実は積んでたのを、ついに読みました……。
漫画原作を除くと、これであとは『迷子と迷子のアクセサリー店』だけ未読です。持ってはいるので、今年中に積み高里作品をなくしたい。
薬屋探偵シリーズの、『童話を失くした明時に』にも出てきた鬼鶫と佐々の話。
鬼鶫は雰囲気は完璧な名探偵だが、推理を全くしない。鬼鶫探偵社の経理であり、鬼鶫の友達でもある佐々は、そんな鬼鶫にやきもきしたり翻弄されたりしている。
とりあえず、自分の探偵が格好良く活躍してほしいと思う助手(経理だけど)っていいですよねー。それだけでもこの物語を読む価値があったと思います。
でもキャラでいうとライバル探偵の日置くんが好きです。來田川さんや涼芽さんに通ずる、自分の立場や能力への自負とまっすぐな正義感と、そこはかとなくただよう小物感……と言うとひどいけど。秋さんは好敵手扱いなのに対して、日置くんは鬼鶫からライバル認定されてないあたりとてもかわいそうかわいい。……薬屋さんの方が鬼鶫をライバル認定しているかというと、たぶんしてないと思うんですけど。
推理をしない探偵、というのはまあときどきあるパターンだと思いますが、推理をしないと一口に言ってもいろいろありますよね。
鬼鶫は謎解きというかたちでの推理はしないけど、人の心の機微に敏いので、依頼人の、あるいは加害者の心に寄り添うように問題を解決する。
その人柄と推理力のなさから、警察も協力的。鬼鶫と佐々をクッションにしたり、依頼人から聞き出した情報を使って捜査したりている。
そういう話なので、事件はあるけれども事件自体の謎解き(WHOとHOWの部分)は主に警察や日置くんがしている。でもそれで事件が解決するわけじゃなくて、加害者の動機だとか依頼人の心情のケアをするのが鬼鶫。
人の心に寄り添う探偵だから、その言葉は読者である私たちにも響くものがあります。高里さんの作品だと、わりといつもそうだけれども。そういうところが好き。
とはいえ、なんとなくもやっとしたものがある。
私は夢水清志郎とコナンに影響されてきているから、名探偵は「みんなを幸せにする」ものだと思っているんだけれど、
鬼鶫はそういう意味でも「名探偵」なんだけれども、
謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?
という疑問が私の中にくすぶっている。
鬼鶫、推理力はあると思うんですよ。理詰めの論理的思考は苦手らしいので、観察力なのかもしれないけれども。人の心の機微に敏いだけではそれは分からないだろうって思うところは何か所かあるから。
分かっているけれども依頼人の願いに適わないから推理を開陳しないのか、謎解きできないのか――。書き方的に、後者なのかなと思うけれど、やっぱり能力はありそうなのでどうもしっくりこない。
高里作品でいうと、つるちゃんさんも推理ができない探偵だけれども、あの人は調査能力・情報収集能力は高いけどそれをつなぎ合わせる力がない人だったと思うんですよね。
鬼鶫はそういうのでもない感じなので。
そういうことをぐるぐる考えていると鬼鶫がサイコパスみたいに見えてきてしまいました。
何を考えているかが分からないから怖い。
探偵役の内面を書かないのは、この小説で鬼鶫が「名探偵」だからなのだろうとは思うんですけどね。もしかして続編があればまた内面が察せられて好きになれるのかもしれない。
鬼鶫がすべてを分かったうえで佐々の目も眩ませて、こういう立場に自分を置いている、という壮大な叙述トリックを妄想した方がなんとなく、私にとってはおさまりがいい気がします。
「謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?」
という私の疑問については、鬼鶫の性質ゆえなのか、推理をしない探偵もの自体に違和感を覚えるのかが判然としていないので、このパターンのほかの作品もいろいろ読んでみようかと思います。
とりあえず『貴族探偵』かなー。
あ。
なんとなくの感覚だけれども、高里さんは本格ミステリのかたちを考えに考えて雰囲気探偵を作りあげたんじゃないんだろうなという気がするので、そういうところでやっぱりほかの推理しない探偵ものとの差異があるのかもしれない。
ガチガチに「本格ミステリとは」「探偵とは」と考えた結果の作品とは書き方が違うだろうし。
とはいえ私は高里さんの人となりとかを全然知らないので、本格ミステリとはって考えてこうなった可能性がないとは言い切れないけど。
高里さんってどういう本読んでらっしゃるんだろう。あんまり作品から見えてこない気がします。
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