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- 2017/03/08 『ひとくいマンイーター』
- 2017/03/02 『貴族探偵対女探偵』
- 2017/02/23 『弁護側の証人』
『怪しい店』
作家アリスシリーズ。店にまつわるミステリを集めた短編集。
やっぱり安定感があっておもしろいです。流石。
あと今回は一冊の中で、倒叙、安楽椅子、日常の謎などバラエティに富んでいて、それも楽しめました。
そして登場する「怪しい店」たちがとても魅力的。一番行ってみたいのは喫茶shiですねー。モデルとかあるのかしら。
なんだかこの短編集では、犯人との距離が遠い話が多かった気がしました。
名前は知らないけどこういう人が犯人だろう、とか。
というより、関係者を集めて「さて、」というタイプの話が少なかったような気がするという方が正しいかもしれません。
こういうのもおおむね好きです。
いつからかアリスと火村は年をとらなくなったけれども、過去の事件やそれで築いた周りの人たちとの関係なんかは積みあがっていっているので、なんだか不思議な感じがしました。
なんか、パラレルな関係なのかと思っていたらそうでもなくて過去にあったことについて言及する記述があったので。
どの話もおもしろかったですが、「潮騒理髪店」が特に好きです。春の潮風のような爽やかな読み心地。
ほかの作家さんの作品であってもおかしくないようで、でもこの言葉選びは、話運びは、有栖川さんならではのものなんだろうなーと随所で感じる。だからきっと好き。
以降、ネタバレありで各短編の感想です。
ただ、読んだのは数日前なのですが、いろいろあってまとめるのが遅くなってしまいました。そんなわけで、細かいところは忘れてる気がします。
やっぱり安定感があっておもしろいです。流石。
あと今回は一冊の中で、倒叙、安楽椅子、日常の謎などバラエティに富んでいて、それも楽しめました。
そして登場する「怪しい店」たちがとても魅力的。一番行ってみたいのは喫茶shiですねー。モデルとかあるのかしら。
なんだかこの短編集では、犯人との距離が遠い話が多かった気がしました。
名前は知らないけどこういう人が犯人だろう、とか。
というより、関係者を集めて「さて、」というタイプの話が少なかったような気がするという方が正しいかもしれません。
こういうのもおおむね好きです。
いつからかアリスと火村は年をとらなくなったけれども、過去の事件やそれで築いた周りの人たちとの関係なんかは積みあがっていっているので、なんだか不思議な感じがしました。
なんか、パラレルな関係なのかと思っていたらそうでもなくて過去にあったことについて言及する記述があったので。
どの話もおもしろかったですが、「潮騒理髪店」が特に好きです。春の潮風のような爽やかな読み心地。
ほかの作家さんの作品であってもおかしくないようで、でもこの言葉選びは、話運びは、有栖川さんならではのものなんだろうなーと随所で感じる。だからきっと好き。
以降、ネタバレありで各短編の感想です。
ただ、読んだのは数日前なのですが、いろいろあってまとめるのが遅くなってしまいました。そんなわけで、細かいところは忘れてる気がします。
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「古物の魔」
これは、論理がすごく鮮やか!
消去法的ではなく、状況から組み上げていくタイプの、いわば発展的な推理なのですが、それでそこまでで貼られてきた伏線がうまいこと回収されてひとつの論に収束していくのがとても美しい。
ロジックが美しいって、こういうことをいうのかなぁと思いました。
モノと人の出会いについての話も、素敵で。骨董市に行ってみたくなりました。
「燈火堂の奇禍」
京都北白川にある古本屋さんが舞台。
そのお店では、本を買おうとすると「十日後にまた来てくれ」といわれる、という設定で、これもまた一話目に引き続きモノと人の出会いに関する信念が背景にありそう。オチがそんな感じですし。……信念があるのは、作者にというよりも物語上の要請だとは思うけど。
これは安楽椅子探偵もので、燈火堂を訪れたアリスが店員や客から聞いた話を火村に話して、火村はその場で話を聞いて推理をする。
推理がとか事件が、というよりも普通に読んでいて楽しい一編。
あと、時絵さんの誕生日祝いを火村とアリスがするというのが二次創作っぽくてにやにやします。
「ショーウィンドウを砕く」
去年ドラマで先に見ていたので、展開は知っているのだけれども、でも私にはやっぱり小説の方が親しみやすいですね。
ただ、喫茶店はドラマでロケに使われていたあそこのお店を想像してしまう。キャラクターに関しては自分の想像があるけど、それ以外の私が普段あまり気にしていないところには映像の影響はやっぱり強いんだなと思いました。
これがドラマのエピソードの一つに選ばれたのはやっぱり最後の「幻聴」があるからなんだろうな。ドラマはそういう、火村の危うさに焦点を当てたいみたいだったから。
小説だと、犯人一人称の倒叙なので、犯人が自分の考えを投影しているというふうに読めるけど。でもそれを言ったら、アリス視点のいつもの小説もアリスから見た姿でしかないので、客観性を担保しているわけでもないんですよね。
あと、動機というか「社長の夫人でなくなったから」殺すという心理状態をやっぱり理解できないです。一人称で内心が語られているにもかかわらず。わかるような、わからないような。納得はできていない。
八百屋お七みたいなのとか、冒頭に出てくるほかの診断はパターンとして想定できるのだけれども。自分としてはその発想は自然に出てくるものではないけれども、そういうものがありうるというのは理解できる。
特に引っかかる証言や証拠があったわけでもなく、被害者の恋人で第一発見者だからという理由だけで紙幣を調べようとする火村先生にも空恐ろしいものを感じました。
この人はいったい何を考えているのだろう、という。それはドラマが描こうとしていたものとは違うけれども。そして小説で語られることもないのだろうけど。
「潮騒理髪店」
先述の通り、これ大好きです。
この作品中の火村先生はショーウィンドウの火村先生とは別人みたいに見えるので、やっぱり語り手バイアスは強い。三人称火村視点のようで、彼の話から組み立てたアリスの一人称小説なのですよね。
二人が電話で話すだけの話。これも二次創作力高い(笑)
火村が旅先で行き会った「潮騒理髪店」という名の理髪店と、特急電車に向かってハンカチを振る謎の女性。彼女の行動を推理してみる日常の謎だし、答え合わせをするわけでもない推理ゲームなので軽めの短編ですが、だからこそ、雰囲気が爽やかですごく好きです。
あと、火村が殺人事件の犯人の生育環境とかを調べているっていうのが地味に驚きました。そういうタイプのフィールドワークもあるのね。むしろそっちが気になります。犯罪心理学ではなくて、社会学なんだよね。どういうことをしているんだろう。火村英生が実在したら論文読みたい。
驚いたといえば、この世界には堀北真希もいるんだなっていうのにも驚いた。現存する芸能人の名前って今までも出てましたっけ。こういうので出るのって実写化に使われた人かとも思いきや、別にそ出てなかった気がする――芸能人の名前と顔に疎いので、どこかにいても気づいてないだけかもしれませんが。
理髪店は長らく行ったことがないので、そういうサービスをしてもらえるのかというのが興味深かったです。女性でも顔剃りやってもらえるんですね。
「怪しい店」
「みみや」という名の、人の相談事を聞くお店の店主が殺される事件。
捜査のために被害者の性質を聞いていくところが、『鍵のかかった男』を彷彿とさせる。
そして、生前の被害者について語る人によってイメージが全然違うところも興味深いです。前二編で語り手バイアスということを考えていたので。
聴き屋をしている被害者の名前が紀久子というのは安直でちょっと笑った。
この話については、推理とかより、コマチさんについて語りたい。
前提として。私は火アリ派です。
初登場時、私は少し怖かったので、反抗的(批判的)な目で彼女を見ていました。怖かったというのは、アリスが火村との間に長年かけて築いてきた距離感を、彼の悪夢や過去との対峙の仕方、逡巡を、一足飛びで越えていってしまいそうな気がしたから。
でも、そうはならなかったし、ならないのだろうということをこの短編で感じ取れたので安心した。
アリスとは違う視点で見ているから、火村に関する見立ても異なっている。だからといって彼女の推測が正しいとも分からない。
この短編の被害者の人間像が、語る人によって違うものになっていたように。そして被害者は実際にはどの要素も持ち合わせていたというのが重ね合わされてくる。
このコマチとアリスの会話もドラマのために用意されたものなのだろうか。火村が向こう側に生きかねないという危うさを演出するための。なんて邪推もしてしまう。
私は、そういう危うさを煽ってはいても、原作では実際に火村が人を殺してしまうようなことはないと思ってる。というよりもそれを描くには過去も描かないといけないはずなだし、そうなったら最終回なのだろうから、その物語が書かれる日が来ないことを祈っている、という方が正しい。いろいろなパターンの二次創作を読むので満足しているし。
とにかく、反省会をして一緒にお茶を飲む二人はかわいいかったです。学生アリスでいうところのマリアのような立ち位置なのかなぁ。それも違う気がする。
『探偵映画』
『探偵映画』という名の映画の撮影中に、監督が行方不明になってしまった。映画の結末を知るのは監督のみ。残されたスタッフたちは、撮影済みのシーンから犯人を推理していく。
実は我孫子さん読むのこれが二作目だったりします……。
嫌いとか苦手とかそういうわけでもなくて、単に前読んだその一作が可もなく不可もなく非常にフラットな読書だったので……。
この作品も、何か私に重大な印象を残したかというと、そうでもないのでそういう立ち位置なのかもしれない。……二作目で結論付けるのは早計ですが。
ええと、微妙な書き出しになってしまいましたが、読んでいる間は楽しかったです。
軽妙な文体がユーモラスで読みやすい。オタク大学生っぽい(大学生じゃないけど)主人公の造型も好感が持てます。
主人公含めてほかのキャラもなんていうかテンプレの「キャラ」でしかない感じもまあするけれども、新本格ってわりとそんなもんだよね、という気もしますし……。
それから、この作品は登場人物たちが推理をする動機がしっかりしているのがすごくいいです。
監督が失踪して、このままじゃ映画は完成しない。会社倒産のおそれがあるため、監督の不在をマスコミ等外部に知られるわけにはいかないし、映画は自分たちだけで撮るしかない。だから監督が何を考えていたか、どういう結末にすればこの映画を面白いものにできるか、を推理しあう。
そういった流れがすごく説得力がある。
あと、現実の事件をもてあそんでいるのではなく、あくまで作中作の犯人について推理をしているわけなので、多重解決・推理合戦ものでは気になりがちな探偵たちの倫理観の問題(事件をおもちゃにしているような)はまったくない。
そして、そこで(主に役者たちが)それぞれ誰を「犯人」として指名するかというのも、その指摘する動機に説得力があっていいと思います。
それこそ犯人の動機の有無とか意外性とかを重視して犯人を指摘しているので、証拠品やアリバイの有無で論を組み立てるわけではなく、本格ミステリ的では全然ないのだけれども、「映画づくり」という文脈の上では、そうした方法に説得力が出るのがおもしろい。
……あくまで方法であってその内容ではないです。風船はひどかった。
そして一応「撮影済みのシーン」があるので、それと矛盾する推理は棄却されるというのもうまくできているな、という感じです。
似たようなもので、『写本室の迷宮』が「犯人当て小説」を読んで推理するという趣向の推理小説でしたね。ただ、『写本室の迷宮』はメタレベルがちょっとむちゃくちゃというか、作中作中作みたいなややこしいことやっているけれども、どのレベルでの現実かが峻別できていない印象だったというか、「犯人当て小説」にシャーロックホームズシリーズの事件が実際にあったという体で書かれている時点で現実とのかかわりの担保がなくなってしまったんじゃないかみたいな微妙なところがあったのですが、
今作はちゃんと映画の中のものごとと現実に起こっていることがはっきりと別れていて、よりゲーム感覚が強くてよかったです。
役者が自分の演じているキャラクターに感情移入しすぎて、「この人はそんなことしない」みたいなことを言い出すのもご愛敬ぐらいで。
同じトリックで監督が殺されてたみたいな展開かと思いきや、そんなことも特になかったですね。ていうか、てっきり監督は死んでいるものだと思いました。
冒頭でかなり紙幅を費やして叙述トリック映画の話をしているので、読者としてはこの映画にも叙述トリックが使われているのではないかと想定して読んでいたのですが、
自分で言っておいて、当の主人公がその可能性に気づかないのはどうなの。
ってちょっと思ってしまった。
だからこそ主人公が悔しい気持ちになるラストが活きるのかもしれないし、頭がいい名探偵役として造型されているわけでもないので仕方ないのかもしれないが。迂闊なのでは。
監督がいなくなった動機はわりとしょうもないんだけど、やりかねない性格には描かれていた気がします。
あと、そのメイキング映像は誰がどうやって撮っていたんだ(隠しカメラ?)というところがいまいちわからない……。読み飛ばしてる?
『愚者のエンドロール』との共通性は、まぁ分かりました。
映画の結末を推理するという点では同じ設定を使っているし、検索したら我孫子さんの長文ブログが出てくるし、それ読むとそれはないわなと思うのも理解できる。オマージュがなさそうに見えてしまうから。
でも『愚者』は結末とそれが主人公に与えた影響がだいぶ違うので、構造が似ていることイコール評価が下がるというわけでもないだろうと、私は思います。
それはそれとしてあれはシリーズの中では一番好きではない作品なのですが。
それよりも、なんとなくはやみねかおるを思い出していました。文体の軽さ、ユーモラスな感じもそうだし、「監督の頭の中にしか映画の結末がない」「見る人には予想できない」というのが、『総生島』だなっていう安直な連想。
っていうかそうか、『総生島』冒頭の短編タイトルが「探偵映画」だったんでしたっけ。
実は我孫子さん読むのこれが二作目だったりします……。
嫌いとか苦手とかそういうわけでもなくて、単に前読んだその一作が可もなく不可もなく非常にフラットな読書だったので……。
この作品も、何か私に重大な印象を残したかというと、そうでもないのでそういう立ち位置なのかもしれない。……二作目で結論付けるのは早計ですが。
ええと、微妙な書き出しになってしまいましたが、読んでいる間は楽しかったです。
軽妙な文体がユーモラスで読みやすい。オタク大学生っぽい(大学生じゃないけど)主人公の造型も好感が持てます。
主人公含めてほかのキャラもなんていうかテンプレの「キャラ」でしかない感じもまあするけれども、新本格ってわりとそんなもんだよね、という気もしますし……。
それから、この作品は登場人物たちが推理をする動機がしっかりしているのがすごくいいです。
監督が失踪して、このままじゃ映画は完成しない。会社倒産のおそれがあるため、監督の不在をマスコミ等外部に知られるわけにはいかないし、映画は自分たちだけで撮るしかない。だから監督が何を考えていたか、どういう結末にすればこの映画を面白いものにできるか、を推理しあう。
そういった流れがすごく説得力がある。
あと、現実の事件をもてあそんでいるのではなく、あくまで作中作の犯人について推理をしているわけなので、多重解決・推理合戦ものでは気になりがちな探偵たちの倫理観の問題(事件をおもちゃにしているような)はまったくない。
そして、そこで(主に役者たちが)それぞれ誰を「犯人」として指名するかというのも、その指摘する動機に説得力があっていいと思います。
それこそ犯人の動機の有無とか意外性とかを重視して犯人を指摘しているので、証拠品やアリバイの有無で論を組み立てるわけではなく、本格ミステリ的では全然ないのだけれども、「映画づくり」という文脈の上では、そうした方法に説得力が出るのがおもしろい。
……あくまで方法であってその内容ではないです。風船はひどかった。
そして一応「撮影済みのシーン」があるので、それと矛盾する推理は棄却されるというのもうまくできているな、という感じです。
似たようなもので、『写本室の迷宮』が「犯人当て小説」を読んで推理するという趣向の推理小説でしたね。ただ、『写本室の迷宮』はメタレベルがちょっとむちゃくちゃというか、作中作中作みたいなややこしいことやっているけれども、どのレベルでの現実かが峻別できていない印象だったというか、「犯人当て小説」にシャーロックホームズシリーズの事件が実際にあったという体で書かれている時点で現実とのかかわりの担保がなくなってしまったんじゃないかみたいな微妙なところがあったのですが、
今作はちゃんと映画の中のものごとと現実に起こっていることがはっきりと別れていて、よりゲーム感覚が強くてよかったです。
役者が自分の演じているキャラクターに感情移入しすぎて、「この人はそんなことしない」みたいなことを言い出すのもご愛敬ぐらいで。
同じトリックで監督が殺されてたみたいな展開かと思いきや、そんなことも特になかったですね。ていうか、てっきり監督は死んでいるものだと思いました。
冒頭でかなり紙幅を費やして叙述トリック映画の話をしているので、読者としてはこの映画にも叙述トリックが使われているのではないかと想定して読んでいたのですが、
自分で言っておいて、当の主人公がその可能性に気づかないのはどうなの。
ってちょっと思ってしまった。
だからこそ主人公が悔しい気持ちになるラストが活きるのかもしれないし、頭がいい名探偵役として造型されているわけでもないので仕方ないのかもしれないが。迂闊なのでは。
監督がいなくなった動機はわりとしょうもないんだけど、やりかねない性格には描かれていた気がします。
あと、そのメイキング映像は誰がどうやって撮っていたんだ(隠しカメラ?)というところがいまいちわからない……。読み飛ばしてる?
『愚者のエンドロール』との共通性は、まぁ分かりました。
映画の結末を推理するという点では同じ設定を使っているし、検索したら我孫子さんの長文ブログが出てくるし、それ読むとそれはないわなと思うのも理解できる。オマージュがなさそうに見えてしまうから。
でも『愚者』は結末とそれが主人公に与えた影響がだいぶ違うので、構造が似ていることイコール評価が下がるというわけでもないだろうと、私は思います。
それはそれとしてあれはシリーズの中では一番好きではない作品なのですが。
それよりも、なんとなくはやみねかおるを思い出していました。文体の軽さ、ユーモラスな感じもそうだし、「監督の頭の中にしか映画の結末がない」「見る人には予想できない」というのが、『総生島』だなっていう安直な連想。
っていうかそうか、『総生島』冒頭の短編タイトルが「探偵映画」だったんでしたっけ。
『ひとくいマンイーター』
『おにぎりスタッバー』の前日譚。サワメグとアズが出会って、友達になるまでの話。
やっぱりめちゃくちゃおもしろかったです。
おもしろいっていうか、なんだろう。
読んでいる最中も、中断しているときも、読んだ後も、作品世界のことをずっと考え続けていられるような、没頭できる圧倒的な世界観、なのかなぁ。
この世界にずっとひたっていたいと思う。
松川さんや穂高センパイから見た世界や、炎の魔女とエクスカリバーの物語なんかも、つまりはこの世界で起こる事象のほかの側面も見てみたい。
文体の本質的な部分はたぶん『おにぎり』と同じなのだと思うのだけれども、今作はサワメグの物語なので、サワメグとアズが別人であるゆえに、言葉選びや文章の流れ方みたいなものが違っていて、そういうバランス感覚がとても好きです。
前作に比べたら、作中で起こっていること自体はありがちな感じなのだけれども、キャラクターが綴っているのだと信じられるこの文章が、この物語を唯一無二のものにしているのだと思います。
「長い栗色の髪をした美しい少女は完全無欠に絶対無敵なのだ」というフレーズとかすごく好き……。
形而上学的な言い回しが多いのは、地獄がそういうものだから――というよりサワメグが地獄をそういうものだと認識しているからなのだろうと思うのですが、かっこいいですよね。中二心をくすぐられる。
ヴィトゲンシュタインの文章を引用しているだけでもかっこいいのに、7章、あれにはびっくりした……。確かにその通りなので、すごい。
ヴィトゲンシュタインはエピグラフとして引用されているけど、ほかの哲学者の言葉(あるいはその示す考え方)も作中にキャラクターの言葉や地の文のかたちで挿入されているんだと思うのだけれども、私に教養がないので特定するには至らなかった。
これは完全に個人的な連想なのだけれども、美の絶対性や永遠性、死後の存在についてなどその辺を読んでいると、私も大学生のときに同回生や先輩とそういう話をしたなぁなんてことを思い出したりもしました。
やっぱりめちゃくちゃおもしろかったです。
おもしろいっていうか、なんだろう。
読んでいる最中も、中断しているときも、読んだ後も、作品世界のことをずっと考え続けていられるような、没頭できる圧倒的な世界観、なのかなぁ。
この世界にずっとひたっていたいと思う。
松川さんや穂高センパイから見た世界や、炎の魔女とエクスカリバーの物語なんかも、つまりはこの世界で起こる事象のほかの側面も見てみたい。
文体の本質的な部分はたぶん『おにぎり』と同じなのだと思うのだけれども、今作はサワメグの物語なので、サワメグとアズが別人であるゆえに、言葉選びや文章の流れ方みたいなものが違っていて、そういうバランス感覚がとても好きです。
前作に比べたら、作中で起こっていること自体はありがちな感じなのだけれども、キャラクターが綴っているのだと信じられるこの文章が、この物語を唯一無二のものにしているのだと思います。
「長い栗色の髪をした美しい少女は完全無欠に絶対無敵なのだ」というフレーズとかすごく好き……。
形而上学的な言い回しが多いのは、地獄がそういうものだから――というよりサワメグが地獄をそういうものだと認識しているからなのだろうと思うのですが、かっこいいですよね。中二心をくすぐられる。
ヴィトゲンシュタインの文章を引用しているだけでもかっこいいのに、7章、あれにはびっくりした……。確かにその通りなので、すごい。
ヴィトゲンシュタインはエピグラフとして引用されているけど、ほかの哲学者の言葉(あるいはその示す考え方)も作中にキャラクターの言葉や地の文のかたちで挿入されているんだと思うのだけれども、私に教養がないので特定するには至らなかった。
これは完全に個人的な連想なのだけれども、美の絶対性や永遠性、死後の存在についてなどその辺を読んでいると、私も大学生のときに同回生や先輩とそういう話をしたなぁなんてことを思い出したりもしました。
時系列がけっこうごちゃまぜになっているので、時間経過がうまく把握できなかったのだけれども、『おにぎり』のことを考えると、この物語の大部分は半年以内の出来事なのかと思うと、サワメグの闘いがとてつもなく激しくて孤高で美しいもののように感じられて溜息がでる。
読み始めた当初は『おにぎり』に書かれていたサワメグと今作の語り手との間に微妙な溝があるような気がしていて、私は『おにぎり』読んでサワメグが好きだと思ったんだけれどもそれはアズの目を通した描写だったからで本当はそんなでもなかったんじゃないかって感じながらも読んでいて。
廻沢小海と明科恵の存在がまず語られてその後も何度も挿入されるので、彼女たちとサワメグの間がどう繋がるのかというのがその溝の鍵になるのかもしれないなと気づいて。
だから叙述トリックのありそうな作品を読むときみたいに、注意深く読んでいたのですが、冷蔵庫の扉を開けるシーンはなんとも衝撃的でした。あーたしかに伏線あった、そういうことね、って。
そして6章でサワメグというところにすべてつながるのはある種の爽快感があった。
「魔法少女サワメグ」の物語があそこから始まることに意味があったのが、読み終わった後でもう一度最初に戻るととても感慨深いものがある。
やっぱり私はサワメグが好きです。
このシーンの「わたし」は誰だ? という疑問をときどき感じた。どの「わたし」も全部サワメグということでいいのかしら。もう一度読んで整理してみないと。
そして、283ページの台詞がすごく良い。
これがああなって『おにぎり』の物語につながっていくんだ、っていうことももちろんなんだけど、単純に、サワメグとアズの関係性がただひたすらに良い。大好き。
魔法少女になった理由とかも、『おにぎり』でサワメグが言っていたことから想像していたよりもずっと深刻なものだったけれども、それは当人にとって深刻なものでしかないので、明科恵ではないサワメグは当事者性がないから深刻さのベクトルが変わるのかもしれない。
っていうかクラスメイトが死んでいたことにまったく触れていなかったアズが恐ろしいんだけれども、あの子はそういう子だよね、という気もする。いや、触れていたけど読み飛ばして忘れているだけかも……。
『貴族探偵対女探偵』
麻耶雄嵩『貴族探偵』の続編。
新米女探偵の高徳愛香と、推理をしない貴族探偵が推理合戦をする、という趣向の連作短編集。
この女探偵の愛香ちゃんがすごくかわいい!
こういう子、好きです。
亡くなった師匠の跡を継ごうと、その名声を汚さないように必死で、けれども自分はまだまだひよっこで、探偵であるプライドはあるから推理をしない貴族探偵が許せなくて、毎回果敢に挑むけれども軽くいなされているので余計にむきになる辺りがとてもかわいい。
師匠から伝授された探偵哲学的なものが時折示されているのですが、それもまた良いですよね。「信念なき探偵は覗き屋と同じだ」とか、「事件に関わりたいがために自ら依頼を求めに行くようになったら、その時は既に探偵の魂が死んでいると思え」とか。かっこいい。
何ていうか、こういうまっとうな探偵観があるからこそ、そこからいろいろな要素を抜いた「探偵」のヴァリエーションを創り出してこれたのかなという気もします。
そしてこの本における女探偵の役割は、『9マイルは遠すぎる』なんだろうなと思いました。
つまり、論理的に正しい推理を重ねていったからといって、必ずしもそれが真実だとは限らない、という。まぁ『9マイル~』はそういう話をしていたのになぜか真実っぽくなっちゃうところが面白い話なのですがそれは置いておいて。
高徳愛香の推理は、一見正しそうなんですよね。
でも要素や条件の見落としや、うまく説明がつかない事象がある。(そして貴族探偵を犯人として指名している)
そこで貴族探偵(の使用人)が正しい推理を披露して事件は解決、までが一連の流れ。
この、一見正しそうだけれども要素の見落としがある、というところのバランスがすごく犯人当て的でしびれました。
バランスっていうかなんだろう、犯人当てを解くときに「だいたいこの線でいけそうだけれども、でもこの辺を使っていないからたぶん違うんだろうな」って考える思考回路と同じ部分で読めて、そういう感覚があまり離れすぎていなかったから楽しめた気がします。まあそういうのってメタな思考なので、そんなに好きではないんだけれども。
……世の中には推理ゲーム的なものでも、明らかに怪しいのに回収されない伏線があるので。その点この本は完全に単純に騙すためだけのミスディレクションがほとんどないので、フェアでスマートで好感度が急上昇しました。
麻耶雄嵩のおもしろがり方はいまいちよくわかってないけれども、犯人当てのつもりで解こうとして読むとすごさがわかりやすいのかもしれないと気づいてきた。
解説の百人一首についての話はあまりにもこじつけすぎて、せっかくスマートでフェアで完成度の高い論理を見て楽しかったあとなのに、推理ですらない妄想が最後にやってきて微妙な気持ちになりました。
「むべ山風を」は確かにって思ったけど、順徳院が流されたのは~とか無理やりすぎ!
とはいえ、それぞれの歌と短編の内容が呼応しているかっていうと、それもまた微妙な気がするのです。
「色に出でにけり」は秘めた恋の話なので合っている気もするけれども、ほかは歌全体というよりもそこのフレーズだけに意味があるのかなあ。
なぜこのタイトルを選んだのかがどうにも謎で、どうにか意味を見出そうとするとたしかにこじつけの妄想をしてしまうかもしれない。
高田崇史だったら何文字目かを縦(横・斜め)読みすれば文章になるとかそういうのなんだけど。
新米女探偵の高徳愛香と、推理をしない貴族探偵が推理合戦をする、という趣向の連作短編集。
この女探偵の愛香ちゃんがすごくかわいい!
こういう子、好きです。
亡くなった師匠の跡を継ごうと、その名声を汚さないように必死で、けれども自分はまだまだひよっこで、探偵であるプライドはあるから推理をしない貴族探偵が許せなくて、毎回果敢に挑むけれども軽くいなされているので余計にむきになる辺りがとてもかわいい。
師匠から伝授された探偵哲学的なものが時折示されているのですが、それもまた良いですよね。「信念なき探偵は覗き屋と同じだ」とか、「事件に関わりたいがために自ら依頼を求めに行くようになったら、その時は既に探偵の魂が死んでいると思え」とか。かっこいい。
何ていうか、こういうまっとうな探偵観があるからこそ、そこからいろいろな要素を抜いた「探偵」のヴァリエーションを創り出してこれたのかなという気もします。
そしてこの本における女探偵の役割は、『9マイルは遠すぎる』なんだろうなと思いました。
つまり、論理的に正しい推理を重ねていったからといって、必ずしもそれが真実だとは限らない、という。まぁ『9マイル~』はそういう話をしていたのになぜか真実っぽくなっちゃうところが面白い話なのですがそれは置いておいて。
高徳愛香の推理は、一見正しそうなんですよね。
でも要素や条件の見落としや、うまく説明がつかない事象がある。(そして貴族探偵を犯人として指名している)
そこで貴族探偵(の使用人)が正しい推理を披露して事件は解決、までが一連の流れ。
この、一見正しそうだけれども要素の見落としがある、というところのバランスがすごく犯人当て的でしびれました。
バランスっていうかなんだろう、犯人当てを解くときに「だいたいこの線でいけそうだけれども、でもこの辺を使っていないからたぶん違うんだろうな」って考える思考回路と同じ部分で読めて、そういう感覚があまり離れすぎていなかったから楽しめた気がします。まあそういうのってメタな思考なので、そんなに好きではないんだけれども。
……世の中には推理ゲーム的なものでも、明らかに怪しいのに回収されない伏線があるので。その点この本は完全に単純に騙すためだけのミスディレクションがほとんどないので、フェアでスマートで好感度が急上昇しました。
麻耶雄嵩のおもしろがり方はいまいちよくわかってないけれども、犯人当てのつもりで解こうとして読むとすごさがわかりやすいのかもしれないと気づいてきた。
解説の百人一首についての話はあまりにもこじつけすぎて、せっかくスマートでフェアで完成度の高い論理を見て楽しかったあとなのに、推理ですらない妄想が最後にやってきて微妙な気持ちになりました。
「むべ山風を」は確かにって思ったけど、順徳院が流されたのは~とか無理やりすぎ!
とはいえ、それぞれの歌と短編の内容が呼応しているかっていうと、それもまた微妙な気がするのです。
「色に出でにけり」は秘めた恋の話なので合っている気もするけれども、ほかは歌全体というよりもそこのフレーズだけに意味があるのかなあ。
なぜこのタイトルを選んだのかがどうにも謎で、どうにか意味を見出そうとするとたしかにこじつけの妄想をしてしまうかもしれない。
高田崇史だったら何文字目かを縦(横・斜め)読みすれば文章になるとかそういうのなんだけど。
各話の感想を簡単に。
「白きを見れば」
貴族探偵がどう登場してくるのかが、ちょっとウォーリー的な気分でおもしろかったです。お前だったのか、っていう。
ダミー解から正しい推理への反転は鮮やか。
「色に出でにけり」
料理人もいたんですね。っていうか貴族探偵の使用人は全員推理力高いのかしら。
文字の分解のところは思わず「おおっ」と声が出ました。でも占い関係ないじゃん。
確実にアリバイがある→だからこそ犯人だというところはちょっと展開についていけなかった……。
「むべ山風を」
ティーカップの色とゴミの分別、上座下座の関係からの消去法……と思いきや、犯人の工作やほかの人の関与で事態が複雑になる。読んでいて、メモがほしくなりました。
この辺から、愛香が貴族探偵を犯人と指摘して貴族探偵が正しい推理を開陳するパターンだとわかってきたので、正直少し飽きてきていた。
光るキノコが気になる。
「幣もとりあへず」
山への御幸だからこの題なのかなぁ。まつろわぬ神発言にはちょっと笑った。そりゃそうでしょうよ。……貴族っていうか、皇族なんだろうと思っているのですがそれでいいのかしら。まあ藤原家にしたってもとは大中臣で神祇の家だからまつろわぬ神に願をかけようとはしないでしょうが。
座敷童子(正確にはいづな様)の出る旅館で起こる殺人事件。奇妙な儀礼と建物の構造にわくわくしました。
いづな様が現れたのかや、そもそもそれは何なのかみたいなところは特に明かされなかったので若干残念です。そういうタイプの作品じゃないって知ってるけどー。
前作の某短編と同じ仕掛けを使っている話なのですが、前作や某長編の方が好きです。三回目にもなって慣れたのかもしれないけど、前読んだ二つの方がシンプルに決まっていたかなあと。あとこれは読者および愛香には分かりえないのではないかという点でも引っかかった。よく読めば気づけるのかしら。
「なほあまりある」
この話が一番好きです。
ついに愛香が謎を解いて、えって思ったら彼女すら貴族探偵の使用人扱いって、貴族探偵はどこまで許容しうるのだろうと。ジャイアニズムあるいは公地公民でもいいんですけれども、「所有物」の枠を広げていけるのならそれは実際に推理をするのが誰であろうと貴族探偵という装置による解決になってしまうわけで。
ぞくっとしました。
推理自体も、今までの短編で触れられてきた伏線を巧く回収していてテンションが上がりました。
ただ、文庫374ページ後ろから2行目、「三箇所のバラ」がなぜ3なのかよく分からなかったです
……。二箇所でいいのでは?? 何か見落としている?光るキノコが気になる。
「幣もとりあへず」
山への御幸だからこの題なのかなぁ。まつろわぬ神発言にはちょっと笑った。そりゃそうでしょうよ。……貴族っていうか、皇族なんだろうと思っているのですがそれでいいのかしら。まあ藤原家にしたってもとは大中臣で神祇の家だからまつろわぬ神に願をかけようとはしないでしょうが。
座敷童子(正確にはいづな様)の出る旅館で起こる殺人事件。奇妙な儀礼と建物の構造にわくわくしました。
いづな様が現れたのかや、そもそもそれは何なのかみたいなところは特に明かされなかったので若干残念です。そういうタイプの作品じゃないって知ってるけどー。
前作の某短編と同じ仕掛けを使っている話なのですが、前作や某長編の方が好きです。三回目にもなって慣れたのかもしれないけど、前読んだ二つの方がシンプルに決まっていたかなあと。あとこれは読者および愛香には分かりえないのではないかという点でも引っかかった。よく読めば気づけるのかしら。
「なほあまりある」
この話が一番好きです。
ついに愛香が謎を解いて、えって思ったら彼女すら貴族探偵の使用人扱いって、貴族探偵はどこまで許容しうるのだろうと。ジャイアニズムあるいは公地公民でもいいんですけれども、「所有物」の枠を広げていけるのならそれは実際に推理をするのが誰であろうと貴族探偵という装置による解決になってしまうわけで。
ぞくっとしました。
推理自体も、今までの短編で触れられてきた伏線を巧く回収していてテンションが上がりました。
ただ、文庫374ページ後ろから2行目、「三箇所のバラ」がなぜ3なのかよく分からなかったです
『弁護側の証人』
おもしろかったのか、好きなのかはよく分からない。けど、確実にすごい作品だったと思う。
以降の感想にはネタバレあるかもしれません。はっきり誰が犯人とかは書いてないつもりだけど、知った上で書いているので、勘のいい方は分かってしまうかも。
古い作品だけれども、今読んでも全然古臭さを感じなかったです。
もちろん、作中で描かれる女性の立場と書きぶりとか、尊属殺人という言葉とか、そういうところには時代を感じたのだけれども、古いものだから逆に昔はそういうものだったんだというところに納得してストレスを感じずに読めた。
一章一章が短くて、あっという間に読み進める感じです。
文章がすごく詩的でいいなと思う反面、括弧書きの台詞の中までもその調子で、実際にそういうふうに発言していると考えるとちょっとうざいなというか、修飾はいいから本題に入りやがれって気分になってしまう……。地の文なら全然好き。
なんでしょうね、たぶん自分の中で台詞と地の文それぞれに対して「こういうもの」というイメージがあるので、それを逸脱しているとひっかかるところがあるのだと思う。
ともあれ、文章のそういう感じとかもあって、私が今まで読んだものでいうと『雪の断章』が近い気がしました。
でも主人公の性格は、こっちのほうが断然好みです。ストリップダンサーで過去も悲惨そうだし現在の状況的にもかなり追い詰められているのに、うじうじしてない。相応には悲しんでいるけれども、きっぱりしていて本質的にはとてもまっとうな感じがするので。
しかし、女って怖いですね。
目的のために人を愛せるし、その間は本当に愛しているけど、一度愛がなくなれば未練なく見限れるところとか。
私も一応その分類に入るものの、そうした性質には畏れるばかりです。もしかしたら自分にも傾向があるのかもしれないですけど。
「愛してたんじゃなかったのか」みたいな夫の台詞はすごく滑稽に思えました。
愛していた、けれども、何をされてもいつまでも愛し続けるわけではない。
よくいう上書き保存と名前を付けて保存というのは、こういうことだよなって。
……色恋沙汰には疎いので、解釈が違うかもしれないですが。
主人公や夫もそうだけれども、登場人物誰一人として信用できない感が強かった。
犯人っぽいという意味での信用できなさではなくて、人間的に。
舅や使用人との仲は、夫がもう少しマシに取り持っていたらここまでこじれていなかっただろうに、という気がします。取り持たなくても、たとえば主人公と舅が二人で話す機会がもう少しあれば、とか。
夫がもうちょっとマシな人間性もってたら事件の起こりようがなかったので、なるべくしてクズだったんでしょうけど。
主人公の場合は人間性はともかくいろんな意味で浅はかな部分があるのが気になった。上にも書いた台詞文での詩的な表現とかも同じことで、いかにも女性的だけどそういうところが付け込まれる隙になったんじゃないの、って。
それにしても、プロットがすごいですよね。
明らかに伏せているところがあるし、事件説明が現在パート(台詞文)と過去パートで交互に行われているので、これは何か叙述トリック的なものがあるに違いないと思って読むのですが、気がついたら詩的な文章に没頭していて叙述を見破ろうとする目が弱まっていたのでまんまと騙されてしまいました。
その結果、途中で何が起こっているのか分からなくなり、読み返してわぁって驚嘆した。
……この説明だと、プロットがすごいというより私の頭が弱いだけに見えるかもしれないですが。
それでも警察の初動捜査杜撰すぎるだろう。主人公や他の登場人物もわりと捜査混乱させることをしているけど、それにしてもひどい。
警部さんはいい人で、ほっこりしました。
無実の人を死刑にしたくない、ということについて「私たちの願いではなくて、義務なんです」という台詞があったのですが、とても素敵だなと思いました。
登場人物の一人ひとりがそれぞれの思惑で偽証したり証拠品隠したりすること自体は、個人的にわりと好きなシチュエーションではあるんです。
犯人当てとかで、犯人以外の登場人物は嘘を吐かないという設定がいかにも作りものっぽく思えてしまう反動というか。
高里さんの『海紡ぐ螺旋 空の回廊』のあの事件の構造が本当に好きで。……っていうのは完全に脱線しているので置いておきます。
ただ、この『弁護側の証人』は主人公以外ほぼそろって真犯人側についていたので、それぞれの思惑というほど複雑な様相ではなかったのが若干残念。
いや、本当に『海紡ぐ螺旋〜』大好きなんですよ。なのであれを基準に考えてしまう。
人間二人の生命の問題、というのはどの二人を指していたんだろう。
主人公と子供なのか、夫と主人公なのか。
以降の感想にはネタバレあるかもしれません。はっきり誰が犯人とかは書いてないつもりだけど、知った上で書いているので、勘のいい方は分かってしまうかも。
古い作品だけれども、今読んでも全然古臭さを感じなかったです。
もちろん、作中で描かれる女性の立場と書きぶりとか、尊属殺人という言葉とか、そういうところには時代を感じたのだけれども、古いものだから逆に昔はそういうものだったんだというところに納得してストレスを感じずに読めた。
一章一章が短くて、あっという間に読み進める感じです。
文章がすごく詩的でいいなと思う反面、括弧書きの台詞の中までもその調子で、実際にそういうふうに発言していると考えるとちょっとうざいなというか、修飾はいいから本題に入りやがれって気分になってしまう……。地の文なら全然好き。
なんでしょうね、たぶん自分の中で台詞と地の文それぞれに対して「こういうもの」というイメージがあるので、それを逸脱しているとひっかかるところがあるのだと思う。
ともあれ、文章のそういう感じとかもあって、私が今まで読んだものでいうと『雪の断章』が近い気がしました。
でも主人公の性格は、こっちのほうが断然好みです。ストリップダンサーで過去も悲惨そうだし現在の状況的にもかなり追い詰められているのに、うじうじしてない。相応には悲しんでいるけれども、きっぱりしていて本質的にはとてもまっとうな感じがするので。
しかし、女って怖いですね。
目的のために人を愛せるし、その間は本当に愛しているけど、一度愛がなくなれば未練なく見限れるところとか。
私も一応その分類に入るものの、そうした性質には畏れるばかりです。もしかしたら自分にも傾向があるのかもしれないですけど。
「愛してたんじゃなかったのか」みたいな夫の台詞はすごく滑稽に思えました。
愛していた、けれども、何をされてもいつまでも愛し続けるわけではない。
よくいう上書き保存と名前を付けて保存というのは、こういうことだよなって。
……色恋沙汰には疎いので、解釈が違うかもしれないですが。
主人公や夫もそうだけれども、登場人物誰一人として信用できない感が強かった。
犯人っぽいという意味での信用できなさではなくて、人間的に。
舅や使用人との仲は、夫がもう少しマシに取り持っていたらここまでこじれていなかっただろうに、という気がします。取り持たなくても、たとえば主人公と舅が二人で話す機会がもう少しあれば、とか。
夫がもうちょっとマシな人間性もってたら事件の起こりようがなかったので、なるべくしてクズだったんでしょうけど。
主人公の場合は人間性はともかくいろんな意味で浅はかな部分があるのが気になった。上にも書いた台詞文での詩的な表現とかも同じことで、いかにも女性的だけどそういうところが付け込まれる隙になったんじゃないの、って。
それにしても、プロットがすごいですよね。
明らかに伏せているところがあるし、事件説明が現在パート(台詞文)と過去パートで交互に行われているので、これは何か叙述トリック的なものがあるに違いないと思って読むのですが、気がついたら詩的な文章に没頭していて叙述を見破ろうとする目が弱まっていたのでまんまと騙されてしまいました。
その結果、途中で何が起こっているのか分からなくなり、読み返してわぁって驚嘆した。
……この説明だと、プロットがすごいというより私の頭が弱いだけに見えるかもしれないですが。
それでも警察の初動捜査杜撰すぎるだろう。主人公や他の登場人物もわりと捜査混乱させることをしているけど、それにしてもひどい。
警部さんはいい人で、ほっこりしました。
無実の人を死刑にしたくない、ということについて「私たちの願いではなくて、義務なんです」という台詞があったのですが、とても素敵だなと思いました。
登場人物の一人ひとりがそれぞれの思惑で偽証したり証拠品隠したりすること自体は、個人的にわりと好きなシチュエーションではあるんです。
犯人当てとかで、犯人以外の登場人物は嘘を吐かないという設定がいかにも作りものっぽく思えてしまう反動というか。
高里さんの『海紡ぐ螺旋 空の回廊』のあの事件の構造が本当に好きで。……っていうのは完全に脱線しているので置いておきます。
ただ、この『弁護側の証人』は主人公以外ほぼそろって真犯人側についていたので、それぞれの思惑というほど複雑な様相ではなかったのが若干残念。
いや、本当に『海紡ぐ螺旋〜』大好きなんですよ。なのであれを基準に考えてしまう。
人間二人の生命の問題、というのはどの二人を指していたんだろう。
主人公と子供なのか、夫と主人公なのか。