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2024/05/20 (Mon)

二次元や三次元 容赦もなく阻む境界線

ぼうっとしていたら、あっという間に年が変わってから1週間が過ぎていて慄いています。
こうして何もなさずに終わっていってしまうのかなぁ、なんて。
そんなことがないように頑張っていきたいと思っていますが。

というわけで、かなり遅くなってしまいましたが、昨年の読書の総括と今年の目標。
2017年は、新しく読んだ本が84冊で再読含めると96冊。
……年々減ってきているのがつらいです。
そろそろ歯止めをかけたい。

特に印象に残っている本を10冊(シリーズ)。だいたい個別記事書いているので書名だけ挙げておきます。
ほぼ読んだ順に。
『おにぎりスタッバー』『ひとくいマンイーター』
『子供たちは狼のように吠える』
『図書館の魔女』シリーズ
『あとは野となれ、大和撫子』
カブキブ!シリーズ
『幻想風紀委員会』
『ホワイトラビット』
私立探偵沢崎シリーズ
『13・67』

別枠で、『君にまどろむ風の花』。これはもうシリーズ新刊が出てくれただけで嬉しい。
ファンの方々の読書会にも参加させていただいて、読み飛ばしていた萌えポイント(プチトマトに親近感覚えるリベザルとか)に気づいたり、考察を伺ったりも楽しかったです。

このブログでは主に小説の感想しか書いてないんですけど、2017年は私にしては多くマンガを読んだなという印象でした。
いつの間にかkindleに入ってるので(笑)
『宝石の国』『魔法使いの嫁』『ボールルームへようこそ』『ヨコハマ物語』など。
ええ、見ての通り、アニメがきっかけで読んだのが多いわけなんですけど。
それを言ったら小説だってバチ官もカブキブもアニメがきっかけで読んだので、なんかそんな感じの一年だったのかもしれないです。


一年ほど前、このブログで2017年の目標として「名著を読む」みたいなことを言っていたんですが、そのときに想定していたいくつかの本は読んだもののなかなか達成できていないです。
そんな感じの状況で今年の目標を言っても……という気持ちもあるんですけど、言葉にして書き留めておくことである程度は心がけることができるかも、と期待して。
今年の目標は、物語以外を読む です。
大学卒業してから年に1冊くらいしか専門書というか物語以外の本を読まなくなってしまったんですよね。大学生だったときも、そんなに真面目な学生ではなかったんですけど。
日本史関係の専門書とか、学術系文庫とか新書とかを、読むようにしたい。

あと、もうちょっと何かしら書く。


記事タイトルについて。
昔から続けていたのだけれども、ここで書く内容とかもだいぶ変わってきたし、どうしようかと思って、今回でこの形式は終わりにしようと決めました。
ので終わらせるためのフレーズを選んだ。
ここを見ている大半の人にとってはどうでもいいことだと思うんですけども、なんとなくその旨を書いておこうかと思いました。

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2018/01/08 (Mon) 日々の徒然 CM(0)

『長いお別れ』

ハードボイルドを読んでみようというのが今年の裏テーマだったわけなんですけど、最後に超有名作を。

とにかく文章がおしゃれだった。
なんだろう、冬の星空とか夜明けの街みたいな、ざわめきを背後に隠している静謐さ、硬質な感じの印象でした。
一行目からおしゃれさがばーんと迫ってきて、その文章を味わっているだけでも楽しかった。
あの有名な言葉はここに出てくるのか〜。
タフ云々の台詞はこれじゃないんですね、どの作品なんだろう?

ただ、文章はすごくおしゃれなんだけど、咀嚼するのがどうにも難しかったです。
特に会話が、何を意図している言葉なのかが全然分からなくて。おしゃれな禅問答を読んでいるような気分になってつらかった。

っていう感じのことを『初秋』読んだときにも思ったので、アメリカのハードボイルドは合わないんじゃないかなと思ってしまう。
アメリカの司法警察制度や、当時の価値観やなんかを知らないので、慣れの問題なのかもしれないと思うんですけど。
価値観は本当に意味わからなくて、酒場で会って何度か一緒に飲んだだけで友達としてそこまでするの?っていうのに引っかかってしまってですね……。
友情と言われましても、みたいな気分になり。前提からついていけないとちょっとあれじゃないですか。
そしてマーロウ含む登場人物の性規範!
アメリカでは不倫は罪じゃないんですか?


刷り込みみたいなものだと思うんだけど、私の中でどうしても「ハードボイルド」のイメージは原寮なんですよね。影響関係が逆なのは理解してるんですけど、そのジャンルで初めて読んでとても好きな作品なので。
それで、探偵を比べたときに沢崎の方がかっこいいなと思ってしまう。
マーロウが女好きなところが、"タフ"ではない感じがしたんです。
事件解決能力も想像してたより高くないなって思ってしまって。

台詞の意図が分からないために、マーロウがどういう方針で動きたいのかも分からなかったのが、事件解決能力が高くないように思えた要因かもしれない。
レノックスが犯人じゃないと信じているし、各方面からの圧力には抵抗しようとしているわりに、実際真相を捜査する気配もなく。ウェイドの方も似たような感じで。
すべてを知った上で隠しているという雰囲気でもなかったですし。
捜査するのか事件解決するのか、信用しきれなかったんですよね、最後まで。

事件も、容疑者になりうる人がどうしても少ないから証拠はないけどどう考えてもこの人怪しいでしょうってのが犯人だったので、なんとなく微妙さが残る。

とはいえ、最後にメキシコ人と会うシーンは感無量でした。
物語としてとても熱かった。

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『わたしの山の精霊ものがたり』

オトフリート・プロイスラーが故郷の山の神様に関する物語をまとめた本。24話の昔話の枠物語として、作者であるプロイスラ―自身が人生のうちのいくつかのタイミングでその山の神様に遭遇した話が書かれている。

という作品集なのですが、タイトルの「山の精霊」には「リューベツァール」というルビがふってあります。原題から察するに、綴りはRÜBEZAHL。そして、この物語集の舞台になっている山岳地帯は、シレジアとボヘミアの間にまたがっています。
――それって、この「山の精霊」ってリベザルのことでは?
っていうのがこの本を読んだ動機でした。
この本の中で語られるリューベツァールは、あのリベザルとは別個体で、天気を操ったりできるすごい山の神様なんだけれども、やっぱり髪や髭は赤いんだなぁとか共通点を見つけてにやにやする。
リベザルが地元ではどういう説話の中に出てくるかを知るには、手軽で良い本でした。
あの子も大きくなったらこんな立派な精霊になるのかしら、と想いを馳せてみたり。
ドイツにリューベツァール博物館やリューベツァール通りが本当にあるのなら、ちょっと行ってみたい。

で、リューベツァールが出てくるのがどういう物語かというと、ざっくりまとめると基本的には昔話によくあるやつで、住んでいる山やふもとの村で人間に悪戯をしたり、悪いことをする人や自分を馬鹿にする人には報いを与える一方で、貧乏な働き者なんかには助けを与えてくれる。
悪戯や悪い人を懲らしめる方法が、嵐や霧を起こすのが多いので、これは山の天気の変わりやすさとかを神格化してるのかなと思った。
出てくるときにはその物語のシチュエーションに合わせたいろいろな姿をしていて、山の宿屋の主人だったり、修行僧だったり、貴人だったりと千変万化。
もじゃもじゃの赤っぽい髭がトレードマークっぽい。

プロイスラ―はボヘミア側の人なので、シレジア側はまたちょっと違う話が伝わっているかもしれないと思うんだけれども、どうなんでしょう。
あの薬屋に出てくるリベザルはポーランドの精霊なので、シレジア側の話も知れたらもっとあの子に近づけるかもしれない。

「リューベツァール」という名前の由来が一番最初に説かれているんですが、その名前が不名誉なもので、その名で呼ばれると怒りを買うっていうのがちょっとおもしろかった。
簡単に説明すると、山の神様は人間のお姫様を妻にしようとしてさらってきたんだけど、お姫様に頼まれてカブを数えている間に逃げられちゃった、っていうお話。リューベツァールというのはカブを数えるという意味らしい。
ところでカブを叩いて人間の姿にする魔法ってなんかで読んだ覚えがあるんだけどなんだったっけ。ハウル?クラバート?
2話目ではちょっと違う名前の由来が語られていて、そっちではリューベツァールは「しっぽのある怪物」という意味らしく、その方がリベザルのイメージに近いかなと思いました。とはいえ、この話以外では尻尾のある姿は描かれていないので、地域や時期によって語られるイメージが違うのだろうと思う。

リベザルとは切り離したときに、一番興味深いと思ったのは、キリスト教との距離の取り方でした。
山の神リューベツァールは、キリスト教以前のいわば「異教の神」なので、悪魔として祓われそうになったり、あるいは迷信として軽くあしらわれたりする。でもそういう人に対してはリューベツァールの報いがあるというのがひとつのパターンだったのだけれども、それ以外のパターンもあり、むしろそっちの方が興味深かった。
おもしろかったのは、後半の第4話「かまどの村から来た王さまたち」。この話では、仕事にあぶれてしまったガラス職人3人が苦しい暮らしをどうにかするために、クリスマスの時期に東方から来た三人の王の仮想をして家々を回り、施しを受けようとするときにリューベツァールのバウデ(山荘)に迷い込んでしまうのですが。
リューベツァールに「どうしてそんな恰好をしているんだ」と聞かれて3人の職人はイエスのもとを訪れた東方三博士の物語を語って聞かせる。そうするとリューベツァールはその物語に感動して、3人のガラス職人が苦境を脱せられるようなお礼をしてくれるんですね。
この、キリスト教の物語に感動する異教の神様っていう構図がめちゃくちゃおもしろくないですか?ある意味ゆがめられたというか、でもそういうかたちで共存できている。
この話を読んで、日本の古代の説話でときどきある、神様が仏教に帰依したがる話を思い出しました。神身離脱ってやつ。
後半11話目の「今も、臨終の時も」もおもしろい。今にも死にそうなおばあさんが、最期のときには神父様に看取ってほしいと願っているけど、雪嵐の吹く山の上にはとても来れない。そんなときに、リューベツァールが麓の村から神父を連れてきてくれる。異教の神であっても、自分の土地に住む人の願いに応えてキリスト教の神父を連れてくるところがおもしろいし、さらにそのときに神父に祈りの文句(今も、臨終の時も)を言うんだけど、異教の神なので言葉に詰まるというのがおもしろかった。

リーゼンゲビルゲの山の付近で語られている話たちなので、自然とその地域の産業が大きく関わってくる話が多いのもおもしろかったです。
鉱山やガラス工芸、亜麻布の織物、薬草取り、密輸など。
本当にその地域に根を張っている物語なんだろうと感じた。

あと好きな話は前半5話目、「ヨハネス・プレトーリウス修士」です。リューベツァールの物語をまとめた本を書いたプレトーリウスのもとにリューベツァール本人がやってきて、お墨付きを与えるお話。訳者あとがきでプロイスラー自身の姿が反映されていると書いてあって、そうだろうなと思った。


ただ、この本に不満がひとつだけありました。
訳文の文体がどうしても好きじゃない。
同じくドイツの民話をもとにした『クラバート』は数年前に読んだのだけれども、大人でも十分読書に耐える文体だったんですね。
一方でこの『わたしの山の精霊ものがたり』はどうにも文体が子供向けっぽすぎる。
いや、児童書に「文体が子供向けっぽすぎる」って文句言うのはどう考えてもお門違いなんですけど(笑)
体言止めが多いのがあんまり好きじゃないんですよね。名詞で終わるのはまだいいとして、助詞で終わるやつ。「~だけ」とか「~から」とか。
文体が子供向けっぽすぎるわりには使っている用語が文体から想定される読者の年齢層には難しいのでは?と思う感じで。子供でもわりと難しい単語あっても、なんとなく雰囲気で理解して読むものですけど、だったら文体ももうちょっと大人っぽくてもいいのになと思った。
なんだろう、「男爵」に注釈入れるなら「ザクセン選帝侯」にも入れようよ、みたいな感覚。
子供っぽいというより、ちょっと古い感じなのかもしれない。昔話であるような文体。そう考えると、原文がそういう文体であえて書かれている可能性もあるけど。
何にせよ、ちょっともったいぶった感じで好きじゃなかったです。

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『13・67』

ものすごくおもしろかったです。今年読んだ中でもトップレベルに。

香港警察で「天眼」と呼ばれた名探偵クワンの物語で、1話目が2013年死の床に伏したクワンの最期の事件、6話目が1967年を舞台に若い頃経験した最初の事件、という風に時代を遡っていく構造の短編集。
同時に香港の街と香港警察の五十年史を描いた小説でもある。
香港の地理や歴史はほとんど知らないので(香港島と九龍半島に分かれてることも曖昧だったレベル)、若干読みづらいというかとっつきにくいところはあったのですが、そういうものなのかと思いながら読んだ。警察腐敗しすぎでは。

とにかく、1話目のシチュエーションの掴みがすごい。
かつて名探偵と謳われた人が病気で死にそうでほぼ意識がないような状態だけど、脳波測定装置をつけてYES・NOだけ表せるので、事件関係者を病室に集めて取り調べをする――というシチュエーション。
ちょっとソラチルサクハナ思い出しました。あれはYES・NOの間を探るためのものだったけど。
本当にYESとNOだけで真相を突き止めていておもしろいなと思ったら、さらにそこからもう一捻りあって、とにかくすごかったです。

そして読み進めていって6話目の最後までいくと、1話目に戻りたくなる仕掛けになっているのがとても熱い。
運命的なものを感じる。
覚えていたのだろうか、と感傷的な気分で想像してみるけど、そうだとしても変わらなかったんだろうな。
6話目から1話目への繋がりがあることによって、クワンの人生の物語であるこの小説がひとつの物語になっているような気がしました。


2話目から5話目までも、それぞれ凝ったつくりの推理小説ですごくおもしろいんだけど、全部の短編が凝ってて丁寧なせいで、この描写があるってことはこういう話だろうという推測が容易にできてしまったのが少し残念だった。
特に3話と5話。
話が複雑なので当然のように犯人も頭がいいので、読み合いや細かい穴を潰していくところが若干読んでいてかったるく感じることがありました。
なんていうか、感覚的にはそういうことだろうってわかってるのになかなかそこに到達してくれない、みたいな。

とはいえ、ロジックが丁寧でクワンの推理の糸口や経緯を説明していたところは好感度高かったです。
「天眼」と謳われて極端に言えば一目見ただけでも真相を解き明かせるような人だから、どこを見てどんな違和感を持ったかが書いてあるとすっきりする。
地の文が俯瞰的な視点でクワンの考えが書かれるところがあるにも関わらず、推理の様子は会話の中で説明されていたところが、興味深いなと思いました。


キャラクターについて。
登場人物がみんな地に足がついている感じだった。
なんだろう、警察官である前に人間であることを重視してるような価値観の作品だからかな。
クワンも名探偵なんだけど、すごく人間的な感じがしました。“ドケチ”だからかもしれませんが。普通に奥さんとかもいるし、同僚とも部下とも良い関係作ってるし。
……というと「名探偵」に人非人のイメージをもっているような感じになってしまいますが、わりとそういうところはありますよね(笑)

クワン以外のキャラクターでいうと、ロー警部の成長が著しくてびっくりした。
若かった頃から素質というか片鱗はあったけど、まだ初々しかったり、失敗にへこんだりしていたのが、最後には(つまり、第1話では)クワンの後継となるほどの捜査力を持っていて。
語られているところやそれ以外のところで、クワンから薫陶を受けたんだろうというのが想像できるので、なんだかあったかい気持ちになる。
この小説はクワンの警察官としての一代記だったけれども、彼が去った後も香港も警察組織も事件も変わらずにある(だってこれを読んでいる今は2013年よりも未来だから)。普通の名探偵なら舞台を去って終わりでもよいけれども、警察は個人がいなくなっても組織として続けていかなくてはいけなくて。たとえ官僚主義に堕そうとも、だからこそ市民を守れる人を残さなくてはならない。
だから次世代を育成して代替わりすることが(舞台を去ることよりも)大事な要素だったのではないかと思うのです。
だから1話目はああいう構成だったのでは、と。あの構成が驚かせるためだけじゃなくて、テーマみたいなところでも意味を持っていてほしいというだけなのですが。

2014年以降の香港と警察の物語も読んでみたいと思うし、1967年から2013年の間の、描かれなかった場面もいろいろ読んでみたいです。
ツォウ兄やラウやヒルとクワンの話とか。
っていうか、てっきり在英中の話がどこかに出てくると思ってたら、完全にスルーでしたね?


それぞれの短編について手短に感想を。
結末に関する重大なネタバレを含みます。

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つづきはこちら



「黒と白の間の真実」
これはもう、上でも書いたとおり最初のシチュエーション(YES・NOだけで推理する安楽椅子探偵)が興味を惹くのはもちろん、それが全部ひっくり返されるのが本当に凄すぎる。
そりゃね!2013年にはまだそんなにテクノロジー発達してないだろうとか、それはそうなんだけど。海外のことだしフィクションだからそういうものなのかなって思っちゃってたわ。
それで、頭が良くて周到な犯人をどうやって罪に問うのかと思ったら意外な手段を使っているのもおもしろかった。
王冠棠が警察官になっていたらどうだったのだろうと考えてみるのだけれども、クワンの人生を運命づけたあの台詞もたぶん本心から信じて言ったわけでもなかったのだろうし、4話目の人のようになるのがオチなのかなと思うんですがどうなんでしょうね。
1話目の話じゃなくなってきたのでこの辺で。

「任侠のジレンマ」
個々の短編の中では一番好きでした。
理由は、どんでん返しが多いから。こういう事件なのかなと思った構図が次々に覆されていくのが快感でした。
仕掛けのスケールの大きさも楽しい。
まぁ、ツッコミどころはいろいろあるんですけどね。そんな大規模なオペレーションができるのかとか、嘱託で顧問だからって好き放題しすぎだろうとか、そもそも囚人のジレンマならぬ任侠のジレンマがそんなにうまくはたらくのかとか。

「クワンのいちばん長い日」
クワンがCIBを退職する日に起きた、凶悪囚の脱走事件と硫酸爆弾事件とその他いろいろな事件。
ここまで2話で、この人はありとあらゆる伏線を回収してひっくり返す話を書く人だ、って認識ができてしまっているせいで、同日に起きたいろいろな事件も繋がってるんだろうって想定できちゃうし、逃げたと思わせて隠れていたのも病院で入れ替わるのもよくあるパターンなので、おもしろいけど読めてしまうのが難点でした。
これはむしろ倒叙として読んでみたい。収監された状態で、いったいどうやってここまで入念な計画を立てて実行に持っていったんだろう。

「テミスの天秤」
3話目で脱獄した石本添の弟の事件。3話目で因縁があった風に書いてあったわりに、クワン自身は石本勝とは直接対峙してなかったんですね。しかも、石本勝の凶悪性が3話目で語られていたほどには感じられなかったというか。犯人が凶悪すぎる。頭が良くて権力あるクズって手に負えないですね。
この話は、なんとなく好きじゃなくて。なんでだろうって考えたら結局、クワンが「負けた」のがもやもやしたということなのかな。
そして、石本添を逮捕するところは書かれないのかってことが何より衝撃的でした。
木の葉を隠すには森の中的な、シンプルな構造はおもしろかったです。
ロー刑事が若かった。弁当屋さんでびくびくしてるところがかわいい。
上司の命令に背いても目の前の命を優先するのは、経歴が「綺麗じゃない」のがこういうのばっかりならかわいそうだなと思いました。この件に関しては、その結果殺されなくて良かった。

「借りた場所に」
クワンの物語というよりも、香港警察史の一幕という印象が強かった。
被害者の立場と仕事が説明されていた段階で、まぁそっちが目的ですよねー。
誘拐もので身代金の授受のためにあちこち移動させることで、在りし日の香港を描くことが目的のひとつだったのかなと思いました。
クワンが不法侵入しているシーンは、いろんな意味でハラハラした。え、まさかそっち側だったの……って。
ラストの台詞にはほっこりしました。

「借りた時間に」
これも、この話自体は香港戦後史の側面が強かった。そのために説明が多くて、ほかの短編に比べて少し読みづらかったです。
ほかの話に比べたら、事件の構造自体は単純ですし。
これもあちこちに移動することで、香港を描くのがメインだったのかな。
一人称視点で、語り手は誰なのか、クワンはどこにいるのか(どちらなのか)というのがずっと疑問に思っていたら、最後に明かされた真実がもう凄かった。
警察官としての在り方を決定づけた人が、人生の幕を引くというのはとても運命的で熱いですよね。
クワンがむしろまだ才能を開花させていなかったので、10年間で何があったのかが気になって仕方ない。
ロー警部もだけれども、この物語の中での「名探偵」は天賦の才ではなくて、資質がある人が努力をすることで身につけた技能だったんですね。
思えば、「最後の事件」は最後ではなかったし、「最初の事件」も最初の事件ではあるけどまだ名探偵ではなかったので、この作品を紹介する文からしてトリックが仕掛けられてたんですね。

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『放課後の音符』

この物語を読むのも初めてですが、山田詠美を読むのもこれが初めてでした。
避けていたというよりも、アンテナに引っかかってこなかったという感じ。

うーん、中学生や高校生の頃に読んでいたらもうちょっと違う受け取り方をしていたかなぁと思います。
というのも、この本で描かれている恋愛って、一歩先が性愛に繋がっているものなので。なんていうかそういう現実さみたいなものと「少女」は遠いものであってほしいという幻想を私は抱いてしまっているから。
20代半ばになってこう言うのもあれだけれども、私は「女の子」でありたいと思っているんです。「女」にはなりたくない。実際はとても性格や行動が女性的であるのも自覚しているんだけれども、無性に憧れたりもする。
私はそういう感覚をもっているので、いつか羽化して「女」になっていく「女の子」を肯定的に描いたこの作品は、あまり沁み込んでこなかったです、残念ながら。
でも中高生の頃はそこまで自分のそういう感覚が確立していなかったので、この作品に何かしらの影響を受けられたかもしれないなと思います。
実際にその頃読んだもののなかで、この本と近いのって梨屋アリエだったのかもしれない。『プラネタリウム』とか。でもあれも内面描写はともかくとして、起きていることはだいぶ浮世離れしたファンタジーなので、結局そういうことなんだろうなと思っているわけです。


語り口のお洒落さや、「大人と少女が微妙に混じり合ってる」時期の繊細な感性の描写は好きでした。
言葉選びが本当に美しいですよね。
「Red Zone」の金木犀の匂い云々のところなんかすごくはっとする。
小道具の使い方も素敵でした。香水や、口紅や、お酒。
あと情景が映像的に想像しやすかった。
一方で、登場人物たちはなんとなく全体的に靄がかかっているような印象でした。
感情や感覚はすごく書かれているので彼女たちがどういう人なのかはわかるけれども、語り手を含めて存在感が薄い感じがしました。「その人」であることを限界まで希釈して、どこにもいそうな誰かにしている感じ。
普段読んでいるようなエンタメ小説の「キャラクター」の在り方とは違う書き方。

女子高生が主人公で、読者層も同年代を想定していそうなのに、登場人物たちが普通に飲酒喫煙セックスするのがすごくセンセーショナルな感じがしたのですが、教育現場とかで問題になったりはしなかったのかしら。
法的倫理的にグレーなものが書いてあっても、それ自体は問題ないことだと思うんです。それでもこの小説は思春期に読まれてこそのものだと思うから。
でも、だってこんな美しい文章で書かれていたら、自分も試してみたくなるじゃないですか。

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