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2025/05/14 (Wed)

『異端審問ラボ 魔女の事件簿3』

私は高里椎奈さんの作品が大好きです。
知ってる人は知ってるだろうけど、かつて薬屋の二次創作サイトをやっていたぐらいには(今は倉庫化してる……)
すごく好きで特別なのは薬屋だけど、それ以外も好き。とはいえ作品全部読めてるわけじゃなくて、迷子と雰囲気探偵と少年少女小説家は積んでる……。

なんでこういう話から始めたかというと、好きだけど全肯定しているわけじゃない、という話をこれからするので、前提の言い訳です。
大好きなんですけど、高里作品には大きな弱点がふたつあると思っていて、
ひとつは、文章の繋がりが分かりにくいこと。
これは文章が下手というよりも、飛躍が多いということです。そこを「どうしてこういう結論になるんだろう」とか「なんでこの人はこう言ったのか」とか考えるから、より作品世界に惹かれていくという長所にもなりうると私は思っているんだけれども、何が起こっているか分かりにくい点もある。
で、もうひとつは、スロースタートだということ。
飛躍が多いということとも関連するんだけど、一冊のなかでも、大きな話、一見関係ない話題から始まって作中の身近な物事に収束していくという書き方が時折ある。
そして、シリーズのなかでも、おもしろくなってくるのは3冊目ぐらいからだなという印象がある。
あ、もちろん例外もあって、フェンネルは1冊目がすごくシリーズ1作目としても掴みが良かったですし、シリーズでなく単品としてもおもしろかった。

特に、文庫書き下ろしのいわゆるキャラクター文芸(要はタイガと角川文庫)では1冊あたりのページ数が少ないので、より飛躍も大きくなるし、その中でやることが多い(世界観説明、キャラクター紹介、各話の事件と全体を貫く物語、伝えたいテーマなど)ので、最初の1冊2冊くらいは本っ当に何をしたいのか分かりにくい。……これは私の読解力の問題かもしれないですが。
薬屋探偵シリーズのどこかで出てきた、三つめのパンの話が高里先生の作品自体にも当てはまると思っている。
おもしろいのは3冊目だけど、それまでの2冊で丁寧に伏線を積み重ねてきてるからなんだろうなって。

ファン層や、キャラクターや、物語的にはキャラクター文芸の文庫ものは合っているようで、書き方としてはジャンルとの親和性が微妙なのではないかと私は思ってます。
商業的にはどうやっておもしろくなるところまで読み続けてもらうかなんだろうなと思うけど、それはファンが考えてどうにかなることではないからね。
いちファンとしては読む人がたくさんいて、作品が出続けてくれたら、と願っています。


前置きがだいぶ長くなってしまいました。

異端審問ラボも、3冊目のこの本がめっっっちゃおもしろかったです!!!

2巻までの時点では正直なところ、まだ始まったばかりでキャラクターに思い入れもないし、世界観は好みだけどだったらもっとSFっぽい方が好きだし、各話の事件が物語と乖離してるという印象でした。
が、全てはこの1冊のためにあったんだ、という感じで、3巻は最初の1ページから終わりまでずっとおもしろかったです。

ネタばれするので続きから。

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つづきはこちら



まず、過去話が入ってくるのがいいですよね。
千鳥鶫鳶の出会いもだし、千鳥の過去も。
それだってキャラクターの性格が一致してからだからおもしろいんだろうなぁ。
千鳥の過去は、そこで出会っていた人たちが今はそれぞれ違う立場で対峙する(だろうという予測と実際に読み進めてそうなるところ)がとてもいいです。ラストでまた3人並んで笑えたのも、ベタだけど嬉しい気持ちになった。
白鷺が協会を設立したのも、あの事件が原因なんだろうけど、あれからどういう人生送ってきたのか気になります。

あとようやく世界の謎が解けたのがすごくおもしろかった。
すごく歪な世界が、どうしてそうなのか。
ハーブCだった……。
いや、ハーブCではないんですけど。むしろ逆か。
でも子孫のため希望のために物語を残していることとか、時を経てそれが真実と信じられる辺り似てるかな、と。感染症の話でもあるし。
実は半信半疑だったんですよね。明らかにこの世界おかしいけど、その謎は明確に解けるのか、って。ドルチェみたいに、分かったようで細かいところは不透明なままになってしまうんじゃないか、って。
いや、うん。みんな鳥の名前なのも何か理由があるんじゃないかとか深読みしてたけど、それは別に単に鳥の名前ってだけなんだろうなー。フェンネルでみんな植物だったような感じで。

ある設定が(あるいは物語の展開が)、ちゃんと作品世界のなかで理由があってのそれなのか、物語上の理由はないけど作者のこだわりなのか、単なるご都合主義なのか、の弁別が最近若干気になっている。
だからそういうことを深読みしちゃったりなんかしてたわけなのですが。

ディストピアものとしては、これから「政府」と闘う展開になると熱いですよね。
大まかな物語としてはそうなっても、要所要所で斜め上をついてくれることを期待してます。
っていうか、このシリーズ続く……よね?


「食事」がなくても、味覚や、甘い/苦いみたいな語彙は残るんだなぁ、というのが興味深かった。

ところで私は化学苦手なので、どうして希硫酸と水酸化ナトリウムでゼリーが作れるか分からない……。
「水生植物」ってテングサじゃなくて昆布だったよね??
その作り方が書いてあったならそれは本当に料理本なの?という疑惑があります。いわゆるレシピ本ではなさそう。むしろ子供向けでときどきある、料理プラス科学実験的な本のイメージです。
そういう本なら、今後「万能の種」を発酵させていろいろ作りそう……と思ったけどもしかしてこの世界には発酵させるための菌とか酵母とかいないのか。
一方で『巨人』はすごく料理っぽいからなぁ。

『巨人』ってよくある勘違いネタではあるけども、料理かどうか分からない時点で読んでいると鳶が危うい感じなのもあってハラハラした。
っていうか鳶!
あながち冤罪でもない辺り本当にどきどきしたし、引き戻せたシーンは安心した。

あともう、疾鷹さんかっこいい!
過去も現在もおしなべてかっこいいのすごい……。
千鳥が憧れたのも分かるわー。
251ページがすごく好きです。

涼芽さんもいい。ツンデレかわいい。カレー好きそう(笑)


それから、読後感が爽やかなのも好きです。
1巻と状況は変わっていないのかもしれない。千鳥は転職できず、栄養科学研究所でガムを作ったりシマエナガを改造したりしているままで。
それでも、人間関係は変わったし、心持ちが変わったから、同じことをしていても前向きになれているのがとても良い。


結局、「魔女」ってなんだったんだろう。タイトルになっているわりに、いまいちよく分かってないです。
そもそも作中で魔女ってワードそんなにクローズアップされてないような気がする。読み飛ばしてるのかしら。

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『最後の晩ごはん 黒猫と揚げたてドーナツ』

このシリーズ好きなんですけれども、なかなか感想を表しにくい。
表に出せないような感想を抱いているというわけではなくて、シリーズのどの巻を読んでも、おいしそうとか、みんないい人だなとか、いい話だったとか、そういうことばっかりになってしまうんですよね。
良くも悪くも、私の中で評価が安定しているというか。
それなりに楽しめて、読みやすくて、不快にもならなくて、ところどころの台詞が胸に響いて、けれどもたとえば泣きたくなるほどぐさっとえぐってはこない、みたいな立ち位置にいます。いまのところは。


今回は初の社員旅行の話でしたね。帯を見て笑いました。
さらに読み始めてたらロイドが突然「そうだ、京都、行こう」とか言い始めるし。
先月行ったばかりだけど京都行きたい。そして貴船の川床でご飯食べたい。
ヒロタのシュークリームも、松露の卵焼きも、あとはそぼろご飯とかニラ雑炊とかロールキャベツとかオムレツのサンドイッチとか、もちろんドーナツも、出てくるもの全部食べたくなる。どうしたらこんなにおいしそうに書けるんだろう。実際に食べたり作ったりしてはるものだからなんだろうけど。

人間以外の幽霊っていうのも新パターンでおもしろかったです。いや、マフラーとかはあったけど、あれもマフラーを作った人なのでまた違うかな、と。
淡海先生の猫ちゃんに対する呼びかけが、読んでいても猫なで声を感じた。

ロイドのひとりでできるもん(違う)は読んでいてとても楽しかった。
普段は視点じゃない人……もとい、眼鏡の一人称視点の話を読むのが好きです。
ナチュラルに自信家で上から目線で少しとぼけた風情があっておもしろい。
コールスローにはフライドチキンかー。ケンタッキー久しぶりに食べたくなる。


序盤から夏神さんが死亡フラグっぽいこと言うので若干不安になったけれども、本人のなかでも消化していたし。海里もそれに応えていて、エピローグでの台詞とにはなんというかあたたかいものを感じました。良かったね、と思う。
あと今までの話がちゃんと積み重なってきている気がしたので、そういうところも好きでした。一応各巻完結だし、レギュラーキャラが増えるぐらいの繋がりしかないのかしらと思っていたけれども、海里とお兄さんの関係性とかもちょっとずつ変わっていっていて。
椹野さんの書かれるキャラクターは設定だけではなくて生きているひとだと感じられるので、物語が進めばちょっとずつ変わっていって、成長したなら人ととの関係性が変わるのも当たり前ではあるのだけれども。
でも、シリーズが終わることもあるのだよなということを考えてしまうと寂しくなりますね。
ただ一番寂しいのは、終わりもせず続きも出ずに止まったままになってしまうことなので、このシリーズは、出ている間は買っていきたい。
そしていつか奇談シリーズも続きが読めるといいなぁ。

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『ツバメ号とアマゾン号』

先月から、月一くらいのペースで同居人と二人読書会をやり始めました。
どちらも本を読むとはいえ趣味は違うし、同じ本読んでもタイミングがずれてると内容忘れてたりでするので、同じくらいの時期に同じ本読んで感想を語ろう、と。
で、これが二回目の課題本でした。
ちなみに初回は私が選んで『ドルチェ・ヴィスタ』三部作。頑張って人物相関図とかつくりました。

というわけで、『ツバメ号とアマゾン号」。
1930年ごろのイングランド湖水地方が舞台で、夏の休暇に4人きょうだいが子供たちだけで無人島でキャンプをしたり、帆船で湖を探検したりするお話。

この子供たちが想像力豊かで「ごっこ遊び」がすぐに始まるので、正直なところ、最初は掴みにくくて読みづらかったです。冒頭できょうだいのうち4番目のロジャが帆船になって野原をタッキングしていくんだけど、その時点でもう何が起こってるのかわからなくて……。
あと帆船の知識も特にないから、ヨットを操縦しているシーンも何をしてるかわからなかった。
でも、読み進めていくうちに小さな冒険に心躍ってすごく楽しかった。

特に、人物造型がすごく好きです。
4きょうだいは上から、ジョン、スーザン、ティティ、ロジャという名前なんですが、それぞれのキャラクターが地に足がついている感じというか、もちろん性格がそれぞれ違うんだけれども、それはきょうだいのうちのその順番で育ってきたからなんだろうなって感じが好き。
たとえば長男のジョンはこの本の冒険では船長をやっていて、責任感が強いし、長女のスーザンはほかのみんなの食事や健康に気を配っていて、ときどき「ごっこ遊び」の設定を忘れてしまう。ある意味テンプレート的なのかもしれないけど、物語や文章の中でそういうあり方が自然に感じられる。
それは4人だけじゃなくて、もう一つの船アマゾン号の乗組員のナンシイとペギイも同じで。
あらしの夜に一つのテントに入って、それぞれが考えていることが順番に描写されるシーンがあるのだけれども、そのシーンが一番そういうところがわかりやすいと思うし、好き。
ちなみに私はティティが好きです。ロビンソンクルーソーの章がとても良かった。一番空想的で「ごっこ遊び」に執着している彼女が実際に近くにいたらちょっとうざったいかもしれないけれども。そういうところがなんとなく、子供時代の自分も思い出される感じです。

あと4人とも超良い子だしめちゃくちゃ有能。
すぐ対岸にお母さんがいてちょくちょく様子を見に来てくれたり、毎朝近くの牧場から牛乳をもらってたりするので、完全に絶海の孤島というわけではないのだけれども、子供だけで何日も無人島でキャンプができるのがまずすごいなと思います。暗夜に船を動かしたり……は叱られてたけど、「ノロマ」ではなかったのが偉い。
それと、途中でジョンが濡れ衣を着せられるというか相手の勘違いで一方的に罵られるシーンがあるのですが、そこで島の周りを泳ぐことで気持ちを落ち着けようとする辺りがなんかちゃんとしている子なんだろうなって。

この4きょうだいだったら、魔女にそそのかされてもプリン食べないんじゃないだろうかとぼんやり思ったり。あーでもロジャは単に深く考えずおいしそうだからって食べそうな気もする。(ところであれはプリンだと私は信じています)

子供たちだけじゃなくて大人たちもいい人で、お母さんとかも子供たちの「ごっこ遊び」に自然に付き合ってくれてるんですよね。上から目線でもなくて。「こんにちは、フライデイ」って挨拶したら「こんにちは、ロビンソン・クルーソー」ってごく普通に返事してくれるような。こういう大人っていいですよね。
この辺のごっこ遊びの話は上橋菜穂子さんが解説に書いていて、なるほどって思いました。

子供たちは南米に上陸した探検家なので、自分たち以外は「原住民」なのですが、「原住民的」というのが現実的とか(遊びをわかってくれない)大人とかそういう意味も含んでいて、そこが興味深いなって思う。
あと別に「未開人」も出てくるんだけど、そのニュアンスの使い分けというか当時のイギリスの子供はそれらの言葉をどう思って使っていたんだろうみたいなのが気になる。

もっと子供の頃に読んでいたら、作中の彼らみたいな冒険をしてみたくなっていただろうな。

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『英国幻視の少年たち――ファンタズニック』

高里椎奈に似てるかも、と言われて薦められた本。
しかし、高里さんを引き合いに出されるとそりゃあちょっと点が辛くなっちゃいますよね。好きなんだもん仕方がないよ。
比べるとかではなくて、方向性の話だということはまぁわかっていますが。


イギリス留学中の日本人大学生カイは幽霊が見える目をもっている。そこで英国特別幻想取締報告局の一員であるランスと知り合い、妖精や精霊と関わるなかで、少しずつ変わっていく、というお話。


高里さんっぽいって言われたけれども、舞台立てとか設定とかもあって、篠原美季とか香月日輪とかをなんとなく思い出す。
まぁ要するにそういう傾向の話なわけなのですけれども。


この寂しさは、確かに沁みるなと思いました。
”第二の目”があるせいか、カイもランスも二人とも孤独で、失う恐怖を抱えていて、半分くらいあっちの世界に魂を置いている。キャラクターとしてもそういう人として描かれているし、ストーリーも彼らの抱えた寂しさを読者に明かすように進んでいく。
カイの一人称の地の文も抑制された雰囲気で書かれていて、妙に残る。
だから、届く人にはきっと響くのだろうと思います。
私もたぶん好き。
いくつか、好きな台詞もありました。
「忘れたいことを忘れられない人間は、みんな寂しい」とか。
リチャードさんの台詞とかも、すごく良い。この小説の言葉って、寂しいし悲しいけれどなんとなく綺麗ですよね。だから好きになれるんだと思うけど。

寂しい人と寂しい人が出会って、孤独じゃなくなる話になっていくのだろうと思うんだけれども、これから先たとえどんなに仲良くなったとしても、彼らは寂しさを忘れることはできないんだろうなぁ。

主人公たち以外に出てきてたキャラクターがほぼ女の子だったんだけれども、妖精のスーも水の精霊のシンシアも、あとまぁ幽霊の美柴も、恋が執着になっているところが共通していてなんとなくおもしろい。
その辺が今後回収されたらすごくおもしろいだろうと思います。

あとどうでもいいことだけれども、妖精やら精霊やら吸血鬼やらそういったひとたちの総称を日本語でどう表現するのかって作者や訳者のセンスが出てくるところだよねって常日頃考えている。この物語では、そうした生物は「幻想的生命体」で彼らが引き起こす事件は「ファンタズニック」で、スマートではないけど名前つけるのは強いなと思いました。
phantasmicではなくてnなんですよね……。nはどこからやってきたんだろう。


比べて云々というか、いる場所は近くても向いている方向はきっと違うのでこれは単なる自分の好みになっちゃうのだけれど、もうちょっとキャラやストーリーの見え方が二転三転したほうがおもしろいなと思いました。
わりとありがちと思ってしまう感じだったので。
あの人が実は”幻想的生命体”だった、ってのもありがちの範囲内だから、そういう属性じゃなくて性質とかの点で何かほしかった。

というか、この人のはもっとライトじゃない小説を読んでみたい。
明るさではなくて密度として。

とりあえずこのシリーズも3作くらい出てるらしいので、続きを読んでみたいです。

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『時が新しかったころ』

ロバート・F・ヤングの長編。
おもしろかったし、好きです。

あらすじ。
白亜紀後期の地層から出土した人間の化石を調査するため、トリケラトプス型タイムマシンで白亜紀にやってきたカーペンターは、二人の子供に出会う。彼らは火星の王子と王女で、誘拐されて地球に来たのだと言う。カーペンターは誘拐犯から子供たちを守ろうとする。


「たんぽぽ娘」を書いた人の作品だなぁ、っていうのが一番の感想です。読みながらも思っていたし、ラストシーンを読んで改めてそう感じた。
タイムトリップとボーイ・ミーツ・ガール。文章は爽やかで甘酸っぱくて。
ストーリーや舞台立ては異なるけれども、メインの部分は「たんぽぽ娘」と変わらないと思います。好きです。

が、長編だと少し間延びして感じました。
誘拐犯たちとの間でアクションシーンもあるし、火星の生活文化の描写とか、謎のクーの存在とか、興味をひく工夫は随所にあったんだけれども、でも途中が若干退屈だった。
訳者あとがきによると、中編版もあるらしいので、そっちも読んで比べてみたい。

っていうか、クーは何なんでしょうね。
謎のまま去っていってびっくりした。三目並べってまさか。
『たんぽぽ娘』(短編集)読んでても、なんていうか宇宙の絶対的存在がいる話が多かったから、そういうのが作者に共通する世界観なのかしら。電車のやつとか。
とはいえクーが謎すぎて。
火星人と地球人が見た目同じことの理由づけにはなっているのだけれども。

火星人は空間移動で、地球人は時間移動の方に文明が発展しているという違いがなんとなくおもしろいなと思いました。
でも、作中の「現代」が1998年なのがマジかって思う。ヤング80年代に亡くなってるらしいから、タイムマシンが実用化されている未来としてありえそうな年代設定ではないと思うんだけれども、なんでだろうなぁ。

私はあまり理系っぽい頭の構造をしていないので、時間SFって仕組みが分からずに読みにくく感じることが多いんです。でもこれは確かに最後の方とか、何が起こったのかは分からないままなんだけど、文章が綺麗ですごく読みやすい。

恐竜は、トリケラトプスとティラノサウルスとプテラノドンぐらいしか名前から姿形を想像できなかったので、グーグル画像検索をしつつ読んでいたんだけれども、その手間がないともっと没入できたなと思いました。
恐竜も好きなんだけれども名称を覚えられないのです。

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