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2024/04/19 (Fri)

『わたしの山の精霊ものがたり』

オトフリート・プロイスラーが故郷の山の神様に関する物語をまとめた本。24話の昔話の枠物語として、作者であるプロイスラ―自身が人生のうちのいくつかのタイミングでその山の神様に遭遇した話が書かれている。

という作品集なのですが、タイトルの「山の精霊」には「リューベツァール」というルビがふってあります。原題から察するに、綴りはRÜBEZAHL。そして、この物語集の舞台になっている山岳地帯は、シレジアとボヘミアの間にまたがっています。
――それって、この「山の精霊」ってリベザルのことでは?
っていうのがこの本を読んだ動機でした。
この本の中で語られるリューベツァールは、あのリベザルとは別個体で、天気を操ったりできるすごい山の神様なんだけれども、やっぱり髪や髭は赤いんだなぁとか共通点を見つけてにやにやする。
リベザルが地元ではどういう説話の中に出てくるかを知るには、手軽で良い本でした。
あの子も大きくなったらこんな立派な精霊になるのかしら、と想いを馳せてみたり。
ドイツにリューベツァール博物館やリューベツァール通りが本当にあるのなら、ちょっと行ってみたい。

で、リューベツァールが出てくるのがどういう物語かというと、ざっくりまとめると基本的には昔話によくあるやつで、住んでいる山やふもとの村で人間に悪戯をしたり、悪いことをする人や自分を馬鹿にする人には報いを与える一方で、貧乏な働き者なんかには助けを与えてくれる。
悪戯や悪い人を懲らしめる方法が、嵐や霧を起こすのが多いので、これは山の天気の変わりやすさとかを神格化してるのかなと思った。
出てくるときにはその物語のシチュエーションに合わせたいろいろな姿をしていて、山の宿屋の主人だったり、修行僧だったり、貴人だったりと千変万化。
もじゃもじゃの赤っぽい髭がトレードマークっぽい。

プロイスラ―はボヘミア側の人なので、シレジア側はまたちょっと違う話が伝わっているかもしれないと思うんだけれども、どうなんでしょう。
あの薬屋に出てくるリベザルはポーランドの精霊なので、シレジア側の話も知れたらもっとあの子に近づけるかもしれない。

「リューベツァール」という名前の由来が一番最初に説かれているんですが、その名前が不名誉なもので、その名で呼ばれると怒りを買うっていうのがちょっとおもしろかった。
簡単に説明すると、山の神様は人間のお姫様を妻にしようとしてさらってきたんだけど、お姫様に頼まれてカブを数えている間に逃げられちゃった、っていうお話。リューベツァールというのはカブを数えるという意味らしい。
ところでカブを叩いて人間の姿にする魔法ってなんかで読んだ覚えがあるんだけどなんだったっけ。ハウル?クラバート?
2話目ではちょっと違う名前の由来が語られていて、そっちではリューベツァールは「しっぽのある怪物」という意味らしく、その方がリベザルのイメージに近いかなと思いました。とはいえ、この話以外では尻尾のある姿は描かれていないので、地域や時期によって語られるイメージが違うのだろうと思う。

リベザルとは切り離したときに、一番興味深いと思ったのは、キリスト教との距離の取り方でした。
山の神リューベツァールは、キリスト教以前のいわば「異教の神」なので、悪魔として祓われそうになったり、あるいは迷信として軽くあしらわれたりする。でもそういう人に対してはリューベツァールの報いがあるというのがひとつのパターンだったのだけれども、それ以外のパターンもあり、むしろそっちの方が興味深かった。
おもしろかったのは、後半の第4話「かまどの村から来た王さまたち」。この話では、仕事にあぶれてしまったガラス職人3人が苦しい暮らしをどうにかするために、クリスマスの時期に東方から来た三人の王の仮想をして家々を回り、施しを受けようとするときにリューベツァールのバウデ(山荘)に迷い込んでしまうのですが。
リューベツァールに「どうしてそんな恰好をしているんだ」と聞かれて3人の職人はイエスのもとを訪れた東方三博士の物語を語って聞かせる。そうするとリューベツァールはその物語に感動して、3人のガラス職人が苦境を脱せられるようなお礼をしてくれるんですね。
この、キリスト教の物語に感動する異教の神様っていう構図がめちゃくちゃおもしろくないですか?ある意味ゆがめられたというか、でもそういうかたちで共存できている。
この話を読んで、日本の古代の説話でときどきある、神様が仏教に帰依したがる話を思い出しました。神身離脱ってやつ。
後半11話目の「今も、臨終の時も」もおもしろい。今にも死にそうなおばあさんが、最期のときには神父様に看取ってほしいと願っているけど、雪嵐の吹く山の上にはとても来れない。そんなときに、リューベツァールが麓の村から神父を連れてきてくれる。異教の神であっても、自分の土地に住む人の願いに応えてキリスト教の神父を連れてくるところがおもしろいし、さらにそのときに神父に祈りの文句(今も、臨終の時も)を言うんだけど、異教の神なので言葉に詰まるというのがおもしろかった。

リーゼンゲビルゲの山の付近で語られている話たちなので、自然とその地域の産業が大きく関わってくる話が多いのもおもしろかったです。
鉱山やガラス工芸、亜麻布の織物、薬草取り、密輸など。
本当にその地域に根を張っている物語なんだろうと感じた。

あと好きな話は前半5話目、「ヨハネス・プレトーリウス修士」です。リューベツァールの物語をまとめた本を書いたプレトーリウスのもとにリューベツァール本人がやってきて、お墨付きを与えるお話。訳者あとがきでプロイスラー自身の姿が反映されていると書いてあって、そうだろうなと思った。


ただ、この本に不満がひとつだけありました。
訳文の文体がどうしても好きじゃない。
同じくドイツの民話をもとにした『クラバート』は数年前に読んだのだけれども、大人でも十分読書に耐える文体だったんですね。
一方でこの『わたしの山の精霊ものがたり』はどうにも文体が子供向けっぽすぎる。
いや、児童書に「文体が子供向けっぽすぎる」って文句言うのはどう考えてもお門違いなんですけど(笑)
体言止めが多いのがあんまり好きじゃないんですよね。名詞で終わるのはまだいいとして、助詞で終わるやつ。「~だけ」とか「~から」とか。
文体が子供向けっぽすぎるわりには使っている用語が文体から想定される読者の年齢層には難しいのでは?と思う感じで。子供でもわりと難しい単語あっても、なんとなく雰囲気で理解して読むものですけど、だったら文体ももうちょっと大人っぽくてもいいのになと思った。
なんだろう、「男爵」に注釈入れるなら「ザクセン選帝侯」にも入れようよ、みたいな感覚。
子供っぽいというより、ちょっと古い感じなのかもしれない。昔話であるような文体。そう考えると、原文がそういう文体であえて書かれている可能性もあるけど。
何にせよ、ちょっともったいぶった感じで好きじゃなかったです。

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