昨日は学校から帰ってすぐに寝ちゃって。
気付いたら朝7時すぎでした。
12時間睡眠って……。
そんなわけで珍しく早く目が覚めたんで、久しぶりにしゅごキャラを見てたんです。
新しいキャラなりしてたとか。
イクトかっこいいなとか。
いつの間にか卵が孵ってるとか。
イクトの言葉に照れる歌唄ちゃんが可愛いとか。
来週辺り最終回なんじゃないかなとか。
イクトかっこいいとか。
アルトって聞くとついあっちの人思い出しちゃうよねとか。
実はこっちでも同じ声優だったり……はしないだろうな。いくら親役と言っても。
なんてことを思いながら、月詠家に心奪われつつ見てました。
起きられたら来週も見てみよう。
それでそのうち空白を埋めよう。
膨大に出た連休課題から目を背けて読書の秋三昧の一日でした。
夏休みと同じくらいの量の課題が出たんじゃないの、って気がする。
本を読んでいるときに自分とか周りの人と同じ名前の登場人物が出てくるとドキッとする。
推理小説で被害者だったりするとちょっと気分悪くなる。いくら性格が違っていても。
実際そんな経験あるし。
だからといって今日読んだ本の中にそんな名前の登場人物がいたとも限らないのだけれど。
今日読んだ本。
「新選組魔道剣」
新撰組と妖なんて、私の好きなものの詰め合わせじゃん!と思って詠んでみたんだけど。
好きなもの同士の組み合わせと言っても、焼肉にキャラメルソースは美味しくならないわけで。
なんだかすっきりしない読了感。
みんな女に溺れすぎじゃないですか?でも男ってこんなもんなの?
沖田の出番が少なくて少し不満でした。でもその中でも優しい人として描かれていてホッとすると同時に切なくなりました。
やっぱり私は一番隊隊長が好きなんだなと再確認。
「光の箱」
途中まで、見事に別の人だと思ってた。
ハッピーエンドでよかった。
夢、というか。
叶えられてすごいなぁ。
「ここじゃない場所」
結局あの人たちはなんだったの?
最後、リナが普通の女の子みたいになっちゃったのがなんか…。
たしかにどんなに願っても普通を手に入れられない人もいるけれど。でも、逆で。普通じゃないことを望んでも普通でしかいられないのがリナだと思ったから。
「マリア様がみてる リトル ホラーズ」
『了』ってあったのに。
続きがあるのは全然大歓迎なのだけれども。
短編はよく分からない話だった。
短編の間の話はいい話だった。
「恋のドレスと舞踏会の青」
図書館で借りて読んでるからまだこの巻なのだけれど。
この人たちはこれからどうなるんだろう。
「王宮ロマンス革命 姫君は自由に恋する」
こういうお姫様好きです。
ただ護られてるだけじゃない、みたいな。
そんな人に『私が護ります』とか言っちゃうシチュエーションが好きです。
なんとなくファンタジーが読みたい気分で借りてみたけど、続き読みたいかな。
ところで私にとってのファンタジーは、剣と魔法と王族と妖怪です。
名前とか言い方が違ってても、そういう物がある世界の話ならファンタジー。
でも妖怪が出てくるけどファンタジーには思えない話もあるのですが。
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すいません。
少しだけ、昨日溜まった愚痴…というか私の主張を吐き出させてください。
学校だと、友達にはあまり言えないことだから。
昨日は学校で同和教育があったんです。
……私はそれについても、 『差別はダメ』と何度も何度も言うことが逆に差別になるのではないかとか思っちゃうんですけど、それは置いといて。
その歴史について学んだんですが。
古代の被差別民については律令制に基づき云々とあって、そこは別にそれでいいんです。
私が気になったのは中世。
まぁ内容についてはあまり触れません。
触れませんが、引用。
「現代に生きる私たちから見れば、全く無意味な話ですが、当時の人々は自分たちの理解の範囲を超えた制御できないもの、たとえば病、犯罪なども『ケガレ』と位置付けたのです」
……内容は、正しい。
他の部分に書かれていること、たとえば人の生死に関わることをケガレ――気枯れとしたってことも合ってる。
まぁ、気枯れとは一言も書いてなかったのだけれど。
でも論点はそこじゃない。
どうしてわざわざ「私たちから見れば全く無意味」なんて前置きつけたの?
そうだとしても、それが間違ってるなんてどうして分かるの?
私たちが『科学』を信じているように、当時の人たちは超自然的な力を知っていた。
なのに、今と違うからってどうして今が正しいみたいにして否定するの?
今の思想や習慣が正しいと言えるのは、私たちが今生きてるからでしょ。何千年後、もしかしたらその先の未来の人々は今の私たちが信じてる科学を否定してるかもしれないのに。
昔は今より劣っていると、どうして決め付けるの?
当時の人たちにはちゃんとしたルールがあって今から見れば奇妙に思えることも行っていた。今、それが奇妙に思えるのはそのルールが失われていったからで。中には押し付けられたものもあったかもしれないけれど、そんなの、ハロウィンもクリスマスもバレンタインも祝う現在の日本人とどう違うの?
今はもう居ないとしても、それは当時生きた彼らが信じた事実なのだから、敬意を払うのが先人への礼儀じゃないの?
『ケガレ』を信じていたのが主に貴族で、人間をその辺の草や動物のように思っていたとしても。
わざわざ「今とは違う」なんていわれなくても、そんなこと、分かってるよ。部落差別反対、というのならこんな資料よりも巷説のほうがずっと響いた。
べつにあの作品は声高に叫んでいるわけではないけれども。
又市も、おぎんも、治平も、小右衛門も、そっち側の存在で。実際に弾左衛門も出てきたし。
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