連城三紀彦の書簡小説。
学生時代の先輩後輩で二十年以上姉妹のように信頼し合ってきた二人の女性が、夫の死を機に文通を始めるが、愛憎をぶつけていく……という話。
手紙には巧みに嘘が織り込まれ、文通が続くにつれて意外な局面が浮かび上がってくるのがおもしろいのだろうとは思うのですが。
私はあまり好きではなかったです。
まず、不倫をする人間が好きになれない。
この時点でマイナス1000ポイントぐらいになり、登場人物に何も共感できないため読んでてイラッとしてきて、小説自体への評価も辛くなってしまったんだろうと思います。
あと、表面上は仲良くしているけど内心では憎悪しあっている人たちを見るのも苦手なので……。
その2点で、なんでこれを読んでしまったんだろうという感じです。
小説の良し悪し以前に、設定との相性がめちゃくちゃ悪かった。
文通をしている女性たちは嘘つきなので、手紙の中には「私は嘘をついています」という言葉や、「嘘!」という告発がたびたびある。
けど、何が嘘で何が事実かの弁別は、読者には一切できないんですよね。
そこのところも私は少し好みではなかったです。
手紙のやりとりでしか物語の推移を追えないので、手紙の書き手の読み取らせたいようにしか起こったことを把握するしかないという理屈はわかるし、その点では巧く出来ているのかもしれないとも思う。
たとえばこれが、丹念に記述を見ていけば矛盾点が見つかり、明らかに嘘を言っていると読者にも判断できるのであれば、ここまでストレスはたまらなかったんだろうと思います。
この小説の中で、手紙の記述を嘘だと判断する根拠は、登場人物たちの過去や性格や関係性にしかない。手紙のやりとりをしている彼女たちだからこそ、互いの嘘を嘘だと知れて、告発できる。
でも読者は過去も性格も何もかも、嘘つきな語り手たちの言葉からしか推測できないので、どこまでも疑えてしまう。
もしかしたら、その「嘘」という言葉自体が嘘かもしれない。最後の手紙に書いてあった「真相」だって嘘で、物語には書かれていないけれども文通は続くのかもしれない。……でも私は永遠に続く感情のぶつけあいを、読みたいわけではないんだ。
べつに、彼女たちが手紙に嘘を書いていること自体が苦手と思ったわけではないです。
自分を騙したいがために嘘をついて、人をも騙そうとするその感情は、私にも覚えがないわけじゃない。
登場人物たちがしていることにも、していると思わせたかったことにも、何一つ共感や感情移入できないし好きじゃないけど。具体的なことを削ぎ落として感情の根源に迫れば、理解できる。
うーん。ミステリと思って読んだのが悪かったのかもしれません。
確かに、「綾子の手紙」の六通目の最期の一行ではテンションが上がりました。
連城さんだからそういうことをどこかでしかけてくるんだろう、とは思っていたものの、やっぱりゾクゾクする。
特に何かが起こっているわけでもないのに、一冊の中で見え方がどんどん変わっていくところも、巧いと思う。
ただ、書簡小説で書き手が複数人いるはずなのに、誰が書いてても同じという感はあった。正直なところ、文体がずっと変わらないように感じました。
二重写しのような彼女たちのあり方が、文章に反映されているのかもしれないですが。意図的であれ、単調な気がした。
文章自体は美しいのだけれども。
内容が気に入らないせいも多々あるのだろうけど、大げさな言葉で自分に酔っているだけの馬鹿な女たち、という印象をこの少し古風な人工的で美しい文体が増幅しているように思えました。
……もしかすると、そこまで効果を考えて緻密に組まれた物語かもしれない。だとしたら本当にすごいと思います。
あまりに登場人物の語りがうざすぎて、この作家は女性が嫌いなのだろうか、ということまで考えた。
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