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2025/03/15 (Sat)

『グラン・ヴァカンス』

更新が久しぶりになってしまいました。
引っ越したのでドタバタしていたのと、ブログサーバーの不具合だったりで若干面倒になってしまって。
古い人間なので、どうしてもスマホのフリック操作だと思うように文章を書けないんですよね。フリックよりも文字変換が予測変換がばかなのが苛立たしくなる。
パソコンもようやく使えるようになったので、また読書感想など書いていくようにしたいです。

閑話休題。

『グラン・ヴァカンス』
仮想リゾートのひとつ、「古めかしく不便な町で過ごす夏のヴァカンス」をコンセプトとした〈夏の区界〉では、ゲストである人間が訪れなくなってから千年もの間、人間らしい「過去」や「感情」を設定されたAIたちが永遠の夏を過ごしていた。だがある日、〈蜘蛛)が侵攻してきて、町を消していった。生き残ったAIたちは〈硝視体〉を駆使し、襲来する〈蜘蛛〉と壮絶な攻防戦を繰り広げる。

人に勧められて読んだんですけど、すごくしんどかった。
そもそも私は災害ものとか戦争ものがものすごく苦手なんです。人があっさりと死んでいくこと、それが容易になる状況が怖くて仕方がない。でもそういうのを辛く思う傾向が年々強くなっているような気がする。感受性は鈍っているはずなのに、本を読んで泣いたりとか刺激の強いものを拒んだりとかは年をとると鋭敏になるのはなんでなんでしょうね。
この作品も、AIとはいえすごく人間らしいキャラクタたちばかりで、そうしたひとたちが突如災害的に現れた敵にあっけなく奪われていくことがつらくてしかたなかった。
そして、この〈夏の区界〉のあり方自体も。
南欧の港町をモデルにした仮想リゾートという設定から、のんびりした牧歌的な過ごし方をイメージしていたのですが、規定されていたのはそんな甘いことではなく。
AIたちと区界はゲストに性的な快楽を与えるために設計され、そこではどんな苦痛も凌辱も行われうる。
その描写が鮮烈で美しく残酷で、もうしんどい。下品でどぎつい描写ではなく、あっさりとしたタッチで、彩度がすごく高いみたいなイメージ。
蜘蛛との闘いにおける現在進行形の苦痛と、小説の中で随時過去を暴いていくことでわかってくるAIたちの存在自体の苦痛が重くて、途中で何度か読む手を止めたくらい。……それでも、その行く末を見届けないとただつらいだけで終わってしまうから、なんとか読み進めたわけですが。
「天冥の標」の〈恋人たち〉を連想しました。

AIたちが役割と性格と設定が不可分に一体となったキャラクタであることがすごく興味深かったです。
具体例を挙げるとネタバレになってしまうのであれですが。
架空世界をうまく機能させていくための役割――たとえばAIを治癒したり、ゲストの情報を管理したり――をもったAIは、それらの役割を果たすのにふさわしい職業や地位や「過去の記憶」を設定され、そうした設定から演繹的に性格が導かれてそのキャラクタを作り上げている感じ。
その無駄のなさが好きです。
ジュールの役割は、本当にランゴーニが言っていたような、ジョゼとジュリーに対するものだけだったのだろうか。

そして、実際には起こらなかった記憶について。
AIたちの持っている「思い出」は〈夏の区界〉が始まる前のもので、つまり経験したわけではなく、最初から「思い出」として設定されている。町の背景として、仮想世界に深みをもたせるために。
AIの思い出も感情すらも自分のものではなく、作られたものでしかない。
彼らは本当にはなかった過去を「思い出」として持ち、定められた感情を思う。
そして年を取らないまま、同じ夏を生き続ける。
それがどうしようもなく切ない。
文庫解説に書いてあったように、仮想リゾートのそうした設定は物語作者と登場人物と読者の関係を引き写したもので、私は物語を書くことと読むことの業を思わずにいられない。
彼らは書かれたから存在し、読まれることで生を得る。
その前と後は「設定」あるいは「想像」としてだけ存在し、先へ進むことも過去に遡ることもない。
そう考えると、本棚に並ぶたくさんの本たちが、生きたまま死ねずに苦しみ続けるAIたちとだぶって見えて。
解説で引用された『虚無への供物』もまた、私たち読者を、そしてそうした世界を生み出した作者を断罪している。
そういう業を考えてしまう物語でした。
自覚的であることは最初の一段階で、じゃあ読者と作者は物語世界にどう対峙するべきなのか。


ストーリーとしても、〈天使〉とは何者か、ランゴーニたちの闘いの趨勢、ジュールの旅がどこに向かうのか、そして到達した後のジュールは(つまり第10章の最終行の先は)どうなるのか、いろいろと続きが気になる作品なのに、まだ三部作が完結してないなんて。
とりあえずは2作目を読みますが、早く物語を最後まで見届けられますように。

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