脚本なんて、書かなきゃよかった。
私が書いたのは、書きたかったのは、台詞とト書きだけじゃない。
そのシーンがどんな場面なのか、それぞれのキャラがどんな人なのか、そこまで、少しでもいいから表したかった。
でも、伝わらない言葉に意味はあるのかな。
分かってくれないと相手を責めるよりも、伝わりにくい言葉しか使えない自身を反省するべきなんだろう。
まだ私は高校生だし、プロじゃないし、脚本を専門にしてるわけでもない。
だから仕方ないのかもしれない。
でも、私は文章を書く者でありたいとは思ってる。
だから悔しい。
「邪魅」で京極堂が、読み手がどんな受け取り方をしてもそれは正しい、と言っていたのはその通りだと思うし、私だって現代文の問題で作者の意図を問われたら、そんなもん知るか!と投げ出したくなる。
だから矛盾してることは分かってるんだ。
それでも、演劇なのだから実際的じゃなくてもいいんじゃないかと思うんだ。
本当にそういう場面に遭遇したら違う行動を取るだろうけど、演劇なんだから「魅せる」演出をしてもいいんじゃないかな。
例えば、襲われてる人を助けるシーンで、普通なら一直線にそこに走っていくかもしれない。
でも、演劇なんだから、舞台に出て、一度前を向いて止まって見栄切って、それから走っていってもいいんじゃないだろうか。
……ということを監督に言っても、「普通こういうシーン見たら止まらないだろ」と一刀両断されてフラストレーションなのです。
私が間違ってるのかな。
ならそれでもいいか。
ここまでいろいろと書いてきたけど、なんでこんなこと思ってるかというと、クラスの人が言ってたことが引っ掛かっていて。
その人が言うには、うちのクラスの演劇の役割分担はすごくうまく適材適所らしいんです。
それを聞いて私もそうだなと思ったんですが。
例えば、東京のほうの専門の学校に通っていてオーディションとかも受けてるという噂の女の子が役者やってたり、絵がすごく上手くて美術系の大学目指してる人たちが大道具で背景描いてたり。
それで、思ったんです。
その『適材適所』に私も入っていればいいな、って。
もちろん私は好きなだけで文章自体は拙いと分かっているけど。
脚本も私一人で書いたわけじゃないし。
それでも、誰か一人でもいいから、私に脚本やってもらってよかったと思ってくれる人がいたら、嬉しいな。
私もいつかは「ちょっとずつ大袈裟に夢を叶え」られるといいな。
…それこそ、彼らの伝えたかったことはそういう文脈じゃないのかもしれないけど。
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