めちゃくちゃおもしろかったです。『虚実妖怪百物語』の百倍くらい(個人の感想です)
このシリーズって、明治時代の著名人が弔堂を訪れて憑き物落し的な塩梅で本を薦められるという話なので、続編を書こうと思えばいくらでもできるのでしょうけれども、破暁の語り手だった高遠彬自身も「1冊」を薦められて物語から退場していたのでどうなるんだろうと思っていたら、完全に語り手が変わっていました。
今回の語り手は十代後半くらいの女性。そんなわけで、この時代の女性の在り方についても触れられているのですが、厳格な元薩摩藩士の祖父に禁止されているので小説を読んだことがなかった、という設定がおもしろいなと思いました。
破暁、炎昼と続いたからには夕方とか夜とかそれ系のタイトルで続巻がたぶんあるんだと思いますが、そしたらまた違う語り手で話が展開していくんだろうな。
で、高遠彬にしろ今回も最後に名前を明かされる天馬塔子にしろ、ほかの客とは違ってたぶん非実在なわけなのですが、彼らがその後どうなるのだろうということが気になります。
続巻なりほかのシリーズなりで何か拾われるのでしょうか。
[16回]
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この本、弔堂の客が何者かってのが若干ミステリ仕立てな部分もある気がしたので一応ワンクッション。
今回の語り手は塔子なんだど、彼女を主人公って言っても差し支えないんだけど、巻を通じて出てくる客がもう一人いて。その人のほうを主人公と呼んでもいいんじゃないかっていう気持ちです。
私は教養がないので、なんでこの人こんなに毎回出てくるんだろうと思って読み進めてて、3話目でようやく膝を打ちました。そりゃ京極さんも贔屓するはずだわ。
で、正体がわかってから読むと福來友吉との会話がすごいおもしろいし、彼が円了先生について語るところとか、南方熊楠の論文を取り寄せていたとかも興味深いです。
でも、ここで登場している松岡と『虚実』の方で呼ぶ子石で呼び出した人は全然別の人なんだろうなあなどとも思います。時代が違うとか観測者の膜がとかそういうだけじゃなくて。それとも同じなのかもしれないけれども。
しかし、明治を生きた著名人、特に文化人はだいたい弔堂で背中を押されたんじゃないの、って思っちゃいますね、ここまでくると。
作中に登場して本を薦められている人だけじゃなくて、会話の中で出てくる人とかも結構いるよね。田中稲城がどんな本を求めたか気になります。
ほら今文豪とか流行ってるらしいですし、そういうノリで売れるんじゃないですか、と適当に言ってみたり。いや京極だしめっちゃおもしろいしそうじゃなくても読んでほしいですけど。
弔堂を訪れる客は有名人ばかりなので、実作を読んだことなくても、何をしたか知らなくても、名前は知っている。聞いたことがある。といいつつ2話目の人は微妙。けど、もっと理解するために伝記や作品を読みたいなと思います。とりあえず新体詩は青空文庫に入ってなかったよ……。ちくまの全集に何かしら入ってた気がするのでその辺かな。岩波の新体詩の巻には載ってたのかしら。
この感じだと次は折口さんとか来るんじゃないですかねー。名前出てたから熊楠もあるかも。
あと今回は最初の方は特に、客が一度に複数人(語り手の塔子、レギュラーの松岡ともう一人)いるので、その場で議論が行われるのがおもしろかったです。順番は逆なのはわかってるだけど、この人が/この人にこういうこと言うんだ、というのがにやにやします。
「この人が」というのがなくても普通に議論が興味深かったり、明治時代の流行の考え方などを知れておもしろいです。「わたくし」という膜の話とか興味深いんだけれども、でもべつに目新しい話なわけでもなく京極さんはデビュー作からそういうことをずっと書いてますね。
その人が後に何をするか知って調べた上でそれに導くような物語のつくりをしているのは頭ではわかっているのですが、読んでいるときは私も明治時代の書楼弔堂にいる気分になるので。むしろ弔堂主人だけ現代(平成)的感覚でちょっと変な感じもする。なんていうか、ほかの客たちは明治時代を生きる人の感覚で考え、話している(ように書かれている)のに、そこに(結果を知っている)現代人が混ざっていて、現代の考え方や知識から教え諭しているような気がほんの少し、してしまう。言い方悪いけど異世界転生っぽい感じ。
いや、弔堂は別に現代的な感覚ですらないんですけどね。現代的っていうか京極夏彦的っていうか。
客のその後を知っているからこそその場での会話がおもしろく感じるのだけれども、この作品を読んでいる間は、弔堂での経験があって→その後の活躍につながった、という順番を信じていたい、信じさせてほしい。
というわけでその後を知っている私は、弔堂主人が源三さんに情を大事にと言ったのが死なないでと言っているように読み取れ、切ない気持ちになりました。
それと、私は近代文学が自然主義由来の私小説なのが嫌で(特別な体験をしてないと特別な作品を書けないのか思うと絶望するから)(というのは後付けの理由で、単に幼稚な体制への反発を引きずっているだけかもしれないけれども)ほとんど読んでいないのだけれども、そもそも自然主義というものの受け取り方が違ったんだとか、こういう考えをもって田山花袋も私小説を書いたのかと思うと手を出そうかなとも思うよね。
とはいえ破暁読んだ後にもそういうこと思ったものの別に泉鏡花も巖谷小波も読んでないですからね……
あと特定の作家とか作品とかではないけど、明治時代につくられた「伝統的な道徳」にも興味があるのでその辺も追々勉強していきたい。
ちょっと前巻の方を読み直してないんだけれども、弔堂主人の名前って前回出てきてましたっけ? 龍典さんというだけ? 苗字が知りたい。
もしや山田では――?
って思いついてしまったんですけど、ただの思い付きなんで検証のしようがない。
あと時代が合うのかもよくわからないです。
勝海舟とも乃木希典とも顔馴染みで、かつては禅宗の僧侶だった龍典さんの過去がいったいどういうものだったか、とても気になるんだけれども、明かされるのはこのシリーズではないんじゃないかという気がしてならない。
このシリーズは語り手と探偵役(と便宜上呼ぶ)が何者か分からないというところが重要なのかなと思うので。
御一新前から生きていたならどこかで御行一味とすれ違っていても不思議はないと思うんですけど。その辺どうなんでしょうね。
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