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妖怪と神話とミステリと甘いものが好き。腐った話とか平気でします。ネタバレに配慮できません。

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2024/05/08 (Wed)

『濱地健三郎の霊なる事件簿』

『幻坂』にも出ていた心霊探偵濱地健三郎の短編集。
心霊探偵が霊的な事件を解決する話なんだけど、ミステリというよりは怪談という印象を受けた。

心霊探偵のもとに持ち込まれる依頼は、たとえば何者かに憑かれている人を除霊することだったり、あるいは警察に協力して殺人事件の容疑者が反抗時刻に別の場所にいたのは生霊かどうかを調べたり。
心霊現象を合理的に解決するのではなく、霊はいるのが前提で、それがどうして出てくるのかを解き明かすところがミステリっぽい感じ。
たとえば殺人の被害者が加害者に憑いていたりして、心霊探偵にはそれが視えるので犯人は誰かを突き止めるのは簡単なんだろうけど、それをそのまま書くとミステリとしてもホラーとしても微妙なところを、試行錯誤して調理しているように感じました。
だから視えるけどその人はいったいどこの誰なのかを調査したりするところでストーリーを動かしているみたいな。

恨みを残して死んだ幽霊が出るので、どろどろした情念とか人間関係とかもあるんですけど、その書き方が全然どぎつくなくて。有栖川先生の文章って上品だなぁと思った。

各話感想。ネタバレあります。
「見知らぬ女」
ホラー作家の夫の枕元に夜な夜な立つ見知らぬ女の霊。素性と原因を心霊探偵が解決する。
助手の志摩ユリエが元漫画家志望の腕を活かして、依頼人の話から幽霊の似顔絵を描くという設定が、おもしろいというか上手い発明だなと思いました。
その絵があるから、たとえば普通の犯罪捜査で写真を見せて聞き込みをするように、幽霊の素性についても捜査していくことができる。
女の霊が出ていた理由はちょっと脱力した。けれども、そういうことが得てしてありうるのが逆にリアルな感じもして。

「黒々とした孔」
恋人を殺した男の視点と、刑事から協力を依頼された濱地たちの視点が交互に描かれる。
最後の会話で霊の存在を殺人者に告げてぞっとさせるのはすごく怪談っぽいと思いました。でも榎さんじゃんって思ってしまってなんか妙に可笑しく感じた。いや、榎木津とは視えてるものが違うんだけど。

「気味の悪い家」
かつて画家夫婦が住んでいた家は、空き家となった後、気味の悪い家と評判になり、足を踏み入れた人が何人も原因不明の高熱にうなされていた。その家の隣人から依頼を受け、濱地とユリエが調査に赴く。
タイトルが上手い。
まさに、気味の悪い家であることが核となる物語でした。
この動機はちょっと意外性があっておもしろかった。
そんなことで不特定多数に祟るのかって思ったけど、些細とも思えることで祟るのが悪霊だよね。
この話からユリエも徐々に霊的な能力が覚醒していくのですが、その結果ホラー映画とかミステリドラマとかによくいるような、指示に従わず軽率な行動をしてキャンキャン喚いてむしろ邪魔する女性っぽさを感じて微妙にイラッとした。
性格の明るさが普段だと物語に華を添えて、陰惨な話でも暗くなりすぎない効果があるけど、こうなると逆効果だよなぁ。
あと、その車は何だったの?ってめちゃくちゃ気になる。

「あの日を境に」
幸せの絶頂にいたカップルが、ある日を境に歯車が噛み合わなくなる。その原因を追求する。
この短篇が一番好きでした。
ラストのほろ苦さ、甘さ、切なさがなんとも言えずとても良かったです。
そして、カップルのそれぞれから聞いた話のほんの一言から真相を究明する鮮やかさ!
これがすごく有栖川さんのミステリっぽい閃きで、でもミステリではなくて幽霊の話なのでそこに曖昧さや風情があって、それがラストで余韻となってあらわれるのがとても素敵。
てっきり、雲の方が原因だと思っていたので、予想を外して悔しい。

「分身とアリバイ」
警視庁の赤波江刑事が、捜査中の事件について心霊探偵の助言を仰ぎに来た。被疑者と思われる男性は、犯行時刻に鉄壁のアリバイがあった。生霊の仕業か、はたまた巧妙なトリックか。
作家アリスシリーズにこういうのなかったですっけ。有力容疑者にアリバイがあるけどドッペルゲンガーじゃないかみたいな話。
○○○○という真相はいかにもという感じがしました。

「霧氷館の亡霊」
9歳になる息子が「家の中に何かがいる」と怯えている、と依頼があり、濱地は霧氷館と呼ばれる屋敷に招かれる。
ナントカ館という名前の建物が出ると無条件にテンションが上がりますね。
これはなんていうか、ありきたりな言い方ですけれども、生きている人間の情念が一番怖いと感じました。というよりも、生きているときに強い情念を抱いていた人間が死してなお、という話ではあったんですけど。
エミール・ガレのランプシェードがさり気なく過去話であることを示していた。それがもうちょっと絡んでくるのかと思ったらべつにそんなこともなかったです。

「不安な寄り道」
探偵の存在自体が事件の引き金となる話。
なんかでも、悲しいよね。寂しかったんだろうな、と同情を抱く。
これもまた、ユリエがちょっとウザかったです。

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『最初の舞踏会』

何かで書評を見て、ずっと読んでみたかったホラー短編集。
ペローからゾラ、アポリネール、ルブランまで、私でも名前を知ってる有名なフランス文学の作家名が目次に並んでる。
ホラー短編集と書いてあるけど、私の感覚だとホラーというよりも怪奇幻想小説って感じの作品が多かった気がします。
そこの違いをうまく説明できないけど、読者を怖がらせることが目的ではない感じというか。古典的な作品だから今更怖がれないのかもしれないけど、古典的な作品だからこそ著者はホラーとして書いてはいない気がするんですよね。
表題作とかはむしろ奇妙な味っぽかった。

読んでて、小学生の頃こういう短編集よく読んでたなと思い出しました。
岩波少年文庫ではなく、もうちょっとおどろおどろしくキャッチーな絵のついていた単行本だったと思うけど。学校の図書室に並んでいた、世界の怪奇・不思議な話みたいなやつ。
そういうシリーズでそれこそ青ひげとか、オペラ座の怪人の抄訳版とかを読んだなぁ、とふと思い出した。

あと中扉ページの佐竹美保の絵が素敵でした。
それぞれの物語の内容を表した絵。

各話感想。

シャルル・ペロー「青ひげ」
あまりに有名な童話。
とはいえ、大筋は知ってるけど、最後に兄が来て助かるというのはあまり印象になかった。
前後についてた教訓みたいなものがあったのも知らなかった。

テオフィル・ゴーティエ「コーヒー沸かし」
深夜に、肖像画から人が抜け出たり、コーヒー沸かしが人と化したりして、舞踏会を始める。
その描写がファンタジックで楽しい。
そしてほろ苦い恋の余韻が良いですね。

ギ・ド・モーパッサン「幽霊」
語り手は友人から奇妙な頼み事をされ、友人の家に行くとそこで友人の死んだ妻と思われる幽霊に遭遇する。
なんか、はっきりしないまま終わってしまってもやもやする。
友人自身も死んでるのかと思ったけど……。
髪を梳いてほしがったのはなぜか。ボタンに髪が絡まってるのにはゾワッとしたけど。

ジュール・シュペルヴィエル「沖の少女」
海の上にある美しい村で、一人暮らす少女の話。
淡々と、美しい筆致で村と少女の様子が描かれるのは幻想的。
ちょっと読むだけでは幻想的で美しいという印象だけなのだけれども、そこに一人でありつづけるしかない少女を思うと哀しくなる。怖いというよりも。
その正体自体が怖いものではなく。生まれてしまった哀しみ、一人きりで変わらない毎日を生き続けなくてはならない哀しみ。

レオノラ・カリントン「最初の舞踏会」
表題作。
社交界が苦手な少女は、動物園のハイエナに、自分の代わりに舞踏会に出てくれるように頼む。ハイエナは顔の変装のためにメイドの皮を剥いで、かぶることにする!
このあらすじをなんとも奇妙で、可笑しくて、すごく読みたかった作品なのですが。
そこから驚きのオチがあるのかと思いきや、あっさりしていてちょっと拍子抜け。あらすじにもあるシチュエーションだけだったかな。

ギヨーム・アポリネール「消えたオノレ・シュブラック」
オノレ・シュブラック失踪事件の真相。
いやなんか、カメレオン的擬態なら肉体そのものはそこにあるんじゃないか(壁に融けてしまうのではなくて)とか、死んだら倒れたり色が戻ったりしないのかとか、細かいところがどうも気になってしまった。

マルセル・エーメ「壁抜け男」
似たような話が続く。
有栖川さんの小説のタイトルにも使われてて、名前だけは知っていた作品。
壁抜けの能力に目覚めた大人しい男の活躍と結末。
怪盗のようなことをしてるのは楽しいし、この最期にはぞっとする。
男に破滅をもたらすのは女なんですかね。

モーリス・ルヴェル「空き家」
これは、怖さがよく分からなかったです。
空き家に忍び込んだ空き巣は、不気味な気配を感じながら家探しする。そして空き家だと思っていた家にずっと死人がいたこと
に気づいて、恐怖をおぼえて逃げ出すんですが……。
殺人を何とも思わない(と自分では言っている)のに、死人のかたわらで泥棒していたことに畏怖するのかというのがよく分からなかった。
泥棒をしているから、ちょっとしたことにもびくびくしてしまうのは分かるんだけど。

アルフォンス・アレー「心優しい恋人」
これはなんとも不条理なユーモアのある話。
変愛小説集なんかに載っててもおかしくなさそう。
凍えた女性が心優しい恋人にあたためてもらう話なのですが、なんとも官能的。

エミール・ゾラ「恋愛結婚」
こんどは打って変わって生臭い恋愛結婚の顛末。
でもどうにも実際そういうことありそうで、なるほどこれが自然主義か……。

モーリス・ルブラン「怪事件」
老検事が語る身の毛もよだつ惨劇。婚約披露の舞踏会で、婚約者を得た娘とその姉妹が密室で惨殺される。
何これ!
いや、何があれって、さんざん密室だの首なし死体だのダイイングメッセージだのの話をした挙句、解決されないどころか投げっぱなしになるんですよ、信じられない!
ミステリと言われてないのに勝手に期待しただけなんですけど、本を投げたい気分です。
しかも間取りとか時系列とか妙に細かいのが腹立たしい。
せっかく、首は犯行時間を錯覚させるため……三つ巴の殺人……みたいなこと考えてたのに。

アンドレ・ド・ロルド「大いなる謎」
「怪事件」よりもよほどミステリ的だった。
妻が幽霊となって毎晩訪ねてくるという男に、「幽霊」を合理的に解明して原因を取り去ったものの……という話。
こういうの好きです。
人は合理だけでは生きられないんだ、としみじみ思う。

ボワロー=ナルスジャック「トト」
ミステリっぽい話が続いて、満を持しての叙述トリックだった。
この作者も推理小説作家なんですね、はじめて見た気がしますが。
兄弟の世話を押し付けられ、殺意を育てていく話なんですが。
急転直下のオチが非常に鮮やかでした。

ジャン・レイ「復讐」
これが一番怖かったです。
最期をリアルに想像するとすごく怖い。不気味。
それを復讐と思うのは罪悪感ゆえだよなぁと、身も蓋もないことを考えてしまいますが。
幽霊よりも、生きているもののほうが怖いと私は思うので。
この死に方だけは絶対にしたくない。

プロスペル・メリメ「イールの女神像」
主人公が訪れた田舎の家で近頃発掘された女神像は、邪悪で美しい表情をたたえていた。その家で行われた結婚式で、事件は起きる。
読みごたえがあってとてもおもしろかったです。
雰囲気が良い。何かが起こりそうで、それが何なのか判然としない雰囲気。そして起こったあとも、本当のところは語られない――想像するしかないことで、畏怖は増大する。
「この女が汝を愛するなら、身の危険に気をつけよ」まさにこれだったんだろうな。
田舎の名士とその妻がパリから来た主人公に必要以上に恐縮するところや、素人考古学者の強引なこじつけは、作者の性格悪い視線を感じた。実際こういうところあるよね、でもそれを笑う視線は意地悪いよね。

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『男ふたりで12ヶ月ごはん』

BLじゃなかったのか!
てっきりそうだと思ってたので、手をつなぎすらしなかったことにびっくりした。
プランタンから、しかも単行本でよく出したなって思いました。
なんだろうね、ラブじゃないけど一緒にいることが心地よいふたり、みたいな。
でもこのレーベルから出てるからには、恋愛に転ぶことがあるかもしれないのかしら。
同じ作者さんの別作品に出てくる伊月くんと筧くんもこれくらいの距離感か、もしかしたらもっと近いかも……と思うし、女性向けキャラクター文芸でもっと距離感近い男同士のキャラもいそう(一般的なイメージ)なので、本当にあえてこれをプランタンから出したのが謎だなあと思いました。

そんな感じで、
芦屋に住む眼科医の遠峯のもとに、高校時代の後輩でスランプ中の小説家白石が転がり込んできた。ふたりの共同生活は、美味しいごはんを食べる1年間だった。
という感じのあらすじ。

やっぱりとにかくごはんがおいしそう。食べたい。
もちろん手づくりもあるんだけど、実名で出てくる芦屋・神戸・大阪のお店も多くて、まるで観光案内。
手づくりでも、出てくるものの振り幅が大きくておもしろかった。
前夜の生姜焼きの残りとサトウのごはんで卵とじ丼にした簡単昼食もあれば、手羽で出汁を取って但馬牛コロッケを載せたカレー、厚切りハムのトーストといった贅沢なごはんもあって。
外食だと、前菜がメインの神戸中華と、オーソドックスなフレンチの前菜あたりが特に心惹かれる。
そしてスイーツ!
遠峯先輩が甘党なので、甘いものがいっぱい出てきてときめきました。
ガリガリ君からアンリ・シャルパンティエのザ・ショートケーキ、すやの栗きんとん、パティスリーのケーキなど……。食べたい……。
デメルのミントチョコとか絶対美味しいやつじゃんそれ。
京都にいた頃に芦屋に行かなかったことが悔やまれる。
芦屋・神戸食べ歩きしたい。
……と、欲望全開な感じになってしまいます(笑)

料理がメインで、キャラクターやストーリーはサブ的な位置にある小説だったかなと思うので、料理の感想ばっかりになる。

キャラクター……BL的にいうとどっちが攻めなんでしょうね。
でもあんまりこのふたりがそういう雰囲気になるイメージがわかない。
恋愛じゃなくても一緒にいて心地よい関係はそれはそれで良いものですよね。

ちなみに私は遠峯先輩が好きです。
かっこよくて面倒見がよくて甘党ってギャップ萌えの極地じゃないですか。

白石の自作キャラクターとの付き合い方は、椹野先生自身のスタンスなのかしら。先生も経験しないことは書けないというようなことを何かで言ってらしたし。
キャラクターがどう反応するか考えながらご飯食べるのは、ちょっと楽しそうでやってみたいなと思った。

あと、ラストシーンでお花見してた河川敷ってたぶん、ばんめし屋の近くですよね。
ドラマで映っていた桜並木の河川敷を思い出した。
クロスオーバーSSとか書いてほしい

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『砂漠で溺れるわけにはいかない』

ニール・ケアリーシリーズ最終巻。
……文庫解説にある、「そう遠くない将来にこのシリーズを再開するつもり」というのはその後どうなったのでしょうか。

後日談という雰囲気で、短い話だった。犯罪や事件というよりも、人間ドラマに重きを置いた感じ。
カレンとの結婚式を2ヶ月後に控えたニールのもとをグレアムが訪れ、ラスヴェガスから戻らない86歳の老人を連れ戻す「簡単な仕事」をもたらす。
ニールは子供をほしがるカレンに戸惑い、元コメディアンの老人に手を焼かされ、砂漠の真ん中で溺死しかける。


ニールや他の人の視点だけでなく書簡体や日記体など、章ごとに違った文体で書かれて進む途中からの構成はわりと好きな部類です。
この手の趣向はミステリ的な部分とうまく噛み合っているとすごく好きなんですが。「リヴァイアサン号殺人事件」とか。
そこまでうまくいっているというか、別にミステリ度は薄いしなぁ。
脇役に好感を抱くという意味では成功してる試みだと思いました。
クレイグとパミラの間に生まれたロマンスはなんとも応援したくなるし、ホープの日記は女学生のような純真な可愛らしさがおかしい。「腹心の友」って赤毛のアンでしたっけ?

最初にナッティが失踪したあとのウェイターの言葉にはっとさせられた。
笑うと笑わせていただくの違い。
なんだか恥ずかしくなる。
老人というだけで惻隠の情を抱く上から目線を看破された恥ずかしさ。
年老いて第一線の流行からは取り残されていても、身につけた知識や技術と活躍の場所は残されているんだという気づき。
まあ、あちこちに飛ぶ同じ話を延々ループするのはご愛嬌という感じでしょうか。
うん、読んでてもちょっとうんざりさせられた。  

ニール自身の内面にフォーカスした話で、彼が人生をどうするかというのがテーマだと思うんですけど。
4巻のあの取って付けたような大団円のあとの5巻を、こういうラストにするのかと驚いた。
えー、ハッピーエンドじゃないの?
と一瞬思ったんだけど、いやオープンエンドの方が「その後」が出る可能性に期待できていいんだけど。
1巻や2巻の、仕事を終えて孤独に隠遁するオチと表面上は似ているけど、内面的には変わっている……んだよね?
はじめからこの幕切れに至るつもりだったなら、4巻のラストをああはしないでほしかったかなぁ。

母親とその幻影に対する心理的な影響以上に、父親の不在がこんなにも影を落としていたのか。
「父さん」はそれを埋めることはできなかったんだ。
強い絆はあっても、生物学上の父親ではない以上、父親像は与えられないんだというのが少し寂しかったです。
とはいえ、この話の最後では違った見方になっているのかなと思う。
家族を知らないのが負い目だということは、1巻で初めてのガールフレンドができたときからずっとニールにつきまとっていたけれども、ついにそれに立ち向かおうとした。

前巻の感想で、26歳にもなると「ナイーブな心を減らず口の陰に隠して」もいられなくなるのかとがっかりしたと書いたんですが。
そのどちらもまだ失われてはいなかったのでほっとしました。
もちろんストリート・キッズの頃から変質はしているけれども。
カウンセリングを受けたら……いや、それでも本質的な性格は変わらないのかな。

ところで今回のタイトルすごくかっこいいですよね。
それを回収するかたちでのラストの文章もなんとなくかっこいい。
語感からか、「海へ出るつもりじゃなかった」が思い出されました。

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『ウォータースライドをのぼれ』

今回はウォータースライドをのぼっていたの一瞬だったなぁ。
というわけで、ニール・ケアリーのシリーズ4作目。

ネヴァダ州オースティンでカレンとともに暮らしていたニールのもとに、例によって例のごとくグレアムがやってきて、朋友会の仕事を命じる。
それは、人気テレビ司会者のレイプ疑惑事件で、被害者のポリーを裁判で証言できるように鍛えることだった。
しかし、様々な思惑でいくつもの勢力が彼女を探し出そうとしていた――。

というのが今回のあらすじ。
ストーリーは楽しくておもしろかったのだけれど、正直なところがっかりしてしまった。
なんていうか、26歳にもなると「ナイーブな心を減らず口の陰に隠して」もいられなくなってしまうんだなというがっかり感。失望。
たとえば、学生時代にセンスの煌めく創作をしていた人が、就職して何も生み出さなくなってしまったときのような寂しさ。
ニールが心の平穏を手に入れたことは喜ばしいと思うんですけど、その一方で青春というか若さゆえの青さと輝きが失われてしまったことがかなしい。
ストリート・キッズのそこのところが一番好きだったので。シリーズ読んでも、ストリート・キッズがその点では最高でどんどん薄くなっていってついに消えてしまった。
きっと、作者の目指していた方向性と違うものを期待してしまったのでこんな気分になっているんだと思う。

あと最後の大団円がすごくチープに感じて。それもあって、ニールの魂の平安を素直に喜べない。
何あのみんなハッピーになる感じのその後の紹介。アニメやマンガで最終回の最後にありそう。
その人はそうなったのね、みたいににやっとしたところはありました。
解説によれば意図的なものらしいですが……。

話自体は本当に読んでておもしろかったです。
わりと初めのほうから、訴えられた司会者や一儲けしようとする人たちやマフィアや殺し屋といった、朋友会に対抗しようとする勢力の存在が描かれ、あっという間にニールたちの居場所を突き止められてしまう状況のサスペンス感にハラハラドキドキした。
とはいえ、ポリーを巡っていろんな思惑の人たちがいすぎて、誰が何を目的にどこと繋がっているのかが若干分かりにくかったです。
ニール自身にも朋友会にも分かってなかったから仕方ないけど。
だからそれに関する謎が最後の方で明かされても、頭の中でよく整理できてなくて、驚ききれなかった。
というか読み終わったあとでも、フォーリオとポリーの意図があまりよく分かってないです。そもそものはじまりの。

ニールの英語教室も楽しかったです。
ポリーの台詞が方言と俗語まみれで、これって言語だとどういう感じなんだろう。
「ひ」と「し」の発音って何にあたるのかしら。
日本語としても、これってどこかで実際似使われてる方言をもとにしているのか気になる。
語尾とかのイメージからなんとなくフレイア(マクロスΔ)が浮かんできましたが。
女性陣に集団で責められてたじたじになるニールもなかなかおかしかった。


そして、杉江松恋の解説がとても興味深かったです。
1巻〜4巻の内容がそれぞれ、作中当時のアメリカの状況を表しているというお話。
自分で読んでいるだけでは気づきようのない視点なので、そういうことを提示してくれる解説はありがたいです。
3巻読んだときも感じたけど、今の日本もわりとこんな感じですよね……。

その解説によると4巻のテーマは「馬鹿になったアメリカ」らしいですが、フェミニズムやイタリア系移民の問題も副次的なテーマなのかなと思いました。けっこう存在感が強かった。
それらの問題も、実際にこの時期のアメリカで持ち上がってきていたものなのかしら。

フェミニズムというか、ニール・ケアリーシリーズに出てくる女性ってわりと聡明で強かな人が多いイメージです。
性格としては聡明で強かでも、それでも犯罪組織や男性的社会の食い物にされるヒロイン像が共通している気がするのですが、どうなんだろうその辺。
ニールの母親のトラウマ(?)的に、そういうシチュエーションに彼を追い込んでいくストーリー構成をしているのかしら。
それとも単に当時のアメリカを書くとそうなるのか、作者の好みか。


あと気になったのは、シリーズが進むにつれてどんどん作中で死ぬ人の質が変わっていっていること。
1巻では誰も死ななかった。
2巻は、チンピラのボディガードの少年(これがニールにとって初めて見た死だと書かれていた)と、そのときの戦闘していた相手、そして峨眉山で死んだ人々(ネタバレなので曖昧に書いてます)。過去の話は今は置いておきます。
3巻ではカルト教団の人たちとインディアン。そして何より、ニールが初めて人を殺したのが印象的だったと思う。
こうやってまとめると、2巻や3巻で死んでるのって、「悪い人」が大半なんですよね。
悪い人って言うと感覚的だけど、何かしらの罪を犯した者だったり、犯罪組織と関わりがあったり。
もちろん例外はありまして、ショショコは悪くないどころか良い人だったけど。
でも今回殺された人たちって、ニールや朋友会側にとっては邪魔になる行動をしたけど、悪人ではなかったと思う。
特に酒に溺れてしまったウィザーズは哀しい。ニールやグレアムの反応が、哀しさに拍車をかけてますよね。
ウィザーズももうひとりも、マフィアに金銭的弱みを握られていたという意味では、ポリーを害する行動はしていたけどある意味被害者だったと思うんですよね。
プレーオフは完全に「悪者」なので、まあいいんですけど。
この傾向もまた、少年が大人になっていく過程での変化なのかなとなんとなく思っています。

プレーオフは完全に「悪者」で殺し屋なんだけど、なんとなくかわいい。
過剰書きで分析や対策を挙げていて合理的な殺人機械っぽさを醸し出しているのに、ことごとくうまくいかないのが、なんともいえないおかしさで、そのギャップがかわいい。
緊迫した雰囲気だったけれども、犬とかバットとかギャグじゃないですか。
最期まで変わらず滑稽で。
なるほど、喜劇ってこういうことか。

ウォータースライド自体も、意味不明でおかしい。日本人の設計によるサムライ・ウォータースライド「バンザイ」とは。
どことなくアメリカナイズされた謎ニホン観があるんだけど、仏陀の鏡の中国はあんなにリアルだったのになんでだ。
初めはスプラッシュマウンテン的な車に乗るタイプのだと思ってたんだけど、読んでるとどうも身一つで滑るプールのウォータースライダーっぽい雰囲気が濃厚で、なおさら頭おかしい。
そんなトンデモアトラクションなのに、砂袋が落ちたところの描写が伏線になってたんだと後で気づいてなんとなく悔しい。

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