えっ、ここで終わるの……。
っていうのが読後第一声でした。
いや、残りページ少ないとは思ってたんだけどさぁ。
何の前知識も持たずに読んだので、これが三部作の一作目?ということも、解説で初めて知ったぐらいで。
そもそも、たまたま出先で手持ちの本を読み終わっちゃって、同行者に借りて読み始めた(ら意外とおもしろかった)という経緯だったので。
とりあえず、ネタバレあるかもなので。
[0回]
つづきはこちら
《古代文字》の解読プロセスが、読んでいて楽しかった。言語学は興味あるけど全然知識ないので、こういうものなのかーくらいの感想だけれども。人間には全く読み解くことができない言語、想像しうることのできない知性の存在、ってすごくロマンだと思うし、SFだと思う。
でも火星はいくらなんでも大言壮語……じゃなくて、フィクション感のほうが強い感じになっちゃったな、って。
《神狩り》をしていく間に、仲間たち――宗や理亜や芳村老人が死んでいって、それでも目的に向かって進んでいく感じや、そこでの抑制された感情の描写なんかが、なんとなく最近読んだもののなかで『黄金を抱いて飛べ』を思い出した。どこがどうとはうまくいえないんだけど、雰囲気というか。
比較対象に出した『黄金を~』の方は、読みながらどうしてもなんでここまでして計画を実行しなきゃいけないのみたいな気持ちがぬぐえなかったけど、本作もわりと後半はそうだったんだけど、最後にそれに対する答えが示されたのがいいなって思います。
仲間たちが倒れても、意思を継ぐ者がいる限り戦いは終わらない、ってまぁ陳腐だけど状況としてすごくかっこいいような気がした。
主人公を説得した理亜の「《神》さえその上にいなければ、人間はもっと善良にももっと幸福にもなれるんだ、と考えたいの」「それでも、かれがいなかったらもしかしてと考えちゃうのよ」という台詞もあったけれども、基本的には性善説というか人間をプラスの方向に評価したいという考えが根底にあるのかもしれない。
あと読みながらすごく気になってたのが、ここでいう《神》って完全に一神教の神というかYHWHなんですよね。小説中の人称代名詞も、単数で「彼」だし。書き方的には、砂漠の宗教だけじゃなくて釈迦や孔子が啓示を受けた(という言葉が適切かわからないけど)のも同じ《神》らしいけれども。
この世界では多神教はどういう扱いなんだろう。神話好きとしての素朴な疑問。
言語があるなら複数いる可能性あるのでは?って思ったけど、撒き餌なだけだったらそんなこともなさそうだし。うーん、完全に無視されてるのかなぁ。それとも何か続巻とかであるのでしょうか。
あっ、もしかしたら火星の辺りに違和感あったのって、なんか神の意図がほかと違う気がしたからかも。
火星に警告の文章を書くのは、そしてそれが警告の意味をもつならば、それを人間が解読することが前提だけど、神はそれまでわりと解読しようとする人たちを邪魔していた気がするから。(それともそれはジャクスンだけなのか?)
結局あの言語が、実際に使われる言語なのかどうかということが気になっている。おびき出すためだけに作られたものではなく。
だから、もしかして火星の文字は他の神からのメッセージ……とか思う方が自分の中では整合性取れるし楽しい。
ところで、作中で特に何の注釈もなく大学闘争の話が出てきて、そこで初めてこれが70年代に書かれたものでその頃が舞台だったんだということがわかってちょっと驚いた。
特にいつというのを意識せずに読んでいたから、読んでいる今の現代(少なくとも2000年代とか)だと思ってたんですよね。40年ぐらい前の作品なのに、雰囲気とか文章とか全然古びないのがすごいなと思った。
いやまぁ、今も大学闘争あるのかもしれないけど。
完全に壮大なプロローグというか、闘いはこれから始まる感じなので、続きもぜひ読みたい。
PR
× Close