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2024/05/10 (Fri)

『いまさら翼と言われても』

あれ、古典部シリーズってこんなにキャラクターを描いていたっけ?
っていうのが率直な感想でした(めちゃくちゃ失礼)。

『氷菓』から青春ミステリだったけど、なんていうかキャラクターは設定を身にまとっているだけだった印象で。
個人的には『遠回りする雛』でようやくキャラクターとしての生きて愛着がもてた。
それを思うと、キャラクターを描くには短編集の方が向いているシリーズなのかもしれない。

高校2年生になった古典部メンバーの、進路選択や悩みが書かれた短編集でした。
最初に読んだ頃は私も彼らと同年代だったのに、もう遠くなってしまったなぁ。なんとなく切ない。

あとは、奉太郎の過去が掘り下げられてましたね。
省エネになった由来とか。
お姉さんの言葉が良かった。
なんか発売当時に過去の話があるって情報を中途半端に見聞きしてたので、表題作を中学時代の合唱コンクールの話だと思い込んでいた。

キャラクターに深みが増した一方で、ミステリとしてはすごく軽いっていうか、謎が出てきた時点で答えが想像できてしまう感じ。
もともと日常の謎なので、何に謎を見出だすかみたいなところに主眼があったかもしれない(解き方よりも)
この短編集では特に、キャラクターの性質を描き出すための謎解きみたいな印象でした。
そういう趣向も好きだけど、答えが分かりきっていると、あー……ってなる。

それはそれとして、アニメのキャラデザが頭の斜め上くらいに浮いていて、イメージが干渉を受けた。

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『窓をあけて、私の詩をきいて』

主人公・水鳥(みどり)には咲野(さくや)と暁生(あきお)という大切な幼なじみがいる。 
三人の仲間の中で、水鳥は秘密を抱えている。 
ひとつは、詩を書いていること。もうひとつは、同性の咲野に特別な感情を抱いていること。 
中学2年の秋、暁生の友人の眩(げん)が仲間に加わり、水鳥の詩が彼の目に触れたことで、三人の関係が少しずつ変わっていく……。 
(Amazonの内容紹介を引用)

というわけで、あの名木田恵子が書いたLGBTの小説です。

私は小学校高学年くらいの頃に名木田恵子にハマってまして、市立図書館の棚に並んでた本を片っ端から読んでました。
大長編のふーことユーレイシリーズはもちろん、輪廻転生に萌えたヴァンパイア・ラブストーリーシリーズ(未完のまま終わってしまったのが残念だった)も大好きでしたし、「天使の梯子」は主人公の境遇に泣いた記憶があります。
知らない人でも、「赤い実はじけた」とか「キャンディ・キャンディ」の原作者というと、作風がイメージできるかと思います。(私はどちらも未読なんですが)
つまり、古式ゆかしい少女漫画のような、甘酸っぱい少年少女の恋模様をローティーン女子向けに書いた作品が多い方というイメージなんですね。
だから、私が本書を知った書評ブログでもその点をとりあげて意外だと紹介してらしたんですね。
でも読んでみて、作風を変えたわけではないと実感しました。
むしろ私が読んでいた頃でも、青い鳥文庫から出てた「天使の梯子」や「コップの中の夕空」、ノンシリーズの「air」なんかは十代女子の悩みや生きづらさが書かれていて、私は恋愛模様にときめくのと同じように主人公の葛藤に寄り添って感情を揺さぶられる読書体験をしたと思う。
そうしたティーン女子の悩みが現代ナイズされている結果の、LGBTなんだと納得しました。
最近LGBTを取り扱った絵本とかも多いですもんね。

そもそも私が主に読んでたのが15年くらい前なので(……と自分で書いていて時の流れに震えたけど)、冒頭でキャラクターたちがLINEで連絡とりあってたことにまず驚いたから。
だってふーことユーレイの頃なんて、SMAPが小中学生女子の憧れのハンサムボーイ的な立ち位置だったんてすよ!?
さすがにそれは当時の私にとってもリアルタイムの感覚じゃなかったので、印象に残っている。
ジュブナイル作家はその時その時の子供をとりまく環境や問題にアンテナを張り続けてないといけないんだなぁと感嘆しました。

閑話休題、この本の内容について。
前述のように、同性の幼馴染を好きになって悩む水鳥の心情が、読者に共感させるものでとてもよかった。
共感というのは、自分と同一視する「感情移入」ではなく、仲の良い友達の悩みを聞いたときのような感じ。
もしかするとLGBT当事者の人にとってはリアルじゃないと感じるかもしれないですが。
水鳥の悩みも、物語のなかで描かれていたのは「女の子を好きになってしまったことが普通ではない」というよりも、好きな子が他の人を好きになって苦しいとか、誰にも言えない想いを抱えている――のにバレてしまったとか、そっちの比重が大きいので自然に読めたのかもしれない。
もちろん、自分がヘンだと思って消えちゃいたいと詩に書く部分もあるんだけど。
印象に残ったシーンが、主人公が好きな咲野と同じクラスになれて嬉しいのに、クラス内では(スクールカースト的に)別グループになって、咲野は目立つ他の友達と仲良さそうにしているから、同じクラスにならなきゃよかった、と思うシーン。
その感情すごくわかる!
たぶんこれは異性愛であっても恋愛じゃなくて友情であっても抱きうる感情だと思うんですよね。
地球からとびおりてしまいたい気持ちも、私も持っていたことがある。
でもこうして極度に一般化することは悩んでる彼女を傷つけることにしかならない……って小説の登場人物を読者が傷つけるも何もないんだけど。
つまり同性愛という問題であっても、非当事者でも自分に引き付けて考えうる悩みを描いているので、共感性が高い物語になっているのではないかと思った。

「みんなにアルファベットがつけば、何が普通か決められなくなるよね――だれもが何か、悩みをかかえてるんだから」
LGBTと名前をつけること事態がレッテルを貼っているようだという会話の中で出てきた、この台詞がすごく好きです。
国語の読解問題みたいに、作者がこの作品を通して最も主張したいことは何かと問われたら迷わずこの台詞を選ぶ。
あとそのちょっと前の「ぼくたち、わるいことしてるわけじゃない。ただ好きになった相手が同性だっただけなんだ」も物語の根幹だと思う。

LGBTだけじゃなくて、水鳥や咲野や暁生や眩の家庭にはそれぞれの問題があるのとかも、「だれもが何か悩みをかかえてる」ことのあらわれですよね。
水鳥の母がタクシードライバーの仕事をしている理由も好き。

主人公の書いた詩が拙いというかあまり詩として昇華されてなく感情そのままのように感じたのは、中学生という設定考えるとご愛敬かな。

とにかくすごく良い児童書でした。

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『コインロッカー・ベイビーズ』

うん……。
ちょっと苦手な小説でした。
読むのに一月近くかかってしまった。

苦手なところ1
露悪的というか、醜いもの汚いものを殊更に醜く汚く描写している。

苦手なところ2
1とも関連するのだけれども、世界(社会)が理不尽で容赦のないものと設定されている。
私は、この世界ではそういうところもあるにせよ、人の善意とか信頼とかそういうやさしい世界を信じているので、登場人物たちかひどい目にあっていくのはつらい。
いや、産まれてすぐに棄てられた人間が、他人や社会のやさしさを期待できないというのもわかるんですけど。

苦手なところ3
人が簡単に死んでいく。
普段からミステリを好きで読んでるので、人が死ぬ小説が嫌みたいなのはあんまりないんですけど、でも推理小説だと死体として登場人物するか、推理されることでいわゆる「特権的な死」だったりするじゃないですか。概ねは。
本書では、人の死というのは象徴とかメタファーでしかないと感じたんです。破壊という主題を表すための舞台だて。
でも私は、そうして殺される人たちに共感してしまう。その生を思ってしまう。ラストシーンでも、主人公たちによる破壊の完遂の裏で傷ついたり死んだりした東京の人々のことを考えてしまう。
でも、作者にとってはそれは不要な末梢部にすぎないんだろうと被害妄想気味に想像して、苦しくなる。

そもそも私は、書かれている出来事が本当に起こったことじゃない物語が好きじゃないんだと思う。
――というと語弊が大きすぎるけど。
比喩やメタファーや象徴として何かしらの出来事が物語の中で書かれている小説が苦手です。
幻視というか夢うつつに幻を見るのは実際に登場人物の上に起きたことなので問題ない。
物語世界を想定して、そこで生きている人々を「実際に存在するもの」と仮定して読む読み方をしているので、物語世界で起きることにメタな視点を入れたくないんですよね。

以上の理由から、『コインロッカー・ベイビーズ』は私には合わなかったです。

とはいえ興味深く感じたところもいくつかありました。
気が触れた人の台詞めちゃめちゃ巧いなとか。全然筋道が通ってないのに本人の中では論理立っているんだろうなって感じの狂った思考と台詞。

以前どこかの駅で『コインロッカー・ベイビーズ』の演劇のポスターを見たのですが、今回読んでみて舞台映えしそうだなってすごく思った。
現在形や単語の羅列でイメージを伝える感じの文章が多かったから、抽象度の高いメディアと親和性高そうな気がした。映画とかで、短いシーンがパッパッと挿入されて場面が切り替わるような、そんなイメージ。


あと、人を殺人兵器にするようなクスリが話の中心にあるわ主人公が棒高跳びするわで、バナナフィッシュを思い出しました。
書かれた時期的にもそんなに遠くない気がしたけど、なんかそういう社会的風潮とかあったのだろうか。
文庫版を読んだので解説があったのだけれども、そこに「俺達は、コインロッカー・ベイビーズだ」という台詞について、キクとハシだけじゃなくて現代人すべてだというようなことが書いてあって。現物が今手元にないのでニュアンス違うかもしれないですが。
でも現在の私は、それに共感できない。
社会の閉塞感みたいなのは今もあるけど、かたちは違うのだと思う。
だから、この作品が書かれた頃はどんな時代で、若者たちがどんな問題意識をもっていて、読者はキクとハシの何に共感したのかを知りたい。

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『銀河の通信所』

長野まゆみ、また最近宮沢賢治の話をいくつか書いてますよね。
一周まわって戻ってきたのだろうか。

故人とやり取りできる銀河の通信システムを用い、宮沢賢治と賢治を知る人にインタビューをした、という設定の本。
そういう設定を書くには小説という媒体を選ぶしかない(ノンフィクションという体でやるとなんとかの霊言みたいになるし、書いてあることが事実と思われるのは長野まゆみの意に反するだろう)けど、どうにも小説っぽくない印象だった。
賢治を知る人たちのインタビューは、それぞれの人の賢治さんとの思い出を語るのかと思いきや、自分の専門分野から見た、宮沢賢治が生きて作品を書いていた当時の事情だったり、賢治が触れたであろう知識についてだったり。
宮沢賢治の作品は科学技術が大きく進歩した二十世紀初頭に書かれた話だということを読者の頭に入れさせて、それをもとに作品解釈をしてみたり。
その当時の科学技術だとかの説明がわりと事実っぽく書かれているので、読んでいてどうにも小説ではない一般書っぽさを感じました。
そのため読んでて知らない単語が出るたびにスマホで検索をして、言及された絵画を見てみたり、ほのめかしを探ってみたり……という読み方をしていたので、読み通すのにかなり時間がかかりました。

私は宮沢賢治は小学生の頃にいくつか童話読んだくらいでそんなに読んでないので、その点ではあまり興味をもてなかったです。あと個人的に近代文学にコンプレックスがあるので。
でも大学のときにおもしろいと思った文学の授業を思い出しました。たとえば羅生門とかを読んで、芥川龍之介が資料にした本は記述はこれだろうというのを示したりする講義で、文学研究って作品内容の読み解きとか作家の個人史くらいだろうと思っていた1回生当時の私にとってすごく衝撃的だったんですよね。
書いたことや書こうとしたことではなくて、どのように書いたかを考えるのもあるのかって。
この本もそんな感じでしたが、研究でも授業でもないので「本当に賢治がそれを知っていたか」は分からないよね、と思ってしまったところもありますが。

この本で賢治について語る「賢治を知る人たち」の一覧は以下の通り。
元岩根橋発電所技師 ガルバノスキー氏
元イーハトーヴ博物局技官 レオーノ・キュースト氏
革トランクの斉藤平太さん
保線工夫 メゴーグスカ氏
イーハトーヴの郷土史研究家 キャッツホヰスカー氏
蝶屋のコバ先生
小説家の稲垣ATUROH氏
文学者の北原百秋氏
小説家の内田白閒氏
天井技師 Nature氏
(百と白は原ママ)

登場人物といってもいわゆるキャラクターではなく、詩の中で擬人化したようなものが多かったですね。
だから有名どころの童話くらいしか読んでないので、全然知らない人ばかりだった。
連載の一部を抜き出した体なので、他にもこんな人にお話を伺いましたというふうに名前が羅列されていて、宮沢賢治や近代文学が好きな人はそれを見るだけでも楽しいのかも。
名前だけ出てきた佐々木喜善の話は読んでみたかった。そういえばざっくり同じくらいの時代で、同じ岩手県の人なんですよね。賢治作品にも、座敷童子の話ありますし。

あと足穂の話がすごく初期長野まゆみ作品っぽくて、ここがルーツなんだなと思いました。
三日月少年とか少年アリスとかの雰囲気。
本家の足穂も読んでみないとな。

印象に残っているのは、インタビューの中で賢治さんが語っていた「私の時代は紙に書いたものはたいてい創作です。身体をはなれた時点で表現なのです。」という言葉。
これ自体がフィクションの言葉なのだけれども、なんだか本当にそうなのかもと思ってしまった。
時代に限らず今でも、読まれるために書く言葉は本心の一部であってもすべて本当とは言い切れないよね。
「悪魔の日記」のエピソードもなんとなく気になりました。
長野まゆみは高瀬露をこういうふうに書くんですね。

速記者の児手川清治さんは、最後の方読んだ感じモデルがいらっしゃるのかなと思ったけれども、調べ方が悪いのかよくわからなかったです。

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『バビロンまでは何マイル』

多元宇宙が舞台のファンタジー。
無数にある世界は半分が魔法のある世界、もう半分が地球のように魔法を信じていない世界で、マジドと呼ばれる魔法管理官が各世界を担当し、揉め事やバランスを調整している。
地球出身の魔法管理官ルパートが巻き込まれたのは魔法の国コリフォニック帝国の後継者探しと地球での新人管理官選び。ふたつの世界の難題を同時に抱え込んだルパートの運命やいかに。

読んでいて、すごく楽しい物語でした。
おもしろいので逆に感想が浮かばないというか、ここがよかったというのがあらすじ説明になってしまうんですよね。
物語展開としても次から次に事件が起きるし、文体も軽妙でちょっと軽口をたたくような雰囲気があって、キャラクタも一筋縄ではいかない人たちばかりで。
新人マジド候補として登場するマリーなんか、初登場シーンではすごく嫌な奴というか頭がおかしいんじゃないかみたいな印象を受けるんですけど、彼女視点の部分を読み進めていくうちにだんだん愛着が出てきて、いつのまにか好きになっているんですよね。ルパートと同じで。
そうして読者とルパートが十分マリーを好きになったところで分割させるという、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの鬼畜のような所業!

バビロンのあの世界の描写も興味深かったです。
どうしてそういうふうにできているのか。作者は何かの神話や伝説から材料を得たのかしら、とか。
この物語世界の中でも極秘事項で上界の人々すら知らないことなんですよね。
でもニックとマリーの道行きはここで書かれたようだったけれども、別の人が別の願いを携えていくとまた違った光景が広がっているのではないかと思いました。

あとおもしろいなと思ったのは、魔法とコンピュータがどちらも普通に使われているところ。
主人公のルパートの職業がゲームソフトのデザイナなのもそうですし、作中でも魔法でプロテクトされたコンピュータを開こうとしたり、あるいは魔法的なコンピュータウィルスのようなものが出てきたり。
なんとなく、科学技術と魔法って対立項なのかなという印象があるので、新鮮に感じた。

チャールズ・ドジソンがマジドなのだとしたら、C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンもマジドだったんじゃないかしらなんて想像していました。
特別な知識を少しずつ公開というか、地球人に異種族のイメージを植えつけたのはこのあたりの人たちじゃないかと思うんですよね。しゃべるビーバーとか。ホビットとか。
ニックが主人公の別作品『花の魔法、白のドラゴン』にはそれこそ異世界の様子をそのまま書いて地球で出版しているマジドが出てきていましたね。

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