忍者ブログ
2025.03 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

カレンダー

02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

最新記事

プロフィール

HN:
睦月
HP:
性別:
女性
趣味:
読書
自己紹介:
妖怪と神話とミステリと甘いものが好き。腐った話とか平気でします。ネタバレに配慮できません。

カウンター

リンク

ブログ内検索

アクセス解析

[22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29]  [30]  [31]  [32

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2025/03/16 (Sun)

『虚実妖怪百物語』

すごいものを読んだ……ような気がします。
めっちゃおもしろかった。

ざっくりあらすじを紹介しますと、
妖怪が次々に現実に現われ、その結果政府と民衆は妖怪を駆逐し始める。社会から余裕がなくなり、人々は相互監視を深めて殺伐としていき、暴動と殺人が日常茶飯事になっていく。荒俣宏は呼ぶ子を出現させる石の研究をし、黒史郎はクトゥルーを頭に乗せて世界中の信者にあがめられるが、妖怪こそが諸悪の根源とされ、妖怪関係者たちも攻撃される。そこで荒俣宏が巨大ロボを動かして脱出し、富士山麓に疎開した妖怪関係者たちによる村が作られ、ついには百鬼夜行とともに、敵・加藤保憲と対決する。

さすが京極夏彦で、リーダビリティがとても高いですし、エンタメ度も高いので、3冊一気に読みました。「序」の冒頭は、ギャグのノリがなんとなく南極を思い出す感じでどうにも好みじゃなさそう……とか思ってたんですが、中盤からどんどん引き込まれていき、途中で読んでない時もこの物語のことを考え、読み終えた今は放心状態です。

ネタバレになるので、続きから。


拍手[3回]

PR

つづきはこちら


何がすごいって、主人公が”榎木津平太郎”であることの意味がちゃんとあるというか、そこを回収するのがすごいなって震えました。
榎木津平太郎の大伯父さんは神保町にビル持ってて私立探偵とかやってたあの榎木津礼二郎なんですけど、榎木津平太郎がそういう属性をもったキャラクターであることが最後に違った意味をもって現れてくる感じ、なんていうかああ京極夏彦もミステリ作家なんだよなと思った。
平太郎なのは稲生かなとぼんやり思ってたんだけれどもそれはよくわからないですが。
あと、大伯父って距離感も(つまり直系ではないことも)榎木津礼二郎というキャラクターの在り方を思うとリアルな感じがするのがいいよね。
いや、そういう設定レベルのリアリティでいうと、旧華族で財閥の子孫のはずなのにフリーターなあたりが、没落なのかだからこそ高等遊民できてるのかっていう納得感の微妙なラインなのとか。

閑話休題。
これってつまり虚構が現実を侵蝕する話なわけなのですけれども、そういう物語を実在する人物たちをキャラクター化して小説として書いていること自体が、フィクションとリアルの境目をどんどん曖昧にしてしまっていて、そういう構造がおもしろい。
けど、その意味をまだきちんと咀嚼できてないです。
あの、平山夢明が唐突に『残穢』の話するシーンが、非常に自己言及的ですよね。実在する人物をキャラクター化したものは、その人ではあるけれども、一部でしかない、その人そのものではない。

でもいまいち、なんで加藤保憲が現れたのか、どうして反剋の状態になったかが、あんまりよくわかっていない……。
オチも、霊界テレビって何ですか?って感じです。

いや、霊界テレビに関してだけではなくて。無意味に挿入されるさまざまなネタがまったく拾いきれてないわけなんですけど。いや、無意味じゃないのかもしれないですね。ああいうぶっこみ方はとてもオタク的なので親近感もてますが。
特撮も漫画もアニメも妖怪すら、全然ネタについていけないですよ。解説同人誌がほしいレベル。
主要登場人物だって、名前は知っててもまともに著書読んだことない人も多いですし。ああ、この間『江戸の妖怪革命』読んどいてよかったなって思いました。そういう問題でもないけれども。
そもそも『帝都物語』未読なので……。新版『妖怪大戦争』映画は見てます、神木隆之介とすねこすりがかわいかったやつですよね。だから加藤って何物ってのもいまいちよくわかってないです。読みたいです、ネタ元。
『怪』誌上で読んでたら、主要登場人物はだいたい何か書いてるでしょうから、キャラクターもわかってより楽しかったんだろうなー。
単行本でも、本編読み終えてページめくって奥付見たら著者も発行者も作中にいるっていうのもそれはそれで虚実曖昧になってく感じでいいですが。

私もオタクなので、知ってるネタが出てくるとそれはとても楽しくなっちゃうタイプなので、豆腐小僧の章はめっちゃ楽しかったです!!
そういえばあれも角川だったね。地の文まで双六道中っぽくなっていて。
で、わーい豆腐小僧だー達磨先生だーときゃっきゃしていたら、次々に漫画キャラだの、怪獣だの、貞子が出てきて、電車で読んでいたのに思わず噴き出しちゃう感じでした。
権利関係がものすごーく難しいだろうけど、映像で見たいですねー。
とらとか犬夜叉と殺生丸とか、鬼太郎とかが戦闘機と戦うところ。
富士山麓に突如現れた巨大なモニタから、巨大な貞子が出てくるところ。
怪獣は守備範囲外なので、見た目想像できない分見てみたい。
地上にニャンコ先生が云々って言ってたけど、斑なら飛べると思うんだよね。戦闘能力もあるし。……あっ、認知度か。そうか。

キャラクターというか、登場人物もね、知っている人が出てくると楽しいです。
ミステリ寄りの人には勝手に親しみを抱いているので。あー綾辻さんいい人やなー癒されるなーみたいな。


あとは、これも震災後小説なんだなーと思ったり。
震災後小説っていうのは私が勝手に作ったジャンル概念なんですが。今年わりとそういうの読んだ気がするんですよね。『象は忘れない』とか『メビウス・ファクトリー』とか。5年はちょうどいい区切りなんですかね。
連載開始がちょうど2011年3月なので、実際のところ違うかもしれませんが。作者の意図なんてわかりようがないんだから、私は私が受け取ったように語ります。(京極さんもそんなこと言ってる気がするし)
妖怪に対する世相がもろ放射能っぽかったなぁという。
でも、ヘイトスピーチというか殺伐としていく世相はそれだけでなく、震災後とか区切れることでもなく、今この現実社会で起こっていることと重なって見えてなんともつらい気分になります。
読むのをやめて、現実でニュースを見ても、違和感を感じない……と言ったらさすがに言い過ぎですが、今の延長線上にこういう未来が部分的にはありうるかもしれないと思ってしまうこと。
もちろんそういった主張の説教臭さみたいなのはまるでなくてエンタメなんですけど、でも楽しいだけで終わらせるには何か重いんですよ、少なくとも私にとっては。

水木先生がご存命であったなら、この結末は幾分か変わっていたのではないかと思う。
だから何というわけでもないけれども。
そういうのを含めて、これは「今」の小説なんだと、私は、思います。


あっあとそうだ、これは完全に邪推なんだけれども、山田書房の山田老人、あれって名前を奪われた中禅寺秋彦じゃないかと思うんだけれどもどうでしょう。
曾祖父が明治時代に云々てのがなんとなく意味なく情報過多な気がして、じゃあその多い情報がうまいこと処理されるためにはって考えただけなんですけど。
実際に実在する人物であったら普通に解決してしまう話ですが。実在するのでしょうか。実在したとしても、たとえばモデルである可能性は否定できない。山田老人が絵巻の中にいったとは特に書かれてないですし。
でも中野じゃないしなー。
全く関係ないかもしれないですね。何かご存知の方いたらご教示ください。

× Close

『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと』

PART2が出たので、この機会にとPART1とまとめて読みました。
本当は先週に読み終わってはいたのだけれども、感想をまとめる余裕がなかったので今になっちゃいました。いろいろと忘れている気もするけど……。

最終巻の手前という感じで、かなり熱い展開でした。
ある意味では今までの伏線回収みたいな、解決編みたいな感じがあったけど、これまでの内容をうっすらとしか覚えていないのがなんとも悔しいですね。再読して一気に読んでいたら、もっと楽しめたのかもしれないと思うと。
10巻のときはそうしようかな。どうせ2年以上先ですし。

ええっと、とりあえず今回でメニーメニーシープでの植民地人VS救世群の闘いは終わったんだけど、本当にこれで終わりでいいの?って気分です。
だって何も解決してないよね……。
でも実際の戦争とかも、そうなのかもしれないなぁと。完全勝利とか全滅とかはほとんどなくて、個人個人の間では蟠りが残るけれども、政府やそれに準じるものが停戦を決めるんだろう。
で、いろいろありながらも人類が協力して、内と外にいる共通の敵に立ち向かうのが10巻なのだろうけど。
人類――というより、タイトルにある「ヒト」って誰を含むんだろうみたいなことは次で明確にあるのでしょうか。
MMS人はヒトだし、救世群もヒトだと思う。じゃあ、《恋人たち》はヒトと言っていいのか。機械が支配しているらしき太陽系文明は?カルミアンは?ダダーは?あるいは、ほかの宇宙諸侯や、ミスチフは……。
断章六で「まだの機人」と言っているからには、ダダー――少なくとも、セレスのノルルスカインはヒトになりうるのかもしれない。

徹底的な均一化と、圧倒的な速度で殖え続けることが、ミスチフとオムニフロラの生存戦略なので、それに対抗するために、多様なヒトビトを包括することが必要、みたいな展開になるのではないかと思うんだけれども、まぁそんな単純な話でもないでしょうから。

でもカルミアンが殖えようとしていたし、《恋人たち》も救世群も、生殖ができるようになることを求めているので、そういう関連の話がメインテーマのひとつになるのだろうと思います。
Ⅹの副題が「青葉よ、豊かなれ」ですしねー。

《恋人たち》については、太陽系文明の、工場を作る工場を作る工場……がどこかで誤作動を起こしたら、よく分からない何らかの「進化」が起こって「生殖」ができるようになるんでは?
っていうのは完全に与太話ですが。
タイタンでもないし。


拍手[0回]

つづきはこちら

生殖っていうか、いろんな愛のかたちみたいなのがずっとこのシリーズの根底にあるんだろうなというのは常々思っていたのですが。このシリーズどころではなくて作者の趣味なのかもしれないけど、他作品は一作とかしか読んでないので。
それは置いておいて、カドムはそうなるのか……っていう衝撃が。
ところで私、前巻の内容をあんまりよく覚えてないので、イサリはカドムを好きなのは本当にカドムを好きなのかって疑いがまだある。アインの子孫だからじゃないの、みたいな。たぶんそういうこと8巻で言ってたと思うんだけれど。
アンチオックスの伝統が300年経ってもずっと続いていたんだなぁと思うと、なんだか感慨深いものがありますよね。
それはそれとして私個人の趣味と感情として、君たちはそこでそれを決めていいのみたいな気持ちがある。
結局PART2でイサリがいない間にアクリラと親密になってる感じがなんとなくいけ好かないのですが、これは完全に私の好みの問題です。

あと、ラゴスがエランカに今まで付き合った女の中で一番いいみたいなことを言っていたけれども、わりとラゴスは今までの女性遍歴がやばそうなひとたちばかりなので、そりゃそうだよなと思いました。
ミヒルといい、社会の上の方に立つ女性に好かれやすい何かがあるのだろうか。

サバイブドが、一人でいて、ハニカムのカルミアンなのに非常に流暢な喋り方をしているのは、雄と雌は思考方法とかが違うのでしょうか。
蜜を絡み合わせることがなくても、ある程度の思考能力は持っているけれども、多くの姉妹をもつ女王のようには思考できないみたいな。
理屈は分からないけれども、とてもかわいくて好きです。

カドムが救世群を説き伏せて味方にしている感じがすごくリエゾン・ドクターって感じがしてよかったです。
この世界の今までの歴史を読んできていてその先端の今がここにあるからこそ、符合を見つけたりするとちょっとしたこととかでもこんなにも楽しいのだと思うし、こういう構成がすごくずるいなと思います。

「物を持てない」話がいきなり始まったときは誰これって思ったけれども、6巻の該当部分読み返してああってなりました。エフェーミアってこの人か。彼女がメララの子孫である羊飼いと再会できて、良かった。

ミヒルは完全に取り込まれてたのか、と思うと彼女の闇も深そうで少しかわいそうな気もします。冥王斑は最初からミスチフがもたらしたものだったから、救世群の聖性を求めたミヒルがそういう存在に惹かれたのは大いに納得できるから。
祈るようになってしまったという文章が、なんだかとても悲しかったです。
イサリも、これからどうするのだろうか、彼女にどうできるのか。

あ、あと太陽系艦隊の司令官の人って、代理水作った人ですね……?
自分自身に使ったみたいな記述ありましたっけ、その辺もあまり覚えていない。
とはいえ、太陽系で人類が貴重なら、そういう風な、使える手段はなんでも使って、少しでも多くの人を生き延びさせようとしたのだろうというのは推測できる。

× Close

『ノラ猫マリィ』

すっっっごくおもしろかったです!

『薔薇のマリア』のその後の物語ではあるのだけれども、世界は同じだとしても環境は全然違っているし、キャラクターも別人だから、単独の話として楽しめる。異世界物語の第一巻として、とても良い話だったんじゃないかと思います。キャラクターの紹介や、仲間作りや、敵との闘いと、この世界はいったいどんな場所なのかという謎と。
逆に、私は『薔薇のマリア』シリーズが好きだったので、これとあれがつながるのかな?みたいなことを考えてしまって、『ノラ猫マリィ』の物語自体に没入しきれなかったところがあって、少し残念。いや、なんだかんだ言って、のめりこんではいたんですけれどもね。


帯に「ボクらは何度でも巡り会う」とあるのがこの作品のテーマなのだろうかと思いました。
異なる時や世界や場所で、異なる出会い方をする、新しいマリアと仲間たちの物語。


そう、薔薇マリのキャラクターとは全然違うのかっていうのが驚きでもあり、納得でもあり。
アサイラムのモリーとか、片腕が義手の若頭ローチとか、魚顔で関西弁の卍・クルチバとか、属性だったり名前だったりが記憶と重なるキャラはいるんですけれども。
でも、環境が違って生きてきた人生が違ってたら、どういう人になるかというのも全然違うんだな、ということをすごく思いました。
だから、マリア・ローズはマリアローズではないんですよね。
たとえば、マリアローズよりある意味では素直というか変に鬱屈したところがないような気がします。周りに超強い人がそんなにいないからかもしれないけど。
なんか読みながらずっとそういうことを感じていてました。マリアローズの物語はもう完結してしまっているのは分かっているけれども、寂しい気持ちがやっぱりある。
ある意味では生まれ変わりなのかなぁ。その言葉を使うのが適切かはともかくとして。
卍はまぁ子孫なんでしょうけど。何代離れてるかわからないけど。魚顔遺伝子強いな(笑)
(世界設定的にも)過去にいた人たちの単なるコピーではないと良いと思うので、マリアもほかのキャラクターたちも別人であることにほっとするところもあります。

とはいえ、p176~177は読んでて「あぁぁ」って叫んだ。
記憶は蓄積されているのだろうか。
メロブ特典読んだのだけれども、ジンが「マリアをじっと見つめる人」なのが前作でいうとアジアンポジションだとしたら、このタイミングであれがよみがえるのとてもいいですね。でもジンは荊なのかもしれない
この世界は薔薇のマリアの世界よりもずっと後なのだろうと思うのですが、具体的にどのくらい経ってるんだろう。
デンはエルデンのアンダーグラウンドなのだろうか、とか。銀の魔女はサフィニアじゃないかとか。期待含めて、関連性が気になります。今後明かされてくれたらいいなぁ。というか、今後があればいいなぁ。


冒頭や途中途中に挿入されているフォントが違うところ、人称が「ボク」「キミ」なのがすごく趣深いですし、p307の「切実な、ある願いだ」という一文に何となく心がぎゅっとします。



店舗別特典はシャルロットのとジンのやつを読んだわけなのですが、キャラに愛着持たせる感じがずるいなと思います。別のバージョンも読みたくなる。けど、本体の方がこれ以上増えても仕方ないんだよね……。
この先、何らかの手段で読めることを期待しています。たとえば何年か後にでも、短編集とか電子書籍とかで。
あと、私は画集の短編版を読んでいないのですが、単行本版がすごくおもしろかったのでそっちも読みたくなっている。今から入手できるのかしら……。
何か本当に、彼らの物語をもっと読みたい、という気分です。

とりあえず、このシリーズの続編を待っています!
帯に「新章開幕」って書いてあるから、続くと思うんだけど……どうなんですかね。

拍手[0回]

『鍵の掛かった男』

久々に作家アリスシリーズを読んだ気がします。
最期に読んだのはたしか菩提樹荘だったけれども、一年前くらいかな……と思って読書メモを見てみたらちょうど去年の10月20日に読んでました。なんでしょうね、秋に読みたくなるんですかね。
まぁ菩提樹荘も短編集ですから、長編は本当に久しぶりで。そのせいか、原作ってこうだったっけ……と思うこともしばしば。

でも実際、いつもと違ってはいたんだろうと思います。
一番は、半分以上アリスが単独で捜査していることかな。火村が現場に到着してるのが320ページあたりで、全540ページくらいの単行本なので、半分じゃきかないか。途中、電話での指示とかはあるにしても、火村抜きでここまでやれるのか、と意外に思いました。作中でも言われているけれども。いつも賑やかし的な珍解答(ときにそれが探偵にとっては大きなヒントにもなる)をしているイメージがあったので。
もちろん火村も、現場に来てすぐ新事実を発見する活躍ぶりでした。

あまりミステリっぽくはないな、という印象が読み始めからあって、それが読み終わるまでずっと続いていた。
もちろんやっていることは推理小説でしかないのだけれども。
「ホテル暮らしをしていた梨田稔という男の死は、自殺か他殺か」「彼はどういう人だったのか」というのがこの小説で解き明かされるべき謎で、それを解明するためにすごく丁寧に来歴や、何を考えていたかということを追っていくつくりだから、そういう風に感じるのだと思います。
でも「どんな人間か」「何を考えていたか」なんて結局解きようがない謎だし、だから本格ミステリとか犯人当てとかでは蔑ろにされている……ような気がする。サンプル数が少なくて偏っているからそう思うんだろうけど。もちろん、そうじゃない作品もあるし、そこの部分をちゃんと考えている小説が私は好きなのですが。
だからトリックとかの派手さはない(有栖川作品ではもともとない気もする)けれども、深みがあって、好きです。
アリスが随所で梨田稔の幻と会話しているのも、どんな人かという推理が合っているか証明しようがないのをもっともらしくする苦肉の策なのだろうと思うし、そういったところとか結局真相といっても想像としてしか描かれないので、何が本当にあったか判然としないあたりが、若干もやっとしたのだけれども、まぁしょうがないんだろうな。
捜査シーンでも、適度に新しい事実が分かっていったり、今までにあった手がかりが繋がっていったりするので、楽しんで読める。たとえ螺旋のような進捗具合でも、前進しているんだというのがわかるとしんどくないんだな、と思いました。
そして、ラストシーンが爽やかで良いですね。

あと、読んでいるといろいろな欲を刺激された。
欲といっても、フレンチおいしそうだなとか、中之島に行って素敵な近代建築見たいとか、コーネル・ウールリッチの本読んでみたいとか、ホテル暮らししてみたいとか、そういう類のもの。
それぞれのものが魅力的に書かれてるからなんでしょうね。

3つ理由がそろったら……っていうのも何となく含蓄がありそうな気がしたのでとりあえずここに書きとめておく。


拍手[0回]

つづきはこちら

アリスが、火村の過去について知りたがっていることを本人に告げたのが、何というかすごいことなのではないか、と思った。勝手に、気になっていることすら隠そうとしているというイメージでいたので。「俺が本気で調べたら」といいつつ、そうすることは決してないんだろう。


× Close

『夜の床屋』

これは……何なんだろう。
おもしろかったのはおもしろかったんです、特に前半は。謎が魅力的で、着地点に意外性があって。でも、最終的に辿り着いたところが意外すぎて、私はいったい何を読んでいたのだろう……という気分になりました。

東京創元社だし、よくある日常の謎系連作短編集かなと思って読み始めたんですが、「日常の謎」というよりも非日常の謎とでも言いたい感じで、謎の不思議さは断然好みでした。。
表題作では、遭難して無人駅で夜を明かすことになった主人公たちがシャッター街と化していた駅前で深夜に営業している理髪店を見つける話。
二話目は、霧の深い町で、寝ている間に寝室の絨毯が盗まれる話。
三話目では、小学生の少年にドッペルゲンガー捜しに誘われ、廃工場を訪れる。少年たちには何か企みがあるようだがそれは……という感じ。
四話目以降は一続きの話で、葡萄荘という洋館で初代当主が隠したという宝を探す話と、それにまつわるあれこれ。



拍手[0回]

つづきはこちら


二話目の海霧の町の雰囲気がすごく好きです。
そのほかの話も、ちょっと地面から浮いている感じがあって好き。
幻想的な雰囲気があるから、幻想的な解決も納得できる……かもしれない。

会話も軽妙で、読んでいて楽しかったです。
でも、主人公もほかの登場人物も、どういう人なのか、どういう関係性なのかとかがあんまりよくわからなかったなぁ、と。
特に主人公。一人称視点の語り手でもあるのに、状況説明はしてくれても感情とかは特に言わないから、大学生ってことくらいしかわからない。
冒頭からしてなんで遭難しかけていたのか謎のままだし……。
伏線になりうる部分の説明はすごく自然かつ印象に残るくらいの描写なので、そこの部分は巧いと思うんだけれども。
キャラクターについてもうちょっとわかったほうが、安心して読めるかな。個人的には、推理小説だと、推理をしている人が(読者にとって)何者かがわからないとなんとなくすっきりしないところがある気がします。探偵役やほかのキャラクターの人物描写によって、推理自体への信頼度を高められるというか。


論理の飛躍というのがどういうものをさしているのかあまりよくわからないのだけれども、ハウダニットかと思いきやワイダニットだったり、推理小説かと思いきや超常的な方向に向かったり、結末は確かに予想外。自分でも推理しながら読んでいてさらにその上をいかれるみたいな意外さではなく、小石をたどって歩いていたら魔女の家に連れていかれたみたいな。うーん、うまくたとえられないです。

っていうか、最期の方の話がそういうそれまでの感想を全部持っていった感じで……。
人魚って何!?
それこそ東京創元社の日常の謎系連作短編集で、ばらばらだった短編が最後につながるってのはよくあるイメージなんですけど、確かに繋げてはいるんだけど、なんかそういうのでもない感じ。
個人的には、そこまで繋がらない方が好みかなとは思いました。
それか、繋げるなら繋げるでもうちょっとかちっと伏線はめるとかの方が。
余韻残す終わり方もいいけど、これはさすがに、最後の飛躍が大きすぎるから……。というより、無理やりすぎない?という気持ちの方が強い。二話目三話目とのつながりはともかく、一話目がかなり無理ある。香水というだけでは。

廃工場は食品関係の工場なんですよね……。
ロマンが広がりますが、ロマンを感じるにはやっぱり根拠が薄いなぁ、と現実に引き戻されてしまうのです。

「『眠り姫』を売る男」の密室殺人(?)も、明らかになった衝撃の事実によってごまかされたけど、殺人事件自体については筋がとおっていないような気がするのです。
筋がとおってないというか、明かされた事実以上に説明されていないことの方が多いので、本当にそれで解決でいいのかわからない。
人魚って鋭い牙あるの?とか、足がないなら結局どうやって移動してるの?車椅子にしてもどこから持ち込んだ?みたいな疑問が多々ある。人魚っていうからには下半身魚なんだろうけど、クインが彼女を「愛した」ってのは……みたいな下世話なあれも含めて。

私が書いてある以上のことを読み取れない阿呆だからかもしれないんですけど、最後の方は全体的に説明不足な気がしました。前半からちょっと描写不足な感じはあったけれども、奇想天外なことをやるなら特に、納得させられるだけの説明/描写をしてほしいです。
そんなわけで、なんで百五十年でも早すぎるのかいまいちよくわかってないです。

解説やプロフィールを読むと、「『眠り姫』を売る男」が新人賞の最終候補まで残った作品で、「夜の床屋」が受賞作らしいんだけれども、よくこんな雰囲気も何もかも違う話をひとつの連作短編集にまとめようと思ったな……って感じです。
いや、まとまってるのかな?

× Close