すごく良かったです!
ブラッドベリは『華氏451度』だけ読んだことがあって、それはそこまで合わなかったんだけれども、『火星年代記』はすごく好きです。
なんだろう、「おもしろかった」というよりも「良い」とか「好き」という言葉で語りたい。
短編をひとつ読み終わって「すごく良いなぁ」という余韻にひたりながら次の短編を読むと、そっちも同じくらいに素敵、ってのが続いていく一冊でした。
あらすじはうまく説明できないんだけれども、1999年の冬から始まる、人類の火星への植民の物語。それぞれ独立した短編が断片となって、緩やかにひとつの長編を織りなしている。
はじめの頃、地球人の探検隊は火星人にほろぼされた。それでも地球人は何度も挑戦し、ついには火星を植民地とした。火星には地球の社会そのものが持ち込まれた。一方、地球では核戦争が始まった……。
みたいな感じ。
SF小説で、詩的な文章や幻想があるから小説として完成しているけれども、この作品で一番大事なのって文明批判なんですよね。
火星への植民の話だけれども、そこで起きていることは結局、地球上で現実に起きていたことを映したものにすぎないというか。
すべての描写は、物語は、現実の社会への警句になっている。
そういうところが良い、もっとこの問題について考えなくてはと感じる反面、小説が手段でしかないようにも思えてしまって、少しがっかりしてしまう。
批判されている文明や社会は、1950年に書かれた頃の予想しうる最悪の未来のひとつなんだろうと思いますが、作中の未来の年代を越えた今でも、状況は良くなっていなくて、むしろ後戻りしているんではないかというところがあり、このままでいいのか、と思う。
でも確実に当時よりも改善されているところはあるはずだから、どうか、この結末のような未来が現実には来ないように、我々はしていかなければならない。
核戦争による世界の終焉や、科学技術の進みに倫理や精神が追いついていない人類なんていうモチーフは使い古されたものだし、現在ではリアリティも薄くなっていると思うんですよね。冷戦時代なんかに比べたら。
でも、そういったことはかたちを変えて現在の現実社会にもあるんだろう。
SFの描く未来って、現実を反映していることが多いのではないかと思っているので、たとえば現代作家が『火星年代記』を書いたら、こういう風にはならないんだろうなぁ。
各短編について。
「空のあなたの道へ」はアメリカの黒人差別ってこんなに……なんていうか、根付いていたものなのかと吃驚した。勉強も想像力も不足していて恥ずかしいのだけれども、情報としては知っていても、実感としては知らなかったというか。戦後になってもこういうものが書かれる前提になるほどだったのか。
普通に好きな短編は「第三探検隊」「夜の邂逅」あたりです。
「第三探検隊」はブラックな感じでおもしろいし、「夜の邂逅」は二つの時間が交差する話なのだけれども神秘的で美しくて、ブラッドベリの文体と調和していて好き。
「地球の人々」も、星新一のショートショートにありそうな感じで、おもしろかったです。
短編の時代が下るにしたがってだんだん文明批判の色が強くなっていくので、純粋に好きとかおもしろいだけではなくて、少し読んでいて苦しくなっていくので、おおむね中盤ぐらいまでの短編の方が好きでした。
物語全体としては、後半も良いのですが。
「第二のアッシャー邸」は、もうちょっとポーを読んでいたらもっと楽しめたんだろうな。大ザルに殺されて煙突に突っ込まれたところとかは、わかったので笑えた。
あとこの世界でも焚書があったのか、と。
この作家の場合、そのモチーフを好んでいたというよりも、おそれていたのかなあと思います。なんとなく。私も嫌だ。
好きとは言い切れないのだけれども、どうしても心に残るのが「月は今でも明るいが」
個々の短編ではなくて『火星年代記』全体としてもこれが要というか、キーになっている気がします。
私自身、歴史と物語が好きだからスペンダーの考えに共感する。けれども、そのやり方には賛同できない。もう二度と元には戻せないものを壊すという点では、文化財の破壊も殺人も同じだから。
短編小説としても、作者の主張がつよすぎて少し身構えてしまうので、好きとは言い切れない。
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