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- 2017/09/18 『幻坂』
- 2017/09/07 『ネジ式ザゼツキー』
- 2017/09/04 『名探偵傑作短篇集 御手洗潔篇』
- 2017/08/27 『鬼談百景』
- 2017/08/27 『うちの執事に願ったならば 2』
『幻坂』
大阪にある「天王寺七坂」を舞台にした怪談の短編集。
怪談とは書いてあるけれども、あんまり怖い話ではなく、幻想的で不思議な感じ。幽霊とかはまぁ出てくるので、いつも読んでた推理小説とは違うなとは思いました。
坂はやっぱり異界との境だから、怪異がある物語の舞台としてうってつけなんですよね。
そこまで計算して書かれているのかは分からないですけど、よくできてるなって思った。
「源聖寺坂」と「天神坂」に出てきていたあの人は、最近単行本出たやつですよね。そっちも読んでみたい。
大阪自体あんまり行ったことないし、この舞台になってる天王寺辺りは本当に全然知らない土地なのだけれども、これを読むと実際にこの辺りを歩いてみたいなと思いました。
冒頭に載っていた地図の縮尺はわからないけど、作中の描写とか読む限りかなり近そうですよね。
土地の歴史や関連する文学作品についての解説が適宜はさまれていたので、すごくおもしろかった。
大阪は通史的なイメージを持ちにくいと作中でも言われてますが、確かに中世の大坂はあんまりイメージなかったなぁ。古代は私が興味あるから多少はね、わかりますけど。難波京跡とか見に行ったし。
浮瀬とか、名前は聞いたことあるんだけど、お店はこの辺だったのか、とか。
高津宮や生國魂神社は名前聞いたことあるな、とか。
7つの坂にまつわる7つの話で、土地の歴史を説明してきていて前準備が整ったところに「枯野」と「夕陽庵」がもう!すごく良かった。
それは私が歴史をもとにした物語が好きだからというのがおおいにあるとは思うんですけど。
この流れでそれこそ、オオサザキの話とかも読んでみたかったです。
もともと、作家アリスシリーズ、学生アリスシリーズでも有栖川先生の叙情的な部分はかなり好きだったんです。
だから、解説で「新境地」というふうに書かれていて意外に思った。謎解きがないのはそうかもだけれども、こういう「繊細で抒情的な」文体や雰囲気はもともと持ってらした方だと思ってたので。
そうじゃなきゃ月夜の湖にボート浮かべて中原中也の詩を暗唱するようなシーンは書けないと思うんですよね。というのも、ちょっと違っている気はしますが。
各短編の感想を軽く。
「清水坂」
語りの文体がすごい。大阪弁の語りが、まさに生の言葉のように感じられた。
だからこそ語り手は誰に、なぜ語っているのだろうという疑問が生じたのだけど……特に答えはなかったですね。
あと、なぜか最初は語り手が女性のように感じていて、途中で混乱した。叙述トリックではないと思う。
「愛染坂」
艶めいて美しい話かなぁとも思うんですけど、そう納得するには男がクズですよね。
歴史の話や、お祭りの話が興味深かったです。
お囃子がジャズやロック、あるいはレゲエやサルサに喩えられるのも興味深い。
大阪府内でも、摂津と河内や泉は違うんですね、狭い範囲なのに(というと怒られるかもしれませんが)文化の分水嶺的なものはどこにあるんだろう、と興味がわきます。物語には関係ないですが。
「源聖寺坂」
これが一番ホラーっぽい怪談だったんじゃないかしら。
そして心霊探偵が登場するミステリでもあったので、話としては分かりやすかったです。
空想癖の強い女の子が怖いものを欲しがった感覚は納得できる。そこで、主人公が坂を恐れた気持ちに説明が付いたと思ったら、実際に怪異が現れてという二段落ちみたいな構成もいかにもで楽しい。
結局、主人公が恐れていた雛人形は何だったんでしょう。
「口縄坂」
なんとなく長野まゆみっぽさを感じた。
耽美ではあるけど文体が乾いているし、主人公の性別とかも、全然違うんだけれども、起こっていること自体は長野まゆみ作品でありそうな感じ。ハーメルンかな?
これも、夢じゃないとすればすごく怖いことが起こってますよね。
このあとどうなるんだろうを想像することで怖くなるという。
「真言坂」
ぞくっとする話が続いた後に、切ない感じの幽霊話。
これも、歴史や文学の紹介がおもしろかったです。
「天神坂」
最後の晩ごはんだ……と思ってしまった(笑)
大阪の味も確かにあんまり和食とかはイメージないですね。献立を読んでも味を想像できないけれどもだからきっとおいしいんだろうなって思って、食べてみたいです。
真田十勇士のくだりがすごく楽しかった。天神さんはいらっしゃらないのかしら。わくわく。亡くなったのはここじゃないから難しいのかな。
「逢坂」
俊徳丸-しんとく丸説話を題材にした芝居の話。
なんですけど、あの日のキーワードと謡曲でもある説話との組み合わせがどうも、柳さんのあの短編集を思い出してしまって、流れ弾的につらくなる。
この話自体は全然そんな話じゃないんですけど。
「死者はすぐには昇天せず、しばし大切な者のそばにとどまる」という霊の解釈がおもしろかったです。
土地に結びついた説話を土地に連れ戻すというのが、なんとなくいいなあと思いました。
地縁が薄くなっても、情報が拡散しても、土地土地にはそこならではの物語があるんですよね。
「枯野」
松尾芭蕉の臨終の話。
書いてあることは、ある程度は実際にあったことなんですよね、たぶん。史料で分かってるんだろうなあ、近世の有名人はすごいですよね。
で、史実的なところに物語を肉付けしていくのが巧い。
枯野のイメージが辞世に繋がっていくところからの、最期の心境がものすごく良かったです。
「夕陽庵」
主人公、名のある人で最後に明かされるのかなと思ったけど、特にそうでもなかったですね。いや、私が無知だからわかってないだけかもしれないです。
夕陽を通して極楽浄土を見るのは、やっぱり『朱色の研究』を思い出しました。
怪談とは書いてあるけれども、あんまり怖い話ではなく、幻想的で不思議な感じ。幽霊とかはまぁ出てくるので、いつも読んでた推理小説とは違うなとは思いました。
坂はやっぱり異界との境だから、怪異がある物語の舞台としてうってつけなんですよね。
そこまで計算して書かれているのかは分からないですけど、よくできてるなって思った。
「源聖寺坂」と「天神坂」に出てきていたあの人は、最近単行本出たやつですよね。そっちも読んでみたい。
大阪自体あんまり行ったことないし、この舞台になってる天王寺辺りは本当に全然知らない土地なのだけれども、これを読むと実際にこの辺りを歩いてみたいなと思いました。
冒頭に載っていた地図の縮尺はわからないけど、作中の描写とか読む限りかなり近そうですよね。
土地の歴史や関連する文学作品についての解説が適宜はさまれていたので、すごくおもしろかった。
大阪は通史的なイメージを持ちにくいと作中でも言われてますが、確かに中世の大坂はあんまりイメージなかったなぁ。古代は私が興味あるから多少はね、わかりますけど。難波京跡とか見に行ったし。
浮瀬とか、名前は聞いたことあるんだけど、お店はこの辺だったのか、とか。
高津宮や生國魂神社は名前聞いたことあるな、とか。
7つの坂にまつわる7つの話で、土地の歴史を説明してきていて前準備が整ったところに「枯野」と「夕陽庵」がもう!すごく良かった。
それは私が歴史をもとにした物語が好きだからというのがおおいにあるとは思うんですけど。
この流れでそれこそ、オオサザキの話とかも読んでみたかったです。
もともと、作家アリスシリーズ、学生アリスシリーズでも有栖川先生の叙情的な部分はかなり好きだったんです。
だから、解説で「新境地」というふうに書かれていて意外に思った。謎解きがないのはそうかもだけれども、こういう「繊細で抒情的な」文体や雰囲気はもともと持ってらした方だと思ってたので。
そうじゃなきゃ月夜の湖にボート浮かべて中原中也の詩を暗唱するようなシーンは書けないと思うんですよね。というのも、ちょっと違っている気はしますが。
各短編の感想を軽く。
「清水坂」
語りの文体がすごい。大阪弁の語りが、まさに生の言葉のように感じられた。
だからこそ語り手は誰に、なぜ語っているのだろうという疑問が生じたのだけど……特に答えはなかったですね。
あと、なぜか最初は語り手が女性のように感じていて、途中で混乱した。叙述トリックではないと思う。
「愛染坂」
艶めいて美しい話かなぁとも思うんですけど、そう納得するには男がクズですよね。
歴史の話や、お祭りの話が興味深かったです。
お囃子がジャズやロック、あるいはレゲエやサルサに喩えられるのも興味深い。
大阪府内でも、摂津と河内や泉は違うんですね、狭い範囲なのに(というと怒られるかもしれませんが)文化の分水嶺的なものはどこにあるんだろう、と興味がわきます。物語には関係ないですが。
「源聖寺坂」
これが一番ホラーっぽい怪談だったんじゃないかしら。
そして心霊探偵が登場するミステリでもあったので、話としては分かりやすかったです。
空想癖の強い女の子が怖いものを欲しがった感覚は納得できる。そこで、主人公が坂を恐れた気持ちに説明が付いたと思ったら、実際に怪異が現れてという二段落ちみたいな構成もいかにもで楽しい。
結局、主人公が恐れていた雛人形は何だったんでしょう。
「口縄坂」
なんとなく長野まゆみっぽさを感じた。
耽美ではあるけど文体が乾いているし、主人公の性別とかも、全然違うんだけれども、起こっていること自体は長野まゆみ作品でありそうな感じ。ハーメルンかな?
これも、夢じゃないとすればすごく怖いことが起こってますよね。
このあとどうなるんだろうを想像することで怖くなるという。
「真言坂」
ぞくっとする話が続いた後に、切ない感じの幽霊話。
これも、歴史や文学の紹介がおもしろかったです。
「天神坂」
最後の晩ごはんだ……と思ってしまった(笑)
大阪の味も確かにあんまり和食とかはイメージないですね。献立を読んでも味を想像できないけれどもだからきっとおいしいんだろうなって思って、食べてみたいです。
真田十勇士のくだりがすごく楽しかった。天神さんはいらっしゃらないのかしら。わくわく。亡くなったのはここじゃないから難しいのかな。
「逢坂」
俊徳丸-しんとく丸説話を題材にした芝居の話。
なんですけど、あの日のキーワードと謡曲でもある説話との組み合わせがどうも、柳さんのあの短編集を思い出してしまって、流れ弾的につらくなる。
この話自体は全然そんな話じゃないんですけど。
「死者はすぐには昇天せず、しばし大切な者のそばにとどまる」という霊の解釈がおもしろかったです。
土地に結びついた説話を土地に連れ戻すというのが、なんとなくいいなあと思いました。
地縁が薄くなっても、情報が拡散しても、土地土地にはそこならではの物語があるんですよね。
「枯野」
松尾芭蕉の臨終の話。
書いてあることは、ある程度は実際にあったことなんですよね、たぶん。史料で分かってるんだろうなあ、近世の有名人はすごいですよね。
で、史実的なところに物語を肉付けしていくのが巧い。
枯野のイメージが辞世に繋がっていくところからの、最期の心境がものすごく良かったです。
「夕陽庵」
主人公、名のある人で最後に明かされるのかなと思ったけど、特にそうでもなかったですね。いや、私が無知だからわかってないだけかもしれないです。
夕陽を通して極楽浄土を見るのは、やっぱり『朱色の研究』を思い出しました。
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『ネジ式ザゼツキー』
タイトルだけは印象的で、ずっと名前は知っていた本でした。
大学生の頃にときどき行っていたお好み焼き屋さんが「ねじ式」という店名で、それで関連づけて話題にのぼったんだったと思う。
名探偵傑作短篇集でどうにも物足りなさがあったので、これを機会に読んでみました。
すごくおもしろかったです。
読んでる間は熱中して、続きが気になって先へ先へと進めたくなる。
真相が少しずつ判明して物語が展開していくのがとにかくおもしろい。
シリーズの順番通りには読んでないので、読むたびに御手洗の職業が違う気がするけど、今回はウプサラ大の研究所にいる脳科学者でした。
そこに、記憶がなく、新しい記憶もつくられない症状のエゴン・マーカットが訪れる。
御手洗は彼の書いた童話「タンジール蜜柑共和国への帰還」をもとに、彼の過去を推理するが、未解決事件に行き当たる。
という感じの話。
島田荘司さんの書く、狂人(と思われる人)の書いた物語とその読み解きが私はとても好きなんです。
梅沢平吉の手記とか、『眩暈』の手記とか、『奇想、天を動かす』の作中作とか。
エゴンはべつに狂人ではないけど、というか例にあげたやつの書き手は誰も狂人ではないけど。
あやしくうつくしく幻想的で魅力的。
そんな物語の奥に隠された真実を掘り出すという手法もとても好きで。
私は歴史が好きなんですけど、それと似たところがあると思ってます。潤色や誤りや異なる価値観のせいで、語られたとおりには受け取ることのできないテキストを読み解いて、埋もれた真実を見つけるのにはロマンがありますよね。
……なんですけど、「タンジール蜜柑共和国への帰還」は、今まで読んできたそれらに比べて少しなんというか「読み解かれるためテキスト」っぽさが強かったというか。人工的というか。
謎解きなしで単体で楽しめただろうかというと、正直微妙な気がする。
そう感じたのは、テキスト自体の内容のせいでもあるんだけど、序盤から御手洗がこの物語の中に失われた記憶があるのだとずっと言っているからというのもあると思う。
御手洗が解くものと思って読んでるから、幻想に溺れるのではなくて伏線を探して読んでしまうんだよね。
だから後半にある、「ゴウレム」の部分の方が求めていたものに近かった気がします。
「私」は誰なのかという謎もあって解明を待ち望むけど、読んでいる間は神秘的な雰囲気に幻惑できる。ゴウレムとかユダヤの秘術とか、テーマも好みでしたし。
ちょっと血とか肉とかグロテスクだったけど。
「タンジール蜜柑共和国への帰還」はファンタジーだったけど、それを読み解くとSFになり、さらにミステリに戻っていく流れがおもしろかった。
なんでネジ式でザゼツキーなのかも、驚きと納得とでもやっぱり何それってなるのがバランスよくミックスされてて、楽しい。
ノベルスでいうと158pと176pの、ページをめくって謎が明かされる感じがすごく良かったです。
158pでその名前を目にして、それってあれだよねって思っていたのが裏付けられたのも気持ちよかった。
B,S,Tの分類は、はじめに羅列して後からそれぞれ説明してくかたちだったので、なんでそうなるのって読みながら疑問だったけど、説明を最後まで読めばすっきりしたし。
この『ネジ式ザゼツキー』の中で現実に進行形で起こってる部分は、はじめは御手洗の一人称で、後半はハインリッヒの一人称でそれぞれ書かれてたんだけど、地の文がかなり少なくてほとんど会話で進められていってたんですよね。
だから、御手洗の一人称の部分でも御手洗が何を考えているか――というかどういう思考過程で謎を解いたかが分からなかったので、今まであまり意識してなかったけどこれはそういうシリーズなのかなって納得した。
過程ではなく結果の披露を楽しむやつなんですね。ここに5時間煮込んだ鍋がありますみたいな。
今回に関しては、タンジール蜜柑共和国の読み解きはここで初めて話を聞いたんじゃなくて、前もって推理していたことの確認作業みたいなところもあったから、余計にそうだったのかもしれない。
ネジ事件の方は、御手洗が事件のどこに引っかかっているかはわかったけれども、そこからどうやって結論を導き出したかは飛躍が大きすぎて御手洗は天才だなーとしか。
それでも、推理の結論部分だけでも(だけってこともなかったけれども)あっと驚くものだったし、すごく楽しかったです。
会話で進展してく話だし、事件も過去のものだから、ちょっと情報提示の箇条書きっぽさが強かったなと思った。
けどああして伝聞体で箇条書きっぽく書いててもこの分厚さだからなぁ。情報を並べるだけじゃなくするともっと長くなりそうですよね。
読んでる間はそんなに長さ感じなかったけど。
縦長のノベルスで横書きだったから、分厚くなってたというのもあるのかもですね。
横書きなのはまぁいいとして、途中で台詞英文になって面食らった。分からない単語ググりつつなんとなく読めたけれども。賢くなりたい。
ところでエゴンは56歳なんだけど、冒頭に御手洗が「ぼくより少し上か、そうでなくてもほとんど変わらなかっただろう」と言ってて、今の御手洗はそんな年なの!?
ちゃんと時代に合わせて年をとるタイプのキャラクターなんですね。
キャラクターの性格や性質なんかは、この間読んだ短篇集とほとんど変わってないように思えて、だから余計に年齢に驚いた。
あと、変わっているといえば、あの、ハインリッヒって何者ですか?
御手洗とのやりとりがどうもレギュラーキャラクターっぽかった(ワインをバスタブに〜のくだりとか)けど、このときの助手役なの?石岡君は?
やっぱりシリーズ順番に読んでいくべきか……。
大学生の頃にときどき行っていたお好み焼き屋さんが「ねじ式」という店名で、それで関連づけて話題にのぼったんだったと思う。
名探偵傑作短篇集でどうにも物足りなさがあったので、これを機会に読んでみました。
すごくおもしろかったです。
読んでる間は熱中して、続きが気になって先へ先へと進めたくなる。
真相が少しずつ判明して物語が展開していくのがとにかくおもしろい。
シリーズの順番通りには読んでないので、読むたびに御手洗の職業が違う気がするけど、今回はウプサラ大の研究所にいる脳科学者でした。
そこに、記憶がなく、新しい記憶もつくられない症状のエゴン・マーカットが訪れる。
御手洗は彼の書いた童話「タンジール蜜柑共和国への帰還」をもとに、彼の過去を推理するが、未解決事件に行き当たる。
という感じの話。
島田荘司さんの書く、狂人(と思われる人)の書いた物語とその読み解きが私はとても好きなんです。
梅沢平吉の手記とか、『眩暈』の手記とか、『奇想、天を動かす』の作中作とか。
エゴンはべつに狂人ではないけど、というか例にあげたやつの書き手は誰も狂人ではないけど。
あやしくうつくしく幻想的で魅力的。
そんな物語の奥に隠された真実を掘り出すという手法もとても好きで。
私は歴史が好きなんですけど、それと似たところがあると思ってます。潤色や誤りや異なる価値観のせいで、語られたとおりには受け取ることのできないテキストを読み解いて、埋もれた真実を見つけるのにはロマンがありますよね。
……なんですけど、「タンジール蜜柑共和国への帰還」は、今まで読んできたそれらに比べて少しなんというか「読み解かれるためテキスト」っぽさが強かったというか。人工的というか。
謎解きなしで単体で楽しめただろうかというと、正直微妙な気がする。
そう感じたのは、テキスト自体の内容のせいでもあるんだけど、序盤から御手洗がこの物語の中に失われた記憶があるのだとずっと言っているからというのもあると思う。
御手洗が解くものと思って読んでるから、幻想に溺れるのではなくて伏線を探して読んでしまうんだよね。
だから後半にある、「ゴウレム」の部分の方が求めていたものに近かった気がします。
「私」は誰なのかという謎もあって解明を待ち望むけど、読んでいる間は神秘的な雰囲気に幻惑できる。ゴウレムとかユダヤの秘術とか、テーマも好みでしたし。
ちょっと血とか肉とかグロテスクだったけど。
「タンジール蜜柑共和国への帰還」はファンタジーだったけど、それを読み解くとSFになり、さらにミステリに戻っていく流れがおもしろかった。
なんでネジ式でザゼツキーなのかも、驚きと納得とでもやっぱり何それってなるのがバランスよくミックスされてて、楽しい。
ノベルスでいうと158pと176pの、ページをめくって謎が明かされる感じがすごく良かったです。
158pでその名前を目にして、それってあれだよねって思っていたのが裏付けられたのも気持ちよかった。
B,S,Tの分類は、はじめに羅列して後からそれぞれ説明してくかたちだったので、なんでそうなるのって読みながら疑問だったけど、説明を最後まで読めばすっきりしたし。
この『ネジ式ザゼツキー』の中で現実に進行形で起こってる部分は、はじめは御手洗の一人称で、後半はハインリッヒの一人称でそれぞれ書かれてたんだけど、地の文がかなり少なくてほとんど会話で進められていってたんですよね。
だから、御手洗の一人称の部分でも御手洗が何を考えているか――というかどういう思考過程で謎を解いたかが分からなかったので、今まであまり意識してなかったけどこれはそういうシリーズなのかなって納得した。
過程ではなく結果の披露を楽しむやつなんですね。ここに5時間煮込んだ鍋がありますみたいな。
今回に関しては、タンジール蜜柑共和国の読み解きはここで初めて話を聞いたんじゃなくて、前もって推理していたことの確認作業みたいなところもあったから、余計にそうだったのかもしれない。
ネジ事件の方は、御手洗が事件のどこに引っかかっているかはわかったけれども、そこからどうやって結論を導き出したかは飛躍が大きすぎて御手洗は天才だなーとしか。
それでも、推理の結論部分だけでも(だけってこともなかったけれども)あっと驚くものだったし、すごく楽しかったです。
会話で進展してく話だし、事件も過去のものだから、ちょっと情報提示の箇条書きっぽさが強かったなと思った。
けどああして伝聞体で箇条書きっぽく書いててもこの分厚さだからなぁ。情報を並べるだけじゃなくするともっと長くなりそうですよね。
読んでる間はそんなに長さ感じなかったけど。
縦長のノベルスで横書きだったから、分厚くなってたというのもあるのかもですね。
横書きなのはまぁいいとして、途中で台詞英文になって面食らった。分からない単語ググりつつなんとなく読めたけれども。賢くなりたい。
ところでエゴンは56歳なんだけど、冒頭に御手洗が「ぼくより少し上か、そうでなくてもほとんど変わらなかっただろう」と言ってて、今の御手洗はそんな年なの!?
ちゃんと時代に合わせて年をとるタイプのキャラクターなんですね。
キャラクターの性格や性質なんかは、この間読んだ短篇集とほとんど変わってないように思えて、だから余計に年齢に驚いた。
あと、変わっているといえば、あの、ハインリッヒって何者ですか?
御手洗とのやりとりがどうもレギュラーキャラクターっぽかった(ワインをバスタブに〜のくだりとか)けど、このときの助手役なの?石岡君は?
やっぱりシリーズ順番に読んでいくべきか……。
『名探偵傑作短篇集 御手洗潔篇』
実は……っていうのもあれだけれども、御手洗シリーズは有名な長編を何作か読んだだけで、短篇集を読むのはこれが初めてでした。
今まで読んだことのある長編作品は、事件の謎も魅力的だし、真相もなんていうかぶっ飛んでて、すごくおもしろかった。
それに比べるとこの短篇集に乗っている短篇は、数段おもしろさが落ちるかなぁというのが正直な感想でした。
とはいえ、「すごくおもしろい」から「普通」くらいですが。
短篇だから、奇想がそこまで発揮されていないのも若干残念だったんですけど、推理小説としてはそれよりも、御手洗の思考過程が全然追えないのがもやもやした。
たとえば些細なように思える依頼の、どこで深刻な事件と判断したのか。
何が糸口になったのか。
どういう経緯で事件を追っていったのか。
そういうのが特に説明されないから、起こっていたことの説明はあってもどうにもすっきりしない。
5つの短篇があるうちの4つで御手洗は単独行動してたから、余計にそういう印象が強くなったのかもしれませんが。
石岡和己が助手の立場から書いた物語だから、あるいは過程を隠すことで御手洗の天才性を強調できるから、そうなるのかなとも思うんだけど。
まぁ、これは好みの問題ですね、きっと。
石岡和己が助手の立場から御手洗の活躍を書いた物語っていうのは徹底していて、なんだか嬉しかった。
地の文の立場がはっきりしていて、意味がある小説が好きなんです。
とはいえ、なかなか続きを出せない言い訳っぽいのが多くてどうなのとも思ったけど。
少し意外だったのは、石岡君が思ったよりも御手洗に対して皮肉っぽい描写をしてるところ。
それがホームズ・ワトソンの関係性よりもどちらかというと、ポアロ・ヘイスティングスの関係っぽい気がしました。
べつに、御手洗はカボチャ投げてそうって意味じゃなくて(笑)
探偵の仕方はホームズ的だと思うので、あくまで探偵と助手の関係性の話です。が、語れるほどにはどれも読んでいないので、あくまでも印象論。
ワトソンはホームズに対して心酔していて、憧れているようなところがあると思う。
一方でヘイスティングス大尉は、けっこうポアロに批判的な描写も多いし、自分の考えを述べるのもポアロに勝てると思ってるからな気がしたんですよね。絶対ではなく、対等な感じ。
で、石岡君もそんな感じなんだなって思いました。
ただ、読者としては御手洗は名探偵だと思っているから、何か考えがあって行動するのだろうと想定するのに、石岡君がその行動にやたら突っ込みを入れているのが、必要以上に馬鹿な印象を受けました。
そんな感じで、言うほどには御手洗も石岡君も人間的魅力(?)が感じられなかったです。
あとがき読む限りでは、その辺にスポットを当てた編み方してるっぽいんですけど。
でも「SIVAD SELIM」は良かった。
御手洗シリーズがキャラクター人気というかカップリング人気というかが強いということはまぁ知っていますが、この短篇集ではいまいち萌えどころがわからなかったので、ほかも読んでみたい。
あとは、物語の舞台が東京のものが多くて、ぼんやりとは位置関係を把握できるようになっていたので、なるほどあの辺りかって思いながら読めてよかった。
聖地巡礼とかやりがいがありそうですね。
各短編の感想はつづきから。
今まで読んだことのある長編作品は、事件の謎も魅力的だし、真相もなんていうかぶっ飛んでて、すごくおもしろかった。
それに比べるとこの短篇集に乗っている短篇は、数段おもしろさが落ちるかなぁというのが正直な感想でした。
とはいえ、「すごくおもしろい」から「普通」くらいですが。
短篇だから、奇想がそこまで発揮されていないのも若干残念だったんですけど、推理小説としてはそれよりも、御手洗の思考過程が全然追えないのがもやもやした。
たとえば些細なように思える依頼の、どこで深刻な事件と判断したのか。
何が糸口になったのか。
どういう経緯で事件を追っていったのか。
そういうのが特に説明されないから、起こっていたことの説明はあってもどうにもすっきりしない。
5つの短篇があるうちの4つで御手洗は単独行動してたから、余計にそういう印象が強くなったのかもしれませんが。
石岡和己が助手の立場から書いた物語だから、あるいは過程を隠すことで御手洗の天才性を強調できるから、そうなるのかなとも思うんだけど。
まぁ、これは好みの問題ですね、きっと。
石岡和己が助手の立場から御手洗の活躍を書いた物語っていうのは徹底していて、なんだか嬉しかった。
地の文の立場がはっきりしていて、意味がある小説が好きなんです。
とはいえ、なかなか続きを出せない言い訳っぽいのが多くてどうなのとも思ったけど。
少し意外だったのは、石岡君が思ったよりも御手洗に対して皮肉っぽい描写をしてるところ。
それがホームズ・ワトソンの関係性よりもどちらかというと、ポアロ・ヘイスティングスの関係っぽい気がしました。
べつに、御手洗はカボチャ投げてそうって意味じゃなくて(笑)
探偵の仕方はホームズ的だと思うので、あくまで探偵と助手の関係性の話です。が、語れるほどにはどれも読んでいないので、あくまでも印象論。
ワトソンはホームズに対して心酔していて、憧れているようなところがあると思う。
一方でヘイスティングス大尉は、けっこうポアロに批判的な描写も多いし、自分の考えを述べるのもポアロに勝てると思ってるからな気がしたんですよね。絶対ではなく、対等な感じ。
で、石岡君もそんな感じなんだなって思いました。
ただ、読者としては御手洗は名探偵だと思っているから、何か考えがあって行動するのだろうと想定するのに、石岡君がその行動にやたら突っ込みを入れているのが、必要以上に馬鹿な印象を受けました。
そんな感じで、言うほどには御手洗も石岡君も人間的魅力(?)が感じられなかったです。
あとがき読む限りでは、その辺にスポットを当てた編み方してるっぽいんですけど。
でも「SIVAD SELIM」は良かった。
御手洗シリーズがキャラクター人気というかカップリング人気というかが強いということはまぁ知っていますが、この短篇集ではいまいち萌えどころがわからなかったので、ほかも読んでみたい。
あとは、物語の舞台が東京のものが多くて、ぼんやりとは位置関係を把握できるようになっていたので、なるほどあの辺りかって思いながら読めてよかった。
聖地巡礼とかやりがいがありそうですね。
各短編の感想はつづきから。
「数字錠」
アリバイトリックはおもしろかった。
けど、序盤の御手洗のあの嘘が、なんでわざわざあんな明らかな嘘ついたのかも、なんで皆それで騙されるかも意味わからなくて、引っかかる。いや、理由は一応説明されてたけど納得できない。なんで騙せると思ったの。
そこにずっともやもやしていたので、後半の御手洗の人情味とかも一歩引いて見てしまって、あまり楽しめなかった。
シリーズファン的には、「私立探偵 御手洗潔」の始まりの話として感慨深い短篇なのかもしれないですけど、まだそこまでではないので……。
「ギリシャの犬」
たこ焼き屋盗難事件と、誘拐が結びつくところがおもしろかった。
隅田川舟遊も、シチュエーションはあれだけれどもなんとなくほのぼのして、読んでいて楽しい。
石岡君はもっと御手洗を信用したほうがいいと思う。少なくとも言われたことはやっとけってキリキリした。
「山高帽のイカロス」
この短篇集では唯一の、私の思っていた島田荘司らしい事件。
山高帽に燕尾服を身に着けて空を飛べると主張する奇矯な画家が、空を飛んでるかのような格好で死んでいるのが発見された。ってこれだけですごくわくわくする。
ビルの上階にある扉の話とかも楽しかった。
「IgE」
姿を消した美女と、頻繁に壊されるレストランの男児用便器。
2つの全く別々の依頼が、ひとつの事件に収束していく。のはいいんだけど、やっぱり御手洗はどこでその繋がりに気づいたのか気になる。
ラストに出てくる意味ありげな女性との会話は何だったのか。ほかのシリーズ作品読んでたらわかるの?
「SIVAD SELIM」
高校生からクリスマスに行う手作りコンサートへの出演を依頼されるが、御手洗はその日だけは駄目だと言って断る。
事件が全く起こらないのだけれども、この話は好きでした。
石岡君は安請け合いしすぎとか、先約って言ってるじゃんとか、そこまで喧嘩することでもないよね?っていう気はなんとなくするものの。
開会の挨拶を頼まれて狼狽するところや、そもそも高校生の熱意に感動したり、御手洗を口説けなくて謝ったり、英語が喋れなくてへどもどしてたり、そういうところに親近感を感じて良かった。たぶんここでようやく、彼のキャラクターを(あるいは人間味を)感じられたように思う。
そして颯爽と現れる御手洗がかっこいい。
『鬼談百景』
怖い話は苦手です。
小学生の頃は好きで、よく読んでいたけれども、読むたびに夜寝れなくなっていた。
今でも夜家に一人でいるときとかには、どこかで読んだ怖い話をふと思い出して、ぞっとすることがあります。
そんなわけで、手元にありつつもずっと読んでいなかったんですが、ついに手を出しました。
ずっと読んでいると怖いし、短い話がたくさん収録されているので、読み始めてから読み終えるまでかなり日数がかかって、はじめの方の話はもう覚えていないものもある。
怪談を集めた本なんだけど、怖いのももちろんたくさんあったんだけど、怖いというより不思議な話も多かった印象でした。
あと、怪奇現象がどういうことが起こったかだけで、その理由説明はあまりなかったのが意外でした。
それこそ小学生のとき読んでいた怪談では、怪奇現象が起こったあとに、「ここで自殺した人がいた」とか「この場所はかつて墓地だった」みたいな、怖いことが起こる理由が説明されていた記憶があったので。
で、そういうのが説明されるから怖さは少しやわらぐんですよね。
理由がなければ怖いことは起こるはずないと思えるから。
でも、残穢ってそれ自体を否定する話だったなというのを思い出しました。土地自体に穢がなくても、ものや人を媒介に感染し、怪異は拡大していく。
だから説明は意味がないのかなと思いました。
そう、読んでいくとときどき知ってる話があるんですよね……。
「ぶらんこ」とか。
残穢の作中で小野さんがまとめていた怪談集がこの本という立ち位置なんですけど。
そうなることによって、残穢のリアリティが増すというか現実に侵食してくるというか、あれは本当にあったことなんじゃないのって思えてきて、怖さ倍増です。
その背景があるこそ、怖くなった話もあって、相互に怖さを強めあっている感じ。
あとは関係なくても、壁から「湧いて出る」ような話とかにもついびくってしてしまうし。
二段落ちみたいな構造の話はすごく怖かったです。電話ボックスのやつとか。
一方で、学校が舞台のやつは私はもう学校に通うことのない年齢だからそこまで身に迫る怖さはなくて、それでも「一緒に見ていた」とか「リレー」とかは鳥肌が立った。
怪談で語られていないそのあとが気になる話もいくつかありました。
「満ちる」とかはここから怪奇幻想小説の冒頭になりそうな感じで。この話自体は不思議なだけで怖くないのに、不吉な未来を想像してしまうのが怖い。
小学生の頃は好きで、よく読んでいたけれども、読むたびに夜寝れなくなっていた。
今でも夜家に一人でいるときとかには、どこかで読んだ怖い話をふと思い出して、ぞっとすることがあります。
そんなわけで、手元にありつつもずっと読んでいなかったんですが、ついに手を出しました。
ずっと読んでいると怖いし、短い話がたくさん収録されているので、読み始めてから読み終えるまでかなり日数がかかって、はじめの方の話はもう覚えていないものもある。
怪談を集めた本なんだけど、怖いのももちろんたくさんあったんだけど、怖いというより不思議な話も多かった印象でした。
あと、怪奇現象がどういうことが起こったかだけで、その理由説明はあまりなかったのが意外でした。
それこそ小学生のとき読んでいた怪談では、怪奇現象が起こったあとに、「ここで自殺した人がいた」とか「この場所はかつて墓地だった」みたいな、怖いことが起こる理由が説明されていた記憶があったので。
で、そういうのが説明されるから怖さは少しやわらぐんですよね。
理由がなければ怖いことは起こるはずないと思えるから。
でも、残穢ってそれ自体を否定する話だったなというのを思い出しました。土地自体に穢がなくても、ものや人を媒介に感染し、怪異は拡大していく。
だから説明は意味がないのかなと思いました。
そう、読んでいくとときどき知ってる話があるんですよね……。
「ぶらんこ」とか。
残穢の作中で小野さんがまとめていた怪談集がこの本という立ち位置なんですけど。
そうなることによって、残穢のリアリティが増すというか現実に侵食してくるというか、あれは本当にあったことなんじゃないのって思えてきて、怖さ倍増です。
その背景があるこそ、怖くなった話もあって、相互に怖さを強めあっている感じ。
あとは関係なくても、壁から「湧いて出る」ような話とかにもついびくってしてしまうし。
二段落ちみたいな構造の話はすごく怖かったです。電話ボックスのやつとか。
一方で、学校が舞台のやつは私はもう学校に通うことのない年齢だからそこまで身に迫る怖さはなくて、それでも「一緒に見ていた」とか「リレー」とかは鳥肌が立った。
怪談で語られていないそのあとが気になる話もいくつかありました。
「満ちる」とかはここから怪奇幻想小説の冒頭になりそうな感じで。この話自体は不思議なだけで怖くないのに、不吉な未来を想像してしまうのが怖い。
『うちの執事に願ったならば 2』
なんというか、ここのところ立て続けに出ていて、それぞれの読んだときのテンションをくらべてみるとやっぱり私にとってはこのシリーズはそこまででもないのかな、と寂しい気持ちになった。
文字通りnot for meというか。
ずっと同じ層の人たちにだけ売り続けていたら一定数以上には売れないだろうから、新規読者の獲得は仕方ないしぜひとも売れてほしいとは思うけど。
今回読んで改めて思ったのは、花穎事件に遭遇しすぎじゃない?
いや、ミステリにそういうこと言うのは野暮なんだけど。
幻想風紀委員会のあとがきで書いてらしたように、カメラワークの問題なんだというのもわかるけど。行く先々で事件が起こるんじゃなくて、事件があったときだけを物語に書いているという。
でも各巻3.5話あって、これで11冊目で、って考えると多すぎると思ってしまうんですよ。
職業探偵でもないので、事件に遭遇する理由づけがされていないからなおさら。上流階級は陰謀うずまく世界だから、でもいいけど理由づけには少し弱い気がする。
……事件に遭いすぎることそれ自体がいやなわけではないんです。コナンみたいに、ツッコミ入れつつ楽しむことはできる。
ただ、事件があると事件と捜査と解決を書かないといけないので、その分容量が規定されてしまう。
私はたぶん日常を読みたいんだと思います。
事件の合間に垣間見える日常の描写がとても素敵な作家さんだから。ごはんを食べたり、キャラクター同士の会話があったり。
たとえば前巻はお泊りの話が日常感が高くてすごく良かったです。
でもこの薄さだとそういう日常描写の割合が相対的に少なくなってしまって、物足りなさを感じる。ということなんだと思う。
商業作品なので、事件が起こらないと売れないんだろうけど〜〜。
漫画やアニメでは日常ものがひとつのジャンルであるように、小説でもそういうのあってもいいと思うんですよね。
彼らの日常をもっと読みたい、と思うほどにはキャラクターへの思い入れが強くなっているんだよね。ここまで読んできて。
さて。
この巻は次以降の巻の準備みたいな感じを受けました。
新キャラが何人か出てきて、この後何巻かでは彼らがメインになって関わってくるのかなって。
ヴォルコフ家の人々、イリヤと不知火は言うまでもないけど、サシャとルカも明らかに裏がありそうで。
すごく深刻なことにはならないだろうけど不穏ですよね。
鑑定士の雲井さんはかっこよかった。スピンオフとかしてほしい。
侑里さんはシンプルに、妹の名前は万里でいいのかしら。世界せますぎるけど名前似てるし。
レギュラーキャラクターも、雪倉家の親子喧嘩とか、相変わらずな赤目さんとか、真一郎のことになるとかわいい壱葉ちゃんとか、良かったです。
そして鳳さんが若い頃の話を回想していたのが、なんだか印象深かった。先代の雪倉を「兄さん」と読んでいたのが。
鳳さんにも若い頃があったんだ、というか。
同じ人でも、ある人に見せる面とほかの人との関係性は当然違って、それがずっと広がっていって世界が形づくられている感覚があった。うまく説明できないけど。
いろんなキャラクターの、普段とは違う一面やキャラクター同士の関係性をもっと読みたい。
……そう思うと事件邪魔だよね、に戻ってしまうのですが(笑)
花穎が当主らしい当主であろうとして、衣更月と勝負してるのが、成長と変化を感じて熱かった。
衣更月がそれをおぼろげに感じとって応えようとしているのも。
たぶん花穎が考える「当主らしい当主」と衣更月が考えるそれには隔たりがあるんだよね。
だからそこに戸惑いとかが生まれて感情が動いて物語になる。でも信頼が根底にあるところが、1期とは違うところなのかな。
文字通りnot for meというか。
ずっと同じ層の人たちにだけ売り続けていたら一定数以上には売れないだろうから、新規読者の獲得は仕方ないしぜひとも売れてほしいとは思うけど。
今回読んで改めて思ったのは、花穎事件に遭遇しすぎじゃない?
いや、ミステリにそういうこと言うのは野暮なんだけど。
幻想風紀委員会のあとがきで書いてらしたように、カメラワークの問題なんだというのもわかるけど。行く先々で事件が起こるんじゃなくて、事件があったときだけを物語に書いているという。
でも各巻3.5話あって、これで11冊目で、って考えると多すぎると思ってしまうんですよ。
職業探偵でもないので、事件に遭遇する理由づけがされていないからなおさら。上流階級は陰謀うずまく世界だから、でもいいけど理由づけには少し弱い気がする。
……事件に遭いすぎることそれ自体がいやなわけではないんです。コナンみたいに、ツッコミ入れつつ楽しむことはできる。
ただ、事件があると事件と捜査と解決を書かないといけないので、その分容量が規定されてしまう。
私はたぶん日常を読みたいんだと思います。
事件の合間に垣間見える日常の描写がとても素敵な作家さんだから。ごはんを食べたり、キャラクター同士の会話があったり。
たとえば前巻はお泊りの話が日常感が高くてすごく良かったです。
でもこの薄さだとそういう日常描写の割合が相対的に少なくなってしまって、物足りなさを感じる。ということなんだと思う。
商業作品なので、事件が起こらないと売れないんだろうけど〜〜。
漫画やアニメでは日常ものがひとつのジャンルであるように、小説でもそういうのあってもいいと思うんですよね。
彼らの日常をもっと読みたい、と思うほどにはキャラクターへの思い入れが強くなっているんだよね。ここまで読んできて。
さて。
この巻は次以降の巻の準備みたいな感じを受けました。
新キャラが何人か出てきて、この後何巻かでは彼らがメインになって関わってくるのかなって。
ヴォルコフ家の人々、イリヤと不知火は言うまでもないけど、サシャとルカも明らかに裏がありそうで。
すごく深刻なことにはならないだろうけど不穏ですよね。
鑑定士の雲井さんはかっこよかった。スピンオフとかしてほしい。
侑里さんはシンプルに、妹の名前は万里でいいのかしら。世界せますぎるけど名前似てるし。
レギュラーキャラクターも、雪倉家の親子喧嘩とか、相変わらずな赤目さんとか、真一郎のことになるとかわいい壱葉ちゃんとか、良かったです。
そして鳳さんが若い頃の話を回想していたのが、なんだか印象深かった。先代の雪倉を「兄さん」と読んでいたのが。
鳳さんにも若い頃があったんだ、というか。
同じ人でも、ある人に見せる面とほかの人との関係性は当然違って、それがずっと広がっていって世界が形づくられている感覚があった。うまく説明できないけど。
いろんなキャラクターの、普段とは違う一面やキャラクター同士の関係性をもっと読みたい。
……そう思うと事件邪魔だよね、に戻ってしまうのですが(笑)
花穎が当主らしい当主であろうとして、衣更月と勝負してるのが、成長と変化を感じて熱かった。
衣更月がそれをおぼろげに感じとって応えようとしているのも。
たぶん花穎が考える「当主らしい当主」と衣更月が考えるそれには隔たりがあるんだよね。
だからそこに戸惑いとかが生まれて感情が動いて物語になる。でも信頼が根底にあるところが、1期とは違うところなのかな。