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2025/03/16 (Sun)

『貴族探偵』

ドラマ化するとかしないとかで話題になっていて、タイムリーさにちょっとびっくりしました。

この間『雰囲気探偵』を読んで、推理をしない探偵って何と思ったので、同じく推理をしない探偵ものであるこちらを手に取ったわけなのですが。
人の気持ちに寄り添って事件を解決する鬼鶫と、キャラクターが感情を持ってなさそうな麻耶作品とでは比較というのもジャンルが違いすぎて難しいなっていうのが正直な感想です。
あとやっぱり、推理をしない探偵ってなんやねんって思う。
鬼鶫は推理はしなくても事態の解決をしていたけれども、『貴族探偵』はストイックなミステリなので推理と解決のフェーズがそんなに分かれていない。というか、推理をして犯人やトリックの謎解きをしたらもう短編が終わってしまう。貴族探偵が女の子を誘うのは解決じゃないよね、さすがに。
そんなわけで、雰囲気探偵よりもなおさら「探偵とは?」という気持ちでいっぱいです。
そもそも、雰囲気探偵でひっかかっていたのは探偵とは何かというよりは鬼鶫が何を考えているかよくわからない気持ち悪さの方が比重としては大きかったような気がしている。


さて。『貴族探偵』の話に戻します。
貴族探偵がなぜ推理をしないのに探偵かというと、以下のような理屈付けがされています。
貴族探偵は貴族なので労働はしない。代わりに執事やメイドたち使用人が捜査と推理を行う。貴族探偵にとっては使用人は自分の所有する持ち物なので、彼らのはたらきはイコール貴族探偵自身の功績となる。

理屈は分かるけど、あんまり納得はできない……。
なんで納得できないかというと、今まで読んだり見たりしてきた物語のイメージの積み重ねから、こういう場合のミステリだと執事なりメイドなりが探偵役としてフィーチャーされるものだと認識しているからなのだろうと思います。
確かに上流階級的には(といってもこれもイメージなのだけれども)使用人の手柄は主人のもの、なのかもしれないけど。
つまり、この作品においては、”推理が行われる場”を提供する存在が探偵ということなのだろうか。貴族探偵が命じなければ使用人たちもいわゆる探偵活動を行わないので、それゆえに貴族探偵は探偵たりえる、と。
使用人は所有物だから~という説明よりもこうやって理解すると私は納得できるんだけれども、この認識で正しいのかは分からないです。

あと、自分では推理をしない探偵が趣味で探偵をやる動機がよく分からないんだけれども(こういう風に事件に思い入れのないタイプの探偵は過程を楽しんでいるイメージなので)、麻耶作品の登場人物に動機を求めても仕方ないのだろうという気がするのでとりあえず考えないことにする。

ええと、実は未だに麻耶作品の楽しみ方がいまいちわかっていないのです。
今回で読んだのは10作品目になるわけなのですが。
本格推理小説に対するこだわりだとか、凝ったことやっているということはどうにかわかるようになってきたのだけれども、だからといっておもしろいわけじゃないよね、物語には重きを置いていないし文章も読みにくいし、と思ってしまう。(ごめんなさい……)
これは貶しているとかではなくて、読書というか推理小説に求めていることが私とは合わないというだけなので、むしろ私だって楽しめるようになりたいんです!
こういうところをこうやって受容すると楽しいっていうのをぜひ教えていただきたい。切実に。
「謎解きLIVE」のやつは好きだし、あと今のところ一番おもしろかったのは『螢』なので、犯人当てを解くつもりで臨むのが楽しめるのかなとなんとなく思ってはいる。
でもこの『貴族探偵』はわりと読みやすいというか、引っかかるところはあまりなくてページをめくり続けられた気がします。
読了済み麻耶作品の中ではかなり楽しめた方。探偵とは?っていう疑念はつきまとってはいたけれども、個々の事件はおもしろかったです。
……と書いていて気がついたが、本当にミステリをあまりよく知らない頃に『翼ある闇』『夏冬』『かく語りき』あたりを続けて読んだから苦手意識がしみついてしまっているのでは。
もしかしてその辺も今読んだら少しは楽しめるのかも……?


以降はネタバレを含みます。

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つづきはこちら




「ウィーンの森の物語」
古典的な針と糸の密室に少しテンションが上がりました。結局、犯人の偽装工作だったけど。
この手の針と糸のトリックは本当にうまいこと実現できるのだろうかというのが微妙に気になります。
犯人がどちらかというと感情的なキャラなのにロジカルシンキングできてすごいなぁ。
正直、冒頭からかなり読むのがきついなあ(文章に癖があるので)という印象でした。あと視点人物のおっさんがきもい。


「トリッチ・トラッチ・ポルカ」
私、このトリック好きです。頭と腕を切り取って美容院のケープをかぶせて生きているように見せかけるやつ。
警察の捜査シーンも、おもしろく読めた。見え隠れする貴族探偵の後姿にもわくわくしつつ。
この短編が5編の中では一番好きだったかもしれない。
警察の人が貴族探偵を疑って上長からの電話に出るところの台詞が、一話目とほぼ同じでちょっとおもしろかった。テンプレのパターンなのかしらと思ったら、三話目からはそのシーンなかったのでちょっとがっかり。


「こうもり」

固有名詞の並びが知人を思い出して気になって集中できない……と思っていたら、思わぬパンチを食らわせられた、という感じでした。
複雑なことをやっていて、破綻がなく成立させていて(少なくとも一読した限りではかなりスマートに感じました)、すごい。と思う反面、そのすごいと感じる気持ちとおもしろいという感情の間には距離があるよなあということも思いしった。これは私の内面の話なのでどうしようもないんだけれども。
地の文に出てくる貴生川を、絵美の彼氏と思うし、何なら貴族探偵かなとも思うじゃん。でも結びつけているのは状況以外では「常盤洋服店の高級ジャケット」くらいなことに気づいてびっくりしました。私ってこんなに簡単に騙されてしまうのか、みたいな。オレオレ詐欺とかでも、自分から語る言葉は少なくしてると相手が勝手に補完してくれるみたいなこと聞いたことあるけど、なるほどなぁ。


「加速度円舞曲」

あちらを偽装するとこちらも模様替えしなければ、という犯人の行動がピタゴラスイッチっぽい事件。ピタゴラの結果、貴族探偵が解決に乗り出したというのがおもしろい。
貴族探偵が天誅云々言っていたときは、鈴木君を思い出してなんとなくぞわっとしました。その後5話目を読んで、ある意味間違いじゃなかったのかもという気分になった。


「春の声」

事件の構造が複雑だったので、推理部分がちょっと理解するのが難しかったです。主に、誰が誰だか把握しきれていなくって。
三匹の子豚というかウロボロスで、このまま真相が宙に浮くんじゃないかとはらはらしました。『かく語りき』でそういう結末のがあったじゃないですか。
三人の被害者であり犯人の思考レベルが全員同じってのもどうなんだ……と思わなくもない。それぞれの人が、誰を殺して誰に罪を擦り付けようとしたのかという選択が違っていたらこういう事件にはならなかったのだけれども、そこのところの必然性がほしかった。もう少し、誰が誰に対して特に敵視しているという情報があったらよかったのかも。
おじいちゃんの動機がわりと好みです。蟲毒ですね。
視点人物としては5話目の人が一番好感がもてます。

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『パパの電話を待ちながら』

「イタリアの宮沢賢治」ジャンニ・ロダーリのショートショート集。
セールスマンが幼い娘に毎晩電話で語ったお話、という体の物語が56話載っている。電話代がかかるので(という設定なので)それぞれの話はごく短くて、文庫本で2~4ページぐらい。
シュールな話や教訓の強い寓話的な話もあるけど、特にオチがないようなものも多い。

「イタリアの宮沢賢治」という触れ込みではあるんだけれども、宮沢賢治よりもっとしっくりくる作家がいそうな気がする。
宮沢賢治みたいな宗教っぽさはなくて、明るい。明るいのはイタリア人だからかもしれないけど。
どちらかといえば素朴な、平和への祈りや未来の希望や、努力や多様性や平等や自由を尊ぶ想いは根底にある感じだけど、むしろ口承文芸っぽいような気がしました。
そもそも、訳者あとがきによれば「本好きも、そうでない人も、一度は読んだことがある作家」「小学校で読み書きを覚えて、初めて自分で一冊読破する本」らしいんだけど、日本の宮沢賢治ってそういう立ち位置なのか私は疑問です。
中川李枝子とかかこさとしとか佐藤さとるとかあまんきみこあたりがそういうのにあたるんじゃないかなー。でも児童文学で世間的に有名なのって宮沢賢治になっちゃうんだろうなー。


56個の話はそれぞれ独立しているんだけれども、ときどきシリーズキャラクター的な存在がいて楽しい。それから、お菓子、宇宙、魔法、猫とネズミ、のモチーフなんかも繰り返し登場している。いかにも子供の興味をひきそうな感じ。

全部は書いてられないので、特に印象に残った話についてだけ、感想を書きます。

私は「アイスクリームの宮殿」が一番好きです。お菓子の家みたいにアイスクリームでできた宮殿の話。食べ放題!アイスクリーム・パラダイス!
こういう話はほかにもチョコレートの道とかコンフェッティの雨とかあったけど、「アイスクリームの宮殿」が一番描写がしっかりしていて、屋根は生クリームで~窓はいちごのアイスクリームで~と細かく書いてあるのでわくわくする。
「壊さなければならない建物」も、同じノリで好きです。こっちは壊されるために建てられた建物ですが、どこを誰がどうやって壊したかみたいな細部が楽しい。じゃあ私はこの辺を壊したい、みたいな。

「チェゼナティコの回転木馬」も好き。
魔法の回転木馬に乗れば、どこまでも飛んでいける。
「夢見るステッキ」も同じ主題ですね。
気づいたけれども、私は、想像力にはたらきかけてくれるような、わくわくする話が素直に好きなんだろうな。

逆に、教訓的な要素が強い話、道徳の副読本に載っていそうな話はあまり好きではない。
それでも、「鐘の戦争」は鐘が響き渡る戦場を想像すると美しいし(そこは近代以前の祝祭的な戦場になる)、「どこにもつながってない道」はグリム童話にありそうだし、「進め!若エビ」「クリスタルのジャコモ」辺りは、第二次大戦や冷戦の時代を生きた人が未来の世代に託したい切実さみたいなものを感じる。
あと、「泣く、ということば」。〈泣く〉ということばが使われなくなって、博物館に陳列されるようになった〈明日〉という幸せな国の話。作者自身がそういう未来を願っていたんだろうかと思うと、ぐっとくるものがあるような気がします。
「地球と人のものがたり」までくると、物語ではなくメッセージになってしまうので好きじゃないです。
「泣く、ということば」はこの設定でもう少し長いSFが書けそう。

宇宙や未来を描いた話は他のものも、アレンジしたら良いSFになりそうなものが多くて、おおむねおもしろかったです。これ自体が良いSFかどうかは短すぎてなんともいえない。
「宇宙の料理」「学習キャンディ」「宇宙ヒヨコ」あたりが特に好き。


「アーダおばさん」と「太陽と雲」が並んで載っているのが、どういうことなんだろう。
与え続けても見返りがなく、そればかりか不満げに催促される話と、太陽が惜しみなく光をばらまいても尽きることはなかったという話。
他者に何かを与えるということ、その結果について対照的な話が二つ並んでいて、どっちが本当に言いたいことなんだろうと悩みました。
太陽の光だから尽きない、というのは関係ないと思うんですよね。
どちらの考えも並立しうるというメッセージなのだろうか。

数字の話(「9を下ろして」「2点増しで合格」)はシュールすぎてちょっと何が起こっているのか分からなかった。
いろんなところにすぐ落っこちちゃう女の子アリーチェ・コロリーナとか、大食漢だらけの国マンジョーニア国の歴史なんかは、シュールといえばシュールだけれども、まだ児童書にはよくあるレベルのシュールさだし、言葉遊びもあって、読んでいておもしろかった。

それから、ミダス王の話がまぎれていたのは謎でした。
触ったものがすべて金になるあの話。現代(20世紀)ナイズされているし、固有名詞もイタリアっぽくなっているけれども、基本的にはあのミダス王でした。ロバ耳かは特に書いてなかったけど。
神話のミダス王の物語をもとに、20世紀イタリア風におもしろおかしく子供向けに書いた感じなのかしら。

どうってことない小男は、マザーグースにありそうだし(曲がった男?)、元ネタがあるものもあるのかな。

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『雰囲気探偵 鬼鶫航』

実は積んでたのを、ついに読みました……。
漫画原作を除くと、これであとは『迷子と迷子のアクセサリー店』だけ未読です。持ってはいるので、今年中に積み高里作品をなくしたい。

薬屋探偵シリーズの、『童話を失くした明時に』にも出てきた鬼鶫と佐々の話。
鬼鶫は雰囲気は完璧な名探偵だが、推理を全くしない。鬼鶫探偵社の経理であり、鬼鶫の友達でもある佐々は、そんな鬼鶫にやきもきしたり翻弄されたりしている。


とりあえず、自分の探偵が格好良く活躍してほしいと思う助手(経理だけど)っていいですよねー。それだけでもこの物語を読む価値があったと思います。
でもキャラでいうとライバル探偵の日置くんが好きです。來田川さんや涼芽さんに通ずる、自分の立場や能力への自負とまっすぐな正義感と、そこはかとなくただよう小物感……と言うとひどいけど。秋さんは好敵手扱いなのに対して、日置くんは鬼鶫からライバル認定されてないあたりとてもかわいそうかわいい。……薬屋さんの方が鬼鶫をライバル認定しているかというと、たぶんしてないと思うんですけど。

推理をしない探偵、というのはまあときどきあるパターンだと思いますが、推理をしないと一口に言ってもいろいろありますよね。
鬼鶫は謎解きというかたちでの推理はしないけど、人の心の機微に敏いので、依頼人の、あるいは加害者の心に寄り添うように問題を解決する。
その人柄と推理力のなさから、警察も協力的。鬼鶫と佐々をクッションにしたり、依頼人から聞き出した情報を使って捜査したりている。
そういう話なので、事件はあるけれども事件自体の謎解き(WHOとHOWの部分)は主に警察や日置くんがしている。でもそれで事件が解決するわけじゃなくて、加害者の動機だとか依頼人の心情のケアをするのが鬼鶫。

人の心に寄り添う探偵だから、その言葉は読者である私たちにも響くものがあります。高里さんの作品だと、わりといつもそうだけれども。そういうところが好き。

とはいえ、なんとなくもやっとしたものがある。
私は夢水清志郎とコナンに影響されてきているから、名探偵は「みんなを幸せにする」ものだと思っているんだけれど、
鬼鶫はそういう意味でも「名探偵」なんだけれども、
謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?
という疑問が私の中にくすぶっている。

鬼鶫、推理力はあると思うんですよ。理詰めの論理的思考は苦手らしいので、観察力なのかもしれないけれども。人の心の機微に敏いだけではそれは分からないだろうって思うところは何か所かあるから。
分かっているけれども依頼人の願いに適わないから推理を開陳しないのか、謎解きできないのか――。書き方的に、後者なのかなと思うけれど、やっぱり能力はありそうなのでどうもしっくりこない。
高里作品でいうと、つるちゃんさんも推理ができない探偵だけれども、あの人は調査能力・情報収集能力は高いけどそれをつなぎ合わせる力がない人だったと思うんですよね。
鬼鶫はそういうのでもない感じなので。
そういうことをぐるぐる考えていると鬼鶫がサイコパスみたいに見えてきてしまいました。
何を考えているかが分からないから怖い。
探偵役の内面を書かないのは、この小説で鬼鶫が「名探偵」だからなのだろうとは思うんですけどね。もしかして続編があればまた内面が察せられて好きになれるのかもしれない。

鬼鶫がすべてを分かったうえで佐々の目も眩ませて、こういう立場に自分を置いている、という壮大な叙述トリックを妄想した方がなんとなく、私にとってはおさまりがいい気がします。


「謎解きをしないのは探偵といっていいのか……?」
という私の疑問については、鬼鶫の性質ゆえなのか、推理をしない探偵もの自体に違和感を覚えるのかが判然としていないので、このパターンのほかの作品もいろいろ読んでみようかと思います。
とりあえず『貴族探偵』かなー。


あ。
なんとなくの感覚だけれども、高里さんは本格ミステリのかたちを考えに考えて雰囲気探偵を作りあげたんじゃないんだろうなという気がするので、そういうところでやっぱりほかの推理しない探偵ものとの差異があるのかもしれない。
ガチガチに「本格ミステリとは」「探偵とは」と考えた結果の作品とは書き方が違うだろうし。

とはいえ私は高里さんの人となりとかを全然知らないので、本格ミステリとはって考えてこうなった可能性がないとは言い切れないけど。
高里さんってどういう本読んでらっしゃるんだろう。あんまり作品から見えてこない気がします。

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『兄と弟、あるいは書物と燃える石』

思っていたよりも、ミステリだった。

兄と弟、彼らをモデルにした人気の小説『火の紙』、そして連続不審火事件にまつわる話。
長野まゆみの作品にはよくあることだけれども、真実と虚構と幻想と妄想が入り混じって、何が本当にあったことなのかわからない感じ。
特にこの話は、現実と虚構さえも何重にもなっていて複雑。
作中にも引用されるマグリッドの『白紙委任状』(馬に乗った女性が森を通る絵)と、「目に見えるものは、いつもほかのなにかを隠している」の言葉のとおり、書いてあるものだけを追っていくと真相にはたどりつけない。

こういうのも好きだけれども、もうちょっとぱきっとわかりやすい、少年愛の香りが濃厚な物語もまた読みたいです。『よろづ春夏冬中』のあとがきにもあるように、書いているものはずっと同じなのかもしれないけれども。
それこそ『よろづ春夏冬中』とか『白いひつじ』くらい単純に萌えたい。曖昧なところはそのままでも。

以降に重大なネタバレがあります。
ネタがばれていてもきっとそんなには重要じゃなくて、文章に遊ぶだけで楽しい作品ではありますが、隔離しておきます。

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つづきはこちら



ただ、思っていたよりもミステリだったと思ったのは、何が現実で何が虚構だったかが一応説明され、見えていたものが全く違うものに変わるところがあったから。
そしてそれが再びひっくり返ることも。

念のための、答え合わせ。
語り手の「私」はカウンセラー。
翻訳家のサラは事故にあい、自分を清三五の『火の紙』に出てくる祐介の妻のサラと思い込む。
本編は、サラの妄想に基づいたもの。「彼女の症状にともなう周囲の混乱ぶりをそのまま描写した」手記。
連続不審火は複数の『火の紙』のマニアによる連鎖的な事件だった。
「現実の」祐介は清の編集者だがサラの夫ではなく、ひとりっ子で独身。ただし、もう一人の人格の計一は存在する……? サイレンが引き金?
ということでいいんですか?

26章から30章が、どのメタレベルにあるのかが謎。
計一とユリア、清三五とルビアンが食事をするシーンですが。
ルビアンが語った猫とライオンと妖精の話を、後でユリアが本当のものとして語っているから、彼女がその話を聞いたのは実際にあったことでいいのかな。
え、サラって2か月も前からその状態だったの?
わからないのはメタレベルよりも時系列かもしれない。
でも悩めば悩むほど、本質が見えないのではないかという予感もすごくある。
「白紙委任状」的に、見えているものと見えていないけれども近くできるものを想像して受け入れて、「やりたいようにやらせる」のが正解な気がします。

途中に挿入される話で目くらましされている感がすごい。
物語の構成としては、匂いのセンサーとか、猫とライオンと妖精の話とか、〈紅いばらの館〉とかは特に意味をなしていないと思うんですよね。
〈紅いばらの館〉は「燃える書物」というモチーフの連続的な重なりなので、まだわかるけれども。それとも何か文学的に意味があるのかな。
石綿は鉱物でガジェット的にらしくて良かったです。

あと、作中では書かないという思わせぶりな文章も多いよね。読んでいくと後でわかるものもあるけれども、本筋とは本当に関係なくて特に触れられないままのもある。不思議とあとまで引っかかることもないけど、読み返すと気になる。
祐介が清にそっけない理由とか、痴情のもつれとしか思えないよー。

「海神の娘」はなんでそういうタイトルにするんだろう。
豊玉姫?入れ替わった兄弟と結婚するってこと?


そういえば、長野さんがクリスティを好きというのはたしか何かでパスティーシュ書いてたし知っていたんだけれど、ブラッドベリの名前も出てくるのは意外でした。

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『話を聞かない男、地図が読めない女』

今年の目標は確かに「有名な本を読む」なんですけど、これは別にそういうつもりで手に取ったんじゃないんだ……という、誰に向けてというわけでもない言い訳をまず。

性別がなかったとしたら、社会はどうなっているんだろうみたいなことを考えていて。それを考えるための材料に、とりあえず簡単に読めそうだしと思って読みました。


男女の脳の違い、考え方・行動の違いについて書かれた本。タイトル通り、女は空間認識能力がなくて地図が読めないし、男は一度に一つのことしかできないから話が聞けない。ということをいろんな数値やたとえ話をもってきて、おもしろおかしく繰り返す。

基本的に一般向けの科学読み物だし、外国で書かれたもの特有のブラックな感じのユーモアがあるので、内容が難しくないという意味では読みやすいけれども、引っかかるところがある。
引用されている研究は、その引用の仕方で正しいのか。
主張したいと思われる結論に対して、根拠として言っていることは正しいのか。
アンケートなんかの数値自体は操作はないだろうけど、ほかの要因は考えられないのか。
などなど……。
内容の正しさに対する担保が特にないから、読んでなるほどおもしろいと思う分にはいいけど、もう少しかっちりしたものの方が、考える役には立つのだろうなと思いました。

あ、男脳女脳テストでは、女脳よりのオーバーラップでした。
設問が、男子の脳の違いというより、理論か感情かって感じになっていたのはどうなのと思った。

男女で(能力や考え方に)違いがあることはそのとおりなのだろうと思う。
この本が流行った後に生きているから、なおさらそういう考え方がしみついているのかもしれないけれども。
女が社会で成功していないように見えるのは、一般的に言うところの「社会での成功」が男の考える成功基準を女にも当てはめているだけだからだ。という文章に、ハッとした。
思考実験ではなくて、現実の社会についていうのならば、それぞれの違いを活かして協力しあえればいいよね、理想論だけど。

この本の書かれた意図としては、そういった理想論のために互いのできることとできないことを整理しておく目的なのではないかと思うのだけれども、
平均的な行動を書いていくことで、ステレオタイプが際立ち、偏見っぽく見えてしまうのはなんでなんだろう。
ステレオタイプを強調して描く=差別だと思ってしまう、私の捉え方のせいなのかしら。
もしかして、「ステレオタイプを強調して描く=差別」というような社会的文脈があったりする?
ジェンダー論は興味あるけど面倒くさそうなのでちゃんと知らないのですが。
男女は違う生き物なんだから、それを弁えた上で平等を探そうと言ってるそばから、ゲイをジョークとしてオチに持ってきてるのはそれこそ政治的に正しくないだろうと思う。けど、政治的に正しいことが正しくはないよね。

あと気になったのは、社会的な要因についての説明があまりないこと。
女の子あるいは男の子として「らしさ」に基づいて育てられたら刷り込みが行われるのでは。
一応、学習では脳の配線は変わらない、もともとある傾向を伸長するだけだという話ではあるんだけれども。
あーでもこれは、私の方で何が「脳の配線」に由来するもので、何が後天的に学習するものか、区別ついていないから引っかかりを覚えるのかもしれない。
たとえば、女の子が空間能力が低いのは先天的だけれども、ピンクや花柄が好きなのは後天的な学習によるものだと思うんですよね。
あと、あくまで平均的な、全体の傾向の話なので、そうでない場合もよくある。
私は女で、数学苦手だけど、高校のときとか私より数学できない男子いっぱいいたよ?
みたいな個人の経験の話にしてしまうとよくない。

能力や考え方の男女の違いについてはまあおおむね納得できる。
性的指向が胎児期のホルモン量によるというのも、そうなのかもしれないと思う。
でも、たとえばゲイはどちらかというと女脳だとか、レズビアンは空間能力が高いとか、そういったことについては、懐疑的に思ってしまう。
戦国武将には同性愛が横行していたけれども、あの人たちはめっちゃ男性的な気がするんですよね。支配的な性格で、所有したがって。
気がする、思う、というだけなんだけれども。
あとホモセクシュアルとバイセクシュアルはまた違う話なのかもしれないが。
それこそ社会的要因があるのではないか。
「相手探しセンター」と「行動センター」で必要な男性ホルモンの量が違うというのは興味深かったです。

そもそもなぜ、男が狩りをし、女が家事育児をしていたのか。
そういう社会を形成していない哺乳類もいる。
妊娠中は家にいざるをえないから、子育てと家事を両立した方が効率的だから、なのだろうか。
ほかにもうちょっと納得できる説はあるかしら。

全体として、この本が最初に書かれたのは20年近く前だし、私が読んだ文庫版も出てから15年経つので、その間の研究でどう変わったかも知りたいですね。

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