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2024/05/09 (Thu)

『隠された神々 古代信仰と陰陽五行』

思うところあって、このブログを本とか、そのほかの作品の感想をメインに書く場所にしていくつもりです。今までTwitterで書いていた読了記録をこちらに移行するイメージ。Twitterより簡便性には欠けるので、いつまで続くかは謎ですが(そうやって予防線張るのよくないね)

というわけで以下、吉野裕子著『隠された神々』の感想です。
フィクションではなく、かといって研究書というにもかっちりしてない人文系の本。こういうジャンルをなんていうのかあんまりよく知らないんですが。
河出の企画で、長野まゆみが紹介してたので気になって読んでみました。長野さんが紹介してたのは河出から復刊されてたやつだけど、図書館にあったのが人文書院から出てたやつなので、もしかしたら追記とかあると違うのかも。

ざっくりした感想は、
イメージは綺麗だし、大筋としては印象的に(あるいは感情的に)納得できるけれども、論証がそんなにはきっちりしていないので疑問とフラストレーションがたまっていく。「隠されているから表の記録には現れないんだ」って言われたらまぁそうなのかもとは思うけど。
小説(たとえばQEDシリーズ)とかでやるならともかく、そうでないならもっと論理的に納得いく説明がほしい。

あらすじ……というか、要旨になるんだろうか、この場合。
・古代日本では太陽の運行から類推した東西軸が神聖視されていた。神は東の常世から来て、西の他界へと去る。人の生死も同じ。その境界では穴(疑似母胎)に籠って出ることが必要。
・天武・持統期に東西軸の神聖視が南北軸の神聖視に取って代わられた。中国渡来の陰陽五行思想の影響。
・古墳とか宮・都の位置や時期は南北崇拝・陰陽五行思想によるもの。
・その頃整えられた伊勢神宮は、日本の古代思想と中国の哲学(太一陰陽五行思想)が集合したもの。内宮は太一(北極星)で外宮が北斗。

全体的に、特に前半は、「古代日本(人)」っていうけどそれは何時の何処の誰のこと?みたいな疑問が強かった。
古代日本って言っても、大和と日向と出雲と河内でもそれぞれ違う信仰を持っていたのだし。いわんや東北・北海道・沖縄をや。と、私は思っているのだけれども。
沖縄(たぶん現代に近い)の祭祀儀礼なんかを例にもってきて「古代信仰形態が今もなお残存する沖縄」みたいなことを書いているけど、古代(少なくとも7世紀より前)は、沖縄は日本ではなかったじゃん、って思ってしまう。沖縄は確かに古い祭祀儀礼を残しているだろうけれども、それが古代日本(たぶん大和あたり)のものと同じであるかは何も注釈ないよね?「太陽の洞窟」に関しては、まぁ天岩戸のイメージ重ねたいんだろうな……というのは思うけれど。
古代日本の信仰が残ってはいないから、近くで古い儀礼の残るところから類推しているというのならそれはよくあることなのでいいんだけれども、まるで「沖縄の御嶽・蒲葵が正統であって、本土の神社・神木の杉や松はその代用」みたいに書かれると、首をかしげる。似たような信仰を持っていてけれど細部は違うのだというなら構わない……と思うのは、私の中のナショナリズムの仕業なのでしょうか。

あと、初出が新書だからかもしれないけど傍証(ともいえない事例)を積み重ねるだけで論証としているのがすごく引っかかるし、私は素直なアホなので「~と考える」「~と思う」みたいな書き方されてると、ただの感覚的な連想や想像でしかないのかと思ってしまうところがある。
神社や都の位置や伝承を論拠に引用するときも、その妥当性の検証には特に触れていない(沖縄の例がたくさん出てくるのもこういうところがある)のも、それを書く時点で検証して使えるから出しているんだと思うんだけど、書かれていない部分は読者にはわからないので、本当にそう言えるの?って疑ってしまう。批判的な読み方以前の問題として。

文句ばっかりもあれなので、おもしろかった部分。
日本人は擬き・見立て好きというのはまぁ感覚としてはわかるし、祭りとかも天上の星の進行の地上での再現だってのはそれが本当かは別として美しいので好きです。
神事で巫女が神と交合して、自身が胎児の神となり母胎から現れるイメージとかも良い。

東―神界・西―人間界という構造が入れ子のようになっているという話はすごくおもしろくて、本州最長の東西の線が鹿島と出雲の間に引けて、だから鹿島の神であるタケミカヅチが出雲に国譲りの交渉に来たんだ、とか。
古代信仰の話で経緯線の話とかするの、フィクションの内部ならともかくわりと眉唾と思ってて引いてしまうんだけど、そこに繋げるのかって納得したので。

すごく納得したことはもう一つあって、鼠の神聖視が現実の動物の鼠ではなく、十二支の子、つまり陰陽五行思想での子=北(太極)・冬至・一陽来復が重要なポイントだっていう話。

ただ、日付や方位や時刻を表す十干十二支がどれだけ切実に信仰的に重要なものとしてとらえられていたのだろうというのは疑問。六曜だって仏滅とか大安とかいうけれども、その吉凶の意味は後付けであるわけだし。
なんか、私自身の考えとして、フィクションでのファンタジー的なものは好きだけれども、現実の歴史学においてそういったものを重視しすぎているものはあまり好きじゃないんだろうな。

高松塚については、位置はともかく、壁画の話は、星と女性群像の色についてだけでたとえばその顔の向きとか、あるいは男性群像については特に説明されてないので、伏線を使いきれていないということはその推理は間違っているのでは……という犯人当て脳。

伊勢神宮も別に太一と北斗が習合されているのはそうなのかもしれないとは思うんですが。
御被の屋形文・車文とかの話はそれっぽいし。
ただ、由貴/悠紀が輸璣で北斗で、豊受の名前も豊璣で北斗の神だってのはさすがにどうかと……。主基が次というのも適当な感じするし。とはいえ、由貴/悠紀が豊受/止由気からきている名前というのは何となくわかる。この辺は読んでてなんか仮定と結論がループしている気がした。
あと、悠紀・主基に播磨とか丹波が多いのは西北とかじゃなくて都から近くて経済規模というか収穫量が多いからみたいなもっと現実的な理由があったのではないか。

なんというか後半の話は、中国哲学との習合で祭りとかが以後あるようになったというなら、習合以前のかたちをある程度見せてほしかったという気持ちはちょっとある。
白鳳期は確かに古代だけど、伊勢信仰や天皇家の大嘗祭はその頃突然始まったのではなく、整えられただけだと思うので。より古い形態を知りたい。

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