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2024/04/27 (Sat)

『あしながおじさん』

実は今回初めて読みました。
読んだことがなくても、いろいろなところで言及されているし、ほかの小説でも触れられたりするので、あらすじはなんとなく知ってたんです。
孤児のジューディがあしながおじさんに援助を受けて大学に通い、最後には結ばれる、って。

読んでみて思ったのは、あらすじではなく文体を楽しむ小説なんだってことでした。
手紙というかたちで綴られる、いきいきとした女の子の性格そのままの文章。
こういう古い外国の児童文学作品って、登場人物がその年齢で想像するよりも大人なように思えることが多い気がするんですけど、ジューディはむしろ17歳よりは幼い感じがしました。
思ったことをそのまま書いている率直さが幼いように感じたのかもしれない。
あと最初の頃は特に、孤児院育ちで世間ずれしていない感じだったからかも。

作文の才を見込まれるだけあって、ジューディの手紙の文章はよかった。ユーモアがあって、女子学生らしい興味とか、無邪気な自己肯定感とか。
ときどき読んでいるものに影響された文体になったりしているのもかわいい。
特に好きな言葉が2箇所ありました。
「人生で、りっぱな人格を要するのは、大きな困難にぶつかった場合ではないのです。〜(中略)、毎日のつまらないできごとに、わらいながらあたっていくには、――それこそ勇気がいると思いますわ」(岩波少年文庫版p86)
というところが人生訓的にとてもよかった。
もうひとつは、恋について書いているところ。
「月の光が美しいのに、あのかたがここであたしといっしょにながめてくださらないから、あたしはあの月の光が憎いのよ」
夏目漱石(ではない)か!と思いました。月が綺麗ってたぶんこういうこと。
そしてこれに続く、「もし恋したことがおありだったら、あたしが説明する必要はありませんわね。もしおありでなかったら、あたし説明はできませんわ。」のそのとおりなんだけどなんともいえないおかしさとかわいさ。
失恋して悲しんでいるところにこういう文章を持ってくるのがジューディの性格だよねって思った。

買った服や帽子を報告してるところや、食べたお菓子の話、レモンゼリーで満たしたプールなんて、すごく女の子的でかわいい。
いっぽうで、参政権がないことを不満がったり、自分の主義を決めたり(フェビアン主義!世界史の教科書で見た)孤児院の経営について考えたり、自立した女になろうとしているところも、この時代の理想的な女子学生像なのかなと興味深く思った。
はつらつとしていて、あなたははげてますかなんて失礼な質問をしても、完璧な敬語で手紙を認められるのとか、教育されている女の子感がすごい。大学まで出たけれど、こういう言葉遣い私は身につかなかった。
ところでこの時代、女子大学を出た女の子は卒業後どういう進路についたのだろう。
ジューディは農場に行って作家やってるけど、それはどう考えても主流じゃないし。友達も働いてる感が薄かったので、地味に気になってます。

時代といえば、アメリカと日本が開戦するみたいなたとえがあってどきりとした。戦前というかWW1以前だけど、そういう雰囲気があったんだろうか。


書簡体小説だから、語り手が手紙に書かないことを読者は知りえない。だから書かれていることが全部だと思ってしまうけど、でも実際には書かれている以上のことが彼女の人生には起きている、っていうことを端的に示していたのが最後の方でジャーヴィスといい仲になっていたとあかされるところだった。
その差異があることを児童文学でやるのって、意義があるんじゃないかと思いました。
書いてあることが全てじゃないこと。行間から読み取れること以上に、作品世界には奥行きがあること。
もっと推し進めて、他人について自分から見えることはごく一部であること。その人にはその人の人生や人間関係があって、重なっているところだけを知りうる。
たとえばTwitterとかでも、ツイートにないことは考えたり行動したりしてないと思い込んでしまうこともあるけど、そうじゃないよねって改めて思った。

岩波少年文庫版(遠藤寿子訳、初版1950年)で読んだので、固有名詞の訳し方がちょっと違うのかなって思いました。
ジューディが読んだ本を挙げるところとか。
『リットル・ウィメン』は若草物語かな。塩づけのライムが出てきていたような。



少しだけ、
文筆の才能を認められて開花させる少女を、羨ましいと思ってしまう。
その資格すらないけれど。

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