というわけで、別荘の周りをゾンビに取り囲まれてクローズドサークル!という設定がもう楽しいですよね。
私はほとんど映画を見ないので、ゾンビに思い入れとかは特にないんですけど、外部との連絡が不可能なのと一歩間違えればみんな死にかねないぎりぎりの極限状態なのが良かった。
そしてそんな状況でなぜ殺人事件が起きたのかという謎の設定も興味をひかれる。
文章のノリが軽いのでこんな状況なのに深刻になりすぎず、かと言ってマンガっぽすぎずにリアリティはあるくらいのバランス感覚が上手いなと思いました。
ゾンビが出てくる時点でリアリティも何もないですけど(笑)
登場人物もわりと、キャラっぽいわりに実際にこういう大学生いそうで人間味があって、それだから最後に明かされた犯人の動機が薄っぺらくならずに響いてきたような気がします。
その一方でヒロインがなんていうかすごくキャラでしかない感じがした。
たぶん作者はヒロインに思い入れがあるのだと思うんだけど、そのせいで設定盛りすぎててリアリティレベルが一人だけ違う。
体質の話も、行く先々で事件に巻き込まれる「名探偵の業」のようなものをそう言っているんだと思うけど、嘘っぽく聞こえてしまう。
いや、これは私が単にヒロインのこと嫌いだから一から十まで気に入らないだけなのかもしれないですが。
物語としておさまりがいいのはわかるけど、どうしても「この泥棒猫!」という感情を抱いてしまう。
助手がほしいなら自前で調達しろよ、人のもの奪おうとするなよ、って。
この主人公が良かったのではなくて、ワトソン役をやってる人が身近にいたから誰でもよかっただけなんじゃないかとも穿ってしまう。
ゾンビに対処しようとするときに、基本的には映画に出てくるゾンビを想定して考えているところで、読みながら本当にそれでいいのって思った。
作中のゾンビの設定が映画由来のものだとしても、登場人物がそれに疑問をもたないことに違和感。
ゾンビは人間や社会を反映するってのも、それはあくまでゾンビの出てくる物語だからそうなのであって、ゾンビ自体にそういう要素があるわけじゃないと思うんだけど……。
私は小説を読むときに、基本的には物語の中の登場人物は物語の中だけが世界でそこを現実と思って生きているものとして読むんです。
登場人物が現実に生きていると思うと別に普通なんだけど、作者が書いていると思うとどうも気持ち悪いなって感じる部分がありました。
登場人物の名前の語呂合わせを始めるシーン。
知らない人だらけの集まりに行ったときに特徴と名前を関連付けて覚えようとするのは、そこまですごく不自然ではないと思う。けど、それだけじゃなくてこれは推理小説なので、その先の話をスムーズに進められるように挿入されたシーンだというふうにも感じてしまって、その意図はなんとなく居心地が悪い。
見たくない舞台裏が見えてしまう感じというか。
他のキャラクター名前と性質が結びついているとしたら、主人公やヒロインもそうなのだろうか。
明智恭介は名探偵を体現したかのような名前だけど。
ヒルコは生まれることができなかったものだから、死ねなかった死体に対抗できるのかなという妄想をしてみたり。とはいえ、子供にそんな名前をつける親の気がしれない。
これは伏線っぽいなと感じる文章が多いわりに、別にそう感じた部分が謎解きに使われたわけでもなかったのが不思議だった。
本当に伏線になっていた、たとえばあの人の靴のことだとか、扉の隙間から目を合わせたとかはすごく自然だったのでなおさら。
部屋や建物の構造を説明する文章が長くてたどたどしかったから、伏線っぽいなと思ったような気がする。
ところで、初っ端からかなりミステリに関する話題が書かれていて、楽しいと同時に若干辟易しました。
ミステリはジャンルへの自己言及性が強いジャンルだとはいえ、ここまでとは、って。
あとそういうのって名前を明らかに出すのは物故作家の作品だけかと勝手に思っていたので「綾辻行人の館シリーズ」というワードが出てきたのには驚いた。
PR
× Close