忍者ブログ
2024.04 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

最新記事

プロフィール

HN:
睦月
HP:
性別:
女性
趣味:
読書
自己紹介:
妖怪と神話とミステリと甘いものが好き。腐った話とか平気でします。ネタバレに配慮できません。

カウンター

リンク

ブログ内検索

アクセス解析

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2024/04/20 (Sat)

伸ばした手で触れる事は誰もできない

先日、名探偵コナンのリアル脱出ゲーム「オリエント急行からの脱出」に参加してきました。私は脱出ゲーム初めてだったのですが、無事脱出成功しました。詳しいことはネタバレになるので書けませんが、同じ時間に18組参加してたうちで、脱出成功したのが私たちのところだけで、それもわりと先読みしまくって時間が余ってだったので、え、そんなもんなの?っていうのを思いました。でも楽しかったです。解けたから余計に。
来月くらいから新しいコナンコラボのやつが始まるらしく、それはキッドが出てくるらしいのでそっちにも行ってみたい。今回のでも予告が流れて、勝平さんの声が聞こえた瞬間テンションが上がりました。
今回のはオリエント急行要素特になかった(列車ならなんでもよかった)し、コナンである必要性もストーリー付けだけっぽくて、その点は微妙だったのですが、奇術城はキッド要素たくさんあるといいなあ。今年は映画もキッドだし。最近の映画にそんなに期待はしないけど、楽しみです。

まじ快アニメもちょくちょく見てます。
ノリがやっぱりまじ快で、コナンとは違うのはもちろんそうなんだけど、絵柄がだいぶ違っていて連続してみるとおもしろいなと思う。まじ快に出てくるコナンはショタ度が数割増しになってるような気がします。
あと、快斗視点からコナン原作の話やるのも楽しい。コナンを警戒して計画立ててるのとか、とても萌えます。予告で快コかけあいやってたのもかわいかった。「犯人はお前だ!」「そーだよオレだよ!あたりめーだろ」みたいなやつ
アニメやってる間か、映画くらいの時期に5巻出してほしいなと思うけど現時点でアナウンスないからまだ当分先なんだろうな。両親の出逢いの話とかアニメでやってくれてたので、マンガでも読みたいのですが。コナンもそうだけど、親世代と同じようなことを子世代もやってるというシチュエーションとても好きです。コナンでいうと25,26巻くらいでしたっけ?プロポーズ中に飛びだしていって事件解決したっていう伝説。エレベーターでバーンってやる話。とか、瞳の中の暗殺者で、小五郎のプロポーズの台詞を言うコナンとか。

ところで最近、私の好きなBLについて考えてました。
私の好きなというより、BLが何故好きか、どこが好きか、みたいな話です。
結論から言うと、私は関係性に萌えるのであって、萌える関係性を描いてくれていたら性別はそんなに関係ない。……実際はそんなに百合を好みはしないのですが、それはBL/NLでも、地雷じゃないけど好きじゃないCP見るときと同じレベルでの好き嫌いだと思う。私は好きじゃないけど、こういうのに萌える人もいるんだろうな、そういう人はこういうシーンとかが良いんだろうな、私は好きじゃないけど。みたいな感じ。
それから、性的描写は関係性を描く上でのガジェット・小道具として好きなだけで、えろいものを好んでは摂取しない。
だから、私はBL好きというよりも、ブロマンスが好きなのかなというのに思い至りました。
萌える関係性は、強い執着で、それは恋愛感情じゃなくてライバルとしてとか、家族とか仲間とか友情とかそういうのでいいんです。というか原作はそこまででお願いしたい。そこから先はこっち(妄想)でやる。
先日、友人と話していて私はなんで二次創作をしていたのかということを考えたことがありました。私はまず恋愛というのは何かしらの好意があるときにどこかの瞬間でスイッチが切り替わり、恋愛感情を自覚をすることによって成立するのだと考えています。どんなに仲が良くても、極論を言えばたとえ肉体関係があっても、恋愛ではないと双方が考えているならそれは恋愛ではないと思う。性欲と恋愛感情の違いとか言い始めるとややこしいのでここでは割愛します。
だから私は二次創作では好きな関係性を築いている(築きうる)キャラたちがどのようにスイッチが切り替わり、恋愛感情を自覚するかを書きたい。書きたかった。たぶんそんな感じで書いてた、はず。
だから、原作では恋愛じゃなくていいから、強い執着だったり関係性だったりを丁寧に描いてほしい。
そう思っているので、関係性や契機が特に説明されずいちゃいちゃしている人たちを見てもたぶん萌えないんです。

そういうわけで私は艦これアニメの百合描写が好きではありません。
ゲームの方に手を出していないのもあって、キャラクター性というかどういう人なのかも分からないし、キャラクター同士の関係性が全く見えないのに、恋愛要素だけがあるので、とても気持ち悪く思ってしまいます。吹雪周りは1話からきちんと描いているのでまだ分かるけれども。
その恋愛要素というのも、憧れとか仲間とか、他の名前がつきそうなものも恋愛的な表現として描いている感じがするのも違和感の一部かも。あと恋愛的な表現の描き方が性的なものに結びつきがちというか、百合要素は「男性が見て楽しむもの」でしかない感じとか。作ってる会社があれなのである程度はしょうがないけれども、消費される百合はあまり好きではないなと思います。女の子が好きなのでもなく、キャラクターが好きなのでもなく、単に性的刺激がほしいだけじゃないの?と思ってしまう。
とにかく、経過が見えない気がするというのが、私があのアニメを見ていて一番不快に思うところなのかもしれません。原作はやっていないので分からないのですが、艦娘のキャラ設定はたぶん原作にある程度依拠しているはず(同人設定拾っているという噂も聞きますが、二次創作での設定も、どんなに薄くても原作に根拠はあるのではないだろうか)なのに、文脈がないのでよく分からない。よく分からないなりに納得できるところとできないところがあって、性格設定ならまだしも、関係性設定は説明がないと全く魅力が伝わらない。それが伝わらなくても問題はないのかもしれませんが、上澄みだけだととても薄い作品になるよね、と思うのです。
公式がアニメは二次創作ということを言ったという話もちらっと見たような気もするのですが、それ知らない視聴者も多いし、そもそも個人製作の二次創作と巨額の資金かけてプロが作って公共の電波にのるアニメでは、クオリティもその享受者の数も全く違うものになるんだから、二次創作ですは通用しないと思うんだけど。初心者に売る気がないのってどうなのとも思うんだけど。でも私が楽しめないから僻んでいるだけかもしれないです。


拍手[0回]

つづきはこちら

気を取り直していつものように。最近読んだ本。
「最後の晩ごはん 小説家と冷やし中華」
芦屋に行きたい。ラーメンとアイスキャンデーを食べたいです。
相変わらずいい話。筋も想像できるし、読んでて大きなカタルシスとかはないんだけど、その分安心して読める。こういう小説があるのも良いなと思います。
このシリーズのキャラクターは決して好きなタイプではないし、椹野先生の作品で他に好きな話もキャラクターもいるんだけど、それでも読んでいて楽しい。主人公や視点人物が喜べば私も嬉しいし、辛い境遇にあれば悲しい。人間/キャラクターでいえば、キャラクターでしかないのだけれども、キャラクター小説で育ってきた私にとっては共感して読めるので、ちょっとした故郷感があります。
関西とか怪異とかお料理とかブロマンス?とかミステリ?とか、椹野先生らしさがちょっとずつ入ってるのが、なんていうかお弁当感と言いますか、ちょっとずつおいしいもの楽しめるよみたいな感じで、好きです。法医学要素はないけど。それぞれがっつりいきたかったら別の作品読むし。お試しみたいな感じでもよさそう。
これ単体で好きなわけじゃないけど、これまで私が触れてきた好きな要素が垣間見えたり思い出したりするから読んでいて落ち着くんだろうなと思う。
今回で海里と淡海先生の問題がある程度解決して、次巻で夏神さんの話していったん区切り、なのかな。執事も三巻でひとくぎりだったし。

「オズワルド叔父さん」
ダールの、これだけ長い話を初めて読んだかもしれない。でもやっぱり中編~短編の方がおもしろいな、と思う。これも結局短編の組み合わせっぽい構成ですし。
「来訪者」「ビッチ」の続きというか前日譚というかで、若き日を回想しているオズワルド叔父さんの日記を主人公がまたしても出版という体裁なんだけど、その体裁に意味はあるのだろうか。実話らしさ?実在した人がたくさん出てくるし。名誉棄損とか大丈夫なのかしら。
回想や、その合間に挟まれるちょっとした小話なんかは、ホラ男爵の話を読んでいるようでおもしろかったけど、中盤から後半あたりは同じような話の繰り返しで、もっと削って中編とかにした方がおもしろいんじゃないかと思った。ビートルの話とかは「ビッチ」と微妙にネタ被ってるし。
あと相変わらず閨房の描写がおもしろくていいですね。ああいう比喩は好きです。
オチには笑いました。今までのはなんだったの、という。

「電気人間の虞」
電気人間という怪異、都市伝説があって、「語ると現れ、人を殺す」という都市伝説の通りに人が死んでいく。そこで殺人か事故か、犯人は電気人間かそれとも生身の人間か、という捜査が行われ、推理がされて怪異が解体される。そして一応は合理的解決がなされたものの、実は電気人間が実在し、その犯行が明かされる。
そういう枠組みは面白いと思うし、私の好みでもあるはずなんだけど、どうにも素直に好きとはいえない作品でした。
なんでだろうと考えて、とりあえず理由が二つ。一つ目は、思春期的中二病的心情描写がうざい。とにかくうざい。これを受け止めきれないのは年齢のせいなのかなと少ししんみりもしたけど、読んでて楽しめなかったのは事実。キャラクターに好感抱けないばかりか、共感もできなかった。
そのせいでか、電気人間という怪異はおそろしいものには思えず、全体的にどこか滑稽な感じが漂ってた。
二つ目は(ネタバレかもなので反転)
合理的解決が明らかに納得できないものであったこと。私は推理小説読むときも基本的には自分では推理しないんだけど、それでも明らかにそれは違うだろうと思う推理はあって。それってでも論理とかもだけどそれ以上に推理が展開されているときの雰囲気や演出が影響してるんだよね。で、この作品では推理シーンが全く解決シーンではなさそうな雰囲気で書かれていたので、明らかにもう一段階ひっくり返るだろうというのがあって。その段階では怪異の実在か実は意外なあの人が犯人とかまでは確かではなかったけど、これで終わりじゃないというのだけは思っていた。その状態から実は電気人間実在しました!といわれても、だろうねとしか思えないので、驚きが少ない。
一度合理的解決で締めてからひっくり返す方が綺麗だし、驚きも大きいと思う。
でもメイントリックがすごいし、そのための小説、そのための電気人間の設定であると同時に、物語のための電気人間、トリックでもある感じがしたのはとても好感が持てました。
社会学や民俗学の話とかも、語り口はともかく、わりと頷ける感じでしたし、読んでて楽しかった。
あと最後の一文が、何これって感じで好きです。とても気になる。
PR

× Close

2015/02/13 (Fri) 日々の徒然 CM(0)
Leave a Reply
name
title
color
mail
URL
comment
password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
管理人のみ観覧可