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2024/05/20 (Mon)

『隠された神々 古代信仰と陰陽五行』

思うところあって、このブログを本とか、そのほかの作品の感想をメインに書く場所にしていくつもりです。今までTwitterで書いていた読了記録をこちらに移行するイメージ。Twitterより簡便性には欠けるので、いつまで続くかは謎ですが(そうやって予防線張るのよくないね)

というわけで以下、吉野裕子著『隠された神々』の感想です。
フィクションではなく、かといって研究書というにもかっちりしてない人文系の本。こういうジャンルをなんていうのかあんまりよく知らないんですが。
河出の企画で、長野まゆみが紹介してたので気になって読んでみました。長野さんが紹介してたのは河出から復刊されてたやつだけど、図書館にあったのが人文書院から出てたやつなので、もしかしたら追記とかあると違うのかも。

ざっくりした感想は、
イメージは綺麗だし、大筋としては印象的に(あるいは感情的に)納得できるけれども、論証がそんなにはきっちりしていないので疑問とフラストレーションがたまっていく。「隠されているから表の記録には現れないんだ」って言われたらまぁそうなのかもとは思うけど。
小説(たとえばQEDシリーズ)とかでやるならともかく、そうでないならもっと論理的に納得いく説明がほしい。

あらすじ……というか、要旨になるんだろうか、この場合。
・古代日本では太陽の運行から類推した東西軸が神聖視されていた。神は東の常世から来て、西の他界へと去る。人の生死も同じ。その境界では穴(疑似母胎)に籠って出ることが必要。
・天武・持統期に東西軸の神聖視が南北軸の神聖視に取って代わられた。中国渡来の陰陽五行思想の影響。
・古墳とか宮・都の位置や時期は南北崇拝・陰陽五行思想によるもの。
・その頃整えられた伊勢神宮は、日本の古代思想と中国の哲学(太一陰陽五行思想)が集合したもの。内宮は太一(北極星)で外宮が北斗。

全体的に、特に前半は、「古代日本(人)」っていうけどそれは何時の何処の誰のこと?みたいな疑問が強かった。
古代日本って言っても、大和と日向と出雲と河内でもそれぞれ違う信仰を持っていたのだし。いわんや東北・北海道・沖縄をや。と、私は思っているのだけれども。
沖縄(たぶん現代に近い)の祭祀儀礼なんかを例にもってきて「古代信仰形態が今もなお残存する沖縄」みたいなことを書いているけど、古代(少なくとも7世紀より前)は、沖縄は日本ではなかったじゃん、って思ってしまう。沖縄は確かに古い祭祀儀礼を残しているだろうけれども、それが古代日本(たぶん大和あたり)のものと同じであるかは何も注釈ないよね?「太陽の洞窟」に関しては、まぁ天岩戸のイメージ重ねたいんだろうな……というのは思うけれど。
古代日本の信仰が残ってはいないから、近くで古い儀礼の残るところから類推しているというのならそれはよくあることなのでいいんだけれども、まるで「沖縄の御嶽・蒲葵が正統であって、本土の神社・神木の杉や松はその代用」みたいに書かれると、首をかしげる。似たような信仰を持っていてけれど細部は違うのだというなら構わない……と思うのは、私の中のナショナリズムの仕業なのでしょうか。

あと、初出が新書だからかもしれないけど傍証(ともいえない事例)を積み重ねるだけで論証としているのがすごく引っかかるし、私は素直なアホなので「~と考える」「~と思う」みたいな書き方されてると、ただの感覚的な連想や想像でしかないのかと思ってしまうところがある。
神社や都の位置や伝承を論拠に引用するときも、その妥当性の検証には特に触れていない(沖縄の例がたくさん出てくるのもこういうところがある)のも、それを書く時点で検証して使えるから出しているんだと思うんだけど、書かれていない部分は読者にはわからないので、本当にそう言えるの?って疑ってしまう。批判的な読み方以前の問題として。

文句ばっかりもあれなので、おもしろかった部分。
日本人は擬き・見立て好きというのはまぁ感覚としてはわかるし、祭りとかも天上の星の進行の地上での再現だってのはそれが本当かは別として美しいので好きです。
神事で巫女が神と交合して、自身が胎児の神となり母胎から現れるイメージとかも良い。

東―神界・西―人間界という構造が入れ子のようになっているという話はすごくおもしろくて、本州最長の東西の線が鹿島と出雲の間に引けて、だから鹿島の神であるタケミカヅチが出雲に国譲りの交渉に来たんだ、とか。
古代信仰の話で経緯線の話とかするの、フィクションの内部ならともかくわりと眉唾と思ってて引いてしまうんだけど、そこに繋げるのかって納得したので。

すごく納得したことはもう一つあって、鼠の神聖視が現実の動物の鼠ではなく、十二支の子、つまり陰陽五行思想での子=北(太極)・冬至・一陽来復が重要なポイントだっていう話。

ただ、日付や方位や時刻を表す十干十二支がどれだけ切実に信仰的に重要なものとしてとらえられていたのだろうというのは疑問。六曜だって仏滅とか大安とかいうけれども、その吉凶の意味は後付けであるわけだし。
なんか、私自身の考えとして、フィクションでのファンタジー的なものは好きだけれども、現実の歴史学においてそういったものを重視しすぎているものはあまり好きじゃないんだろうな。

高松塚については、位置はともかく、壁画の話は、星と女性群像の色についてだけでたとえばその顔の向きとか、あるいは男性群像については特に説明されてないので、伏線を使いきれていないということはその推理は間違っているのでは……という犯人当て脳。

伊勢神宮も別に太一と北斗が習合されているのはそうなのかもしれないとは思うんですが。
御被の屋形文・車文とかの話はそれっぽいし。
ただ、由貴/悠紀が輸璣で北斗で、豊受の名前も豊璣で北斗の神だってのはさすがにどうかと……。主基が次というのも適当な感じするし。とはいえ、由貴/悠紀が豊受/止由気からきている名前というのは何となくわかる。この辺は読んでてなんか仮定と結論がループしている気がした。
あと、悠紀・主基に播磨とか丹波が多いのは西北とかじゃなくて都から近くて経済規模というか収穫量が多いからみたいなもっと現実的な理由があったのではないか。

なんというか後半の話は、中国哲学との習合で祭りとかが以後あるようになったというなら、習合以前のかたちをある程度見せてほしかったという気持ちはちょっとある。
白鳳期は確かに古代だけど、伊勢信仰や天皇家の大嘗祭はその頃突然始まったのではなく、整えられただけだと思うので。より古い形態を知りたい。

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言いたいことを好き勝手に並べました。長くなってしまった…
暇なので思ったことを。
かなり論証部分についてシビアにみておられるようですが、理系の自分としては民俗学から着想を得た本など程度の差はあれどれも似たようなもんだろうと思ってしまいます。とにかく読者を説得してしまえば勝ちというか。読んでる本が悪いのかな。
沖縄について
民俗学者(なんですかね?)が海上の道的なお話(分類としてかなり強引だが)に固執するのは今に始まった話ではないでしょう?彼らのバイタリティに脱帽。タイやなんかには普通の村落に鳥居のような門があり、鰹木や千木を乗せた家があると聞きますし(照葉樹林文化圏的な文脈中にみられたので眉唾ですが)、かなり文化的な影響を受けているのではないかと思いたくなる気持ちもわかります。自分はよく知らないのですが、遺伝的に縄文人と南洋人のつながりが否定された後も、文化的なつながりは存在するという考え方が一般的なのでしょうか。

中国の陰陽五行思想
といいますが、作中ではそれをどのようなものとしてとらえているのでしょうか。五行思想は関連の無いように見えること、ものの間に関係性を無理やり見つけるための学問という印象があるので、それを使って物事を関連付け、そこから一般則を導くには大変な自重と冷静な判断を必要とするように思えます。その辺はどのように意識されているのでしょうか。気になるところです。

古墳
の前後軸の方向や配置には東西南北などの影響がうかがえない、という話を小耳にはさんだことがありますが、古墳に南北崇拝がみられるとする論拠としては何をあげられているのでしょうか。



面白そうな本ですね。ただ、読もうという気にはあまりなりません(笑)
今、魔の系譜を読んでいて、ああ、民俗学端の本ってこんな感じだったな、というのを久々に思い出していたところです。面白いが疲れる。いやぁ、やはり知らない文献から都合のいい部分だけを引かれて、だから僕は古代人はこういう性向を持っていると考えるんです。と言われてもなぁ。丸山眞夫の政治思想史みたいに、近世近代のメジャーな人々をあつかっているなら、現代人である我々の想像で補ってもそう的外れにならないと錯覚できるけれども。山の民とか隠れキリシタンなんかだと、奴らが一体何を考えていたのかなんてとんと想像できる気がしませんよ。そこにつけ込まれている気がするので、つい緊張した読書になりがちです。まぁものがちょっと古いってのもあるんでしょうが。

あー、一年ぐらい前から中国の歴史について、本をとろとろ読んでいるんですが、大嘗祭という穀物神を諸侯?が祭る行いは、中国では春秋時代から見られたようです。これは初めて見たときちょっと泣きそうになりました。日本がまだ縄文時代である東周期にすでに、天皇の核心的な働きとされるものがほぼそのままの形でみられるなんて、と、、、
日本とは何かを知りたくていろいろと読んでいたはずなのに、かえってよく分からなくなってしまった気分です。。
日本における同様な、しかし発生的には異なる祭りにこの漢字があてはめられただけかもしれませんが(僕自身はその可能性は極めて低いと思います)。

まぁ系統樹の根ではなく、その分化、発達の過程に目を向けなさいということなんでしょうが。

日本の独自性(いい言葉が見つからない)とは何なのでしょうかね。


七年も住んでいると、こんな話をできる人も周りから消えちまいますね。
調子に乗っていろいろ書きましたが、ほとんど自分のことですね。どうしようもねぇなこいつは(笑)。
あばばばば。
ばなな 2016/08/21(Sun)04:34:54 edit
Re:
コメントありがとうございます。そういえばこういう機能もあったんですね……。想定してなかったので、驚きました。
先輩の話を聞くと、自分の勉強不足が浮き彫りになってしまうようで恥ずかしいです。NFにはいく予定ですので、またお話し聞かせてください。

論証について
なんとなく、日本史の本のイメージで読み始めてしまったので余計にシビアに見てしまったのだろうなぁという気がしています。そこまで正しさというのを気にすることなかったのかも、というのは反省点ではあります。

沖縄について
そうですね、確かによくあることでした。今思うとやっぱり、気になったのは自分の中の自文化中心主義のせいというか沖縄が主でその仮として日本の文化があるみたいな書き方にいらいらしていたのかもしれないです。

陰陽五行思想
陰陽五行思想というよりも、さらにそれを発展させた易といったほうが正しかったです。
方角や時期や色と意味を対応させて云々みたいな。(今手元に本がないのであいまいですみません)でも都合いいところだけ抜き出している印象だったので……。

古墳について
これも、手元に本がないので論拠をあまりよく覚えていないです。すみません。
子の日、子の刻にこだわった埋葬記事や、天武・持統の大内陵が藤原京の真南にあることとかが書いてあった気がしますが、南北崇拝を前提として論じていたような気もしないでもない。

大嘗祭について
中国ではそんな古くからあったんですね。さすが、進んでる……。
そういうのを思うと、古態なんてないのかもしれない……という気分になります。
岡田精司『古代王権の祭祀と神話』という本が、民俗学というよりは日本史の文脈ではありますが大嘗祭について農耕儀礼と服属儀礼が合わさったものと書いていて、わりと面白かったような覚えがあります。

>やはり知らない文献から都合のいい部分だけを引かれて、だから僕は古代人はこういう性向を持っていると考えるんです。と言われてもなぁ。
というのにはもう全面的に同意です。
本当に、そんな本が多くて、民俗学の本は面白いけど読むのに時間がかかってしまいます。
2016/08/24 23:57