これからどうするのだろうか、彼女にどうできるのか。

あ、あと太陽系艦隊の司令官の人って、代理水作った人ですね……?
自分自身に使ったみたいな記述ありましたっけ、その辺もあまり覚えていない。
とはいえ、太陽系で人類が貴重なら、そういう風な、使える手段はなんでも使って、少しでも多くの人を生き延びさせようとしたのだろうというのは推測できる。

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