『おにぎりスタッバー』の前日譚。サワメグとアズが出会って、友達になるまでの話。
やっぱりめちゃくちゃおもしろかったです。
おもしろいっていうか、なんだろう。
読んでいる最中も、中断しているときも、読んだ後も、作品世界のことをずっと考え続けていられるような、没頭できる圧倒的な世界観、なのかなぁ。
この世界にずっとひたっていたいと思う。
松川さんや穂高センパイから見た世界や、炎の魔女とエクスカリバーの物語なんかも、つまりはこの世界で起こる事象のほかの側面も見てみたい。
文体の本質的な部分はたぶん『おにぎり』と同じなのだと思うのだけれども、今作はサワメグの物語なので、サワメグとアズが別人であるゆえに、言葉選びや文章の流れ方みたいなものが違っていて、そういうバランス感覚がとても好きです。
前作に比べたら、作中で起こっていること自体はありがちな感じなのだけれども、キャラクターが綴っているのだと信じられるこの文章が、この物語を唯一無二のものにしているのだと思います。
「長い栗色の髪をした美しい少女は完全無欠に絶対無敵なのだ」というフレーズとかすごく好き……。
形而上学的な言い回しが多いのは、地獄がそういうものだから――というよりサワメグが地獄をそういうものだと認識しているからなのだろうと思うのですが、かっこいいですよね。中二心をくすぐられる。
ヴィトゲンシュタインの文章を引用しているだけでもかっこいいのに、7章、あれにはびっくりした……。確かにその通りなので、すごい。
ヴィトゲンシュタインはエピグラフとして引用されているけど、ほかの哲学者の言葉(あるいはその示す考え方)も作中にキャラクターの言葉や地の文のかたちで挿入されているんだと思うのだけれども、私に教養がないので特定するには至らなかった。
これは完全に個人的な連想なのだけれども、美の絶対性や永遠性、死後の存在についてなどその辺を読んでいると、私も大学生のときに同回生や先輩とそういう話をしたなぁなんてことを思い出したりもしました。
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時系列がけっこうごちゃまぜになっているので、時間経過がうまく把握できなかったのだけれども、『おにぎり』のことを考えると、この物語の大部分は半年以内の出来事なのかと思うと、サワメグの闘いがとてつもなく激しくて孤高で美しいもののように感じられて溜息がでる。
読み始めた当初は『おにぎり』に書かれていたサワメグと今作の語り手との間に微妙な溝があるような気がしていて、私は『おにぎり』読んでサワメグが好きだと思ったんだけれどもそれはアズの目を通した描写だったからで本当はそんなでもなかったんじゃないかって感じながらも読んでいて。
廻沢小海と明科恵の存在がまず語られてその後も何度も挿入されるので、彼女たちとサワメグの間がどう繋がるのかというのがその溝の鍵になるのかもしれないなと気づいて。
だから叙述トリックのありそうな作品を読むときみたいに、注意深く読んでいたのですが、冷蔵庫の扉を開けるシーンはなんとも衝撃的でした。あーたしかに伏線あった、そういうことね、って。
そして6章でサワメグというところにすべてつながるのはある種の爽快感があった。
「魔法少女サワメグ」の物語があそこから始まることに意味があったのが、読み終わった後でもう一度最初に戻るととても感慨深いものがある。
やっぱり私はサワメグが好きです。
このシーンの「わたし」は誰だ? という疑問をときどき感じた。どの「わたし」も全部サワメグということでいいのかしら。もう一度読んで整理してみないと。
そして、283ページの台詞がすごく良い。
これがああなって『おにぎり』の物語につながっていくんだ、っていうことももちろんなんだけど、単純に、サワメグとアズの関係性がただひたすらに良い。大好き。
魔法少女になった理由とかも、『おにぎり』でサワメグが言っていたことから想像していたよりもずっと深刻なものだったけれども、それは当人にとって深刻なものでしかないので、明科恵ではないサワメグは当事者性がないから深刻さのベクトルが変わるのかもしれない。
っていうかクラスメイトが死んでいたことにまったく触れていなかったアズが恐ろしいんだけれども、あの子はそういう子だよね、という気もする。いや、触れていたけど読み飛ばして忘れているだけかも……。
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