引越しの作業が終わり、私はほっと一息ついた。
ぐるりと新たな自分の城となった部屋を見渡す。
まだまだ何もないこの部屋。
それでも、今日からは此処が私の家だ。
居心地よくするために、まずは必要なものを揃えなくては。
ペットボトルのお茶を飲みながら買うもののリストを作った。
高台にある二十階建てビルの十八階。
そこが私の部屋のあるところだ。
家賃と移動する手間を考えても余りあるほど、窓から見る景色は綺麗だった。
昼間でさえこうなのだから、夜景はきっともっと素敵なのだろう、と期待する。
今日の夜が楽しみだ。
買い物をするために街の中心部へ向かう。
店を見ていると、あれもこれも全部ほしくなってしまうけれども、金が無限にあるわけでもない。
希望と妥協を重ねて、ようやく全ての買い物が終わったときには日は沈みかかっていた。
空が青から緑、黄、橙、そして紅へのグラデーションに染まっている。
黄昏色の街が冒険心を起こさせた。
思いたって、街の外れまで行ってみる。
冒険といったって、何かがあることを期待したわけではない。
何もないだろうことは最初から想定の範囲内だった。
そんなに簡単に『何か』があるはずもない。
そう判っていても心の中では少しだけがっかりしていた。
そんなときだった。
視界の端に、光って見えるものがあった。
それは『楽しそうなもの』のサインだ。
私はまっすぐそこに向かう。
見つかったのは廃墟だった。
何十年も前は人が住んでいたのだろうと思える一軒家。
けれど今では、庭は荒れ果て、窓硝子は割れ、屋根瓦は落ちそうになっている。
近所の子供たちには「お化け屋敷」と呼ばれていそうだ、となんとなく思った。
玄関にかかった表札は文字が掠れていて読めなかった。
誰にとも無く「おじゃまします」と声をかけて、敷地内に入る。
玄関の扉は当然と言おうか鍵がかかっていて入れなかった。
諦めて庭にまわる。
硝子の無い窓から見てみると、家の中はまるでつい今まで使われていたように物が残っていた。
こんな状況の場所で誰も暮らせるはずはないのにその部屋は――おそらくリビングには生活感があった。この部屋と引っ越してきたばかりの私の部屋を比べれば、この部屋のほうが人が住んでいそうだ。
まさか本当に誰かが入り込んで住んでいるのだろうか。
私も入ってみようとしたのだけれど、硝子が入っていないはずなのに何故か窓から入ることはできなかった。
入れないのならきっと誰も居ないのだろう。
生活感も、数十年前にいなくなった住人が残していっただけのことだ。
半ば無理矢理、そう結論づけて私は家に帰っていった。
家に着いたときにはもう夜だった。
窓を開けると眼下には鮮やかな街並みが広がっていた。
赤、青、黄、緑、ピンク、紫、白、橙。
色とりどりの光に飲み込まれる。
夜を昼に変えるように数多くのネオンが街を彩っていた。
「きれい…」
そう言おうとしたのだけれど、言葉は感嘆の息に消えていった。
ただ、溜息しかでない。
どんな言葉も目の前に広がる夜景の圧倒的な美しさの前では意味を持たなかった。
ふと、おかしなことに気付いた。
視界の右端、街の光の途切れる際。
先刻訪れた廃墟にもあたたかな光が灯っていた。
目を擦ってもう一度見ても、その光が消えることはない。
見間違いじゃない。
思わず、窓の手摺りが軋むほど身を乗り出してその光を見つめた。
誰かが入り込んだのだろうか。
それとも……?
不思議に思って、確かめずにはいられなくて、部屋から出て廃墟へと向かった。
おかしい。
さっきまでは見えていたはずの光が、私が廃墟に着いたときには消えてみた。
――見間違いなんかじゃなかったのに。
私が移動してきた間にこの部屋にいた誰かもどこかに行ったのだろうか。
一番ありえそうなことだ。
けれども、根拠は無いのだけれども、それは違うような気がする。
だったら何だと聞かれても答えられないのだけれども。
釈然としないままだけれども、此処にいてもしょうがないので私はまた家に戻った。
閉め忘れていた窓から再びあの廃墟を確認する。
――やっぱり、間違いじゃなかった。
そこには蛍光灯のような白い光の点が見えた。
また行ってみようと思って、けれどもやめた。
また行っても同じように着いたときには消えているような気がした。
きっとあの光は私に――というよりも、誰かに見られることを望んでいない。
これも根拠はないのだけれどそう確信した。
私は廃墟に、夜景に背を向けた。
だから、気付かなかった。
その廃墟から大きな黒い玄い鳥のようなものが飛び立ったことに。
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