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2025/03/15 (Sat)

『街角の書店 18の奇妙な物語』

「奇妙な味」のアンソロジー。
「奇妙な味」は好きなわりに定義とかよく把握していないので、解説によるとミステリともSFとも怪奇幻想小説とも付かないものらしいんですけど、この短編集はどちらかというとミステリよりもSF・怪奇寄りかなって思いました。

編者あとがきでちょっと不思議に感じたのは、奇妙な味とブラックユーモアって明確に分けられるジャンルなのかしらって。
重なり合う部分はあるけど、ブラック味が強すぎたら奇妙とは言えないよね、という感覚はなんとなくあるけど。
「〈奇妙な味〉の復権が著しい昨今、こちらが忘れられがち」と言われるほど違うものだったのか、と思いました。

こういうアンソロジーだから、全体的にとても好きとかめちゃくちゃはまったとかはないんですけど、いくつかは好きなものや印象に残った作品がありました。
特に好きなのは、「アダムズ氏の邪悪の園」「街角の書店」
好きだと言い切れるほどには理解できてないんだけど、それも含めて印象深いのが「赤い心臓と青い薔薇」「遭遇」でした。

何ていうか、現実とも幻想ともつかない作品は好きなんですけど、それは「どういう現実」と「どういう幻想」かがはっきりとわかる場合であって、作者が何を見せたいのかが判然としないと、好きと言い切れないんだなって思いました。
わかりやすくない話が好きじゃないと言っちゃうとちょっとばかっぽいんですけど。

あと、この本は作りとして各短編の扉ページがあって、その裏に作者と作品紹介があって、その次のページから作品が始まる構造だったのですが。そういう構造をとるなら、作品紹介に内容に深く触れるようなことは書かないでほしかったなと思いました。
ネタバレはないけど、身構えて読んでしまうというか。
いや、作品を読んだ後に解説読めばよかっただけなんですけど。

各短編の感想。
気を付けるけど、ネタバレになりうるものあります。

「肥満翼賛クラブ」
肥満コンテストの話。
これって実は人じゃないとかなのかなと思いながら読んでたら別にそんなことはなかった。
たぶん私を知っている人の一部からは、「え、これ好きじゃないの?」って言われるかもしれないけど、正直なところ微妙でした。
胸やけをするような肥満のための描写は、そういうものとしていいんだけれども。
コンテストの目的というかのところにに盛り上がりのピークがあると良かったです。何を言っているかよくわからなくて、時間差で驚いた。

「ディケンズを愛した男」
南米アマゾンの奥地に住むディケンズ好きの男の話。
展開は予想できるので、だからこそハラハラした。
確実に悪い状況に陥るのを黙ってみていないといけないドキドキは楽しいけどしんどいです。

「お告げ」
おばあちゃんの買い物メモと人生に悩む女性が交錯する。
これも好き。2作品気分が悪くなるようなのを続けて読んだ後に、ほのぼのする話で、清涼剤になりました。
「もう用意してあるよ」でにやにやした。

「アルフレッドの方舟」
アルフレッドは聖書に書かれた大洪水がもうすぐ来ると予言して、方舟を作る。
オチが好きです。ブラックな感じ。蜘蛛の糸ですよね。
この後を考えると、心臓がキリキリします。人間関係大変なことになりそう。

「おもちゃ」
骨董品店のショーウインドウに飾られた自分のおもちゃ。
こういう設定の話あるよね。起承転結でいうと転に当たりそうな部分で、こうなるのかというのが意外でした。
だってそうなると、お店にあるものの説明が付かなくない? 説明が付かないのが「奇妙な味」だといわれたらそうなのかもしれませんが。
そういえばこの短編集、お店ものの話多かったですね。

「赤い心臓と青い薔薇」
一家に寄生しようとしている若者の話。
ぞっとするホラーなんですけど、ラスト一行の指している意味がうまく取れなかった。
産まれてくるのがデイモンではありませんように、という意味なのか、彼女が「ふたりといない」と思ってしまわないように、なのか。あるいは夢が死の象徴なのか。

「姉の夫」
戦争中、休暇で故郷に戻るための汽車で知り合った男と姉と弟の話。
紹介文で、ゆさぶるのが読者の「倫理観」と書いているのが、気になる。
物理的に残るものは、夫ではなく弟と、ってことなのか……?

「遭遇」
大雪のバス待合所で、一夜を明かす男と女。会話の中で男は人生を振り返る。
これは、つまり、どういうことなの?
作品紹介でいうSF的な解釈も分からないし、それ以外の素直な解釈もどうすればいいのか。
どなたか、教えてください。コメントとかで。
穏当に考えれば、すべて女の想像。あるいは二重人格のもう片方を追い出した話?
緊迫感は好きなんですけど、結局何だったのかが分からなすぎて。

「ナックルズ」
神が人を創ったのか、人が神を創ったのか。
というテーマは大好きなんですけど、でも「ナックルズ」はフランクの創作でも、似たようなものは実際にいるよねってどうしても思ってしまったのがこの作品自体を好きと言い切れない。中央ヨーロッパか東欧だったと思うんですけど、鞭打ちおじさんとかいますよね。
展開は読めるけど因果応報で良かったです。
ラスト一行はふふってなった。

「試金石」
人に満足感を味わわせる魔力のある石の話。
ぞわっとした。すごくホラーでした。
石によって満足感を得て、すべてのことがどうでもよくなってゆっくりと日常が壊れていく感じが怖い。
太古のものの化石というのも雰囲気があって好きです。

「お隣の男の子」
ラジオのDJがゲストの男の子にインタビューすると、彼は自分が人殺しだと言い始める。
おじさんの正体にびっくりしましたが、語り手は死ぬんじゃないかと思っていたので、案外死なないのかって思った。いや、これからなのかな。
子供が嫌いなDJの心内文がちょっとおかしくて楽しい。そこを楽しむのは性格が悪いかもしれないけど。

「古屋敷」
フレドリック・ブラウンだ!と思って期待して読んだら、これもなんだかよく分からない話だった。
古屋敷の描写自体は素敵で好きなんですけど、この屋敷は結局何なのっていう。
何かの象徴?精神の宮殿?
屋敷の中にあるものとかを読み解けば分かるのでしようか……。

「M街七番地の出来事」
少年がガムを噛んでいたら、ガムが少年を噛んでいた。
構造としてはホラーなんだけど、絵面がなにしろガムだから、ギャグやコメディにしか思えない。
映像的な小説というか、イメージがぱっと絵で浮かぶ。この本に収録されているほかの作品よりも、その傾向が強いように感じました。
作者がスタインベックだってのが驚きでした。

「ボルジアの手」
少年が街を訪れた行商人からあるものを買おうとする。
少年の名前は○○○○ですね。

「アダムズ氏の邪悪の園」

「大瀑布」
これも好きです。
最後の方で、想定していたものと全く違うものが見えてくる(ほのめかされる)のがおもしろい。
地球平面説を想像しました。
ただ、Hがエイチであることはわかるのに、その単語は無いのかというところが微妙。どういう言語なのか。

「旅の途中で」

「街角の書店」

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『スターヴェルの悲劇』

クロフツは今回初めて読んだ作家でした。
ただでさえ古い作品や翻訳ものは苦手ですし。
地味で丁寧なアリバイ崩しものを書く人でしょ、私そういうの苦手なんだよね、と思っていて。
積極的に読まず嫌いとまでいかなくても、機会がなければわざわざ手を出さないぐらいの立ち位置にいたんですけど。
だから今回、薦められて『スターヴェルの悲劇』読むことになったけど、たぶん好きじゃないだろうなと思って読み始めたんですね。

でも、実際に読んでみたら、意外にも楽しめました。
地味なのは地味なんだけど。
ただ、読んだのがたとえば6年前とかだったら、おもしろいと思えなかったのかもしれない。ミステリの読み方をぐるぐると考えて、いろいろな本を(といっても少ないけれども)読んできたから、今これを読んでおもしろいと思えたんだろうなと思って、感慨に浸っています。


そもそもアリバイ崩しものじゃなかった!というのが一番の驚きだった。
スターヴェル屋敷が一夜にして消失、焼け跡からは主人と使用人夫婦の死体が発見され、金庫に入った紙幣は灰と化していたという事件。一時は事故で片付いたものの、焼けたはずの紙幣が3週間後に使われていて、捜査が開始される。

その捜査シーンが読んでいてとてもおもしろかったです。
今までの経験から、捜査シーンのおもしろさってちょっとドタバタ劇的なところにあるのかななんて思ってたんですけど、そういうものはあまりなく。
ただ新事実が次々と発見されるだけなんですけど、それがなぜかおもしろい。
あとはいろんなところに移動したり。イギリスの地理がいまいちよくわからないけど、やたら移動が多いなと思いました。そしたら解説座談会でトラベルミステリと言っていて、なんか腑に落ちた。
あ、指輪の件や最後の駅でのシーンは少しドタバタしてましたね。それはそれで楽しかったです。

ただ、ちょっと気になったのは、新事実の提示が箇条書きっぽい。証言も間接話法的だったり。実際に喋ってはいるんだけど、必要な情報を提示している面がかなり強かったです。
だからこそ捜査がさくさく進んで、展開が早くて、とプラスの面も大きいですが。

捜査でいろいろと事実が分かっていって、それをもとに仮説を立てて捜査をして、というサイクルが繰り返されるタイプの小説でした。
で、ここの発見した事実から仮説を立てるのは、ひとつひとつはすごくシンプルな推理なんですよね。
一歩先くらいは読んでいて推測できる。
たとえば、完全に焼けた死体が3つあり、たまたま近所で火事の当日にインフルエンザで亡くなった人がいて、ってなったら、普通バールストンギャンビットを疑うじゃないですか。みたいなレベルでの推測です。
続く捜査を読むと、その推測は裏付けられたり裏切られたりして、じゃあこういうことかなと推測を立て直して、みたいな感じで読んでいたので、捜査が進展するにつれて小さな驚きと納得があり、それが積もっていくのがおもしろかったのだと思いました。

フレンチ警部も、天才型の探偵ではなくあくまで優秀な警部でしかないんですよね。
だから推理に飛躍はなく、一歩一歩進んでいくので、読んでいるこちらも事件のかたちを追いやすい。
私はあまり頭がよくないので、推理小説を読んでいると、解決シーンを読んでいるそのときは納得しても、後から思い返すとなんでこういう結論になったんだっけ?と思うこともしばしばあるんですけど。この『スターヴェルの悲劇』は振り返ると来た道にちゃんと足跡が残っていて、良かったです。
2箇所くらい飛躍したなと思ったところはありましたが。それも論理が飛躍していたんじゃなくて、偶然にも犯人が近くにいたとか、外的な要因によるもので。そういうのを挿入することで物語としても起伏ができておもしろかったのかな。
最終的には意外な犯人だったので、驚いたのだけれども、意外な犯人だったからこの本がおもしろかったわけじゃないよなと思うのです。

あとフレンチ警部が、地方の警察を少し馬鹿にしていたり、この仕事がうまくいけば出世できると期待していたりしたのが可笑しかったです。
特に後者、いや人死んでるんだから自分の名声のこと考えるのは不謹慎じゃん、と思った。
でもそういうところも凡人っぽいし「名探偵」じゃない普通の警察として作っているキャラクターなのかなと思った。

たぶん時代的にキャラクターとかはそこまで意識していないと思うんですよ。
登場する人たちもおおむね駒のようなものだし。
それでも、そのなかで人間像や人間関係がはっきり描かれていたなと感じました。
ヒロイン的な立場のルースや、彼女の恋人ウインパーには、読んでいて思い入れができた。
最後の一行がそれなのか!っていうのはちょっと衝撃でしたけど。
可哀そうに死んでしまった昆虫学者は本当に可哀そうだった。
町の人たちも、基本的に良い人ばかりで、この町はこれからどうなるんだろうなんてことも思ったりする。とりあえず医者を呼ばないとだよね。
皮肉っぽいバークリーを読んだあとだからこそ、そういうところが沁みるのかもしれない。

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『試行錯誤』

バークリーは、今まで『ジャンピング・ジェニイ』と『毒入りチョコレート事件』を読んで、どちらも私には合わないなと思っていたのですが、『試行錯誤』はびっくりするぐらい面白かったです。

まず、設定にわくわくする。
医者から余命宣告をされたトッドハンター氏が、残り数か月の人生を使って、社会にとって有害な人間を殺そうと決意するところから物語は始まる。
じゃあ具体的に誰を殺すのかとなって被害者候補を選ぶためにいろんな人に話を聞いたり、犯罪計画を練ったり、自分を有罪にするために捜査をしたりという「試行錯誤」が読んでいてとても楽しい。物語が思ってもみなかった方向にどんどん展開していく。

以前読んだ2作もそうだったけれども、この作家の作品は、物語が進むにつれて見え方がどんどん変わっていくのが魅力なのかなとぼんやり思いました。
3作読んだだけで作風決めつけるのは暴挙ですけど、今まで読んだ3つに共通しているなと思って。
だとしても、「見え方が変わっていくこと」が多重推理として表れるよりも、こういう風に、計画の修正とか警察との攻防みたいな方向で見せてくれる方が私は好きです。

裁判での丁々発止のやりとりも、読んでてわくわくした。
あくまでトッドハンターを無罪扱いする警察の見解に、重箱の隅をつつくように応酬するところとか、そうくるのかと思って楽しかったです。
基本的にはトッドハンターに肩入れして読んでいるので、手に汗握るといいますか。
法律用語とかはちょっとまわりくどい言い回しとかもあって、読み返したりもしたけれども。
法廷ものを他のもいろいろ読みたい気分になりました。


殺害計画を持っている人が主人公なので倒叙なんだろうとは思うんですけど、倒叙っぽさは特に感じなかったです。たぶん私のイメージでは、倒叙ものって「警察(探偵)にばれたくない」という緊張感で話を盛り上げるところがあるんですよね。でもこの作品は真逆で、警察に自分が犯人だということを信じさせようとする。
そこの逆転が皮肉でおもしろかったです。

そうした構造の逆転だけじゃなくて、全編を通して皮肉とユーモアが利いていて、読んでいておもしろかったです。ウッドハウスに献辞が捧げられてるだけのことはあるなって思いました。
初めの方の、トッドハンターの主治医の死についての一風変わった価値観とか好きです。
あべこべな裁判や政府と大衆のやり取りなんかも、イギリスの司法制度に対する風刺なのかなって思ったけど、1930年代のイギリスの司法がどんなだったか実際知らないから。

最初に被害者候補を決めるときに、ヒトラーとかムッソリーニとかの名前が挙がってて、確かめたら1937年に出版されたものだったので腑に落ちた。
そしてヒトラーにせよムッソリーニにせよ、暗殺したところで第二第三の独裁者が現れるだけだみたいな結論になっていて、その当時でこういう風に書けるんだなって思いました。
19章で、トッドハンター氏の行為がファシズムだと非難されるのも、1937年という背景を考え合わせると興味深いです。

それから、トッドハンター氏の人物が好感を持てるタイプだったので、それも読みやすかったところでした。
ちょっとおばかさんなところはあるけれども、基本的には善人だし、頭も悪くないし。
死ぬ直前にしたことが、すごく素敵だなと思いました。死ぬ前に社会のためになるようなことをしたいとずっと思っていたことが、そういうかたちでも発揮されているというのが。
読んでいるときには気づかなかったけれども、それを読み取れるぐらいには人物描写がしっかりしていたんですね。
ファロウェーと出会ったときの嘘とか、淑女についての見解とか、トッドハンター氏の考え方が随所で説明されているのに、それがわりと物語の中で自然に挿入されていたような気がしました。
私は利己的な人間なので、ちょっと前に会った人たちのためにここまでするのはちょっと信じられない気分なのだけれども、トッドハンターがそうしたのは理解できるというか。気持ちは分からないけれども、この人ならこうするだろうという風には思えるようには心理描写がちゃんとあったのだと思います。

心理描写がかなり多いけど、深刻に悩み込むようなこともなくて、皮肉とユーモアたっぷりの明るい雰囲気だったので、読んでいてすごく楽でした。
文章も翻訳もののわりには読みにくくなくて。
ところで昔のミステリってわりと詩人の人が翻訳してること多くないですか。この鮎川信夫もだし、田村隆一とか。

真犯人が誰かはともかく、トッドハンター氏が本当に殺したのかはずっと半信半疑だったので、オチはまぁ納得という感じでした。でもあれがあったからなおさらおもしろかったです。探り探り会話をする様子なんかも楽しかった。
ところで、ページをめくってその人の名前が出る十角館のような形式をとるのなら、解説も偶数ページ始まりにしてほしかった(うっかり見ちゃったので……だから何ということもないけど……)

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『時をかける少女』

有名作を読もう、という今年の目標を果たすために手にした1冊。

うーん、なんていうか、この作品が有名なのは、パイオニアだからってだけなんじゃないの?
って思ってしまったのが正直な感想です。

私にとって「時をかける少女」は真琴なんだけど、原作を読んでもあの映画の方が良かったなって思ってしまって。
それは単純に、待つヒロインより走って行く子の方が好きという個人的な好みもある。
そしてきっとわ原作のこの物語をそのまま映画にしたものではないからっていう理由もあるのだけれども。

なんか思ったより短いし、あっさり味だったんですよね。
解説(江藤茂博)の言葉を借りるなら、「骨組み」でしかないのかなと思いました。だからこそ様々な肉付けをして、「あでやかな錦織」を着せかけることができるのかなと。

実際、起こっていることしか書かれてないような気がしました。文学的装飾とか、比喩的な心情描写とかはあまりなくて。
主人公にもあまり共感できないし、男子二人組はどっちがどっちやらいまいち分からないまま読み進めてたし。
だから、いきなり「好き」という話になって混乱した。いや、主人公もあの場で告白されたのは混乱したかもしれないが。
これを下敷きにした映画は見てるのだし、知識としてはそうなるとわかってても、「は!?」ってなったんですよね。
だって、そんなフラグ立ってなかったじゃん!
フラグ……というか伏線にこだわるのは現代のラノベに慣れてるからとかミステリを日頃読んでるからかもしれないが。

あとこのシーンについては、解説でいう「現質的な愛」という話には疑問です。
人を愛するのに理由はいらないというのはまあ同意できる。でも私は、感情に理由はいらなくてもきっかけは必要だと思うんです。前述のフラグというのも、好きになるきっかけの一側面というかそれを物語上で伝えるための定型的な表現技術かなと思うんですがそれはともかく。
きっかけになるエピソードや記憶なんて、タイムリープするようになってからの4日間で十分じゃないの、と思ってしまう。もっといえばこの土曜日の告白だけで、好きになるきっかけたりえると思う。
だいたい「好き」と言われたからといってそう思うのは本当に「現質的な愛」なのか?

とはいえ、プロットは(今となっては)よくあるパターンではあるけど、ときめくのは確かなんですよね。
秘密を明かして想いを伝えたあとに全て忘れさせて、でも残るものがあるというのが萌えます。
キャラクターにいまいち共感できない分、普遍的に見たからシチュエーション自体を好きだと思ったという感じがする。

あと未来の設定とかも興味深かったです。


ただやっぱり古い作品なので、文体とかは気になった。ジェンダー観の強い役割語も。
ジュブナイルだからにしてもひらがなが多かったので、文体とか含めて古い児童書を読んでる気がしました。

表題作だけじゃなくて、収録されてるほかの2作にも感じたんだけど、登場人物が年齢に比べて幼すぎる気がした。
もしかするとそれこそ、こういう喋り方のキャラクターをそれこそ古い児童書とかで見た印象が強いから、重ね合わせてしまったのかもしれない。台詞にひらがなが多いから幼く見えるだけかもしれない。
でも、私が中学生の頃ってもうちょっといろいろ考えてたような気がするんですよね。それは、主観で思い出す中学生の自分は背伸びしていたその爪先まで含めた大きさのものとして自分の中では捉えてるからそう感じるだけで、客観的に見ればこんなものなのかもしれないが。お前もこんなだっただろうって言うリアル知人がいれば甘んじて受け入れます。
たとえば「時をかける少女」では好きと言われたあとのところで、今まで和子の周囲ではそういう感情は遊び半分のものとされていたという記述があるのですが、そこが幼く感じたところのひとつでした。
それこそ自分の経験だと、中学生の頃に「付き合っている」男女はクラスに何人もいたから。彼ら彼女らがどれほどの気持ちでいたかなんて知らないけど、たとえ振り返ってみたらお遊びに思えるような恋愛でも、マンガや小説に煽られた熱病のようなものでも、当時の当人にとっては本気だったんじゃないかと想像するのです。
ひやかしは中学生でもあるけど、それだけしかないのは小学生ぐらいのイメージ。
それと、たぶんだけど和子が次々起こる出来事に翻弄されて受け身のままっぽい感じだったのも、一因だと思う。
そして「悪夢の真相」の主人公は輪をかけて子供っぽかった。
こういう書き方も時代性なんだろうか。昔の人の方が大人びているイメージだったんだけど。

時かけ以外の2作についても軽く感想を。

「悪夢の真相」
うまくアレンジしたら好きなタイプのミステリになりそう。なんだけど、これ自体はギャグでしたね。特に弟のところ。
時かけの和子より1学年しか違わないとは思えないぐらいに、主人公の昌子が子供っぽかったです。般若の面とかを怖がること自体ではなく、その後の反応とかが。
あと弟に男らしくあれみたいにいうところとかが昔っぽくてどうにも。

「果てしなき多元宇宙」
もっとはっきりギャグだった。ドラえもんにこういうエピソードありそう。
こうなったらいいのにと思っていた世界であっても、実際そうなってみたら良いものじゃないっていう教訓話なのはわかるが。多元宇宙って、自然法則まで変わるものなの? 半音階がないってどういうこと? ってのが気になってしまって。
音楽と自然科学は近いから、その両方ともが発展してないのは納得できたんだけど。半音階……存在するけど認識できないって感じなのかしら。
あと、3作目でもそうだったので、もうこの作者とはジェンダー観が合わないんだと諦めました。

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カブキブ!

アニメを楽しんで見てます。
原作は別に読む気はなかったんですけど、図書館で見かけて1巻を読んでみて、そしたらまんまと6巻まで一気読みしちゃいました。
おもしろい。続きが気になるー!

榎田ユウリさんは昔から名前は知ってるんだけど、ちゃんと読んだことはないかも……
と思っていたけど、念のため既刊調べてみたら読んだことある作品ありました。
ヴァムピール・アリトスってこの人だったのか!
わー、懐かしい……


さて、アニメから入ったわけですが、やっぱり歌舞伎の舞台の部分はアニメで見た方が分かりやすくていいなって思いました。
衣装や動き、見得のかたちなんかは、文章で書いてあってもすぐにはイメージできないので映像で見た方がいいし、台詞回しも文字で読むよりも実際に抑揚がある方が聞いてて心地良い。なんていうか、歌舞伎の台詞って耳で聞く言葉として作られてるんだなって思いました。……舞台で演じる台詞だからってのもそうなんだけど、近代以前は黙読じゃなくて音読が基本みたいな話を聞いたことがあるのも関係あるのかもと思ったり。
一方で、それでも歌舞伎の台詞は江戸時代っぽいし語彙も難しいので、耳で聞くだけだと漢字に変換できないのもあった。だからその部分は小説で読んだ方が意味を理解できる。
変換できないっていえば、イオフィエルは「エ」じゃなくて音引き(ー)だと思ってました。ので地味にびっくり。
……まとめると、字幕付きでアニメを見るのが一番いいのかもしれない。

芝居以外の部分は文章の方が心情とかに言葉を費やせるので、その点は小説に軍配が上がるかな。
まあどっちが勝ちってわけでもなく、それぞれに良さがあるのですけど。
普段は不思議とアニメより小説の方が情報量が多い気がしてしまうんだけど、この作品は情報量の多さがそれぞれ別々のところにある感じがしました。

アニメは3巻ぐらいまでやるのかなー。今週やってたところが3巻の中盤ぐらいだったし。白浪五人男をアニメで見れるのを楽しみにしてます。
毛抜の、芳先輩も見たいんだけど、っていうかそれは小説でもまだ見れてないので、あの、早く続きが読みたいです。本当に。


ええと、小説の話に戻りますね。
アニメでやったところまではアニメで見たのを思い出しつつ、なるほどあのシーンではこう思ってたんだとか、クロの地の文を別のキャラが言ってたりとか、ハバネロアイスはアニメのオリジナルなんだとか、ちまちまとそういう発見がありつつ復習ぐらいの気分で読んでいたわけなのですが。
なんていうか、ストレスがなくて、どんどん話が展開していくし、さくさく読めて楽しい作品でした。3巻までは。
おやつ気分というか、ああライトノベルだなって。悪い意味ではなく。予定調和だってそれはそれでストレスフリーなんです。読んでてしんどくないのを欲するのは私が年をとったせいかもしれないけど。

うん。でも、4巻がめちゃくちゃしんどくて。
5巻、6巻になっても表面上にはそこまで出てこないものの、その問題は解決しないままでしんどいのは続いていて。
でもしんどいのは主人公たちに困難があるからで、物語を作るうえで苦難を乗り越えていくのはよくある展開で、3巻までだってトラブルはあったんだし。
大きく違うのは明確な悪意が介在することで、それがとてもしんどかったんです。
これは完全に私の個人的な傾向なんですけど、冤罪とか、嘘を吐いて人を陥れるのとかがどうしても苦手なんです。
だから渡子ちゃんがもう無理。
とはいえ、クロに絆されて改心してしまうのはなんか違うなと思うので、クロのことが嫌いで悪人ぶったままでいいから、嫌がらせはしないようになってほしいなと思ってます。

あとすごく思ったのは、キャラクターがいかにもよくあるキャラクター類型らしいんだけど、それだけじゃないのが良かったです。
その上で、「誰にだっていろいろある」というのをさらっと描写しているのがなおさら。
主人公のクロだって、私もこういううざいぐらいの熱意がある主人公キャラはそこまで好きではないんだけれども、たとえば家族構成とか過去とかがあるからこういう性格になったんだってのが読んでいると伝わってくるので、だから応援できる。それは同情かもしれないけど。
家庭の事情があるのは阿久津や、渡子ちゃんも同じで。
苦い過去がある人もいるし。
自分の立場や周囲からの目と、やりたいことの狭間で葛藤する人たちもいるし。
みんなそれなりに何か悩みを抱えていて、でもそれを殊更に深刻には書かないし、キャラクターが可哀そうぶったりもあまりしないのがなんだか良かったです。
いや、阿久津は可哀そうぶってたか。うん。
数馬や梨里先輩は、根源的な悩みが書かれてないけど、それでも悩んでないことはないんだろうなって思いました。
思春期って、自分が世界で一番不幸と思うことってあるじゃないですか。
この作品は、「誰にだっていろいろある」からといって、一つ一つの悩みが小さいことはないし、でも悩んでいるのが自分一人だけじゃないってことがシンプルに伝わってくるのが好きです。

キャラクターといえば、芳先輩や花満先輩のジェンダー的設定は、女役も男性が演じる歌舞伎を題材にしているからこそなんだろうなって。
安易なオカマキャラとかは好きじゃないんだけど、環境も物語上の要請もそうなるよねって納得があった。
芳先輩も、王子様を期待されたくないのも女役をしたいのも普通の女の子に戻りたいのも読んでいてけっこう胸に来たんですけど、まさかそこにフラグが立つとは思いませんでした。

好きなキャラは蛯原くんと唐臼くんです。
6巻で蛯原くんがクロと台詞の相談とかしてたところは、もう本当に、楽しかったです。三歩進んで二歩戻るくらいのツンデレぶりですけど、そこが良い。
部活に入ることはないのだろうし、完全にデレないでいいけど、一歩戻るぐらいになると楽しい。
うんやっぱり、周りの人みんなが主人公の熱意にほだされるみたいな話はあまりにも都合がよすぎる気がするので、いくらストレスなくなろうとも求めてないんですよね。
だって現実だってどうしても嫌いな人は嫌いだし。
それでも良い距離感を模索するものではないのか。みたいな。


あとちょっと気になったのは、歌舞伎の台詞とかでフォントを変えてるのが……。
これも個人的な好みだけど、台詞の性質とかをフォントを変えることで表現するのは、あんまり好きじゃないです。


どうでもいいところなんですけど、現代の高校生っていう設定だと、小さい頃にごっこ遊びしてたのはプリキュアになるんですね……。
地味にジェネレーションギャップが痛いです。
そうだよなあ、始まったの最近な気がしてたけど10年は経ってるんだもんね。

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