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2024/03/29 (Fri)

『ドゥームズデイ・ブック』

『犬は勘定に入れません』が抱腹絶倒のコメディだったから軽い気持ちで読みはじめたんだけれども。
タイトルが示唆しているので予想はしていたつもりだったんだけども、こんなに体力が必要な小説だとは思わなかった。

途中まで何が起こっているのかがわからなくて、というよりも何が起こる話なのかがわからなくて、なかなか先を読む気になれなくて。だって「なにかがおかしい」という言葉だけ残して技術者が倒れちゃうんだもん。おかしいのが降下のことなのか体調のことなのかもわからないまま昏睡と譫妄を行き来し、伝染病が流行していったわけで。
現代と過去どちらに軸足をおいて読むべきかよくわからなかったんですよね。
一方で第三部に入ってからは、しんどいんだけど何の話かははっきりしているからどんどんページをめくっていけたんだけれども。
でもつらい!
次々に人は倒れていくし、手の施しようがなく死んでいく絶望感。時代人たちに愛着を抱かせてからこの展開にする作者は鬼畜ではないか。
流行のタイミングが現在と過去でずれているのも、そのせいで読んでいる間中ずっと伝染病で人が死んでいくのでつらい。
読んでいて思い知ったのが、黒死病が殺したのは黒死病に罹患した人だけではなかったということ。
もちろん魔女裁判的なことは知識としてあったけれども、それだけじゃなくて、看病疲れからの別の病気とか、パンデミックを目の当たりにして追い詰められて狂気のなか自殺するとか、そういうことも当然ありえたんだと思い知った。これは小説だから事実ではないにしても、似たようなことが起こっていただろうと推測しうる。

それでも最後は救いがある話なので良かった。
鐘の音や雪景色の清浄さに病の穢れが浄化されていくように思えた。
ローシュとキブリンの関係もまた良いですよね。恋愛では絶対にないけど、強い愛だった。パンデミックの極限状況で、吊橋効果のようなものもあったかもしれないけれども、そんな状況でも人と人が関係を結びうることは尊い。

同じくらいの時代が舞台のSFでも『異星人の郷』とは違って、文章には軽みがあるんだけど、主人公のキブリンを通して読者も中世を生きている感じがするので、起きていることが実感としてのしかかっている感じ。
両方の物語に共通してるのは、歴史学は事実を知り得ないという考えかな。史料から読み取れることと実質に起こっていたこととの距離は大きい。
でもまあ謎の異星人より21世紀の女の子のほうが感情移入しやすいし、時代人とも心を通わせやすかったよね。(異星人の郷は、だからこその異文化理解というか理解しきれなくても交流が成り立つことが素晴らしかったのですがそれはともかく)
その時代に居合わせる辛さというのは、自分が死にかねないことではなく、親しい人がいなくなっていく絶望であるということ。そして先を知ってしまっていること。「絶望とは未来を知る人が陥るもの」というのは私の好きなGRANRODEOの歌の歌詞なのですが、まさにその未来を知るがゆえの絶望ですよね。この場合。

でも未来を知っているから希望もあるわけで。
オックスフォードでこんなに伝染病が猛威を振るって、人がたくさん死んでいても、3年後にはコヴェントリー大聖堂を再建するまでに復興してるんだ。と知っているのは救いになる。

ところでこの話において、ダンワージー先生は神なんですね。YHWH。キブリンもダンワージー自身も比喩として使っているとおり。
だから最後の一行がすごく良い。
ひとり子を世につかわし、けれどどこにいるかもどうなるかも知らず、助ける手立てもないものとして神が表されているのがなんだかおもしろい。作家アリスの『悲劇的』という短編をふと思いました。救おうと奔走したけど手段が断たれていたのか、それとも居眠りをしていたのかはそれこそ神のみが知るところですが。

私はキリスト教徒にとって神がどのような存在かわからないけど、ローシュ神父というキャラクターを通じて、神がどのようなものかが描かれていた(キブリンにとってのダンワージーとオーバーラップさせるかたちで)から、非キリスト教圏の読者にもわかりやすい。
だからコーダーに記録するときに祈りのような体制を取るんだ。
振り返って見るとなるほど構造が巧みだなと思いました。
ほかのいくつかのシーンで現代パートと中世パートが呼応していて、これが解説で言っている技巧なのかと納得した。
たぶん拾えてないものもいくつかあるんだろうな。あまりにも自然に構造と物語とキャラクターが溶け合っているせいで。

そう、もちろん脇役も魅力的でした。
キャラクターとして魅力があるというより、そういう役割の人がそこにいると話が膨らむとか構図が映えるとか、そういう意味での魅力。
特に現在パートの方の人たちはキャラクターとして戯画化されていたので、そこの楽しさで悲壮な話が重すぎずに読めたんだろうな。
悪役としてはギルクリスト。レイディ・シュラプネルとは別ベクトルで厄介な人だった。知識がなく、保身と立身出世と自己正当化だけ考えているような人間がアカデミズムの場に要るのが問題なんだ、と現実世界の憤りもぶつけたくなるような。それでも死んだと知るとそこまでの悪人でもなかったのに、と切なくなる。
学部長は最初から最後まで不在の人として存在してましたね。不在の理由がなにかあるんじゃないかと思ってたら別に回収されなかった。
フィンチは、犬勘定のときとイメージが違った。執事が犯人ってのがフィンチにもダブる印象だったので。……と思ったけど、教授から見るのと学生から見るのの違いかもしれない。ダンワージー先生も犬勘定のときはもっと泰然としているように見えたから。もしかしたら、犬のときもネッドが知らないところでてんやわんやしてたのかも。
コリンはかわいいし頼もしいしでも背景を考えるといじらしくて、なんていうかアメリカ映画に出てくる子役っぽい。この間テレビで見たホーム・アローンみたいな。
ダンワージーが倒れてメアリが亡くなったとき、どうしていたんだろう。「ぼくにはなんにも教えてくれないんだ」という言葉が痛い。
いつか彼が史学生になったときの話も読んでみたい。

中世のほうでも、アグネスがかわいかった。子供は希望だし、だからこそ死が悲惨。アグネスの症状はバードリのものと似てる感じがしたけれども、キブリンから感染したにしては潜伏期間が合わない。
当時の人にとっては黒死病も原因不明の病だったわけだから、すべてに説明がなされるわけではないということなのかな。わかりようがないし。
ロズムンドの林檎も辛かった。中世女性の結婚というのはそんなにも、どうしようもならないものだったのか。エリウィスみたいに、と言ってしまうのもあれだけれども、そうなるのもやむを得ないのかもしれない。結婚してから恋をするみたいな。恋ができる状況ならまだいいくらいで。

どこまでが史実に基づいていることなのか、時代考証とかどの程度正しいのか(この作者なら微に入り細を穿つレベルで調べていてもおかしくないとは思うけど)は分からないけれども、ファンタジーやゲームに汚染されていない生の中世は想像以上に過酷。
黒死病がなくても、人々は貧しく病気がちで衛生状態も悪いし、食べるものや着るものの質も悪い。
どこまで本当にそうだったかはわからないけど、中世の生活が細かく書かれているからこの物語のもっともらしさも強まっているわけで、そしてそれによって書かれている中世のあり方も本当っぽく見えるので、まさに「神は細部に宿る」なのかなと思った。

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