恥ずかしながら、ルパンものをはじめてまともに読みました。
敢えて避けていたというよりも、古い小説や翻訳ものに苦手意識があるので、積極的に読む気にならないまま四半世紀近く生きてきてしまった感じです。
今年の目標は「名著を読む」なので、そういう本を潰していきたい。
いや、たぶん小学生のころ、世界の○○な話みたいなアンソロジーとか何かで抄訳を一話ぐらい読んだことがあると思うのですがほとんど記憶に残っておらず……。
そんなわけで、ルパン盗んでないじゃん!ってのにびっくりしました。
すり替えたりはしてるけど、怪盗というよりも探偵の役割でしたね。
あと、この一冊で連作になっている短編集、八つの事件でひとまとまりの物語だったのかというのも意外に感じました。
ただやっぱり、古い文章や翻訳ものは苦手だなという感想が先立ってしまいます。
読んだのが、たまたま手元にあった新潮文庫の堀口大學訳だったからなおさらかもしれません。
言葉の意味はわかるけど、それが含意してることはよく分からないみたいな。「お友達」という呼びかけはmon amiなんだろうな。ポアロがよく言ってるやつ。
そんな風に、訳文からさらに自分語とでもいうものに翻訳しつつ呼んでいました。
そういう意味では自分のレベル的に児童向けで読んでおけばもっと楽しめたかも……という気もします。
でも中盤からは文章にも慣れて、それなりに楽しく読んでました。
推理小説よりもむしろ恋愛小説的なものとして受容していたような気がします。
特に、「斧をもつ貴婦人」辺りから楽しくなってきた。
やっぱり危機が自分に切迫すると見えてくるものってありますよね。
そもそも訳文の言い回しがまわりくどいので、オルタンスとレニーヌの関係が恋愛なのか単なる火遊びなのかを受けとりかねていたのですが、地の文でも言ってたけどここにきて初めて恋愛だったのかとわかった。そこからはそう思って読むととてもにやにやしました。
にやにやしつつ一方では、でもこいつどうせ相手が振り向いたら捨てるんだろうみたいな謂れない厳しい視線で見てハラハラしてました。結局この本ではそんなことなくて安心した。
いや、ルパンって特定の人と添い遂げるようなタイプじゃないだろうって思ってたので。
ミステリとしては、意外と単純素朴というか、物理的証拠もないし、手がかりや推理なんかも今の目からみると論理性に欠ける気がしました。カマをかけただけみたいなことも結構多いし、犯人側ももうちょっと言い逃れられるんじゃないのって気もする。
以前ホームズを改めて読んだときにもそういうことを感じたので、当時のミステリはそういうものだったのかな。
「映画の啓示」なんて、レニーヌが映画を見て映画の役柄が単なる役柄以上で現実にも同じ事件が起こるかもと推測するのですが、ただの思い込みじゃないのって思った。結果的には推理どおりというかある意味では斜め上だったけど、どうにもご都合主義を感じてしまう。
一話目の「塔のてっぺんで」はまだこの作品や文章に慣れていなかったこともあり、何が起こっているのかあまりわからなかった。20年間閉ざされていた屋敷に入ると時計が鳴るという道具立ては雰囲気があって好みなのですが。
「水瓶」のトリックは好きでした。他の短編でも同じトリックのものを読んだことあるのですが、この手のやつは好きです。最近だとむしろこういうの書けなさそう。
「テレーズとジェルメーヌ」や「雪の上の足跡」も、トリックという意味ではよくあるものな気がするけど、それをこの時代に書いたのはすごいのかなぁと思う。
「ジャン=ルイの場合」は大岡裁きっぽい。二人の母親がいる青年の話。あとがきで堀口大學が言っていたように取り立ててトリックはないけど、シチュエーションが喜劇的なので読んでて楽しかった。
「マーキュリー骨董店」タイトルが美しい。オルタンス自身が冒険をするのは、教会の老婆とか十中八九仕込みだろうなと思って読みつつ、彼女はそれでも楽しんだんだろうなと微笑ましい気持ちにもなった。この作品でようやく泥棒っぽいことしてましたね。
止め金の隠し場所を明かさせるのは、なんとなくボヘミアの醜聞を思い出しました。精神的に動揺させて手がかりを引き出すところが。
ラストはときめきました。良いですね。
でもどうせ他の話ではヒロインは変わるんだろうと思うとロマンスに陶酔しきれない。
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