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- 2012/09/24 いまあたしは自分が可愛い あなたにあたしが可愛いと同じに
「天冥の標」
まず、Ⅰ巻の冒頭がすごくうまいと思うんです。すっと物語の中に入りこんでいける。
Ⅱ以降は冒頭で、何って感じでちょっとつまってしまって立ち上がりが遅い印象ではあったんですけど、それでも前作とのつながり等気になって読み進めていってしまう。
だって、それぞれの巻の終わりが、え、ここで終わるの?って感じで。でもそれぞれ直接その後が書かれているわけではなくて、数十年後、数百年後の記述から類推する感じで、気になるけどもう書かれないんだろうなという気がする。もどかしい。
巻を進めるごとに誰かの先祖や子孫かもしれない人が出てきたり、同じキーワードがあったりするのが楽しいです。
アンチオックスの人たちが好きです。かっこいい!! ルッツゾーウィスタン!
アダムスかっこいいです。
Ⅰ巻ではドロテアの乗組員と言われているのがどういうことか、気になります。
プラクティスの人たちはなんていうか切ないですよね。
間違った方向に進んでいると、見ている側にはわかるのにそれを止められない。
チカヤも切なかったけど、でも彼女には児玉先生や青葉がいたのが救いになりえたんじゃないかな、と。
プラクティスにも、人間の友人ができたらよかったのにと思わずにはいられないです。イサリにとってのアインみたいな人がいてくれたらあそこまで歪むことはなかったのではないか、と。
ラバーズによっても癒されはしただろうけど、所詮ロボットだし。
セアキがカナコの子孫だと言ったら少し歩み寄りできたのではないか、と夢想してみたり。
Ⅵで、タックの子孫の大臣とプラクティスの提督が仲良くなるの、あれがもっとうまくいっていたらと思ってしまう。あの大臣さんいい人だったのに。
プラクティスの神話というか始祖言行録ですか、あれだってすごく歪められてしまっていて、もしミヒルとチカヤが会うことがあったら互いに違うと思うだけになりそう。
あとラゴスが好きです。
ラバーズが芸術的才能を持つようになるのはいつからなのだろう。
Ⅰのラバーズの中に、オーロラって子とゲルトールトって子がいるのは、アウラとゲルトを思って名付けたのだろうか。
ところでラゴスの愛人って似たようなタイプ多いですね……。ザリーチェ将軍といい、ミヒルといい、嗜虐趣味で地位の高い女性。エランカは違うけど。
Ⅵの戦いは、確かにプラクティス対非染者、特にロイズの戦いなんだけど、それ以上にミスチフ対カルミアンの戦いで、人間がその道具でしかなくなってしまってる感じがして切ない。
気になったのは、クラスト化したプラクティスの人たちが余暇には体を丸めて動かないだけになったって話で、それで連想したのがオムニフロラに侵略された星では文化が発展しなくなったってことで、なんていうか文化って人間のものなのかなぁ、と。
カルミアンはミスチフの敵だけどだからといって人類の味方というわけではないんだろうな、って。
異文化交流難しいですね。生殖云々のとかも。
ノルルスカインがもっと早く動いてカルミアンと手を組んでいたらミスチフを撃退できていたのではないだろうか。ノルルスカイン、負けが込んでるじゃないですか。
Ⅰはその被展開体の戦いにおいてはどういう位置づけだったのだろうか。
なんていうか全体的に人が死にすぎていて切ないです。
Ⅶは副題がハーブCだから、Ⅰの世界がどういうところなのか説明があるといいな。あと議会もまだ出てきてないような。アインのいたスカウト? 確かに、最初にハーブCに来たといわれてる人たちと同姓同名の人が何人かいたけれども。
ともかく、続きを読むのが楽しみです。
Ⅱ以降は冒頭で、何って感じでちょっとつまってしまって立ち上がりが遅い印象ではあったんですけど、それでも前作とのつながり等気になって読み進めていってしまう。
だって、それぞれの巻の終わりが、え、ここで終わるの?って感じで。でもそれぞれ直接その後が書かれているわけではなくて、数十年後、数百年後の記述から類推する感じで、気になるけどもう書かれないんだろうなという気がする。もどかしい。
巻を進めるごとに誰かの先祖や子孫かもしれない人が出てきたり、同じキーワードがあったりするのが楽しいです。
アンチオックスの人たちが好きです。かっこいい!! ルッツゾーウィスタン!
アダムスかっこいいです。
Ⅰ巻ではドロテアの乗組員と言われているのがどういうことか、気になります。
プラクティスの人たちはなんていうか切ないですよね。
間違った方向に進んでいると、見ている側にはわかるのにそれを止められない。
チカヤも切なかったけど、でも彼女には児玉先生や青葉がいたのが救いになりえたんじゃないかな、と。
プラクティスにも、人間の友人ができたらよかったのにと思わずにはいられないです。イサリにとってのアインみたいな人がいてくれたらあそこまで歪むことはなかったのではないか、と。
ラバーズによっても癒されはしただろうけど、所詮ロボットだし。
セアキがカナコの子孫だと言ったら少し歩み寄りできたのではないか、と夢想してみたり。
Ⅵで、タックの子孫の大臣とプラクティスの提督が仲良くなるの、あれがもっとうまくいっていたらと思ってしまう。あの大臣さんいい人だったのに。
プラクティスの神話というか始祖言行録ですか、あれだってすごく歪められてしまっていて、もしミヒルとチカヤが会うことがあったら互いに違うと思うだけになりそう。
あとラゴスが好きです。
ラバーズが芸術的才能を持つようになるのはいつからなのだろう。
Ⅰのラバーズの中に、オーロラって子とゲルトールトって子がいるのは、アウラとゲルトを思って名付けたのだろうか。
ところでラゴスの愛人って似たようなタイプ多いですね……。ザリーチェ将軍といい、ミヒルといい、嗜虐趣味で地位の高い女性。エランカは違うけど。
Ⅵの戦いは、確かにプラクティス対非染者、特にロイズの戦いなんだけど、それ以上にミスチフ対カルミアンの戦いで、人間がその道具でしかなくなってしまってる感じがして切ない。
気になったのは、クラスト化したプラクティスの人たちが余暇には体を丸めて動かないだけになったって話で、それで連想したのがオムニフロラに侵略された星では文化が発展しなくなったってことで、なんていうか文化って人間のものなのかなぁ、と。
カルミアンはミスチフの敵だけどだからといって人類の味方というわけではないんだろうな、って。
異文化交流難しいですね。生殖云々のとかも。
ノルルスカインがもっと早く動いてカルミアンと手を組んでいたらミスチフを撃退できていたのではないだろうか。ノルルスカイン、負けが込んでるじゃないですか。
Ⅰはその被展開体の戦いにおいてはどういう位置づけだったのだろうか。
なんていうか全体的に人が死にすぎていて切ないです。
Ⅶは副題がハーブCだから、Ⅰの世界がどういうところなのか説明があるといいな。あと議会もまだ出てきてないような。アインのいたスカウト? 確かに、最初にハーブCに来たといわれてる人たちと同姓同名の人が何人かいたけれども。
ともかく、続きを読むのが楽しみです。
てのひらの銀貨に リラのかおりする 罪を語る
気が付けばもう3月ですね。時の流れが速い。そう実感すると年をとったような気がします。ほら、年齢が高くなるにつれて時間の進みが速く感じるとかいう。
まあ実際、前回のブログ更新の時からは年とったんですけど。誕生日があったので。ついに20歳ですよ。合法的にお酒が飲めますよ。それで先日、「夜は短し~」に出てきたバーのモデルのところの別の支店に行って、グラスホッパー飲んできました。おいしかったです。チョコミント味。安藤兄弟のことを考えてにやにやしました。
あ、だから今回の記事タイトルこれなんですけど。こいぬよわらえなんにもないはたち。合唱でよく歌う曲なんですが。
記事タイトルといえば前回の、つながり間違えてたんですけどもう直すのも今更ですしあのままで行きます。あの歌好きだし。ベストアルバム発売がもうすぐなのが楽しみでたまらないが、当日合宿で広島行っているので手に入れられるだろうか……。向こうで買えばいいんでしょうけどね。
えっと読んだ本。かなりたまってます。そして多くなると携帯で打つのが面倒で放っておいてさらにたまっていくという悪循環。
『ドリトル先生航海記』
白人の知識人であるドリトル先生が「未開」のインディアンたちに文化を伝え、彼らの暮らしを文明的にする、という話がいかにもヴィクトリア朝を舞台にした物語だなと思いました。なんていうか、批判されたのもさもありなんというか。いや、批判を肯定するわけじゃないんですけどここで言われたのだろうというのが予想つく。物語に対して、子供の教育に悪いとか差別的だと批判するのは間違ってると思います。そういうのは周りの大人がただせばいいことだと思うの。
全巻と同じような博物学?の話だけでなく、裁判の話や航海記、あと上記のようなイデオロギー的物語と、大変盛りだくさんな内容でした。透明な貝の中に入って海底を探検するというのは夢があっていいなと思う。
ドリトル先生相変わらずチート。
そして、この本の「はじめに」で、前作と今作が作中人物のトミーが書いたものとされているのが、この話が本当らしく思えて好きです。実際、19世紀~20世紀?のイギリスにドリトル先生なる人物がいて冒険してたんじゃないか、って。たぶん対象読者の子供ならなおさらそういう想像がふくらむと思うのでいいな、と。
『長くつ下のピッピ』
昔、ピッピの実写版のビデオを見たことはあったのですが、読むのは実は初めてでした。実写は原作の何エピソードかをふくらませた感じで、わりと楽しんで見た記憶がありました。それに、読んでて映像の記憶がよみがえってきて。10年くらい前なのに案外覚えているものだなぁと思いました。
今回小説版読んで、まず思ったのが料理がおいしそうということ。パンケーキとか、クッキーとか、遠足のお弁当とか! 食べたい。おいしそうだし、作り方も楽しい。
ただ、どうしてもピッピに対してイライラしてしまうのですよね……。すごい子だと思うし、一人で好きなように暮らせるのはいいんだけど、彼女がするうその話とか、会話が成立しないのだとかが読んでてイライラする。自分が大人になってしまって、ピッピのような童心を置いてきてしまったからなんのだろうか。どちらかというと、単に自分の性格の問題なんでしょうが。
『竜の騎士』
『どろぼうの神さま』の人。どろぼうの神さまはすごく好きだったから、期待して読んだのだけれど、なんだかラノベっぽいという印象。おもしろいし、読みやすいけど、薄っぺらい。
新しい故郷となるべき場所を探すために竜とコボルトと人間の少年が冒険する話。ホムンクルスとかサラマンダーとかジンとか、ファンタジー世界によくいる生き物たちがたくさん出てきてる。まぁよくありそうな話だと思うんですよ。ただひとつ珍しいなと思うのは、その舞台がファンタージエンとかナルニア国とかそういった異界ではなく、現代の地球であるということ。スコットランドの奥地を出発した竜が、ドイツを経由して、エジプトに寄って、チベットの奥地にある竜の住処に行くといった風に。ファンタジーによくあるように、巻頭に地図つけてほしかったな。ネズミが作ったっていう体で、世界地図を。でもそうすると実在する場所だから人間が行きかねなくて問題かな。だって作中の竜たちは人間を避けて旅立つわけだし、整合性が……。
ただ、現代の地球を舞台にした理由がよくわからなくて。人間が開発して他の生き物たちの住処を奪っていくことへの警鐘? それとも、現実に近い感じを出すため?
さもないと、ただ単に自分のファンタジー世界を構築できなかっただけに感じられる。
なんとなく全体的に、既存のものを利用した感があって。作者自身が作り上げきれていない感じがしてしまいました。
まず、「伝説の生き物」という言葉を彼ら自身が自称するのがあまり好きではない。だって、伝説にするのは人間なのに、人間を嫌って避けている彼らがそういう風に人間の介在する言い方をするのに違和感がある。彼らは人間が伝説にする前から生き続けてきたはずだから。だからといって言葉のよい代替案は思いつかないのだけれど。幻想生物とか? あるいは常世に近い生き物とか。
あと、「竜の騎士」が何なのかよくわからないまま竜の騎士についての物語が語られて、なんで誰も突っ込まないの、って思う。もしかしたら騎士っていうのは単に「竜に乗る人」というくらいの意味かもしれないけど。ドラゴナイトではなく、ドラゴンライダー。その辺は訳の問題もあるかもですが。
シュヴェーフェルフェルとかも、なんていうかすごく「キャラ」っぽいしなぁ。
……どろぼうの神さまは好きだったんだけどなあ。あれも今読むと薄く感じてしまうのかしら。だとしたら嫌だな。
『火刑法廷』
すごくおもしろかった!
「わたしたちがいま魔法に支配されている世界にいるのか、常識に支配された世界にいるのか、どうもわかりません」という登場人物の言葉の通り、現実と幻想が入り混じり、超自然的なものによる殺人と思わせられてしまう。その雰囲気づくりはすごくうまくて、どういうことか気になって、読み進めてしまう。合理的解決ができるのかもしれない、でも魔術的なものでもそれはそれでおもしろい気がする、と読み始めてから読み終えるまでずっと思っていられて、それはすごい構成だなと。それについてのエピローグの効果! あのエピローグ本当にやばい。すごい。興奮する。
個人的には怪奇推し。だって犯人出てきたとき若干萎えた。そんな陳腐なの?って。
もうね、怪奇的雰囲気がすごく好みでした。不死の人間。魔女裁判。黒ミサ。毒薬。砒素。
捜査パートは、捜査が前進してるのか停滞してるのかよくわからないけどよくわからないままテンポよく話が進んで、死体が消えるわ、幽霊が出るわ、電報が来るわ、次々に事件が起きて読み進められて、どうなるのかと思ったら思わぬ人物が探偵として現れて。テンポいいよなぁ、やっぱり。途中でだれないもん。
捜査して真実を暴きたいのか、隠蔽しておきたいのか、どっちなんだろうと思ってたけど、そういう些細な疑問も物語の展開に翻弄されてうやむやになってしまう。うまい。
『ぼくのメジャースプーン』
『名前探しの放課後』
オビミスのため再読。
メジャースプーンを読んだ直後に名前探し読むと、つながりがわかりやすくて楽しい。
メジャースプーンは途中の秋先生との問答が少し冗長に感じられてしまう。
結末がどうなるか知っていて読むと、これが伏線なのか、と思って読めるから楽しい。
名前探しは、結末知っていたのに読み終えたときに目頭が熱くなってしまった。辻村深月の書く恋愛は純粋で少女マンガっぽくときめいて好きです。
『紳士と月夜の晒し台』
秋ごろに先輩と後輩から勧められていたのをようやく読めました。
会話が軽妙でユーモアがあって読みやすかったです。
登場人物が変人だらけだけど、あまり変だと思わなかったというか、誰かが犯人だとしたら、という仮定をして議論するのはべつにするんじゃないかなって。妹にはわりと好感もてました。
ラストが事件の解決とともに大団円になって、若干性急すぎる気もしたのですがまあいいハッピーエンドだったなと。いや、そこがくっつくの、って。フラグ立ってからくっつくまでが早すぎた。
でもジャイルズイケメン。
『逆回りのお散歩』
正直、あまり好きではなかったです。
だって『となり町戦争』って三崎亜記の中では一番有名だけど、一番おもしろくないと思うんですよ。少なくとも私は。三崎亜記は短編向きの人だと思うし、妙な主張とかいれないほうがいいと思うの。
で、それと同系統の話であるこれも微妙でした。最近の風潮である、ネット炎上やステマとかの話があって、それに関しては実際にネット上の過激派っぽい人たちの発言見たときと同じような気持ちになったから、ある意味成功しているのではないかと思うけど。そこまですることなの、って思うよね。陰謀論好きですね、とか。
三崎亜記自身が主張しているというよりはそういうのを皮肉っている、風刺しているっていうほうが近いのかもしれないです。
この本のテーマだった、なかったことにされた反対運動って、三崎亜記自身twitter上で何回か言ってたなあと思い出す。そもそもtwitterやってたのも、これを書くためだったんじゃないかと邪推してみたり。そういうこと呟いてた時に執筆してたのかしら。
あと同時収録のがとなり町戦争の前日譚で、香西さんが戦争の研修を受ける話でした。香西さんの知られざる素顔がわかる、けど、彼女についてあまり記憶がなかったのであれ。弟が切なかった。
結局、戦争とはなんなのか。
『三つの棺』
火刑法廷よりは数段落ちるかな、という感じ。
これも怪奇的な雰囲気を出していて、よみがえった死者か、吸血鬼か、っていう感じではあるんだけど、結局人間の仕業ということに帰着してしまっていて残念。
事件が起きた状況の謎だとか、おどろおどろしい絵とかはすごくわくわくするんだけどオチがちょっと残念。
なんか翼ある闇のあれ思い出した。あっちのが不可能っぽいけどさぁ。
『スノーホワイト 名探偵三途川理と少女の鏡は千の目を持つ』
おもしろかったです。
白雪姫の物語がうまく構成に練りこまれているのが良い。
前作では、自分が悪徳探偵があまり好きではなかったために読後感があまりよくはなかったのだけれども、今回はむしろ痛快でした。鏡の使い方とか斬新ですごい、って思えた。視点人物が「三途川すごい」って言ってたからかも。
童話部分がすごくそれっぽくて好き。
あと、装丁が素敵。
『恋のドレスと白のカーテン』
ハッピーエンドでよかったです。きゅんきゅんする。
短編集でその後の話とかないかしら。
愛するということは、大切にするということ、というのがいいなと思いました。
『白い服の男』
時の渦のオチが好きです。繰り返す時は何を表しているのかわかるあのラスト一行が素晴らしい。
白い服の男だとか、老人と孫だとかに対しては、読んで思う「間違ってる」っていう感覚が正しいのかなと思いました。
まあ実際、前回のブログ更新の時からは年とったんですけど。誕生日があったので。ついに20歳ですよ。合法的にお酒が飲めますよ。それで先日、「夜は短し~」に出てきたバーのモデルのところの別の支店に行って、グラスホッパー飲んできました。おいしかったです。チョコミント味。安藤兄弟のことを考えてにやにやしました。
あ、だから今回の記事タイトルこれなんですけど。こいぬよわらえなんにもないはたち。合唱でよく歌う曲なんですが。
記事タイトルといえば前回の、つながり間違えてたんですけどもう直すのも今更ですしあのままで行きます。あの歌好きだし。ベストアルバム発売がもうすぐなのが楽しみでたまらないが、当日合宿で広島行っているので手に入れられるだろうか……。向こうで買えばいいんでしょうけどね。
えっと読んだ本。かなりたまってます。そして多くなると携帯で打つのが面倒で放っておいてさらにたまっていくという悪循環。
『ドリトル先生航海記』
白人の知識人であるドリトル先生が「未開」のインディアンたちに文化を伝え、彼らの暮らしを文明的にする、という話がいかにもヴィクトリア朝を舞台にした物語だなと思いました。なんていうか、批判されたのもさもありなんというか。いや、批判を肯定するわけじゃないんですけどここで言われたのだろうというのが予想つく。物語に対して、子供の教育に悪いとか差別的だと批判するのは間違ってると思います。そういうのは周りの大人がただせばいいことだと思うの。
全巻と同じような博物学?の話だけでなく、裁判の話や航海記、あと上記のようなイデオロギー的物語と、大変盛りだくさんな内容でした。透明な貝の中に入って海底を探検するというのは夢があっていいなと思う。
ドリトル先生相変わらずチート。
そして、この本の「はじめに」で、前作と今作が作中人物のトミーが書いたものとされているのが、この話が本当らしく思えて好きです。実際、19世紀~20世紀?のイギリスにドリトル先生なる人物がいて冒険してたんじゃないか、って。たぶん対象読者の子供ならなおさらそういう想像がふくらむと思うのでいいな、と。
『長くつ下のピッピ』
昔、ピッピの実写版のビデオを見たことはあったのですが、読むのは実は初めてでした。実写は原作の何エピソードかをふくらませた感じで、わりと楽しんで見た記憶がありました。それに、読んでて映像の記憶がよみがえってきて。10年くらい前なのに案外覚えているものだなぁと思いました。
今回小説版読んで、まず思ったのが料理がおいしそうということ。パンケーキとか、クッキーとか、遠足のお弁当とか! 食べたい。おいしそうだし、作り方も楽しい。
ただ、どうしてもピッピに対してイライラしてしまうのですよね……。すごい子だと思うし、一人で好きなように暮らせるのはいいんだけど、彼女がするうその話とか、会話が成立しないのだとかが読んでてイライラする。自分が大人になってしまって、ピッピのような童心を置いてきてしまったからなんのだろうか。どちらかというと、単に自分の性格の問題なんでしょうが。
『竜の騎士』
『どろぼうの神さま』の人。どろぼうの神さまはすごく好きだったから、期待して読んだのだけれど、なんだかラノベっぽいという印象。おもしろいし、読みやすいけど、薄っぺらい。
新しい故郷となるべき場所を探すために竜とコボルトと人間の少年が冒険する話。ホムンクルスとかサラマンダーとかジンとか、ファンタジー世界によくいる生き物たちがたくさん出てきてる。まぁよくありそうな話だと思うんですよ。ただひとつ珍しいなと思うのは、その舞台がファンタージエンとかナルニア国とかそういった異界ではなく、現代の地球であるということ。スコットランドの奥地を出発した竜が、ドイツを経由して、エジプトに寄って、チベットの奥地にある竜の住処に行くといった風に。ファンタジーによくあるように、巻頭に地図つけてほしかったな。ネズミが作ったっていう体で、世界地図を。でもそうすると実在する場所だから人間が行きかねなくて問題かな。だって作中の竜たちは人間を避けて旅立つわけだし、整合性が……。
ただ、現代の地球を舞台にした理由がよくわからなくて。人間が開発して他の生き物たちの住処を奪っていくことへの警鐘? それとも、現実に近い感じを出すため?
さもないと、ただ単に自分のファンタジー世界を構築できなかっただけに感じられる。
なんとなく全体的に、既存のものを利用した感があって。作者自身が作り上げきれていない感じがしてしまいました。
まず、「伝説の生き物」という言葉を彼ら自身が自称するのがあまり好きではない。だって、伝説にするのは人間なのに、人間を嫌って避けている彼らがそういう風に人間の介在する言い方をするのに違和感がある。彼らは人間が伝説にする前から生き続けてきたはずだから。だからといって言葉のよい代替案は思いつかないのだけれど。幻想生物とか? あるいは常世に近い生き物とか。
あと、「竜の騎士」が何なのかよくわからないまま竜の騎士についての物語が語られて、なんで誰も突っ込まないの、って思う。もしかしたら騎士っていうのは単に「竜に乗る人」というくらいの意味かもしれないけど。ドラゴナイトではなく、ドラゴンライダー。その辺は訳の問題もあるかもですが。
シュヴェーフェルフェルとかも、なんていうかすごく「キャラ」っぽいしなぁ。
……どろぼうの神さまは好きだったんだけどなあ。あれも今読むと薄く感じてしまうのかしら。だとしたら嫌だな。
『火刑法廷』
すごくおもしろかった!
「わたしたちがいま魔法に支配されている世界にいるのか、常識に支配された世界にいるのか、どうもわかりません」という登場人物の言葉の通り、現実と幻想が入り混じり、超自然的なものによる殺人と思わせられてしまう。その雰囲気づくりはすごくうまくて、どういうことか気になって、読み進めてしまう。合理的解決ができるのかもしれない、でも魔術的なものでもそれはそれでおもしろい気がする、と読み始めてから読み終えるまでずっと思っていられて、それはすごい構成だなと。それについてのエピローグの効果! あのエピローグ本当にやばい。すごい。興奮する。
個人的には怪奇推し。だって犯人出てきたとき若干萎えた。そんな陳腐なの?って。
もうね、怪奇的雰囲気がすごく好みでした。不死の人間。魔女裁判。黒ミサ。毒薬。砒素。
捜査パートは、捜査が前進してるのか停滞してるのかよくわからないけどよくわからないままテンポよく話が進んで、死体が消えるわ、幽霊が出るわ、電報が来るわ、次々に事件が起きて読み進められて、どうなるのかと思ったら思わぬ人物が探偵として現れて。テンポいいよなぁ、やっぱり。途中でだれないもん。
捜査して真実を暴きたいのか、隠蔽しておきたいのか、どっちなんだろうと思ってたけど、そういう些細な疑問も物語の展開に翻弄されてうやむやになってしまう。うまい。
『ぼくのメジャースプーン』
『名前探しの放課後』
オビミスのため再読。
メジャースプーンを読んだ直後に名前探し読むと、つながりがわかりやすくて楽しい。
メジャースプーンは途中の秋先生との問答が少し冗長に感じられてしまう。
結末がどうなるか知っていて読むと、これが伏線なのか、と思って読めるから楽しい。
名前探しは、結末知っていたのに読み終えたときに目頭が熱くなってしまった。辻村深月の書く恋愛は純粋で少女マンガっぽくときめいて好きです。
『紳士と月夜の晒し台』
秋ごろに先輩と後輩から勧められていたのをようやく読めました。
会話が軽妙でユーモアがあって読みやすかったです。
登場人物が変人だらけだけど、あまり変だと思わなかったというか、誰かが犯人だとしたら、という仮定をして議論するのはべつにするんじゃないかなって。妹にはわりと好感もてました。
ラストが事件の解決とともに大団円になって、若干性急すぎる気もしたのですがまあいいハッピーエンドだったなと。いや、そこがくっつくの、って。フラグ立ってからくっつくまでが早すぎた。
でもジャイルズイケメン。
『逆回りのお散歩』
正直、あまり好きではなかったです。
だって『となり町戦争』って三崎亜記の中では一番有名だけど、一番おもしろくないと思うんですよ。少なくとも私は。三崎亜記は短編向きの人だと思うし、妙な主張とかいれないほうがいいと思うの。
で、それと同系統の話であるこれも微妙でした。最近の風潮である、ネット炎上やステマとかの話があって、それに関しては実際にネット上の過激派っぽい人たちの発言見たときと同じような気持ちになったから、ある意味成功しているのではないかと思うけど。そこまですることなの、って思うよね。陰謀論好きですね、とか。
三崎亜記自身が主張しているというよりはそういうのを皮肉っている、風刺しているっていうほうが近いのかもしれないです。
この本のテーマだった、なかったことにされた反対運動って、三崎亜記自身twitter上で何回か言ってたなあと思い出す。そもそもtwitterやってたのも、これを書くためだったんじゃないかと邪推してみたり。そういうこと呟いてた時に執筆してたのかしら。
あと同時収録のがとなり町戦争の前日譚で、香西さんが戦争の研修を受ける話でした。香西さんの知られざる素顔がわかる、けど、彼女についてあまり記憶がなかったのであれ。弟が切なかった。
結局、戦争とはなんなのか。
『三つの棺』
火刑法廷よりは数段落ちるかな、という感じ。
これも怪奇的な雰囲気を出していて、よみがえった死者か、吸血鬼か、っていう感じではあるんだけど、結局人間の仕業ということに帰着してしまっていて残念。
事件が起きた状況の謎だとか、おどろおどろしい絵とかはすごくわくわくするんだけどオチがちょっと残念。
なんか翼ある闇のあれ思い出した。あっちのが不可能っぽいけどさぁ。
『スノーホワイト 名探偵三途川理と少女の鏡は千の目を持つ』
おもしろかったです。
白雪姫の物語がうまく構成に練りこまれているのが良い。
前作では、自分が悪徳探偵があまり好きではなかったために読後感があまりよくはなかったのだけれども、今回はむしろ痛快でした。鏡の使い方とか斬新ですごい、って思えた。視点人物が「三途川すごい」って言ってたからかも。
童話部分がすごくそれっぽくて好き。
あと、装丁が素敵。
『恋のドレスと白のカーテン』
ハッピーエンドでよかったです。きゅんきゅんする。
短編集でその後の話とかないかしら。
愛するということは、大切にするということ、というのがいいなと思いました。
『白い服の男』
時の渦のオチが好きです。繰り返す時は何を表しているのかわかるあのラスト一行が素晴らしい。
白い服の男だとか、老人と孫だとかに対しては、読んで思う「間違ってる」っていう感覚が正しいのかなと思いました。
難解だって知ったって何回だって立ち上がって
どうも、睦月です。
今は祖父母の家で年越しをしています。
今年読んだ本を数えてみたら121冊で、少なかったなぁと反省してます。
本だけじゃなくて、イベント行ったりライブ行ったりもあまりしてないし、書くのもサークルの要請にかられてばかりだったから、来年はもう少し趣味的なことをしたい。ブログも全然だったし。
とりあえず、2014年4月までは少なくともサイト続けるつもりなんですよ。言座が出会って20年を祝いたい。だからそれまではね、何らかの活動をしていたいですよね。
読んだ本。
『超少子化』
授業のために。
こんなはずないと思う私が社会を知らないのだろうか。
女性観、結婚観、子育て観がえげつない。
でも『鍵のない夢を見る』の最後の話思い出しても、そんなもんなのかな。あれは異常だとはいえ。
なんかこれ読んで、働くのが怖くなったし、結婚したくなくなったし、子供もほしくないなぁと思った。ずっと学生でいたい。
『ホビットの冒険』上下
先日、映画(3D字幕版)を見てきまして。巨大なトロル、3Dで迫り来るオーク、魔狼、ゴブリン、よくわからないけど不気味なゴラムと、ひたすらに深刻なシーンの連続で、すごく怖かったし、心臓がぎゅっとなりました。
でも、原作は全然怖くなくて、むしろ、ずっと楽観的に構えていられました。
起こっていることはたいして変わらない(オークは全く出なかったけど)のに、こんなに雰囲気違うのはおもしろいなあ、と。
だからこそ下巻後半の展開は予想外でした。え、竜……、え、戦い? え? みたいな。
でも3Dでスマウグ見たら絶対怖い。
背景に世界が広がっている感じはすごく好きなのですが、きっと全体を知ることはできないのだろうと思うと、もどかしくなります。
指輪物語も読んでみたくなりました。
『魔法のカクテル』
魔法側の登場人物や固有名詞は悪魔とか悪魔的なものの名前からかな? ベエルツェブープはベルゼブブっぽい。ティラニアの元ネタがよくわからないけど。
金を生み出す呪文の中にマンモン(七つの大罪のうち強欲を司る悪魔)ってあったり、楽しい。悪魔のいる地獄でも、冥界の支配者プルトンと言われてたり、その辺どうなのかよくわからない。元ネタ全部分かればもっと楽しいんだろうな。
猫とカラスがかわいい。
でも、どうしてか、魔術師側を応援してしまっていた。
魔術師や魔女が環境破壊や絶滅や戦争や貧困や、そういった世界の問題を生み出しているという設定はおもしろい。それぞれ科学や資本主義の象徴ではあるのだろうけど、あえてそこまで考えない方が、主張が物語に紛れていいバランスになる気がした。
あと『はてしない物語』の名前が出てきておっとなった。作中作でもあるし、違和感はない。
『ドリトル先生アフリカゆき』
ドリトル先生が、動物語を学んで習得したという設定がおもしろい。
動物に優しいがために故郷では貧乏になったドリトル先生が、動物に優しいから、旅先では慕われ危機を乗り越えて、お金持ちになって帰ってきたのが痛快でした。
王子が白人になりたいというあたりとかは、なるほどこれで批判されたのかと思ったけど、別に書き直さなくても……と思う。特に、本人亡くなってるから遺族がってどうなの。「書かれた時代背景を考慮して~」でよいのでは。
フクロウが数学家なのは知恵の女神の使者だからかなとか。動物もかなりステレオタイプ的な気はする。
今は祖父母の家で年越しをしています。
今年読んだ本を数えてみたら121冊で、少なかったなぁと反省してます。
本だけじゃなくて、イベント行ったりライブ行ったりもあまりしてないし、書くのもサークルの要請にかられてばかりだったから、来年はもう少し趣味的なことをしたい。ブログも全然だったし。
とりあえず、2014年4月までは少なくともサイト続けるつもりなんですよ。言座が出会って20年を祝いたい。だからそれまではね、何らかの活動をしていたいですよね。
読んだ本。
『超少子化』
授業のために。
こんなはずないと思う私が社会を知らないのだろうか。
女性観、結婚観、子育て観がえげつない。
でも『鍵のない夢を見る』の最後の話思い出しても、そんなもんなのかな。あれは異常だとはいえ。
なんかこれ読んで、働くのが怖くなったし、結婚したくなくなったし、子供もほしくないなぁと思った。ずっと学生でいたい。
『ホビットの冒険』上下
先日、映画(3D字幕版)を見てきまして。巨大なトロル、3Dで迫り来るオーク、魔狼、ゴブリン、よくわからないけど不気味なゴラムと、ひたすらに深刻なシーンの連続で、すごく怖かったし、心臓がぎゅっとなりました。
でも、原作は全然怖くなくて、むしろ、ずっと楽観的に構えていられました。
起こっていることはたいして変わらない(オークは全く出なかったけど)のに、こんなに雰囲気違うのはおもしろいなあ、と。
だからこそ下巻後半の展開は予想外でした。え、竜……、え、戦い? え? みたいな。
でも3Dでスマウグ見たら絶対怖い。
背景に世界が広がっている感じはすごく好きなのですが、きっと全体を知ることはできないのだろうと思うと、もどかしくなります。
指輪物語も読んでみたくなりました。
『魔法のカクテル』
魔法側の登場人物や固有名詞は悪魔とか悪魔的なものの名前からかな? ベエルツェブープはベルゼブブっぽい。ティラニアの元ネタがよくわからないけど。
金を生み出す呪文の中にマンモン(七つの大罪のうち強欲を司る悪魔)ってあったり、楽しい。悪魔のいる地獄でも、冥界の支配者プルトンと言われてたり、その辺どうなのかよくわからない。元ネタ全部分かればもっと楽しいんだろうな。
猫とカラスがかわいい。
でも、どうしてか、魔術師側を応援してしまっていた。
魔術師や魔女が環境破壊や絶滅や戦争や貧困や、そういった世界の問題を生み出しているという設定はおもしろい。それぞれ科学や資本主義の象徴ではあるのだろうけど、あえてそこまで考えない方が、主張が物語に紛れていいバランスになる気がした。
あと『はてしない物語』の名前が出てきておっとなった。作中作でもあるし、違和感はない。
『ドリトル先生アフリカゆき』
ドリトル先生が、動物語を学んで習得したという設定がおもしろい。
動物に優しいがために故郷では貧乏になったドリトル先生が、動物に優しいから、旅先では慕われ危機を乗り越えて、お金持ちになって帰ってきたのが痛快でした。
王子が白人になりたいというあたりとかは、なるほどこれで批判されたのかと思ったけど、別に書き直さなくても……と思う。特に、本人亡くなってるから遺族がってどうなの。「書かれた時代背景を考慮して~」でよいのでは。
フクロウが数学家なのは知恵の女神の使者だからかなとか。動物もかなりステレオタイプ的な気はする。
生きてます。
いろいろあってご無沙汰してました。すみません。生きてます。
えっと、10月くらいからの近況を報告しますと、
サークルの機関誌に載せる原稿書いたり、犯人当て書いたり、鬼のように構成したり、辻村深月講演会に行ったり、学祭があったり、某英都大学の学祭に遊びに行ったり、合唱の演奏会だったり、本読んだりケーキ食べたりしてました。
というわけで読んだ本を取り急ぎ。
『世界一初恋横澤隆史の場合2~』
『日本神話の構造』
レポートのために読んだのだけれど、なかなかおもしろかったです。そういう読み方は知らなかったので。
パンテオンの三機能体系と、天と地、海と陸・山の対立が主な主張かな。
似た筋の繰り返しにもちゃんと意味があったんだな、とか。
三機能でいえば、天照が主権、月読が生産、素戔嗚が軍事なんだろうな。
あと、素戔嗚と日本武尊と義経が同じ〈悲劇の英雄〉型の流れだとか、なるほどと思った。
『千年ジュリエット』
ストーリーはおもしろいのにミステリとしては残念な印象。
『ジャンピング・ジェニイ』
「名探偵」が証拠隠滅に努める話というのは初めて読みました。面白かった。『毒チョコ』よりも好きかも。
ただ、私が求めるような物語性はなくて、キャラの掘り下げもない。イーナの嫌な女っぷりはよく伝わるけど、どうして、とか何を考えて、とかはわからないし、だから人の名前を覚えられない。
でも嫌な女書くのは本当にうまいと思う。こんな女子いたなぁ、っていう。
天井の構造がわかりにくかった。図解がほしい。
『鍵のない夢を見る』
ああ、辻村深月はミステリ書きではなくなってしまったんだな、と思った。事件は起こっても伏線回収も何もないし。叙述とかは別にいらないんですけど。
正直、なんでこの本で直木賞受賞したかわからない。今までの辻村作品のテーマとかエッセンスは入ってるんですよ。『水底フェスタ』の田舎の閉塞感、『凍りのくじら』の夢を追うダメ男、女の人間関係と自意識。でも、書き方が性急で、世界の雰囲気や人物の行動様式を理解しきれないうちに事件が起きてしまう気がしました。それぞれを長編にしたらおもしろいんじゃないか、と思ってしまう。
『薬指の標本』
なんだか三崎亜記に似てる気がした。不思議なことが当たり前のようにあって、それを淡々と受け入れているような。でも
『ふたり狂い』
気持ち悪かった。内容が狂った感じで、というのもあるんだけど、真実が結局はどこにあるのか、何が、あるいは誰が正しいのかわからなくてもやもやする。
人間関係ってそんなものかもしれないとも思うのだけど。自分の認識と相手の認識はきっとずれていて。あと、噂とかも事実じゃない方に曲がっていくから怖いなあ、と。多数派=真実とは限らない、ということを強く感じた。
『今出川ルヴォワール』
ギャンブルあんまり好きじゃかない。
全体的にぶつ切りな感じ。
『カマラとアマラの丘』
道徳の教科書っぽい。設定は好みだけれど移入できない。
『ユダの窓』
おもしろかった。ガブリガブリが謎。
えっと、10月くらいからの近況を報告しますと、
サークルの機関誌に載せる原稿書いたり、犯人当て書いたり、鬼のように構成したり、辻村深月講演会に行ったり、学祭があったり、某英都大学の学祭に遊びに行ったり、合唱の演奏会だったり、本読んだりケーキ食べたりしてました。
というわけで読んだ本を取り急ぎ。
『世界一初恋横澤隆史の場合2~』
『日本神話の構造』
レポートのために読んだのだけれど、なかなかおもしろかったです。そういう読み方は知らなかったので。
パンテオンの三機能体系と、天と地、海と陸・山の対立が主な主張かな。
似た筋の繰り返しにもちゃんと意味があったんだな、とか。
三機能でいえば、天照が主権、月読が生産、素戔嗚が軍事なんだろうな。
あと、素戔嗚と日本武尊と義経が同じ〈悲劇の英雄〉型の流れだとか、なるほどと思った。
『千年ジュリエット』
ストーリーはおもしろいのにミステリとしては残念な印象。
『ジャンピング・ジェニイ』
「名探偵」が証拠隠滅に努める話というのは初めて読みました。面白かった。『毒チョコ』よりも好きかも。
ただ、私が求めるような物語性はなくて、キャラの掘り下げもない。イーナの嫌な女っぷりはよく伝わるけど、どうして、とか何を考えて、とかはわからないし、だから人の名前を覚えられない。
でも嫌な女書くのは本当にうまいと思う。こんな女子いたなぁ、っていう。
天井の構造がわかりにくかった。図解がほしい。
『鍵のない夢を見る』
ああ、辻村深月はミステリ書きではなくなってしまったんだな、と思った。事件は起こっても伏線回収も何もないし。叙述とかは別にいらないんですけど。
正直、なんでこの本で直木賞受賞したかわからない。今までの辻村作品のテーマとかエッセンスは入ってるんですよ。『水底フェスタ』の田舎の閉塞感、『凍りのくじら』の夢を追うダメ男、女の人間関係と自意識。でも、書き方が性急で、世界の雰囲気や人物の行動様式を理解しきれないうちに事件が起きてしまう気がしました。それぞれを長編にしたらおもしろいんじゃないか、と思ってしまう。
『薬指の標本』
なんだか三崎亜記に似てる気がした。不思議なことが当たり前のようにあって、それを淡々と受け入れているような。でも
『ふたり狂い』
気持ち悪かった。内容が狂った感じで、というのもあるんだけど、真実が結局はどこにあるのか、何が、あるいは誰が正しいのかわからなくてもやもやする。
人間関係ってそんなものかもしれないとも思うのだけど。自分の認識と相手の認識はきっとずれていて。あと、噂とかも事実じゃない方に曲がっていくから怖いなあ、と。多数派=真実とは限らない、ということを強く感じた。
『今出川ルヴォワール』
ギャンブルあんまり好きじゃかない。
全体的にぶつ切りな感じ。
『カマラとアマラの丘』
道徳の教科書っぽい。設定は好みだけれど移入できない。
『ユダの窓』
おもしろかった。ガブリガブリが謎。
いまあたしは自分が可愛い あなたにあたしが可愛いと同じに
ミステリ研の合宿で金沢に行ってきました。
泊まったのは加賀温泉だったのだけれど、以前行ったことあるのではないかという感じがした。温泉地にある魯山人の家は見に行ったことあるのだけど、それは果たしてここだったのだろうか。加賀温泉だったら行っていてもおかしくはないんだけど。
あと、いつも車窓から見て気になってた巨大な観音様についての話も聞けておもしろかった。
金沢では尾山神社と21世紀美術館と忍者寺とひがしの茶屋街に行きました。
尾山神社は、去年くらいにステンドグラスの神門があると聞いてからずっと行きたかったところだったのです。素敵でした。
21世紀美術館が翌日からの展示のために準備中で、一部しか見られなかったのが残念でした。現代アートってなんかよく分からないんだけどね。なんとなく、好きとか嫌いとかはあるけど。
地元でやってた大地の芸術祭みたいだなと思った。
忍者寺はからくり満載のお寺で、たぶん見学させてもらえたのはほんの一部のからくりだけで、きっとまだまだ隠し部屋とか隠し通路とか罠とかたくさんあるんだろうな、と考えるとわくわくする。住みたい。
押し入れの襖を開けると奥にもう一枚襖があって、でも通路への入り口は横の壁だとか、なかなかすごい。
あと、個人的にも旅行で倉敷に行ってきました。
昔、母が職員旅行で倉敷チボリ公園に行ってきて以来行ってみたかったのに、いつの間にかつぶれていたらしく。ショックでした。
でも街並みが綺麗だった。
和風の白壁造りのも、洋風の銀行や美術館や観光案内所なんかも、どれも素敵でした。
泊まったホテルがまさにそういうところだったし。
桃太郎のからくり館という、手作り感満載の施設に行ったのだけれど、桃太郎関係の資料がたくさんあって個人のコレクションだとしたらすごい。1階は本当に手作りっぽい、錯覚体験コーナーだったのですが。戦時中に作られた、桃太郎が軍官のパラシュート部隊の戦意高揚アニメはクオリティがすごかった。本当に戦時中にこんなものが作れたのか、と。長かったから全部は見れなかったのだけれど。
あと、大原美術館。一番大きい絵が一番印象的だった。万物は死ぬが、神は万物を生き返らせるみたいなタイトル。よく覚えていない。
今回の記事タイトルは今歌ってる曲のひとつなのですが。
少女が「あなた」に出会って、恋をして、変わっていく歌。なかなかえろい。「あなたに知っていただいてあたしは初めて自分を知りました あなたに知られるまでは自分の肉体が遠い大陸のような気持ちでした」「あなたの器用な指先が自分を知らせてくれました」
詩だけでなく、歌も、素敵なのです。歌うのは難しいけど。
こういう台詞、言えるようになりたいですね。
読んだ本
『猫島ハウスの騒動』
とりあえず、猫がかわいい。
次々に事件が起きて、捜査とかして、話が展開していくのはおもしろいけど、そこまでが少し退屈。証言や手がかりはそれぞれ繋がりそうなのに寸前で目くらましされているようで、引きはうまい気がしました。
文体が軽いのだけど、どうにも感情移入できなかった。コミカルな台詞まわしも、なんか笑えなかったり。
駒持×七瀬だなぁ、とずっと思いながら読んでいました。ラストのお見舞いにケーキとか。
で、結局、修学旅行で何があったの!?
『聖者は薔薇を抱きしめて』
もやもやしていたパメラの話が補完された。
そういう結論を下したんだ、と驚いたけれども、とにかく、幸せになってよかったと思う。
幸せになるために、別々の道を行くみたいな文章があったけれども、その通りなんだなぁ、と。
パメラは、柴崎やシェリルと似た感じがする。強くて魅力的な女の子。でも、ときどき弱いところもあって。恋愛にまっすぐにはなかなかなれなかったり。かわいい。
ドレス着たいー。
『アルジャーノンに花束を』
小説って、こういうことができるんだ。文体の違いで知能レベルや、性格が如実に表されていく。それが経過報告というかたちだから、実際にあったのではないかと思ってしまう。リアルに迫ってくる。
最後に近づいていくにつれて、どんどん文体が変わっていくのが切なかった。
物語に一喜一憂するだけでなく、考えなければならないと思う。人間だとか、知能だとか、愛だとか、そういったことについて。正直、全部は理解できなかった。哲学っぽいところとか。宇宙とひとつになるとか。
性愛に関する考え方が好みじゃないなぁ、と思う。一夫多妻制を推奨したり、セックスを「女の肉体を使う」と表したり。
というか、手術後チャーリイは基本的にいけすかないね。そういう風に書かれているからだろうけど。
彼にとってはどちらが幸せだったのだろうか。知能は低いけれども、友達がたくさんいたときと、超知能を得たけれども孤独なときでは。
二人は全く別の人間だと当人同士が認識しているのが不思議な気がした。自己同一性って、どこまでなのだろう。
泊まったのは加賀温泉だったのだけれど、以前行ったことあるのではないかという感じがした。温泉地にある魯山人の家は見に行ったことあるのだけど、それは果たしてここだったのだろうか。加賀温泉だったら行っていてもおかしくはないんだけど。
あと、いつも車窓から見て気になってた巨大な観音様についての話も聞けておもしろかった。
金沢では尾山神社と21世紀美術館と忍者寺とひがしの茶屋街に行きました。
尾山神社は、去年くらいにステンドグラスの神門があると聞いてからずっと行きたかったところだったのです。素敵でした。
21世紀美術館が翌日からの展示のために準備中で、一部しか見られなかったのが残念でした。現代アートってなんかよく分からないんだけどね。なんとなく、好きとか嫌いとかはあるけど。
地元でやってた大地の芸術祭みたいだなと思った。
忍者寺はからくり満載のお寺で、たぶん見学させてもらえたのはほんの一部のからくりだけで、きっとまだまだ隠し部屋とか隠し通路とか罠とかたくさんあるんだろうな、と考えるとわくわくする。住みたい。
押し入れの襖を開けると奥にもう一枚襖があって、でも通路への入り口は横の壁だとか、なかなかすごい。
あと、個人的にも旅行で倉敷に行ってきました。
昔、母が職員旅行で倉敷チボリ公園に行ってきて以来行ってみたかったのに、いつの間にかつぶれていたらしく。ショックでした。
でも街並みが綺麗だった。
和風の白壁造りのも、洋風の銀行や美術館や観光案内所なんかも、どれも素敵でした。
泊まったホテルがまさにそういうところだったし。
桃太郎のからくり館という、手作り感満載の施設に行ったのだけれど、桃太郎関係の資料がたくさんあって個人のコレクションだとしたらすごい。1階は本当に手作りっぽい、錯覚体験コーナーだったのですが。戦時中に作られた、桃太郎が軍官のパラシュート部隊の戦意高揚アニメはクオリティがすごかった。本当に戦時中にこんなものが作れたのか、と。長かったから全部は見れなかったのだけれど。
あと、大原美術館。一番大きい絵が一番印象的だった。万物は死ぬが、神は万物を生き返らせるみたいなタイトル。よく覚えていない。
今回の記事タイトルは今歌ってる曲のひとつなのですが。
少女が「あなた」に出会って、恋をして、変わっていく歌。なかなかえろい。「あなたに知っていただいてあたしは初めて自分を知りました あなたに知られるまでは自分の肉体が遠い大陸のような気持ちでした」「あなたの器用な指先が自分を知らせてくれました」
詩だけでなく、歌も、素敵なのです。歌うのは難しいけど。
こういう台詞、言えるようになりたいですね。
読んだ本
『猫島ハウスの騒動』
とりあえず、猫がかわいい。
次々に事件が起きて、捜査とかして、話が展開していくのはおもしろいけど、そこまでが少し退屈。証言や手がかりはそれぞれ繋がりそうなのに寸前で目くらましされているようで、引きはうまい気がしました。
文体が軽いのだけど、どうにも感情移入できなかった。コミカルな台詞まわしも、なんか笑えなかったり。
駒持×七瀬だなぁ、とずっと思いながら読んでいました。ラストのお見舞いにケーキとか。
で、結局、修学旅行で何があったの!?
『聖者は薔薇を抱きしめて』
もやもやしていたパメラの話が補完された。
そういう結論を下したんだ、と驚いたけれども、とにかく、幸せになってよかったと思う。
幸せになるために、別々の道を行くみたいな文章があったけれども、その通りなんだなぁ、と。
パメラは、柴崎やシェリルと似た感じがする。強くて魅力的な女の子。でも、ときどき弱いところもあって。恋愛にまっすぐにはなかなかなれなかったり。かわいい。
ドレス着たいー。
『アルジャーノンに花束を』
小説って、こういうことができるんだ。文体の違いで知能レベルや、性格が如実に表されていく。それが経過報告というかたちだから、実際にあったのではないかと思ってしまう。リアルに迫ってくる。
最後に近づいていくにつれて、どんどん文体が変わっていくのが切なかった。
物語に一喜一憂するだけでなく、考えなければならないと思う。人間だとか、知能だとか、愛だとか、そういったことについて。正直、全部は理解できなかった。哲学っぽいところとか。宇宙とひとつになるとか。
性愛に関する考え方が好みじゃないなぁ、と思う。一夫多妻制を推奨したり、セックスを「女の肉体を使う」と表したり。
というか、手術後チャーリイは基本的にいけすかないね。そういう風に書かれているからだろうけど。
彼にとってはどちらが幸せだったのだろうか。知能は低いけれども、友達がたくさんいたときと、超知能を得たけれども孤独なときでは。
二人は全く別の人間だと当人同士が認識しているのが不思議な気がした。自己同一性って、どこまでなのだろう。