最近、替え歌を聞きました。世界で一番麻耶雄嵩。
とはいえ、麻耶あんまり読んでないです。ブログの読書記録みてくださってる方はご存知かもしれませんが。最初の2作だけ。
読みたいような読みたくないような。もやもやするからあまり好きではないかもしれないけど、読んでいた方が楽しそうなんですよね。サークルにファンの方が多いので。
サークル用に書いている諸々のせいで精神的に疲れてました。どうせ文才ないんだし、サイトにあるのも全部消したくなったり。……当分はしませんけどね。
方向性は決まったからたぶん大丈夫。
そういえば去年の今頃も図書委員会のあれに書く原稿に悩んでた気がします。
外向けに好きなように書こうとすると、不思議な話になってしまいます。広義のファンタジーですかね。
転載できるかわかりませんが、できるようならサイトに載せたい。だってサイト見てくださってる方は、自惚れていいなら私の書いたものを好いてくださってるのでしょうし、そういう方に読んでほしいですもん。
サイト見てくださってる方が文化祭で買ってくださったらいいのですけど。……それもどうなの。
身バレ……は分かる人には分かってる気がする。
それはともかく、オフ会とかは一回やってみたいです。
さてさて、9月ですね。
あと3日でしょうか。新刊発売まで。楽しみすぎていろんなことが疎かになってます(笑)
言波出るかな。って、いつも言ってる気がする。そしてその度に裏切られてる気がする。『天上~』のときは何も考えてなかったのですが、あれで期待しちゃいました。会ってあげてよ。いつでも良いから。でも、出来るだけ早く。伝えられるうちに。……何をだ、と自分にツッコミを入れてしまいました。
原作では、そういうのはやっぱり限界ありますもの。
でも、会って何を言っても、いや、たとえ会わなくても回想に出てくるだけで萌えますが。
高確率で出てきそうなのは高遠さんですかね。
電話したし。メリーさんみたいに徐々に近づいてくるのですよ。
読んだ本。
「恋のドレスと湖の恋人」
ラブラブですね。
いつもよりピンク色な気がする。
いや、アイリスの自白とかリンダの動きとかもあったわけですし、クリスにとっては愛さえあればいいわけでもないんですが。
それでも、幸せだったのではないかと。
次回は大変そうですね……ハクニール家。
イアンの台詞が死亡フラグっぽくてどうしよう。
「死の泉」
うっかり萌えました。フランツとエーリヒにも、ヘルムートとゲルトにも。
ゲルマン神話の描写が好きです。
Ⅰ部の雰囲気が好きでした。デカダンスな美しさ、かしら。カストラート自体、美しさのために犠牲を払ってますからね。その犠牲が大きいのか、私には分からない。宦官も有りだと思うんですよね、生き方のひとつとして。生殖だけが目的じゃないんじゃないかと。非生物的ですが。
もはや宗教だよな。国家社会主義。というかナチズム。
フランツがいちばん悲しい気がしました。
あと、何も知らず残された人たち。そこにいたのか、とね。
本の構成が謎でした。え、ギュンターの著書なの?
「あとがきにかえて」の部分含めて、虚実入り乱れる感じでした。
灰色の眼ってことはつまり……そういうことなのかしら。
サークルで合唱を一応やってるので、これはあの練習法のことだなとか、音域うらやましいとか、思いました。
話は違いますが、この時代にケヴァンがいたのかな、こういう人たちに実験されてたのかとか考えてました。
アスガルズとか言ってたし。地図にない国はそこにあったのかしら。
松代の大本営見学したときのこと思い出しました。
「饗宴 ソクラテス最後の事件」
ソクラテスが探偵という趣向が気になったので。この人、こういう話も書いてたんですね。ジョーカー・ゲームとかしか読んだことなかったので。
うん、神話ってそういうものですよね。不思議を納得するためのもの。『世界を認識可能な、把握できる存在に作り替える』もの。その点、妖怪と似てるかもしれません。妖怪が神の凋落したかたちと言った人もいたけれども。
ただ、古代ギリシアでそれを言うのはどうだろう。すでに人々の思考はミュトスからロゴスへ移行していたわけか。
事実と真実について、考えずにはいられない。私は事実が客観で真実は主観だと思ってる。この小説の場合、人が死んだことが事実。真実は劇や言葉によって明らかにされる。真実は必ずしも事実じゃなくても、多くの人が納得できるなら、みんなが幸せになるように解決できるなら、それでいいと思うのだけれど。
やっぱりソクラテスにとっては、絶対の真理があったのかしら。弟子の言葉を借りるなら、イデアですね。
主観客観を推理小説で論じると姑獲鳥みたいなことが起こりかねない気がするのですが。観念の幻想。
しかし私はロゴスでなくパトスで行動してしまいます。演繹より経験。
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