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2024/05/20 (Mon)

『銀河ヒッチハイク・ガイド』

42ってこの本だったんですね。生命、宇宙、その他もろもろの答え。


宇宙バイパス建造のため地球が破壊されてしまい、運良く生き残った地球人アーサー・デントはたまたま地球に来ていた宇宙人とともに、ヒッチハイクをすることになる。
乗り込んだ船から投げ出されるも、最新型宇宙船を盗んだ銀河帝国大統領と合流し、伝説の星マグラシアに降り立つ。

という感じで、ストーリーもいろいろなことが起こってはいるんだけど、何が起こるかよりもその場その場でのドタバタとかユーモアとかの方に重きを置いている小説な気がしました。
SF的なものも、コメディのための小道具でしかないのかなとも思った。
ユーモアもいかにもイギリス人的な皮肉で、最初は作者がアメリカ人だと思ってたのであれ?と思ったのですが、著者紹介を読んだら普通にイギリス人でしたね。

現在進行形で起こっていることと、作中作の『銀河ヒッチハイク・ガイド』の引用で断片的な構造になっていたのが興味深かった。
この話についてさっきどこかに書いてあったなということが違った文脈で出てきたりする。
あっという間に読み終わったんだけど、全然キリがついてないんですね!これは続きを読まないと。
究極の問いも見つかってないし(それを見つけるのがこの小説シリーズの目的であるかも疑わしいと思ってるけど)、ゼイフォードの脳を焼きつけた目的も謎のままだし。

宇宙人の描写の仕方が、なんだか少しマグナス・リドルフを思い出しました。ヒト型宇宙人から知性を持った光、ネズミまでさまざまな見た目の宇宙人がいて、それぞれに違った特性を持っている。それがある種の地球人の風刺のように戯画化されている感じ。
官僚主義のヴォゴン人とかはその典型なのかなと思いました。
冒頭で主人公の家を壊しに来た地球人の官僚と黄色いブルドーザーは、分かりやすく二重写しになっていましたし。

あと、地球で最も賢い生物の話とかもおもしろかった。
いや、人間が最も賢い生物ではないというのは全然普通なんですけど、最も賢い生物が別次元の存在がこちらに突き出た部分だという書き方がおもしろかった。
あと地球自体が大きなひとつのコンピュータとして作られたことも、新しさを感じました。
この世界が誰かによって作られた箱庭的なものだという想像って誰しもすると思うんですけど、その目的としてそう繋がるのかっていうのがおもしろかった。

一方で、宇宙目線でも神(おそらくキリスト教的な)の存在を想定しているようなのが不思議だった。
神の不在を証明するのは存在を前提にしていないとできないよね、と思うんですよね。ないものをわざわざ不在と証明しようとしないだろうと思うので。

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『捕物小説名作選』

自分からはあまり手を出さないミステリの下位ジャンルにもひととおり触れておきたいという、好奇心と義務感が綯い交ぜになったような感情があります。
去年ぐらいからハードボイルドを読みたいと言っていたのもそれ。

でも知識がないものだから何を読んでいいか分からず、とりあえず名作選を読んでみたらよいのではというノリで読みました。
日本ペンクラブ編、池波正太郎選で、集英社文庫の日本名作シリーズの一冊。
この日本名作シリーズというのが、それぞれのジャンルに詳しい作家が選者をしているようで、見返しのラインナップを見ていると他のも読んでみたくなる。栗本薫選の『今、危険な愛に目覚めて』とかタイトルのインパクトすごいし。

閑話休題。

この『捕物小説名作選』の収録作は、岡本綺堂から藤沢周平まで12作。
たぶんどれもシリーズ1話目かと思うので、気になった短編からそのシリーズの他の作品に手をのばしやすい設計かと思います。
推理小説というより時代小説の作家の方が多いかな、という印象。
そのうち、読んだことがあったのは半七と安吾だけで、ほかはここに載ってるシリーズ以外も読んだことない作家ばかりでした。時代小説はほとんど読まないので。
漠然と江戸時代を書いた時代小説よりも、どちらかというと特定の実在した人物や事件をテーマにした歴史小説の方が好みなんですよね。

ミステリ度とか登場人物との距離感とか、雰囲気がユーモアかシリアスかとかそれぞれに違っていたので、全部捕物帖でも1作ごとに新鮮な気持ちで読めました。
意外だったのが、時代設定が明治時代になってるシリーズも結構あるのかということ。
いや、それを言えば読んだことのある2作品だって、「明治開化」安吾捕物帖だし、半七だって明治だか大正だかに老人の昔話を聞く体の話なんですけど。
でもなんとなくイメージとして、江戸時代だと思ってたので。
維新後が舞台の話も、安吾はともかくとして、警察ではないのに旧幕中の肩書を使って事件とかかわっていくのが面白いなと思った。あと、科学的なものをちょっと取り入れてる感じで、そこで時代性を出そうとしたのかな、と。

ところで、与力・同心・岡っ引きの区別が実はいまいちわかってない。
柴田錬三郎が作中で説明してくれていたのはありがたかったです。出世して上の役職にいけるわけじゃないんだとか、金稼ぎの方法とか。
ふんふんなるほどと読んだけども、それでこのアンソロジーに出てくる誰がどの役職なのかが曖昧……。
役職が違うからといって、捜査方法や話運びが違うようには思えなかったんですよね。
ええと半七親分は岡っ引き?っていうか、親分って呼ばれる人は岡っ引きなのかしら。
あと、鬼平……火付盗賊改方は奉行所とはまた別の組織なのよね。たしか。

一回まとめてみます。
奉行所……北町奉行と南町奉行がいる。大岡忠相とか遠山金四郎とか。
与力・同心は町奉行所の実務担当官吏。
与力……上役。人事や訴訟などさまざまな仕事をする。馬に乗れる。
同心……与力の下。実際の犯罪捜査とパトロール(定廻、隠密廻、臨時廻)は同心の仕事。
岡っ引き……同心の手下。さらに子分を抱えていることも多い。もと悪党だった人を使うことが多い。他の仕事も持っている。

この理解でいいのかしら。


この間読んだゲド戦記じゃないけれども、女性の書き方が……なんていうか。
作中の時代的にも書かれた時期的にも、ポリティカル・コレクトネスとかない時代なので、疎外されてるのは別にいいんですよ。
しかし、あまりにも都合が良い存在でしかないのではと思ってしまう。
男にとってというよりも、物語にとって都合が良い動きしかしていない。
女だからといって、そんな簡単に騙されないんじゃないか、そこまで精神的に弱くないだろうと思うんです。
あとたとえば主人公の情人みたいな女性たちについては、主人公のかっこよさがいまいちわからないから都合良く感じるんだろうと思いました。浜吉とお時は、知り合って懇ろになるまでの過程がが丁寧だったのがよかった。
お梨江嬢がとても好きです。都合良く使われてなるものかという心意気が素敵。さすが新時代の女性。

いやでも、よく考えてみると女性以外も結構事件のためのコマでしかない感じがしました。
枚数に制約がある短編だから、事件関係者側を掘り下げられないとそうなるのかな。



各短編の感想。
「半七捕物帳 お文の魂」
再読になるけれども、やっぱり好きだなぁ。
怪異が合理的に解決されることも、なんとなく上品な雰囲気も、とても好み。
そして他と比べてもちゃんとミステリ的な謎解きをしていることに驚きました。

「右門捕物帳 南蛮幽霊」
これは……正直、微妙。
話がどうとかいうより、伴天連の魔法って何?ってなって、ついていけなかったです。そういうのがある世界なのか。

「銭形平次捕物控 赤い紐」
かの有名な銭形平次。銭を投げるシーンがなかったのが残念でした。
地味だけど、わりとロジック的なところをちゃんと書いている感じがしました。
江戸の祭りの雰囲気もよかった。

「若さま侍捕物帳 お色屋敷」
若さまはいったい何者なのかしら。身分の高そうな放蕩者が探偵を趣味にする、貴族探偵的な話ってのは国や時代を問わないんだなって思いました。
話運びもそこそこおもしろいんだけど、この若さまが何をしたいのかの方が気になった。
タイトルで犯人やら動機やらがわかってしまうのは問題ないのかしら。
ちょっとおかしみのある文章は好きです。

「顎十郎捕物帖 捨公方」
久生十蘭はこの作家陣の中ではミステリ寄りの作家というイメージだったんですけど、ミステリでも捕物でもなかったですね。
将軍には生き別れの双子の兄がいて、それを擁立しようとする側、阻止しようとする側の勢力があり、顎十郎はどちらの陣営よりも早く将軍兄を見つけないといけないという筋書き。将軍兄がどこにいるかというのが一応謎ではあるけど、謎解きよりも冒険がメインな感じのお話しでした。
顎十郎の行動も行き当たりばったりで、歩いてたらたまたま手がかりを得てってのが何度も続くご都合主義展開。
最後の幕切れもちょっと唐突というか、ページがなくなったのかなと思った。
将軍や老中の名前は実名で出ていたのはおもしろかったです。

「明治開化安吾捕物帳 舞踏会殺人事件」
かつてアニメをやっていたときに読んでいたものの、内容は全然忘れ去ってました。
こうして他の捕物帳と比べてみると、かなりミステリ度の高い方だったんですね。
真相そのもののトリックもだけれど、推理合戦のような構造も。

「加田三七捕物そば屋 幻の像」
明治時代、元八丁堀同心のそば屋が昔取った杵柄で捕物をする話。
これはかなり好きでした。
導入と事件が結びついていて、トリックが文明開化の時代っぽい雰囲気が強くて、遊郭に出る幽霊というのも雰囲気があっていい。
江戸の幽霊や遊郭は、近代によって駆逐されてしまうのだろうか。

「貧乏同心御用帳 南蛮船」
タイトル通り、貧乏な同心が孤児を養いつつベイカーストリートイレギュラーズのように捜査に協力させるという話。
上にも書いたけど、同心の職掌や身分についての説明が多くて助かりました。
地の文はちょっと遠くから見ているけど、情のようなものが立ち上ってくる感じでよかった。
事件の掴みもいい。次々と女性が行方不明になり、その後に黄金の仏像が残されている。調べに乗り出すと、見知らぬ賊に襲われる。いったい何が起こっているのか、と興味を惹かれる。
旗本屋敷に招かれたシーンで、主人公の力量が読者にはっきり示されるのもうまい。
事件に関しては、そんな楽土はないだろうと思うので、体のいい人身売買ではと思ってしまい、その真相まで探ってほしかった。

「岡っ引き源蔵捕物帳 伝法院裏門前」
嫉妬深い夫から暴力を受けていた妻は間男とともに夫を殺そうとしていたが、間男と夫が行き合い、夫が脚を怪我することになる。数日後、間男と妻の死体が伝法院裏門前で発見される。という話。
風呂屋での会話から真相糾明するあたりが捕物帖っぽかったです。そういうイメージ。
夫も間男もどっちもクズだった。

「風車の浜吉捕物綴 風車は廻る」
元は同心だったが江戸払いになった浜吉が風車売りとして江戸に戻り、懇ろになった料理屋の女を巡って侠客と決闘する話。
ミステリではないどころか、事件も謎も何もなかった。
シリーズ1話目で、登場人物紹介とか導入の意味が強い作品だからだろうと思いますが、ちょっとびっくりしました。
そのせいか他の作品に比べて、群を抜いて「人間が描けている」印象だった
巻末の対談を読んだらこの後の展開についても語られていて、普通に事件とかも起こるらしいのでそれも読んでみたい。

「神谷玄次郎捕物控 春の闇」
藤沢周平。意外にも推理小説っぽい話だった。
先頃、娘が婚約者からもらった簪をなくしたという訴えがあった商家で、今度は奉公人の一人が殺された。捜査を始めると怪文書が投げ込まれ、簪が見つかる。
まあこの手のパターンは犯人の見当がつきやすいけど、ちゃんと捜査して推理して張り込みして犯人を捕らえるという手順だったので、ほっとする。
雰囲気も艶っぽくてなんとなく上品で好き。最初の部分とかすごい。
実働が神谷玄次郎自身ではなく、その下についている岡っ引の銀蔵なのが、そういうものなのかと思いました。足を使う捜査は岡っ引にさせて、ここぞというときだけ同心が出てくるのか。

「耳なし源蔵召捕記事 西郷はんの写真」
全編関西弁で展開していく語りが軽快で楽しい。
西南戦争真っ最中の大阪で、西郷隆盛ほか賊軍の将軍の写真が夜店で売られていた。しかしそれは別人を写したものだった、という導入はすごくおもしろかったです。
誰が何故そんなことを、と引き込まれる。
それに対して真相はなんとなくすっきりしない。謎のわくわく感に対して、犯人がどうもしょぼいんだよね。もうちょっと陰謀めいたものを期待してた。
あと、主人公がどうも気に食わない。調子のいい自己中心的な親父といった感じ。憎めない感じだし、大阪のおっちゃんというイメージではあるが。好きじゃない。
これ、西郷だけは当人あるいは関係者の可能性もあるのかしらという余韻はよかったです。

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『招キ探偵事務所 字幕泥棒をさがせ』

高里先生の新作。
これがタイガから出るってことは、やっぱりラボは打ち止めなのかなー3巻でせっかく面白くなったのになー残念。
というのはおいといて、すごく好きな物語でした。
連作短編かと思ったら一冊でひとつの話を追うタイプで嬉しい。個人的には高里先生の小説はキャラクターとの経験の積み重ねによってどんどんおもしろくなると思っているので、長編の方が好みなんです。

ふわっとした雰囲気で、読んでいて幸せになるお話でした。
それに普通に謎を追う話として読んでいて楽しかった。

まず、謎の設定がおもしろかったです。
上映中の映画に、映画とは異なる内容の字幕がついていた。誰が、どうやって、何のために?
見当もつかなくてわくわくする。字幕の仕組みとかについてのちょっとした豆知識もあって楽しかったです。
で、捜査をしていくと当初の予想よりも大きな事件っぽくなっていくのも読んでいてハラハラする。

高里先生が書く黒根くんみたいなキャラクターがすごく好みです。石漱くんとかもこの系統の気がする。
なんか今回モブ含めてキャラクターが全体的に濃かった感じがします。なんていうかマンガのキャラっぽい感じのキャラの濃さ。武見さんとか知糸さんとか海老塚とか。
結仁くんもかわいくて好き。ところでこの姉弟、名前がモノとユニなんですね。
名前といえば、プレアデスじゃないのが地味に気になった。昴は執事に出てくるからかぶらないようにしたのかしら。

探偵役と助手役と警察の関係性が、他のシリーズとも全然違うけどみんな違ってみんないいみたいな感じ。
ラスト1行の破壊力やばくないですか?

「探偵がするのは事実の解明」と言いながら、事件の原因にさかのぼって解決することも、その提示した解決も、高里先生らしいやさしさにあふれていてなんとも言えず良かったです。

表紙もかわいいですよね。
ふわっとした人物のイラストと、古き良き映画館(イメージ)みたいな表題の入れ方。作中で言及が多い文字組やフォントを、外側でもこだわっていそうな感じ。


この作品で一番面白いと思ったところがめちゃくちゃネタバレになるので、というかそれを言うのすらネタバレなんじゃないかと若干不安になってきた。
とりあえず続きから。ネタバレ注意。



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つづきはこちら


ええと、この小説の核心部って「探偵がどちらかを隠していた」ところじゃないかと思うんです。
叙述トリックというには明らかに伏せていて怪しすぎるけれども、一応初めの方は 雪穂=探偵(役)、黒根=巻き込まれた助手(役)? という風に思わせるように書いてあった。
でも読んでいるとどう考えてもどっちも探偵にも探偵役にも見えないし、黒根くんは捕まっちゃうし。主人公だし犯人ではないだろうけれども若干語り手としては信用できないよな、みたいな感じで読んでいた。
それが、第2章のラストでそれぞれの身分が明かされるところがめちゃくちゃ熱かったです!
それで、ああなるほどあのときのあの表現はそういう意味だったんだと腑に落ちる感覚がとても気持ちいい。

地味に、最初の方の最後尾札のシーンがおもしろかったです。
最後尾札があるだけで、殺到していた人たちが統率されるっていうソリューションが、なんていうかすごく単純だけど効率的に場を解決していておもしろい。
そのシーンがあったから、雪穂の方が探偵なのかもっていう漠然とした予想に根拠が生まれたような気がしました。

あと、個人的にものすごく好きだったのが、地の文が3人称1視点なんだけど、雪穂視点で書かれているときはフォントについての描写が多いこと。
これと似たようなことは「うちの執事」シリーズでもやっていて。1巻が特に顕著だったと思うけど、そちらでは花穎視点のときには色を細かく描写してたんですよね。さりげなく。
そういう細かいところがもうすごく好きで。
人の知識や興味によって、同じ景色でも見えているものは違っているはずで、それをそのまま地の文で表現している感じというか。そしてそれが物語上でもちょっとした役割を果たすのがもう最高。


一方で、主役二人が何者かを隠していたせいで若干情報が足りない感がするので、もっと黒根くんと雪穂先生について読みたい。
「あの時、折角生き延びたのに……」が気になりすぎる。
ぜひ続編出してほしいなぁ。
とはいえキャラクターの設定がこの事件に特化しすぎている気がするのでどうなんだろう。


最後に、小説の感想としては蛇足になりますが。
今回、あとがきに救われました。
ひとつのものを永続して好きでいることは義務ではないというお話。
ほかでもない、高里先生の小説自体に対してそういったことを悩んでいたので。好きでいつづけたいと思っていた。そうでなくてはならない気がしていた。好きなのは紛れもない事実なのだけれども、好きではなくなるかもしれない恐怖に襲われて、しがらみなく好きとはいいがたいことも分かっていて。
だから、疎遠になったとしても、その先の未来では今以上に好きになるかもしれないという言葉で少し気が楽になった。今好きでも未来の自分にまで「好き」を強いなくてもいいというメッセージに救われた。
それでも、タイミングが合って、読んで好きだといえる作品と多く出会えたらうれしい。
こういうことを書いてくださる方の小説だから、きっと好きなんだと思う。

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『ゲド戦記』

中学生の頃、というのはつまり映画が公開された頃に何冊か読んだものの、そのままになっていました。映画も結局見なかったし。
当時何冊読んだかすら曖昧だったけど、今回読み直して1巻と3巻はなんとなく記憶にありました。間の2巻は全く覚えてなかったので、飛ばして読んだ疑いがある。

指輪やナルニアに比べてそんなに好きではない、というのが正直な感想。
なぜかというと、物語の膜が薄いから。
一般的に小説って、何か伝えたいテーマがあってそれを物語のかたちで書くものだと思うんです。それはいい。でも、この作品は伝えたいテーマらしきものがあからさまで、物語に昇華されきってないように感じました。だからファンタジー世界での冒険物語を楽しむよりも作者の主張を強く感じてしまった。
その主張自体は、考えさせられることだと思います。自身の光と影を一つにするとか、自由と自律とか、生と死とか、フェミニズムとか。
でも私は、そういうことはもっとさりげなく物語の中に埋め込まれている方が好みなんです。物語に没頭したあとで、テーマがあったことに気づくような。
たぶん、小説に求める優先順位が違うんだと思う。私はエンターテイメントであることが前提であってほしいけど、ル=グウィンは、そこが一番最後になるんだろう。
そういう哲学的な問いが強い作品は、ファンタジーよりもむしろSFや純文学で読みたいというイメージがある。普通にル=グウィンのSF作品を読むべきかもしれない。

特にフェミニズムは、このシリーズ後半のテーマになっている気がするんだけど、なんか登場人物がそう考えているという以上にル=グウィンの主張なんだろうなぁと思ってしまって少し萎えた。
魔法という知の体系が、男性に独占されていること。魔法使いが禁欲の近いを立てていること。
それはすごく歪みのある世界だから、是正しようとする登場人物が出てくるのは当然だと思う。でも、その意見はテナーやモエサシのものではなく、現代的な感じがすごくしたんですよね。
あとその主張が平等ではなく女尊男卑に寄りかけてたことも、私の感覚とは離れるので苦手だった。虐げられてきて最初の噴出が怒りになるのは仕方ないのだろうけど。
ただ、ハンノキにゲドが語ったことは良かった。愛は永遠。

「ドラゴンフライ」から6巻はちゃんとエンターテイメント性のある物語になっていたので、そこはとてもおもしろかったです。
キャラクターもそれまでに比べて活き活きしていたし、伏線回収というほどではないけど、ほかのところで書かれていた物事が繋がるような箇所がいくつかあって、普通に読んでて楽しかった。
1巻では一人の人間の光と影を合一して全きものにしたのが、最終巻では世界の光と影(生と死)を全きものにしたのも、もとに戻る感じでシリーズの終わり方としてよかった。

逆に新鮮な感じもしました。たとえば自分の中の光と影を合一するというのは、比喩とかを使うのではなくて、そのままのことをするんだって。

地の文の距離感も独特だなと思いました。
冒頭にあるように、何十年何百年か未来で、すでに伝説になったゲドの伝説では語られない話を物語っている文章なんだと思う。
だから少し俯瞰的で、登場人物の感情も遠くにある。ただ怒ったとか笑ったとか説明があるだけで、何を思ったかまでは書かれない。
特に1巻が顕著だった。テナーやアレンは、もうちょっと何を思っているかがわかる書き方をされてはいたけど。
そういう書き方はある種の歴史小説っぽいのかもしれない。架空の世界の架空の歴史。
歴史っぽさでいうとアースシー解説はやばいですよね。

あとね、魔法と魔法使いの話だから仕方ないんだけど、地の文でも台詞でも魔法使い的な言い回しが多いですね。
肝心なことは言わないでほのめかすような。
言葉の奥にひそんでいるのはどんなことかを補完しながら読むけど、曖昧にしかわからない。
そこを深く読み解くように読むのは、なかなか体力を使う気がしました。

中学生のときに全部読めなかったのは、まあそうだろうなって思う。
あの頃は今以上に共感や感情移入に拠った本の読み方をしていたから。


物語や登場人物はちょっと求めていたものと違ったのだけど、アースシーという世界のあり方は本当に興味深かった。
まず、人種。多数派人種が褐色系の肌で、白人は別の文化を持ち侵略してくる人たちという設定。
これこそ、現実世界へのカウンターとして設定されているんだと思う。だからといって作中で人種差別の問題が喧伝されることがなかったのもポイント高いです。

神話や文字から作り込まれている世界なのに、それは所与のものとしてあるので、改めて説明されることなくさらっと英雄の話とかが出てくるのもおもしろいなと思う。設定はつい説明してしまいがちになるから。
でも名前が出てくるわりにモレドとエルファーランとエレス・アクべがそれぞれ何した人かわからなくてもどかしかった。
アースシー解説でようやくわかったようなわからないような。あれも結局、すでにあるものを説明する態度だったので。

伝説といえば、私的にはヴェルナダンがめちゃくちゃ熱かったです。
もとはひとつの出来事が、長い年月を経て伝説化していったときに、伝えられている集団によってディティールに差異が生じてて、でも核は同じひとつのことを語っているというのがとても好きなので。
その差異がどうして生じたか、とかそれぞれ差異から語られている集団の性格を類推するのとかとても楽しい。

死後の世界の描き方もなかなか独特な気がして興味深い。
石垣で隔てられた、荒涼とした世界。風が吹かない街に死んだ人たちは独りひとりずっと死んだまま居続ける。
死者が死んだままありつづけるという観念は、あまり生得的にないものだったので新鮮でした。
一方でカルガドでは輪廻転生的な考え方で。やっぱりそこも人種と宗教のステロタイプを外してきている。
でも、そんな石垣のある世界が「西の果てのそのまた向こう」に実質的にはあるというのがテンション上がりました。極楽浄土じゃん!
いや、極楽浄土に限らず、たぶん陽の沈むところという観念でわりと広くある気がするけど。

細かい部分について言いたいことはいろいろあるけど、とりあえず全体の感想だけにしておきます。


ところで5巻のまえがきで、ホビット庄がドン・キホーテやアーサー王と並ぶものとして書いてあってびっくりした。え、そこまでなの?

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『それまでの明日』

待望っていうほどには待っていないのだけれども、ともかくも原尞の新刊!
昨年の秋頃に初めて読んでめちゃくちゃはまって、でも10年以上続き出てないのかーと思っていたところ年明けに新刊の告知が出たので、読んだ時期がすごく良かったなと思います。
そんなわけで、前4作と短編集からあまり時間を空けずに読んだので、14年とか待った人の感想とは違うのかもしれない。

おもしろかったし、とても読みやすかった。
一章一章の区切りが短いのと、会話が多かったのが読みやすさの理由だと思います。
ただ、やっぱり初期三部作の方が好きかなと思う。

沢崎のもとを望月皓一と名乗る金融会社の支店長が現われ、赤坂の料亭の女将の身辺調査をしてくれと依頼する。調査を始めると、その女将は死去していることが判明。沢崎は望月の勤める金融会社を訪れるが、そこで強盗事件に巻き込まれ、依頼人は行方不明となっていた。

という話で、中盤は強盗事件の捜査と望月の捜索に乗り出すわけなのですが、その部分って別にこの小説における核心部分ではなかったんだろうなと思う。
じゃあ何が核心かというと、テーマは父子だったのではないかと。
そのテーマを補強するかたちで挿入された、近頃の親子関係を示すちょっとしたエピソードが好きでした。

あとファンサービス的なくすぐりが多かったですね。
冒頭からして、今まで渡辺探偵事務所を訪れた「記憶を失くした射撃選手」や「性転換したゴースト・ライター」や「探偵志願の不良少年」について触れているので、とても楽しい。
久々に読むファンにも新規の人にも、この世界の広さや繋がりを示しているのかなと思った。

ものすごく気になったんだけど、捜査の課程で沢崎が聞き取りする人々、親切すぎない?
みんなこんなにペラペラ喋ってくれてたっけ?なんかもっと警戒したり後ろ暗いところがあったり意識的にも無意識にも嘘を吐いていたりして、こんなに要点の整理された証言を引き出せることが少なかったイメージ。
だからこそ沢崎がはったりを言ったり誘導尋問をしたりして、どうにか使える証言を引き出していた気がする。そこがおもしろいところのひとつでもあった。その過程で沢崎がかっこいい皮肉を言ったりしていて。
なので沢崎が身元を偽って訊き始めたときに証言するのは良いんだけど、その後本当の身分を明かしたときに驚いたり怪しんだりしないのがすごく違和感があった。
そういう風に、証言が都合よすぎるのって(本格)ミステリにありがちな現象だと思うんですけど、原尞はその意味では本格の人じゃないじゃないですか。むしろ捜査シーンはハードボイルド的ででも謎解きは本格っていうところがおもしろい作家だったはず。どうしたんだろう。
あれかな、14年の間に東京の人々がまるくなって自分語り大好きになったのだろうか。錦織や橋爪も、そもそも沢崎も幾分か柔和になった気がするし。彼らは年のせいだろうけど。
依頼人や海津が長々と喋っていたのは、むしろそこがこの物語の中で大事な部分だったからまぁ構わないと思うんです。そこでの沢崎とのやりとりはかなり好きなシーンだったので。

上にもちょっと書いたけど、錦織も橋爪も、本当にまるくなりましたよね。びっくりした。
確執の原因がなくなって久しいからなのかなとはちょっと思った。
それでも悪態をつき合っているのは、「習い性になる」という表現が作中にも出てきたけれど、まさにそんな感じなんだろうなと思いました。
憎みつつも長く沢崎を知っているわけで、何を言ったらどう動くかみたいなこともある程度想像しうる関係になっているから、以前ほどやかましくはなくなったのかなと妄想。
あと今回は主に田島警部補が沢崎と一緒に行動していたし、彼の方が何かと甘いからそんな感じが強かったのかもしれない。
暴力団や警察のような強い立場の人にもへつらわないのが沢崎のかっこよさのひとつだったと思うので、それが形骸化してしまった感があってちょっと寂しかったです。
むしろ今回は海津との対話の中で「父親」のように諭したところとかがかっこよかったかな。ルポライターの佐伯(準レギュラー化するとは思っていなかった)に対しても、似たような面を見せるような気がする。
あと、未だに携帯電話を持っていない辺りは一貫していて好き。社会を風刺する目線とかも相変わらずでかっこいい。

ミステリ的な部分というか、強盗事件についてはまず顛末がおもしろかった。
で、そこから行方不明の支店長を探すところとかはちょっと順調すぎる気がしたけど、読み終えたあとに振り返ると、たぶんそこに筆を割くつもりはなかったんだろうなと思う。証言をした人が気前よく情報提供してくれてばかりいたのは、結局はそういうことだったのだろう。
暴力団とかがいろいろと出てきた段階で、捜査をして新情報が出てくるのはおもしろいけれども推理自体のおもしろさではないんだろうなと気づいてしまった。
謎解き部分のおもしろさはやっぱり、最初の三作の方がおもしろかったなと思う。
でも望月が発見されて新宿署で対面したシーンは普通にびっくりしました。


最後のあれは、現代を舞台にして実際の事件とかにも言及する作風である以上、書かずにはいられなかったのかなと思いました。
海津君……無事だといいんだけど。儚い願いだと知りつつ、祈らずにはいられない気分にさせられた。好青年っぷりが強調して書かれていて屈折も含めて良い人だと思えた。沢崎との関係性も良かった。だから、なおさらしんどい。死亡フラグがすごいけど、また会う日を願わずにはいられない。

読んでいる途中で「今回の話は何年ごろなんだろう。震災はまだ起こってない気がするけど」という話をしたら、相手は一足早く読み終わっていて微妙に口を濁されたので、もしかしてと察してしまったのが悔しい。あれですね、読み終わる前には読み終えている人と不用意に話さない方がいいですね。
それはそれとして、『一八八八切り裂きジャック』を思い出しました。

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