『ゲド戦記』
中学生の頃、というのはつまり映画が公開された頃に何冊か読んだものの、そのままになっていました。映画も結局見なかったし。
当時何冊読んだかすら曖昧だったけど、今回読み直して1巻と3巻はなんとなく記憶にありました。間の2巻は全く覚えてなかったので、飛ばして読んだ疑いがある。
指輪やナルニアに比べてそんなに好きではない、というのが正直な感想。
なぜかというと、物語の膜が薄いから。
一般的に小説って、何か伝えたいテーマがあってそれを物語のかたちで書くものだと思うんです。それはいい。でも、この作品は伝えたいテーマらしきものがあからさまで、物語に昇華されきってないように感じました。だからファンタジー世界での冒険物語を楽しむよりも作者の主張を強く感じてしまった。
その主張自体は、考えさせられることだと思います。自身の光と影を一つにするとか、自由と自律とか、生と死とか、フェミニズムとか。
でも私は、そういうことはもっとさりげなく物語の中に埋め込まれている方が好みなんです。物語に没頭したあとで、テーマがあったことに気づくような。
たぶん、小説に求める優先順位が違うんだと思う。私はエンターテイメントであることが前提であってほしいけど、ル=グウィンは、そこが一番最後になるんだろう。
そういう哲学的な問いが強い作品は、ファンタジーよりもむしろSFや純文学で読みたいというイメージがある。普通にル=グウィンのSF作品を読むべきかもしれない。
特にフェミニズムは、このシリーズ後半のテーマになっている気がするんだけど、なんか登場人物がそう考えているという以上にル=グウィンの主張なんだろうなぁと思ってしまって少し萎えた。
魔法という知の体系が、男性に独占されていること。魔法使いが禁欲の近いを立てていること。
それはすごく歪みのある世界だから、是正しようとする登場人物が出てくるのは当然だと思う。でも、その意見はテナーやモエサシのものではなく、現代的な感じがすごくしたんですよね。
あとその主張が平等ではなく女尊男卑に寄りかけてたことも、私の感覚とは離れるので苦手だった。虐げられてきて最初の噴出が怒りになるのは仕方ないのだろうけど。
ただ、ハンノキにゲドが語ったことは良かった。愛は永遠。
「ドラゴンフライ」から6巻はちゃんとエンターテイメント性のある物語になっていたので、そこはとてもおもしろかったです。
キャラクターもそれまでに比べて活き活きしていたし、伏線回収というほどではないけど、ほかのところで書かれていた物事が繋がるような箇所がいくつかあって、普通に読んでて楽しかった。
1巻では一人の人間の光と影を合一して全きものにしたのが、最終巻では世界の光と影(生と死)を全きものにしたのも、もとに戻る感じでシリーズの終わり方としてよかった。
逆に新鮮な感じもしました。たとえば自分の中の光と影を合一するというのは、比喩とかを使うのではなくて、そのままのことをするんだって。
地の文の距離感も独特だなと思いました。
冒頭にあるように、何十年何百年か未来で、すでに伝説になったゲドの伝説では語られない話を物語っている文章なんだと思う。
だから少し俯瞰的で、登場人物の感情も遠くにある。ただ怒ったとか笑ったとか説明があるだけで、何を思ったかまでは書かれない。
特に1巻が顕著だった。テナーやアレンは、もうちょっと何を思っているかがわかる書き方をされてはいたけど。
そういう書き方はある種の歴史小説っぽいのかもしれない。架空の世界の架空の歴史。
歴史っぽさでいうとアースシー解説はやばいですよね。
あとね、魔法と魔法使いの話だから仕方ないんだけど、地の文でも台詞でも魔法使い的な言い回しが多いですね。
肝心なことは言わないでほのめかすような。
言葉の奥にひそんでいるのはどんなことかを補完しながら読むけど、曖昧にしかわからない。
そこを深く読み解くように読むのは、なかなか体力を使う気がしました。
中学生のときに全部読めなかったのは、まあそうだろうなって思う。
あの頃は今以上に共感や感情移入に拠った本の読み方をしていたから。
物語や登場人物はちょっと求めていたものと違ったのだけど、アースシーという世界のあり方は本当に興味深かった。
まず、人種。多数派人種が褐色系の肌で、白人は別の文化を持ち侵略してくる人たちという設定。
これこそ、現実世界へのカウンターとして設定されているんだと思う。だからといって作中で人種差別の問題が喧伝されることがなかったのもポイント高いです。
神話や文字から作り込まれている世界なのに、それは所与のものとしてあるので、改めて説明されることなくさらっと英雄の話とかが出てくるのもおもしろいなと思う。設定はつい説明してしまいがちになるから。
でも名前が出てくるわりにモレドとエルファーランとエレス・アクべがそれぞれ何した人かわからなくてもどかしかった。
アースシー解説でようやくわかったようなわからないような。あれも結局、すでにあるものを説明する態度だったので。
伝説といえば、私的にはヴェルナダンがめちゃくちゃ熱かったです。
もとはひとつの出来事が、長い年月を経て伝説化していったときに、伝えられている集団によってディティールに差異が生じてて、でも核は同じひとつのことを語っているというのがとても好きなので。
その差異がどうして生じたか、とかそれぞれ差異から語られている集団の性格を類推するのとかとても楽しい。
死後の世界の描き方もなかなか独特な気がして興味深い。
石垣で隔てられた、荒涼とした世界。風が吹かない街に死んだ人たちは独りひとりずっと死んだまま居続ける。
死者が死んだままありつづけるという観念は、あまり生得的にないものだったので新鮮でした。
一方でカルガドでは輪廻転生的な考え方で。やっぱりそこも人種と宗教のステロタイプを外してきている。
でも、そんな石垣のある世界が「西の果てのそのまた向こう」に実質的にはあるというのがテンション上がりました。極楽浄土じゃん!
いや、極楽浄土に限らず、たぶん陽の沈むところという観念でわりと広くある気がするけど。
細かい部分について言いたいことはいろいろあるけど、とりあえず全体の感想だけにしておきます。
ところで5巻のまえがきで、ホビット庄がドン・キホーテやアーサー王と並ぶものとして書いてあってびっくりした。え、そこまでなの?
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当時何冊読んだかすら曖昧だったけど、今回読み直して1巻と3巻はなんとなく記憶にありました。間の2巻は全く覚えてなかったので、飛ばして読んだ疑いがある。
指輪やナルニアに比べてそんなに好きではない、というのが正直な感想。
なぜかというと、物語の膜が薄いから。
一般的に小説って、何か伝えたいテーマがあってそれを物語のかたちで書くものだと思うんです。それはいい。でも、この作品は伝えたいテーマらしきものがあからさまで、物語に昇華されきってないように感じました。だからファンタジー世界での冒険物語を楽しむよりも作者の主張を強く感じてしまった。
その主張自体は、考えさせられることだと思います。自身の光と影を一つにするとか、自由と自律とか、生と死とか、フェミニズムとか。
でも私は、そういうことはもっとさりげなく物語の中に埋め込まれている方が好みなんです。物語に没頭したあとで、テーマがあったことに気づくような。
たぶん、小説に求める優先順位が違うんだと思う。私はエンターテイメントであることが前提であってほしいけど、ル=グウィンは、そこが一番最後になるんだろう。
そういう哲学的な問いが強い作品は、ファンタジーよりもむしろSFや純文学で読みたいというイメージがある。普通にル=グウィンのSF作品を読むべきかもしれない。
特にフェミニズムは、このシリーズ後半のテーマになっている気がするんだけど、なんか登場人物がそう考えているという以上にル=グウィンの主張なんだろうなぁと思ってしまって少し萎えた。
魔法という知の体系が、男性に独占されていること。魔法使いが禁欲の近いを立てていること。
それはすごく歪みのある世界だから、是正しようとする登場人物が出てくるのは当然だと思う。でも、その意見はテナーやモエサシのものではなく、現代的な感じがすごくしたんですよね。
あとその主張が平等ではなく女尊男卑に寄りかけてたことも、私の感覚とは離れるので苦手だった。虐げられてきて最初の噴出が怒りになるのは仕方ないのだろうけど。
ただ、ハンノキにゲドが語ったことは良かった。愛は永遠。
「ドラゴンフライ」から6巻はちゃんとエンターテイメント性のある物語になっていたので、そこはとてもおもしろかったです。
キャラクターもそれまでに比べて活き活きしていたし、伏線回収というほどではないけど、ほかのところで書かれていた物事が繋がるような箇所がいくつかあって、普通に読んでて楽しかった。
1巻では一人の人間の光と影を合一して全きものにしたのが、最終巻では世界の光と影(生と死)を全きものにしたのも、もとに戻る感じでシリーズの終わり方としてよかった。
逆に新鮮な感じもしました。たとえば自分の中の光と影を合一するというのは、比喩とかを使うのではなくて、そのままのことをするんだって。
地の文の距離感も独特だなと思いました。
冒頭にあるように、何十年何百年か未来で、すでに伝説になったゲドの伝説では語られない話を物語っている文章なんだと思う。
だから少し俯瞰的で、登場人物の感情も遠くにある。ただ怒ったとか笑ったとか説明があるだけで、何を思ったかまでは書かれない。
特に1巻が顕著だった。テナーやアレンは、もうちょっと何を思っているかがわかる書き方をされてはいたけど。
そういう書き方はある種の歴史小説っぽいのかもしれない。架空の世界の架空の歴史。
歴史っぽさでいうとアースシー解説はやばいですよね。
あとね、魔法と魔法使いの話だから仕方ないんだけど、地の文でも台詞でも魔法使い的な言い回しが多いですね。
肝心なことは言わないでほのめかすような。
言葉の奥にひそんでいるのはどんなことかを補完しながら読むけど、曖昧にしかわからない。
そこを深く読み解くように読むのは、なかなか体力を使う気がしました。
中学生のときに全部読めなかったのは、まあそうだろうなって思う。
あの頃は今以上に共感や感情移入に拠った本の読み方をしていたから。
物語や登場人物はちょっと求めていたものと違ったのだけど、アースシーという世界のあり方は本当に興味深かった。
まず、人種。多数派人種が褐色系の肌で、白人は別の文化を持ち侵略してくる人たちという設定。
これこそ、現実世界へのカウンターとして設定されているんだと思う。だからといって作中で人種差別の問題が喧伝されることがなかったのもポイント高いです。
神話や文字から作り込まれている世界なのに、それは所与のものとしてあるので、改めて説明されることなくさらっと英雄の話とかが出てくるのもおもしろいなと思う。設定はつい説明してしまいがちになるから。
でも名前が出てくるわりにモレドとエルファーランとエレス・アクべがそれぞれ何した人かわからなくてもどかしかった。
アースシー解説でようやくわかったようなわからないような。あれも結局、すでにあるものを説明する態度だったので。
伝説といえば、私的にはヴェルナダンがめちゃくちゃ熱かったです。
もとはひとつの出来事が、長い年月を経て伝説化していったときに、伝えられている集団によってディティールに差異が生じてて、でも核は同じひとつのことを語っているというのがとても好きなので。
その差異がどうして生じたか、とかそれぞれ差異から語られている集団の性格を類推するのとかとても楽しい。
死後の世界の描き方もなかなか独特な気がして興味深い。
石垣で隔てられた、荒涼とした世界。風が吹かない街に死んだ人たちは独りひとりずっと死んだまま居続ける。
死者が死んだままありつづけるという観念は、あまり生得的にないものだったので新鮮でした。
一方でカルガドでは輪廻転生的な考え方で。やっぱりそこも人種と宗教のステロタイプを外してきている。
でも、そんな石垣のある世界が「西の果てのそのまた向こう」に実質的にはあるというのがテンション上がりました。極楽浄土じゃん!
いや、極楽浄土に限らず、たぶん陽の沈むところという観念でわりと広くある気がするけど。
細かい部分について言いたいことはいろいろあるけど、とりあえず全体の感想だけにしておきます。
ところで5巻のまえがきで、ホビット庄がドン・キホーテやアーサー王と並ぶものとして書いてあってびっくりした。え、そこまでなの?
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