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2024/05/19 (Sun)

『盤上の夜』

……すごい小説でした。
理解したというよりは表層をなぞっただけのような読み方で、書かれていることもその先にあるものもよく分かってはいないけど、よく分からないからこそ、これは何かすごいものなのではないかと思う、そんな小説でした。

囲碁、チェッカー、麻雀、将棋といった盤上ゲームをめぐる6つの短編。
ゲームの対戦やそれに関わる人間模様はもちろん描かれるのだけれど、この本の主題はそこにはなく、もっと根源的な問いであると感じました。すなわち、ゲームとは何か。

だからか、私は全然ゲームに疎い人間なのにそこまで苦戦せずに読めました。
この短編集に出てくるゲームでいえば、せいぜい将棋のコマの動かし方を知っているぐらいで、囲碁も麻雀もルールを知りません。チャトランガは言うに及ばず。
そんなわけで、対戦・対局中の展開はあまり分からなくて半分読み飛ばしていたぐらい。でも何が起きてるか分からなくても、たぶんここでゲーム的に盛り上がってるんだろうなというのは想像できるので、なんとなく。
もちろん、分かった方がよりおもしろいんだろうなとは思いましたが。
なんていうか、たぶんそこはこの短編集の主題ではないんですよね。
だからゲームのルールを知らなくても楽しめる。


これもSFなのかという驚きもありました。
通常SFといって想像するような宇宙や機械や科学技術はほとんど出てこない。
作中の世界はたぶん現在よりは未来で、脳波で動く義肢や故人の意識を再現するプログラムや量子コンピュータが実用化されている。そういうものはSFっぽいけど、でもそれも背景でしかなくて。
定義論ができるほどSFに詳しいわけでもないので、「だからこれはSFじゃない」と言うつもりは全くありません。むしろ逆で、SF的なガジェットがなくてもSFでありうるなら、SFの地平はどこまでのびているんだろうという感動。

神についての問いに行き着くのも私はSFっぽいと思うのです。
というより、今まで読んできたものから分析すると、おもしろいSFって神や哲学をテーマにしているものが多い印象で。……たぶん、読んできたものが偏っているというのもあるのでしょうが。
科学を突き詰めると、信仰に行き着くのでしょうか。そもそも科学も神が造った世界の在り方を知るために始まったものですし。



この『盤上の夜』という短編集は一応同じ人物を語り手とした連作短編で、テーマ的にも緩やかにつながっているのだけれども、それぞれの物語は完全に独立していて、『ヨハネスブルグの天使たち』もこんな感じの連作の並べ方だったなぁと思い出しました。
「千年の虚空」で「我は死なり」というオッペンハイマーの言葉を引いた次の短編が「原爆の局」だったり。一方で元ネタのバガヴァット・ギーター的には5世紀インドの「象を飛ばした王子」と関連があるような。

同じ人物が語り手と言っても、彼は無色透明な存在でパーソナリティは特に明かされない。最終話では彼の気持ちも描かれるし、読んできているとそれに感情移入できるけれども、彼がどういう人物かも名前も分からない。ただ、ジャーナリストとしてだけ。
その役割については冲方丁が解説で書いているのであえて繰り返しませんが。
私が思ったのは、この短編集のそれぞれの作品はそのジャーナリストの取材メモ的なものなのだろうかということです。完成稿ではなく、取材中のジャーナリストをただ視点人物とした三人称の物語でもなく。「象を飛ばした王子」は完成稿かもしれないし、「原爆の局」はジャーナリストを視点人物とした三人称小説かもしれませんが。
取材メモ的なものというのはつまり、このジャーナリスト自身が書いたもので、ただし読み手は想定されていない。判明した事実とそれを追った経緯とインタビュー内容ともともとある情報との並べ方が混然としているのがそんな気がしました。

あと、一編一編についている英題がかっこよくて深い。
どういう意味かなと考えてみるけど、なかなかこれだという解にはたどり着けないのですが。
雰囲気で、かっこいい。


さて、個々の短編の感想。
「盤上の夜」
四肢を失い、碁盤を感覚器とするようになった女流棋士と、彼女をサポートする男性棋士の話。
この本がどういう本かということも分からないまま読み始め、囲碁のルールも知らないので、おもしろいよりも先に分からないが来た。
時系列がかなり飛ぶので、由宇がいなくなったのがいつで、書かれている現在はそこから何年後で、ということも分かりにくかった。
過去の話、由宇に関する相田の話は興味深かった。強くなるために、感覚を精密にするために、外国語を学ぶという飛躍がおもしろい。
ラストは爽やかな雰囲気で好きです。

「人間の王」
かつてチェッカーで無敗を誇ったチャンピオンが、機械に負け、そのプログラムは後に完全解を発見してしまう。
語り手は誰か、ということが謎めいてて興味をひかれる。
人間の王ティンズリーが「自分という存在のプログラマは神だ」というのはすごくかっこいい。
「彼」ではないこのインタビュイーのプログラマはそうではないから、その言葉を言えないのだろうか。
これも最後の台詞がとても良かったです。
完全解が発見され、機械に敗れ、それでも「わたし」が勝つと言うことにやはり業のようなものを見ると同時に、過去の言葉を引用していることで人格の一貫性が感じられるのが良い。
彼と戦って、このインタビュイーが勝つとしたら、それは、「誰」が勝ったことになるのだろうか。

「清められた卓」
歴史から抹消された麻雀タイトル戦についての物語。
これは最後の伏線回収というか謎解きというか、彼女の目的というかがすごくて鳥肌が立った。
その事実自体もすごいのだけれども、見せ方がミステリっぽくて好き。
どういうシステムでそれが為せるのだろう……。
ただこの作品が一番、対局の展開を追う話だったので、用語も分からず何が起こっているのやら……という感じが強かった。

「象を飛ばした王子」
将棋やチェスの起源と考えられる古代インドの盤上遊戯、チャトランガの誕生の物語。
この話が一番好きです。
いや、うん。私の好みとして宗教のものが好きなのと、実は歴史上のこのエピソードだったんですみたいな話がとても好きなのが大きいとは思いますが。
仏伝はあまり詳しくないので、この話がどこまでが史料を踏まえたもので、どこからが宮内さんオリジナルなのかの峻別はできないのですが、こういうことが本当にあったかもしれないと夢想できるリアリティがありました。
あとラーフラ・エクリプス・天然痘のイメージの連鎖が美しい。そのイメージが増殖していくゲームにも展開していくのも、その名が悪魔にすり替わっていくのも。すごく好き。
そして218ページ後ろから2行目の台詞!めちゃくちゃ本質を表していて、これを書ける才能にただ感嘆する。

「千年の虚空」
政治家と将棋棋士の兄弟と、二人と共にいた一人の女性の話。解説の言葉を借りれば「『人生の再生と、ゲームの終焉』を願う物語」
逆にこの話は苦手です。
退廃的な関係性になんとなく嫌悪感があったのと、「ゲームを殺すゲーム」「暴力の終焉」という言葉の具体的な内容がよく分からなかったのと、誰も成し遂げていないから三人が何をやりたかったのかも分からなくて、ほかの短編にあった爽やかな雰囲気がなく苦みだけがあるので。
なにより、歴史が好きな私は「量子歴史学」というものに反発してしまう気持ちがある。
その結果はおもしろいと思うんだけれども、現実や自分に引き写して考えると拒否したくなる。結局機械がなくとも、現実として個々人が好きな歴史を選んでいるようなところは実際にあるわけで。
一つ前の短編で「戦争をやめさせるために」チャトランガを献上したのに対して、この短編では暴力の終焉をめざして将棋を突き詰めているのがおもしろいとは思いますが。

「原爆の局」
一話目で登場した相田と由宇の行方を追って、ジャーナリストはアメリカへ向かう。相田と由宇は1945年8月6日の広島で打たれていた〈原爆の局〉の棋譜を、ホワイトサンズ砂漠で再現していた。
由宇と井上の対局を見ていたジャーナリストの「現実の底が抜けた」後の散文的な箇条書き的な描写、これまでの4つの短編の断片や人類の営為を幻視する文章がとても良かったです。
それぞれの文章に元ネタはあるのだろうか。あるならば、それを知りたい。
原爆をテーマにしていることもあり、このテキストを追いながら私は柳広司『新世界』の第16章を想起していました。……『新世界』は私にとって強烈な印象を植え付けた本なので、原爆や戦争関係の物事について読むとすぐに思い出してしまう。
ともかく、ここの316~319ページの文章はこれ自体に意味がある文章というだけではなく、関連する何かを思い出させて意味を広げるような効果を意図している文章なのでは、とまで思ってしまった。
潜水というイメージは一方で、3月のライオンにそんなシーンがあったことを思い出す。囲碁も将棋も深く潜っていくところは同じなのかもしれないと納得したのですが、詳しい人からすると全然違うと言われてしまうのかも。
これもどこまでが実際にあったことでどこからが創作なのか、その継ぎ目が分からない作品でした。
だから、きっとこれは実際にあっただろうことで変えられない過去なのだと思っていても、広島に留まった関係者のことを考えると切なくなる。

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