私立探偵沢崎のシリーズ2作目。
前作に引き続き、おもしろかったです。
あらすじ。
沢崎は一本の電話で呼び出され、少女誘拐事件の身代金受渡し役を引き受けることとなった。ところがアクシデントが起こり、犯人に渡す前に身代金の入ったスーツケースがなくなってしまう。
誘拐ものなので犯人の指示に従って動き回ったり、捜査シーンでも尾行をしたりと動きが多かったのもあって、1作目よりもさくさくと読み進められたし、おもしろくてあっという間に読み終わった。
タイトルから分かるとおり、少女が死ぬので、前作より事件の痛ましさが強かった。死体の損傷の描写もけっこう詳しかったし。それが必要なのは分かる。
とはいえ、死因も含めてどうしてもやるせなさがある。
タイトルの「私」は誰なんだろう。
読んでる間は沢崎だと思ってた(沢崎の一人称の小説だし)けど、真相を読んでからは犯人という可能性もあるかもと思った。
というか、「私」は複数いるのかもしれないと思った、という方が正しいのかも。
この物語に出てるあらゆる人が「私が殺した」と思っているみたいな。
捜査シーンを沢崎の行動を追って読んでいくのは楽しかったし、怪しそうな人をいろいろ調べてみても最後まで犯人の手がかりが掴めないのも、わくわくしたんだけど、最終的に沢崎がいつ何をきっかけに真犯人にたどり着いたのかがいまいち分からなかった。
真相そのものは意外で驚いたのだけど、意外だからこそ、その発想はどこから出てきたのか知りたくてやきもきしてしまう。
1作目も肝心なところで沢崎の推理の根拠が分からなくてもやもやしたから、なんかそういうシリーズなのかもしれない。
せっかく事件も捜査も真相もおもしろいのに、探偵の行動と思考を一人称で書いているのに、どうしてその推理にいたったかの手がかりがつかめないのが残念。
それを差し引いても、かなりおもしろい小説だったから、尚更残念だと思ってしまう。
もっとも、探偵の行動と思考を一人称で書いているからこそ、早い段階で気づかせてしまうと謎を解くわくわく感がなくなるっていうことなのかなとも思いますが。
違うタイプのミステリだとワトソン役の導入という発明でどうにかなっているけど、こういう作品は一人称だと隠すしかないからこうなるのかなと。
沢崎が中学生男子と行動していた取り合わせが微笑ましかった。
私はまだ中学生の感覚の方に近いので、中学3年生の描写にしては幼いように感じたんだけど、沢崎の目を通したらあのくらいが妥当なのかもと思いました。
たぶんそれなりに大人びた中3だとしても、40歳くらいで、酸いも甘いも苦いのもいろいろな経験を経てきた皮肉屋の沢崎には、実際以上に幼く見えているのかもしれない。
あと、沢崎の目を通した描写としては、目白署の面々と比較して、錦織ならもっとうまくやっただろうみたいなニュアンスの文章が時折あるのがちょっとおかしかった。
本当にこいつらは、信頼してないのに信用してるみたいな、本当に屈折している。良い。
橋爪も、沢崎のことを信用してる感じのあれが良かったです。
しかし橋爪はこの物語の上でどういう意味があったんだろう。事件にはぶっちゃけ関係ないじゃないですか。
沢崎のメンタルに影響を、たぶん多少は与えてるのだと思うのですが。
沢崎はタフな男だけど、本当に完全に完璧にそうなのではなくて、あくまでもタフであろうとしている人なんだと思います。うん、1作目の巻末のあれみたいだけど。そうでないといけないのではないかという問いかけを自分に対して持っているような。
メンタルが頑強なら、事務所の名前だって変えてるんじゃないかとも思う。
だから今回、自分の役割を果たせなかったことに自責の念を抱いて若干ぼろぼろになっているところがよかった。
そこに橋爪がああなって、らしくなく依頼を押しつけてくるから、余計にダメージを負って。
でも、そういう風に傷ついているところが、人間らしくて良いなあと思うんです。
あとラストの方の一瞬の邂逅!
テンション上がりました。
風景がスローモーションになって、走馬灯のように記憶がめぐるところが鮮やかで、読んでいて追体験したような感じになった。ドラマみたい。
その後の、話したいけど話せないという文章とか、最後にいつもと違う行動をしてみたりとか、その辺まで含めて心情を想像するととても熱い。
あれに心を動かされた程度には、かなりこの作品の登場人物たちに思い入れ強くなってるんだなと思った。
この物語中の時代は1980年代なので当然まだ携帯電話がないし、それはそういうものだと思うだけなんだけど。
捜査中にあるシーンで、テレフォンカード式の公衆電話が新しいものとして描かれていたのに衝撃を受けました。
携帯電話がなければ公衆電話を使うのは、私が子供の頃もそうだったし、コイン式の方が古くからあったのだろうという想像はできるけど、テレフォンカードが新しいものと認識されていた時代は想像の範囲外にあったというか。
なんというか、ジェネレーションギャップでした。
テレカが出てきたのがいつ頃かもよく知らなかったし。
ということはもしかして、作中に出てくる公衆電話機は緑色じゃないのかしら。
今回の巻末掌編は、沢崎が原尞を調査するという体の話だったんだけど、こういうの好きです。物語の外部が物語の中に組み込まれて、現実と物語が曖昧になる感じ。
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