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2024/05/10 (Fri)

『江戸の妖怪革命』

香川雅信著。角川ソフィア文庫版を読みました。
すごくおもしろかった。というか、興味深かった?博論とかを下敷きにしてるらしいので若干学術よりの内容で、そもそもアルケオロジーって何ってところから難しかったので読むのは時間かかったのですが。
この著者の方のいる兵庫県立博物館で今年妖怪造形展やってたのよね。荒井良の妖怪張り子とかも出てたらしくてちょっと行きたかったけど、兵庫は遠くて。

要旨としては、
江戸時代(18世紀後半)において、妖怪は中世以前の民俗社会のリアリティから切り離され、「表象」化=キャラクター化され、人間のコントロールしうるものとなった。妖怪は「ない」けれども、それじゃつまらないから「ある」ことにして楽しもう、という態度が近世における妖怪観だった。この時代に転換点があった理由として、貨幣経済の発達により神霊が絶対的贈与者でなくなったことがあげられる。
近代になると、それ以前に絶対的存在とされていた「人間」そのものが不安定な内面(「神経」「催眠術」「心霊」による)をもつものと認識され、妖怪は人間自身にはコントロールできない「内面」の働きによって「見てしまう」ものとなり、再びリアリティを得た。

まず、なんとなくのイメージとして近世以前=妖怪にリアリティがあった/近代以降=合理的思考によって妖怪が否定されたという認識があったので、それを覆されたのがおもしろかった。
既に江戸時代にも当時なりの合理的解釈で妖怪の「種明かし」が行われていて、円了の「妖怪学」はその延長にすぎない、というのが。
いわれてみたら石燕みたいなパロディ的キャラクター的妖怪はリアリティとは無縁の産物ではあるんだけれども。
そうはいっても都市ではなく地方ではまだリアリティが共有されてたのでは、ということも思わなくもないけど。でもそれも理想主義なのかなー。それこそ円了が妖怪を否定しようとしたからには、明治時代初期には「迷信」を信じる人たちもいたのは確かなんだけれども。
18世紀後半当時の地方における書籍/情報流通はどういうレベルだったのかとかも気になる。

でも、江戸時代の書物で妖怪が否定されていても、狐狸が化かすことについてはまだリアリティが温存されていたり、現代においては妖怪は否定していても幽霊に対しては恐怖するというのはなんとなくおもしろい。
対象が「自然」であれ「人間」であれ、わからないものに対して畏れを抱くのは時代が変わっても変わらないんだなぁと思うと、人間に対して愛おしさみたいなものを感じる。

明治時代の「神経」によって幽霊を出現させる物語、芳年や円朝の最期も含めて時代の変化に感傷的になってしまう。
それはそれとして、読んでいてもいまいち『真景累ヶ淵』や『木間星箱根鹿笛』と『東海道四谷怪談』の幽霊観の違いがよく分からなかった。おどろおどろしい演出の有無や、たぶん演出や物語の上で、その幽霊を認識しうるのは誰かということが大きな違いなんだろうけど。実際に見てみたいですね。

妖怪は「ない」けれども、それじゃつまらないから「ある」ことにして楽しもう、という妖怪観だったり、第二部で紹介されている妖怪手品の数々に、巷説を思い出しました。
まぁでも巷説のは手品ではなく、むしろ「語り(=『騙り』によって保障され」る「曖昧かつ中間的な領域」に属するものとして物語内では受け取られているものだと思いますが。
そういう連想が働いたのも、この辺りの説明で呑馬術で評判を読んだ塩売長次郎にちらっと言及されていたのもあるのかもしれない。
まぁ参考文献に京極夏彦の名前あるしね。巷説ではないけど。

参考文献といえば、そこで紹介されてた本もいろいろと興味ひかれるもの多いので追々読んでいきたいんだけど、ときどき不思議なものがあった。『ニューロマンサー』とか(未読)。泡坂妻夫が江戸奇術の解説してる本は、そんなのあるんだって思いました。

妖怪図鑑が、その時代に流行った見立て絵本や番付、開帳、名所図会なんかと同じく博物学的思考/嗜好の所産というのも興味深い点でした。
江戸時代の博物学についてももう少し知りたい。
あとその頃行われた「宝合」という遊びが楽しそうなのでやってみたい。牽強付会の物産会。
パロディ的な妖怪図鑑、その系譜をひいているのが妖怪ウォッチなんだろうなぁとさんざん言い尽くされていそうなことなども考えたり。この本が書かれたのは2005年なので、ポケモンは現代の妖怪的なものとして出てきていても妖怪ウォッチには言及されてないんですよね。

現代との対比でいうと、18世紀後半の「表象空間」――さまざまなメディアによって形成された引用と参照のネットワーク――で独自の生成・発展を遂げていき、「化物らしさ」(表象としてのリアリティ)が確立されていくことが、二次創作とかでキャラクターの設定が付加されていって原作で描かれている以上のそのキャラクターらしさが生まれていく感じと対応するかなぁ、と。

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